一日一東方

2011年10月19日
(神霊廟・霍青娥)

 


『ミス・アンダースタンディング』

 

 

 青娥とて、キョンシー作りは初めてではなかった。
 異国の地とはいえ、元が人間の死体であることに違いはない。手順も同じ、何も問題はないはずだった。
 が。
「あーうー」
 空には満月が燦然と輝いている。秋風の涼しさも肌に心地よい。
 東西南北三十二方に配置された蝋燭の中心位置に、中途半端に盛り上がった土と、寝転がった死体がある。
 それを物憂げに見下ろしているのは、仙女の霍青娥である。彼女が邪仙と括られるのは、このように死体に魂を吹き込んで隷属化しているせいもあろう。
「んあー」
 先程から気の抜けた呻き声を上げているのは、寝転がっている死体である。数時間前までただの死体でしかなかったものが、今では主の命じるままに動く死体と化している。
 ただ、ひとつ問題があった。
「あー……あ?」
 主人である青娥を見ても、かしずく様子もなく、平伏する気配もない。それ以前に、意味のある言葉を一切発していない。死体を相手にする以上、頭脳に期待してはいけないと解っているのだが、ここまで手こずるのは初めてである。
 主としての振る舞いが求められる中、頭を抱えたり溜息を吐くのは厳禁だ。主は常に凛としていなければならない。あるいは、下僕に対し余裕を見せていなければならない。付け入る隙があるなどと、一瞬でも思わせてはならない。
「うっうー」
 キョンシーの名前は既に決まっている。だが何度名前を呼んでもさしたる効果はなく、会話を試みようにも支離滅裂な単語の羅列が続くばかりだ。
「芳香ー」
「うぐぅ」
「生きてるー?」
「ぐあぁぁあぁ!」
 断末魔。
 両手を天に突き上げたまま、びくんびくんと跳ねる活きの良さ。
 演技派である。
「芳香」
「はひっ」
「死んでるー?」
「し、し、……死ぬのはいやあぁぁぁ!」
「もう死んでるでしょ」
「うにゅ」
 心なしか、意気消沈しているようにも見える。一方通行ではあるものの、反応が返ってくるのは事態が進展している証拠なのかもしれない。
 長丁場になると悟ってからは、手頃な丸石に腰かけ、膝を組んで頬杖を突き、芳香と根競べを続けている。異郷の地、儀式の不具合、死体の適合性など、順当に進まない理由は多々考えられるが、失敗したからといって一度行った儀式をやり直すのは仙人の誇りにかかわる。まして、キョンシーの生成自体は成功しているのだ。
 ただ、おそろしく頭が悪いという点を除いて。
「あばばばばばば」
「……やっぱり、異質な検体だったのがよくなかったのかしら。生前の気質による器の歪み、か。それなら、入れる魂も殺しに特化していた方が相応しかったかも。これは反省材料ね」
 失敗は成功の母という言葉の通り、今回の結果を元に考察を試みる。悩んでいるような振りをして、そのくせ頬はほのかに緩んでいる。時折、蝋燭の火に魅せられて吸い寄せられていく虫を指先で払い、緊迫感のない呻き声を漏らす死体を微笑ましげに眺めている。
 青娥がこの死体を選んだのは、彼女の墓だけ集落の墓場から離されており、その理由を集落に住む村人から聞いたからであった。
 直接的な理由を挙げれば、『面白そうだったから』である。
 宮古芳香という名は、青娥が新たに付けた名前だ。生前は、全く関係のない名前だった。芳香はこれから青娥の僕となり、手足として隷属する。それは全く別の生き方で、それならば別の氏名を与えるのが適切であるだろう、と青娥は考えた。
 過去、生前の宮古芳香は、人を殺した。
 それ故に座敷牢に封じられ、死罪となる直前に隙を見て牢を抜け出し、逃亡の最中に私刑を受けて、死んだ。
「あなたは、どんな思いで人を殺したのかしらね」
「えらいひとにはそれがわからんのですよ」
「そうね。そうかもしれないわね」
 適当に合いの手を打つ。事実、芳香の心は芳香にしか解らない。そも、記憶が残っているかどうかすら怪しい。
 芳香は、三角関係のもつれにより女を殺したという。真相は不明だが、座敷牢から抜け出した際は相手の男の家に向かっていたことから、おそらく事実であろうと推測される。
 欲望を果たすことなく朽ち果てていった肉体には、それ相応の残留思念が宿る。キョンシーの強さを決めるのは魂と肉体だ。適当に選んでも適当に役割を果たしてはくれようが、法則に従って器に見合った魂を選択すれば、最強と呼ぶに足る従者を生み出すことも可能ではないか。
 だから、青娥は異常な死体を選んだのだ。
 残念ながら、満足する結果は得られなかったけれど。
「まぁ、失敗も経験のうちね。芳香もまた、大事な僕のひとりなのは変わりないし」
 呟いて、痙攣する芳香の肌に触れようと手を伸ばす。気を鎮めるためでなく、ただ芳香の死気に触れたいがために。
 その傲慢な手首を、芳香の腕が強引に掴む。
「……、んっ」
 不意打ちであるにも係わらず、青娥は動じなかった。呻いてしまったのは、芳香の握力が異常に強かったからだ。骨は軋みを上げ、仙人の不老の肉体を際限なく締め上げる。
 芳香は、青娥の瞳を見据えて、問う。
「おまえは、だれだ……?」
 彼女の瞳には生者の輝きがある。死者にはそぐわない穢れた光に射竦められ、青娥は痛みを堪えて微笑する。下僕の反逆など日常茶飯事、それを嘲笑う気概がなければ、死霊使いなど務まらない。
「わたしは、あなたのご主人様」
「……主人、だと?」
 信じられない、といったふうに芳香は唇を震わせた。
 会話が成立している。正気に戻った、という表現は適切だろうか。
 青娥は身を乗り出し、痛む手首を押して、芳香の鼻先に自らの鼻先を突き付ける。相手の吐息さえ間近に感じられる距離にあって、どちらも瞳を逸らすことなく、一心に視線を預けている。
「あなたは宮古芳香。わたし、霍青娥にやんごとなき魂を吹き込まれた哀れな死体。あなたの死者としての生はここから始まる。ゾンビとして、キョンシーとして、私の下で存分に働きなさい」
 これは純然たる契約である。
 魂がこれを拒絶するのなら、魂は消滅し、肉は完全に腐れ落ちるだろう。それならばやむを得ない、青娥はまた別の肉体を選び、降霊の儀式を繰り返す。芳香にとってはここが分岐点。始まりであり終わり。既に終わってしまった者がまた始まることを望むか、それとも更に終わりを重ねることを望むか。
「……あぁ」
 芳香は、答えを吐き出す代わりに、口を大きく開けて青娥の喉元に噛み付いた。
 ――ごりっ。
「……、っ」
 不老長寿である身の上でも、条件が揃えば仙人は死ぬ。けれども青娥は、芳香の歯を甘んじて受け入れた。キョンシーに噛まれれば、普通の人間であるならば同じキョンシーに堕す。邪仙である青娥にその危険はないが、痛覚は人間と同程度に存在する。
 首に食い込んだ歯が血管を裂き、鉄の香りを滲ませながら、新鮮な血を溢れさせる。寝転んだ芳香の口元に青娥の血が滴り落ち、飲み切れなくなった血が芳香の顔を赤く染めていく。
 ――おいしい……?
 青娥の手が、芳香の頬に触れる。
 淫靡な微笑みであった。生と死の混濁する渦に飲み込まれ、その甘酸っぱさに蕩けて声を出すことも忘れていた。
 芳香は、ここで青娥の手首から手を離す。
 噛む力も徐々に失せ、青娥の首筋に獣めいた噛み痕を残し、また力無く地面に倒れ込んだ。瞳に灯っていた欲望の炎も、水を浴びせかけられたように萎んでいた。
「……みやこ、よしか」
 愛しげに、その名を囁く。
 近付きすぎていた顔を離し、芳香が真に覚醒する瞬間を待つ。この様子なら、間もなく芳香は正常なキョンシーとして働けるようになるだろう。芳香は青娥の血を摂取し、古より伝わる繋がりを得た。瞳を交え、意志を察し、彼女は心から青娥に屈した。
 真の隷属とは、魂を手中に収めることだ。
 ならば、既に事は済んだ。
「これから、よろしくね。芳香」
「……ぎゃ、ぎゃぼー」
 意味のない会話を交わし、退屈を紛らす糧とする。芳香の頭脳はともあれ、潜在能力は確かなものだ。これは大いに期待できる。もとより、キョンシーにずば抜けた知性を求めてはいないのだし。
 火照った身体を冷ましていくように、風は渦を巻きながら蝋燭の火を揺らす。首筋から垂れた血が青娥の胸元に染み込んでいく。凝固して冷たくなってしまう前のそれは、まだ鉄の匂いがした。
 青娥は、指先でそれを掬い取り、勿体なさそうに舐め取った。

 

 

 



幽谷響子 宮古芳香 蘇我屠自古 物部布都 豊聡耳神子 二ッ岩マミゾウ
SS
Index

2011年10月19日  藤村流
東方project二次創作小説





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