一日一東方
二〇〇八年 一〇月二〇日
(地霊殿・水橋パルスィ)
『You get a lair.』
さやかに流れる川の行く末を、パルスィはうっすらと細めた眼で見据えている。
地下を行く水はさぞや冷たかろうと思うけれど、みずからその冷徹さに触れるつもりはない。
そして何が楽しいのかよくわからないが、うつ伏せになって冷水の中に浸っている黒谷ヤマメを救う気にもなれなかった。
辛うじて、横になった人間が流される程度の深みはある。故にそのまま流されていてもおかしくない状況だったが、切り立った岩肌がヤマメの川流れを遮っていた。
軽やかな水音が耳に優しい。
水浴び……なんだろうなあ。多分。
「……楽しいの?」
「……」
返事がない。死んでいるのかもしれない。
せめて服くらい脱げばいいじゃないかとパルスィは思うのだが、思うだけで特に止めたり勧めたりはしない。他人のやることに興味がないわけでもないが、当人が楽しいと思うのならそれはそれなりに尊重したいと思うわけだ。
お尻のあたりが、川から張り出た岩に引っ掛かっている無様さも、何処かの天狗ならば写真にでも収めたい場面なのだろうが、パルスィはただこの瞳に眼前の光景を焼き付けるに留めた。
「……、……ッぷはぁ!」
「あ。生きてた」
ぜえぜえと息を荒げながら、ヤマメがようやく顔を上げる。見るからに瀕死だった。
それでも顔を覆う雫を拭い、気の抜けた表情を晒す頃には、ヤマメ本来の爽やかな笑みを取り戻していた。もっとも、地下基準の爽やかさであるから、地上のそれとは若干色合いが異なるかもしれないが。
「ふう……、さっぱりしたよ」
「三十分くらいそのままだったけど」
水葬という言葉が脳裏をよぎる。
「ふふ、私をただの蜘蛛と思わないで頂きたい」
「一回死んで復活したんじゃないの」
「まー、確かに意識は飛んだけどねぇ。でも大丈夫! 生きてるから!」
「そうね」
あんまり大丈夫でない気もするが、面倒くさいので適当に同意しておいた。
地下のアイドルは隙を見せてはいけないのだ。
「私が思うに、水浴びはあんまり服を着てするものでもないんじゃない」
「ふふふ、私をただの蜘蛛と」
「蜘蛛関係ないし」
埒が明かないので、ずぶ濡れヤマメには触れないことにする。
「よっこらしょ」
「ここで脱ぐな」
ぶー、と唇を尖らせつつ、びしょびしょの上着を脱ぎ放つ。
脱ぐなと言っておろうに。
洗濯がしたかったのなら脱いでからやればいいのに、とパルスィが愚痴っている頃には、ヤマメは既に着替えを済ませて戻って来ていた。
ちなみに、濡れた服はわざわざ洞窟の外に出て干しているらしい。何でも、部屋干し特有の匂いが気になるとか。
だったらもっと洗濯にも気を遣ってやれ。
「うー、ぱんつまでぐしょぐしょだったよー」
「言うな」
だろうなとは思ったけど。
「では、すっきりしたところで!」
「おやすみなさい」
「まだ昼だよ!!」
「いやわかんないし……」
暗いからね、洞窟。
「第一回! 黒谷ヤマメのどきどき☆糸巻きクイズ大会ー!」
なんか始まった。
「センスわる……」
「そう言ってられるのも今のうちー」
ヤマメは勝手にひとりで盛り上がっている。このまま済し崩しに彼女の退屈凌ぎに付き合わされるのが通例だが、かといって、この場から逃げても暇であることに変わりはない。一人か、二人かという程度の違いに過ぎない。一人ならば他人の空気に煩わされず、二人ならば会話をしているだけでも時間は潰れる。どちらが良いか、結局は時と場合によるのだろうけれど。
ぱちぱちと拍手をするヤマメは、期待に満ちた眼差しでパルスィを見据えている。
期待を裏切ることは容易く、罵詈雑言を浴びることにも慣れた。
嘆息する。
「……仕方ないわね」
「やたー」
ヤマメは喜び勇んで万歳をする。その姿を見ても、特に嬉しいとも思わない。晴れやかな思いを味わったことなど無く、この胸にわだかまる重みを晴らそうと思ったこともない。
けれど。
理由はよくわからないけれど。
「付き合ってあげるわよ」
そう、鬱陶しげであっても、他人との接点を完全には断ち切れなかった。
橋姫であろうとも。
如何に愚かで、妬みに狂い果てた末期の果ての、永劫の彼方に在るはずの記憶さえ朽ち果てた身であろうとも。
「素直じゃないねぇ。流石はパルスィ」
「何がよ」
褒められた気がしないのは何故だろう。
ともあれ、ヤマメが言うところのクイズ大会は幕を開けた。
たった二人の、それでも立派な退屈凌ぎ。優雅でも耽美でもない、いつか命が果てるまでの、時間稼ぎでしかない遊戯だけれど。
「第一問!」
「適当にどうぞ」
喜怒哀楽の一切合財を排し、それでもなお、誰かと繋がっていたいと信じるほのかな思いが。
確かに、この心にはある。
「今日のパルスィの下着の色は!」
「誰が言うか」
「上でもいいよ!」
「上だから言えるとか言えないとかいう問題じゃなく」
「つけてない……と……」
「メモんな」
ぺいッ、とメモ帳らしきものを叩き落とすと、ヤマメはほっぺたを膨らませて激しくぶーたれる。
「ぶー! ぶー!」
「やかましい。そういうあんたは、今日の下着なんて聞かれて素直に答えられる?」
「白」
即答だった。
「……あぁ、そう……」
パルスィとしても、何のてらいもなく答えるヤマメにそう告げるしかなかった。
恥ずかしくないのかこの小娘は。それとも精神的に子どもなのか。下着も白だし。
「ちなみに答えられないと自動的に不正解になりまーす」
「別にいいわよ」
「いいのかなー、罰ゲームが待ってるよー?」
「どうってことないでしょ……。下着の色を口頭で発表するなんて恥辱にまみれるくらいなら、泥にまみれた方が百倍はマシだわ」
「ぱんつもぐしょぐしょになるのに?」
「もののたとえよ」
誰が好き好んで泥レスなぞするものか。
しかし、さっきからぱんつぱんつ煩い娘である。そんなにぱんつに興味があるのかと。知ってどうするのかと。嫌がらせか。嫌がらせだな。
「受けて立つわよ」
「言ったね。じゃ、とっとと罰ゲームー!」
いつの間にか握り締めていた蜘蛛の糸を、ヤマメは思いッ切り引っ張った。切れそうで切れない。意外に頑丈である。
本筋と関係のないところで感心している場合でもない気がするが、パルスィはあまり心配していなかった。所詮はヤマメのすることだし、せいぜい橋が壊れるとかスカートを捲られるとか耳を引っ張られるとか、その程度の悪戯に――。
「きゅー」
変なのが聞こえた。
「……きゅー?」
「きゅー」
これはヤマメである。相も変わらず、糸はその手に握られている。
「大体、その糸は何の意味が」
「あ、喋ってると危ないよ」
「えぇ? ……あんた、何が言い」
げ きょッ。
「きゅー」
「降下ー」
上はキスメ、下はヤマメである。
ちなみに、パルスィはしこたま大きなたんこぶをこさえて、固い地面を悶え転がっていた。お゛お゛お゛ぉぉぉ、と怨嗟に久しい呻き声が洞窟内に反響する。
かなり痛そうだ。
「いぇーい。大成功ー!」
ぱしーん、と手を叩き合うヤマメとキスメ。
キスメは今、この時のために用意したと言わんばかりの巨大なタライに身を移している。
古典的な攻撃だが、洞窟の天井から一気に急降下しての一撃である。ついでに舌も噛んで会心の一撃にも拍車がかかる。
パルスィはなおも、お゛お゛お゛ぉぉぉ、と頭を抱えて際どい呻き声を奏でている。
「どれどれー」
そんな彼女のスカートを捲ろうとして、ヤマメが蹴られていた。
「いたたた……。白か……」
「……」
図星らしかったので、ヤマメがパルスィのチョップを喰らいまくっていた。
ぎゃおー、と叫ぶヤマメの隣で、金ダライを震わせながらきゃっきゃっと笑うキスメ。
……ったく、何だってんだ。
白で何が悪い。
キスメ
黒谷ヤマメ
星熊勇儀
古明地さとり
お燐
霊烏路空
古明地こいし
SS
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