一日一東方

二〇〇七年 九月二十六日
(風神録・河城にとり)

 


『水の旅人』

 

 

 河童の川流れ、という言葉がある。
 弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる、その筋の専門家でも失敗することはある、という意味のことわざだが、実際、弘法が筆を誤ったら相手がお偉いさん過ぎて間違いを指摘出来ず、誤りが罷り通ってそれが正しい用法になるんじゃないかと発言し、先生を悩ませた生徒も決して少なくはないんじゃないかと。
 何の話だっけ。
「……ぷぴゅ」
 あぁ、そうだった。
 ついさっき、河童が釣れたんだ。

 

 

 太公望と呼ばれるほどの暇な釣り人になるのは、ただただ時間をかければよいだけの話である。
 得手不得手は一切関係なく、俗世の縛りも忘れ、漫然と水の流れにあるいは水の留まりに糸を垂らせばよい。魚が釣れなくても、夜の食事が質素になろうとも、釣りをしていればそれで満足なのだ。仙人や蓬莱人である必要もない。釣りに興じる瞬間から、人は等しく水と交わる。
「まぁ、御託はいいさ」
「ぴゅっ……」
 腰に手を当てて、足元の河童を見下ろしている少女は藤原妹紅である。白髪、灼眼、もんぺにサスペンダーといった派手な風体をしているが、早朝から霧の湖にて釣りに興じているあたり、何処か老成しているようにも感じられる。それは何も容姿にそぐわない白髪をしているからだけでなく、彼女の人生から発せられる達観めいた雰囲気が、対する者にそう思わせるのである。
 陸に引き上げられ、仰向けのままぴゅーぴゅー水を噴いている河童は、全体的に水色をしていた。頭にぴかりと光る解り易い皿があるでもなく、河童だけに合羽を着込んでいるように見える以外は河童たる要素はあまり見受けられない。
 だが、彼の幻想郷縁起には、霧の湖にはごくたまに間抜けな河童が流れ着くことがある、と書かれている。妹紅はそれを覚えていたから、彼女が間抜けな河童であると判断したのだ。
 漫画のように膨らんでいたお腹は徐々に平べったくなり、噴水もその勢いを失いつつあった。うーんうーんと唸っている河童が、むずがゆそうにその身をくねらせる。
「ん、むむぅ……、んぁー、……はっ!」
 呻き声が勝手に完結し、河童が弾かれたように起き上がる。びしょ濡れになった格好でありながら、服装の乱れはなく、本人もさして気にしているようには見えない。代わりに、きょろきょろと周囲を見渡し、その一角に見知らぬ人間がいることに気付き、目を丸くした。
「よ」
 妹紅は、気軽に手を上げる。
 河童は見るからに動揺した様子で、覚醒して間がないのに、慌しく後方に離脱した。
「あ」
 妹紅の制止も聞かず、霧の湖からの即時撤退を試みた河童は、まだ引っ掛かったままの釣り糸がぴーんと張り詰めたことにより、体勢を崩しながら再び湖に着水した。
 あぶくがぶくぶく、河童らしからぬ溺れっぷりに妹紅は嘆息する。
「河童の川流れたぁ、よくいったものだけどね」
 皮肉のように呟き、よっこいしょ、と釣竿を豪快に引き上げた。
 現在の釣果、河童二匹(同種)。

 

 

「はっ!」
 同じ台詞を律儀に吐き、胡坐を掻いて構えている妹紅に気付くと即座に離脱を試みるが、立ち上がろうとした瞬間に後頭部を木の枝に強打して潰れたカエルみたいな悲鳴を発した。
 うおぉぉ、と頭を抱えて蹲る河童に、妹紅は挨拶をする。
「おはよう。よく眠れたかな?」
 明らかにそんなわけないだろと言いたげな顔をしている河童はさておき、妹紅は警戒心丸出しの彼女に、こんがりと焼けた鮎を差し出す。河童は、きょとんと目を丸くしている。
「食べなよ」
「いいの?」
「食べられるときに食べるものよ。こういうのは」
 河童は、多少妹紅の企みを警戒しながら、おそるおそる木の枝に差した鮎を受け取った。ちゃんと塩も撒いており、はらわたも除いている。安心した。
「……んむ」
「お腹、空いてる?」
 鮎を食みながら、こくりと頷く。妹紅は仕方ないなぁと言いたげに首を鳴らすと、自分の鮎を焚き火に残し、徒手空拳のまま山の麓の方に歩き出した。ふらふらと頼りなく、それでいて、ちゃんと地に足をつけているように見えるから、不思議だ。動揺が続いていた河童も、人間が妖怪の山に踏み入るとあらば、何も言わないではいられなかった。
「あ、ちょっと!」
 河童が制止する。
 妹紅は振り返り、気だるげに自分の肩を揉む。
「ん、なに。……あぁ、別に、逃げたかったら逃げてもいいんだよ。何があったか知らないけど、あんまり流されてるとブン屋にあることないこと書かれるから、気を付けな」
 前を向き、歩きながら忠告する。最後にひらひらと手を振り、妹紅は山の奥に掻き分けて行った。その後は、人の気配すらない。あるのは河童と妖精との音、わずかな枯れ枝で燃えている枯れ枝と、食べかけの鮎くらいだ。
 河童は、ぐっしょりと濡れた服の裾を搾りながら、鼻に詰まった水を「ふんっ!」と抜く。同じ要領で耳の中の水も抜き、食べかけの鮎は地面に刺し、ぐるぐると肩を鳴らしながら地に足を根ざす。
「まだ、名前も言ってないじゃない」
 世話になったのに、警戒したまま、お礼も言えていない。人間と盟約を結んでいるくせに、いざ目の前にすると、ぎょっとする。悪い癖だな、と河城にとりは思う。でも慣れないものは慣れないんだ。だから、これから少しずつ鳴らしていけばよい。その一歩目だと考えよう。
 意気込む。
「さて、あの子は――」
 大雑把に目測し、山の麓を窺う。
 すると、直後、妖怪の山から霧の湖に流れる河から、巨大な水柱が上がった。
 天を貫くかに思われた水柱の傍らに、妹紅の姿がある。
 あぁ、あれじゃ、心配ないかもしれないな。
 そうは思ったが、お礼はお礼だ。
「よし」
 濡れそぼった帽子を被り、リュックも服も準備万端、後は現場に急行するのみ。そうこうしている間にも、水柱は河の上流に上がり、終いには哨戒中の天狗と争っている気配すらある。
 にとりは頬をぺしんと叩き、電光石火、河童の本分に従い、湖の中に飛び込んだ。
 ぐぃ。
「んぐぇ」
 それでもやっぱり釣り糸は、にとりの喉に絡みつき、妹紅が大量の魚を抱えて帰って来るまで、湖の浅いところでじたばたと足掻くしかないのであった。
「なにしてんの」
「うぅ」
 お恥ずかしい。
 でも、おもしろいねぇ、と妹紅は笑った。
 どっちが、とにとりは言い返し、食べかけの鮎をかじったら、もう冷めてしまっていて、あんまり美味しくなかった。

 

 

 

 



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2007年9月26日 藤村流

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