小悪魔RPG(1)
*このお話はプチ東方創想話ミニの作品集その7
「小悪魔がこの先生きのこるには」
から続いておりますが、
本筋とは全く関係ないので、読んでなくてもまるで平気です。
―――――
世の中とは理不尽だ、と私は常に感じている。
悪魔は理不尽を好み、平和と安寧を否定し、刺激を求めて生きる者だと、私のお母さんが言ってました。
でも、こぁ、それは間違ってると思うのです。
何事も程々がいいんです。
普通が一番なんです。
私は図書館の司書なんてものをやっておりますが、本の貸し出しは何故か力尽くで行われます。
買った負けた、で本が消えたり増えたりするお仕事です。
おかしいです、非常に可笑しいってあなた、買った負けたの勝ちの方の確率が競馬で三連単当てるよりも低いんですよ。
ワイルドな皆様の為に特別にストリートで表現しますと、座って待つ軍人にボディプレスで挑むレスラー側が私です。
くそ、背水の陣だ! とか叫ぶ余裕のある人は恵まれていると思います。
すみません、パチュリー様〜! という台詞はマクロ登録済みです。
理不尽で、馬鹿馬鹿しくて、一方的に私だけ不利な博打を打ってる毎日はとても刺激的ですけど、負けると怒られるので割に合いません。
極めつけに怒ってくる上司は、極自然に頭からキノコを生やしたりする、もやしっ子妖怪です。
あ、いや、妖怪でした。
今、どっちなのか良く解りません。
つまり、妖怪といっていいのか、知的生命体と呼び変えた方がいいのか……。
ああ、この出来事が予測可能な範疇だというならば、あらゆる保険という概念は世界から褌まくって逃げ出すことでしょう。
そもそもこれは事故なのか、事件なのか、人為的なものか超自然的なものか、そういう二択すらどっちだと決められない状態であります。
イマジン、オールザピープル。
想像してごらん。
朝起きて一番に挨拶してた人が、今日はプリンと化している状況を。
気が付くと、隣人がプリンとフュージョンしてる世界を。
ごめんなさい、上手く想像できなくていいんです。それが普通ですから、もう少し私に付き合ってください。
上は丸、横は台形で、一切が崩れてなくて理想と呼べる形を誇っている、とっても大きなプリンを頭に思い浮かべてください。
いいですか?
そうしたら、その状態を維持しつつ、上部のカラメルソースの黒から、冗談みたいに飛び出てる愛らしい隣人の頭を想像してください。
そうです、そんな感じです、それをパチュリー様の頭に置き換えて……はい、出来た。
うん、またなんだ、すまない。
だけど、これを見た時「えー、生えるのはパチェの方かよー」という新しい遣る瀬無さがあったと思うんだ。
その遣る瀬無さを大事にして生きて欲しい。
小悪魔は、今から逃げます。
長い間、こんな私の説明に付き合ってくれて、本当に有難うございました。
(もう嫌、こんな世界っ……!)
私は、今日八十ニ度目となる、本棚への頭突きを慣行しました。
度重なる突っ込みに、こぁの頭の耐久値は既に限界を軽く突破しておりましたが、頭の痛みはどうでもいい。
流血が妄想と現実を曖昧にしてくれるなら、私は夢の世界に逃げて、アリスと一緒に人形達と踊って暮らすんだ!
「れみりあうー!」
当主様の声です。
嫌な予感メーターが右にブッ千切れました。
「どう、咲夜? 私が考えたカリスマポーズは? このワイドっぷり、前方には敵なしと言えるでしょう?」
「わーお! なんという可憐さ! マーベラス! カリズマティック! スカーレットロリータ! お嬢様のカリスマ、龍が天に昇る如きで既に森羅の頂点へ達しようとしております! 誰がこの勢いを止められるでしょうか! だ、抱っこしたい! 抱っこさせて!」
「早すぎるわ咲夜、もう少しゆっくりと壊れなさい。順序というものを良く考えて」
「はっ……失礼致しました」
「まだ、スペルカード宣言が出ている」
「すぐに取り消します」
「で、どうかしら、このポーズは?」
「まさしくパーフェクト。お嬢様のカリスマに一点の曇りもございません」
「まずは、鼻血を」
「拭きます」
幼女臭溢れるポーズ、失礼、大変美麗なポーズを取りながら扉を蹴破ってご登場のお嬢様。
背中に従えた完全で瀟洒なメイドと、性的道義観念に反するトーク、失礼、王道とも呼べる清らかで明るい主従会話を繰り広げております。
このとんちきども、失礼、この紅魔館を代表するお偉方コンビは、ここで普通のリアクションを取るか、出来ないなら今すぐ帰って欲しい。
間違ってもプリンをスルーしたまま発言を続けるべきではないと、小悪魔はそう考えているのですが、そんな願いは叶った試しがない。
治世はやる気なし、乱世は奸雄になる、毎日がハッピーホリディなお嬢様。
どーなってるの、この島は。ドーナツ!
「確かに前方は無敵。でも、咲夜、背中に不安が残るわよ?」
「ご心配には及びません。溢れんばかりの幼女臭……もとい、圧倒的なカリスマが敵を近づけないでしょう。この身、既に卒倒しそうです」
「おべんちゃらは結構だわ! 背中に隙があることくらいわかってるもの!」
「お嬢様……」
「でも、どう? こうして羽をぱたぱたさせると、どう?」
「ああっ! 後方の不安を愛らしさが完全にカバーしてるー!」
「れみりあうー!」
「ぐはっ! サプライズ! モーニングサプライズ! 二発もサービスしちゃったお嬢様にマイハートブレイク!」
「うー!」
「三発目ー! なかむらやー!」
脳汁が耳から零れそうで思わず耳を塞ぎましたが、咲夜さんが身悶えてる姿は視界から離れません。
お二方の煩悩溢れる会話や、悩ましい姿はそっと屋敷の奥にしまっておいて欲しいのです。
朝からこんなの図書館で垂れ流されたら、私の教育に悪影響というか、いつか性癖がロリに傾かないかと不安になります。
小悪魔に健全で暖かい教育環境を用意してやってくださいよ、いつかきっと立派な悪魔になって、皆様に恩返しさせて頂きますから。
そこまでしなくても、静かな図書館があれば十分なんですが。
「よーし、咲夜わん、今日は人間の限界にチャレンジしちゃうぞー! パーフェクトスクウェアー!」
「こやつめ、嬉しすぎてキャラが変わっておるわ!」
「ははは、レミリア様こそ!」
「あはは!」
「うふふ!」
もう駄目だ。
犬耳が生えた。
この勢いを止めないと、プリンの話にすら戻れない。
悪魔の犬(的確な表現)は地位も名誉も全てを投げ打って、主従の道から外れた行為に向けて大きく飛翔。
私は額から血飛沫を上げて、最大回転ブラッディスプラッシュクレイドルで、咲夜さんを追い上げました。
時が止まる直前に、界王拳十倍の速度でメイド長の脇腹を殴打です。
「ごふっ!? こ、小悪魔……お前もかー!」
同じカテゴリー(おそらくペド)に入れられるのは大変不本意なのですが、紅魔館に破廉恥な記録が残る事は何とか阻止出来ました。
ですが、私の出血は全く止まりません。
たぶん、致死量なんだと思います。
より一層、酷くなってまいりました。
田舎で待ってるお母さん。志半ばで紅魔館に果てる、小さな命をお許しください。
ごめんね……小悪魔……悪魔になれなかったです……。
「……ってこんな阿呆な展開で死ねるかぁー!!」
死因が「メイド長への突っ込み」だなんて、恥ずかしくて恥ずかしくて、冥土に行けないし、行ってもたぶん死因で虐められてしまう。
そんな一心だけで立ち上がった、小悪魔の闘魂列伝はここから始まります。
こう見えましても、私、田舎の小悪魔学校を首席で卒業したエリートなのですよ。
学校では「牛乳パックをリサイクルに出さないなんて!」と心底畏怖されてましたし、家に戻れば「親父の靴に砂利を入れるなんて!」と将来を大変有望視された存在だったのです。
「注目! ちゅうもぉーく!」
「どうしたの小悪魔、そんな真っ赤な顔をして」
「ごめんなさい、咲夜さん。色々と突っ込んであげたいのですが、それどころじゃないのです。とりあえず止血をお願いします」
「小悪魔いたの? ふむ、酷い怪我ね。パチェ、あなた回復魔法って出来た?」
「…………」
「あら? パチェ? ちょっと見ないうちに、太ったんじゃない?」
「情け容赦なく突っ込んであげたいのですが、今はマジで包帯をお願いします」
「そうですよ、お嬢様。年頃の女子に、それは少し無思慮な言葉ですよ?」
「あ、ごめんなさい」
私の座右の銘は「打たれ強く生きろ」です。
いくらボケられようと笑って耐えますし、包帯を探して自力で治療する事だって出来るのです。
初めからそうしてりゃ良かったですよ、びっくりするほど頼られない人達ですね、失礼、最近、失言が多くてどうにも失礼。
しかしながら、失言なんてのは紅魔館のメンバーを前にすれば、ゾウリムシの細胞分裂ぐらいどうでもいい出来事に変わるのですよ。
例えば、当主のレミリア様です。
私が紙パックの牛乳を買ってくると、面白半分に両方の口を開けてしまいます。
案の定、レミリア様はコップに注ごうとした牛乳を、脇からだぷんだぷん零します。
そうしたら「なってない牛乳ね! 咲夜! 牛乳がこぼれたわ!」と逆切れ気味にメイド長を呼びつけます。
拭きません。
悪びれません。
拭かぬ、媚びぬ、悪びれぬ! が帝王の三原則だそうです。
助けに飛んで来たメイド長はメイド長で、レミリア様のミルク髭に萌えて床を転がりまくり、仕事をしません。
リサイクルに出すとか出さないとか、そういうレベルの話はしません。
ゴミは、その場で燃やします。
格が違いすぎました。
私は井の中の蛙でした。
召喚される前は自分の悪戯に自信をもっておりましたが、ここではそれは善行の範囲です。
なにをしても、私の小物っぷりが際立つばかりで、何時の間にか「いい人」にされてしまいました。
肩身が狭いです。
故郷に帰れません。
私、悪魔なのに……! これでもデビルなのに……!
おかーさーん! おとぉーさーん!
「小悪魔が、また本棚相手に、頭突きてっぽう勝負をして鍛えているわ」
「スペル不足を肉体で補っているのですね」
「そうね、あの子も凶暴な悪魔の眷属、いつか可愛い顔して無茶苦茶マッチョな肉体が完成するのかもよ?」
「可能性は無限ですわ」
「ねー」
無駄だ、と気が付いた。
幻想郷は無法地帯であり、図書館はもっと上だ。
すなわち、私が地上に降り立った最後の天使なので、小悪魔でした。
自分でも、何を考えてるのか解らない。
とにかく、最近、派手な事件が多すぎる。
退屈な日常に刺激が欲しいと人間達は言うが、身の程を知りなさいと言ってやりたい。
貴方達のは、せいぜい雪球に石を入れるか入れないか程度で悩む、そんな刺激レベルでしょう?
お話になりませんよ。
この人達が求めてるレベルはそんなもんじゃない。
紅魔館はね、刺激を求めさせたら「月に行こうか!」とか体育会系スペース浪漫なノリが、身構えるより早く返ってくる所なんですよ。
マジで行く気だからね、冗談とか一切言わないからね、あの時だって、アームストロングさえ見付かってたら、行ってましたからね。
動力なんてなくても、酸素が確保できなくても、例え月なんてなかったとしても、お嬢様が行くと決めたら行く、そういう舵取りなんだ!
「……段々と鬱になってきたとです……」
「ぱっちゅん、ぷ〜り〜ん〜♪」
「おい、今、机の上のプリン的物体が、物凄いプリン発言をしたけど、お偉方はそれもスルーですか!?」
「小悪魔? 今日はどうしたの?」
「口が汚いわ、慎みなさい」
「す、すみません……ですが、そこのプリンのような物を見て、何か感想はございませんか?」
私は、パチュリー様が鎮座するテーブルに、びしりと人差し指を向けました。
人差し指だからって人に指を向けてはいけません、という母の教えを破る事になりましたが、この際勘弁してください。
「大きなプリンね」
咲夜さんの感想は無味乾燥でした。
「大きい……だけですか!?」
「私はあんなに食べられないわ。あれは、小悪魔のおやつ?」
「違いますよ、私がパチュリー様を食べるなんて、物理的にも性的にもそんな趣味はありませんよ!」
「は? パチュリー様?」
「ですから、ほら、パチュリー様が……えっ!?」
いませんでした。
「え? え?」
「小悪魔、パチュリー様が何処にいらっしゃるの?」
「いや……そこのプリンから頭がぴょこんって」
出てません。
「あ、あれ?」
「頭が……何だって?」
「こ、声だってしてましたよね!? プリンから!」
「落ち着きなさいよ、してないわよ。プリンが喋るってどんなメルヘンワールドよ」
「や、やだな、パチュリー様ー、隠れてないで出てきてくださいよー」
慌てて、テーブルに縋りつく。
巨大プリンを突付いたり、叩いたりしてみたけど、一切反応がない。
やばい、嵌められた、と思って振り返って見れば、もう引っ込めないところまで出てしまっていた。
くっ、これが、パチュリー様が得意とする釣り野伏せか!
「信じてください! この中です、この中にパチュリー様がいるんです! 隠れてるだけなんです!」
「いるわけないでしょうが、プリンの中に隠れて何がどうなるの」
当主様が冷静に突っ込みました。
そのスキルを平常時に役立てて欲しいです。
「ちょっと待ってください、呼び戻しますから! えー……んー……あ! あれがあった!」
「……熱でもあるのかしら?」
「体温計持ってきます?」
「ほぉら、パチュリー様、顔を出しましょうー? パチュリー様の大好きなマカダミアチョコレートケーキ! おいしそう!」
「……」
「やばいんじゃない、この子?」
「相当きてますね」
「食べちゃいますよー? 私が食べちゃってもいいんですかー? あーん、ぱくっ、なーんて嘘ですよー。はは、欲しい人はどこかなー!?」
「……」
「医者呼ぶか」
「呼びましょう」
「もう少しです、もう少しで出てくると思いますから! パープルハーミットカモーン! きてはーっ! きてはーっ!」
「……」
「咲夜」
「はい」
「永琳でいいわ」
「御意」
―――――
咲夜さんとレミリア様は、すぐに外出の準備を始めました。
パワーの妹様、スピードの当主様と言われてますから、紅魔館最速のレミリア様が飛べば、最も早く医者を呼べることになります。
ですが、そういうのは一切関係なくて、これは当主様の暇潰しです。
その証拠に急いでるくせに、お出かけの準備に余念がありません。
咲夜さんが「あせもになるといけませんから」と言って用意した、桃の葉エキス配合の弱酸性ベビーパウダーが、お様様の首筋でぱふぱふと粉を散らしております。
お嬢様も満更ではない様子で目を細めておりますし、咲夜さんも珍しく母性溢れる表情でそれに応えています。
いつもこうだと言う事ないんですけどね、本当に。
お陰で桃の良い香りと和やかな雰囲気が、図書館に充満しました。
が、忘れたわけではありません。
私をこの先で待っているのは地獄です。
そうです、マッドナイチンゲールがやって来るのです。
風の噂で聞いたことがあります、永遠亭に住む極まった薬師の話を。
なんか迎えに来た使者を皆殺しにしたらしいよ、マジやばいよ、自称宇宙人だし。
彼女がどれだけやばいか、ちょいと不等号で示すと、このくらいヤバイと、半時に及ぶメイド会議で出た。
スーパードクターE>>>>(妖怪には越えられない壁)>>>>レミリア様>パチュリー様>咲夜さん>>∞>>門番
諸兄らが勘違いしないように先に言っておく! 断じてお嬢様がヤバくないわけではない!
良く見ろ、すぐ後ろがパチュリー様だ!
狂気はもう足を焼いてるんだよ!
ギブアップ?
紅魔館にそんな弱者救済制度があるかっ!
……どうすべきか、既に退路に鉄板が打たれているのですが。
絶望的な状況は濃霧のように、依然として色濃く私を包んでいます。
あ、今までだって、私、無策で突っ立っていたわけではありませんよ。
プリンをスプーンで叩いてみたり、パチュリー様の名を大声で呼びかけてみたりしました。
最後にはたべちゃうぞー! と脅したのですが、くっきりさっぱり効果がないのです。
親身になってプリンに語りかける私に、お二人の一層冷たい視線が五月雨撃ちの如く突き刺さるだけでした。
詰んでるよねー。
今、王手飛車取りぐらい、詰んでるよ。
ツーアウト満塁で、私がバッターボックスに立った時くらい詰んでるよ。
ひどいですよね、私がバッターボックスに入った途端、みんな守備範囲から露骨に前に出て来るんですよ?
くやしい! そんなに私は非力ですか!? ボールは前に飛びませんか!?
腹が立ってバントしてみたら、パチュリー様にロイヤルな背表紙で殴られるというオチがついた!
うーーー! ぱちゅ――ふふっ、小悪魔はここで安易にパチェ萌えに走ったりはしないのですよ……。
切り札は最後に残しておくタイプです。
あ、おかずもそうです。
さて、もう大丈夫、黒歴史回顧により精神は安定し、錯乱状態は回復しました。
私はやれば出来る子ですからね、あの破滅的なキノコワールドだって乗り越えてきた勇者です。
そうだ、この程度の事件……ってあの異変は赤貧巫女がやってきて、キノコを食い尽くしただけでしたっけ、てへっ♪
「私、何の役にも立ってないじゃん!!!」
「咲夜、そろそろ出ないと、小悪魔の頭がもたないわ」
「解りました、日傘の用意は既に出来ております。エントランスホールへどうぞ」
「ええ、行きましょう……小悪魔、安静にしてなさいよ」
「すぐにお医者様を呼んでくるからね」
お二人は、精神分裂病の子供を哀れむような視線を投げかけて、図書館を去りました。
静寂が図書館を包みます。
本の森に残ったのは、私一人です。
いや、二人だ。
絶対いるはずなんです。
あのプリンの中に。
私を嵌めやがったパチュリー様が、プリンの中でくすくす笑ってるに違いないのです。
こぁ、あったまきたぞー! もうプリン引っぺがして中身出しちゃおうか!
なんと、ここに来て名案が出た。
私の才能が怖い。
「パチュリー様、出てこない気なら私がそのプリンを食べちゃいますよ?」
「……」
「いいんですか? 中でどんな格好してるか知りませんけど、私もう怒りましたからね?」
「……」
「た、例え裸で泣き出しても、ぎゅっと抱き締めちゃいますよ?」
「……」
徹底的に無視ですか。
最近、パチュリー様、私に冷たくないですか?
全体的に苛々してませんか? そいつは更年期障害ですか? おおっと失礼、今のは……主審はアウトォ! アウトとでました!
……ふん、いいでしょうよ。
こっちも伊達に悪魔の血を引いてるわけじゃないのです。
リトルとかレッサーとか名前の前に付きますが、私も列記とした悪魔族の一人なのです。
怒らせたら、やることはやっちゃいますから!
さぁ、小悪魔、十分な助走から、だんっとテーブルに右足を引っ掛けたー!
そしておおーっと! 足の力で一気に上るのか!? 上がる気だ! 上って……上るっ……上っ……。
悪魔らしく、羽の力を利用して上がったー!(誤魔化した)
そして仁王立ち!
テーブルに仁王立ち!
これは酷い! パチュリー様もびっくりの悪魔の所業!
そして、そして、場外から聞こえるブーイングを無視して、小悪魔ゆっくりと靴を投げ捨てる!
ヒール! ユーアーヒール!
卓上は小悪魔という名の独壇場だーっ!
こーあーくまっ! こーあーくまっ!
この辺りで冷静になって、靴が落ちた位置を確認する。
存外に遠くに飛んじゃってたので、一旦降りて靴を揃えてから戻ってくる。
そして私は、誰もいない事を入念に確認してから、巨大プリンへと素足を進めたのです。
「でっか……」
高さは、私の胸の辺りくらいあります。
横幅は、私が三人は入るくらいです。
からかって遊ぶ目的の為だけに、これを作ったとしたなら、パチュリー様の酔狂も限度を越えている。
「パチュリー様ー? 本当に剥がしちゃいますよー?」
やっぱり、返事は無い。
もしかして、私が目を離した隙にここから脱出してたのかな?
返事が無かったから、プリンに手を入れてみた。
ぬるい。
なにこれ。
人肌?
やっぱりこれ、パチュリー様の一部なのかな?
まさかねぇ……。
「……あ?」
何か固いものにあたりました。
柔らかいプリンの海の先に、何でしょうか……。
これも温かいです、握ってみて柔らかいといえば、やっぱりそうです。
「ちょ、ちょっと待って?」
指だ、これ指だ。
手の感触? 握られてる?
誰に? パチュリー様に?
「いるんですか?」
――ぐいっ
私の身体が傾きました。
プリンの方へ傾きました。
何者かに強烈に引っ張られているのです。
鳥肌が立ち、汗が吹き出ました。
B級ホラーだ。
また、こういうオチに行くのか。
ガッデム!
そう思っていても、逃げる事が出来ません。
河童が馬を川に引きずり込むような、見た目を超越した力が私にかかっています。
「じょ、じょ、冗談は止めましょうよ……!」
声が震えました。
このまま、私は巨大プリンと一つになるのか。
それとも新たなプリン星人にされるのか。
解りませんが、どっちも嫌でした。
既に肩の辺りまで、私はプリンに埋まっています。
選択の余地はありません。
――ぐいぐいっ
「たーすーけーてー! だれかきてー! めーりんさーん! まりさー! しゃめいまるぅー!」
館には、咲夜さんもレミリア様もいません。
美鈴さんは、門の前です。
そう都合よく黒白もブン屋も来てくれません。
助けは来ないと知っていても、私は図書館で必死に叫びました。
既に顔の半分がプリンの中でした。
口に入ったプリンは涙の味がしました。
今、上から見ると人面瘤みたいになってるんだろうな、と思ったのが……私の最後の意識でした。
―――――
運命を司るレミリア様のお屋敷に御厄介になっていてなんですけれど……。
私は悪魔なので神様が嫌いで、特に運命の神様というのが大嫌いです。
サドッ気むんむんというか、ぶっちゃけ、あなた、思い付きで捻ったり千切ったり――ちょっと出て来て、謝れ!
見てよ!
どれだけ、無茶が好きなのよ!?
ええ!?
ドーナツの雲!
地平線が見える草原!
ピンクのマンモ……ピンクのマンモス?
ピンクのマンモス!
ピンク。
色じゃない。
来てる。
マンモス。
ピンクマンモスが来てる。
待って、いい加減にして。
あれはないでしょう?
地面がっつんがっつん揺れてんじゃん。
こぁ、震度四の揺れでも怖くて机の下に潜るのに、今回はマンモス付き。
突撃、隣の晩御飯、パオーン!
壊れるわ!
温厚な小悪魔だってぶち切れるぞ!
おら! マンモスは氷河期に帰りやがれ!
すみませんでしたぁ!
止まってくださいです! お願いしますです! この通りですぅ!
「うひゃあああっ!?」
土下座する私の5m向こうを、ピンク色のマンモスが凄い勢いで駆け抜けていった。
風圧で飛ばされそうになるのを、必死で草むらにしがみ付く。
「うぅ……うぅぅ……」
揺れが収まっていく。
泣きそうだ。
当面の危機は去ったが、ここは一体どこなんだ。
私はプリンの中にいるんじゃないのか。
辺りにはお菓子の靴が飛び跳ね、空にはドーナツ形の雲が流れている。
ピンクのマンモスは大地を疾走し、幼稚園児が書いたようなラクガキ生命体が空を飛んでいる。
許されるなら、今一度、問いたい。
ここは何処ですか?
「ありえない……パチュリー様の仕業以外には……」
プリンの中の現実離れした世界には、慈悲の欠片も無かった。
人類や悪魔に取って代わり、ここを支配しているのは、食物連鎖を全く無視した巨大生物どもらしい。
英知の効かぬ極彩色のユートピアは、でたらめなエナジーに満ちていて、何一つ常識が通用しない世界に、小さな悪魔が素足で立っている。
それが私にできた、精一杯の現状認識。
ようするに、あれですか。
小悪魔、イン、ワンダーランド。ヤッホゥ! ですか。
いいよ、アリスに代わってあげるよ、小悪魔優しいから。
ちょっと、私はミスキャストですよね〜。
誰が見てもそうですよねー。
おうちに帰して。
「なんじゃこりゃあああああっ!」
ようやく叫ぶ余裕が出来て、思い切り腹の底から叫んだ。
泣けるうちは元気とか言うが、本当に駄目な時はろくに声も出ないのだと悟った。
心を落ち着かせようと、目頭を押さえて闇に浸る。
瞼の裏に、悪魔とがっちり肩を組んで、千鳥足で二次会の相談をしている運命の神がいた。
目を開いた。
懐かしい体育座りなんかして、風になびく草原を眺めてみる。
そこを灰色の馬が走っていった。
期待を裏切ってくれず、普通の馬じゃなかった。
ゼッケンにオグリなんたらと書かれている、ぬいぐるみホースだった。
子供が手で持って、床を走らせてるようなカクカクした動きなのに、ピンクのマンモスを四角からまくって、後は独走状態。
おめでとう、マイルレコード。
「正気でいられるでしょうか……」
ドーナツ雲を追って飛ぼうとしたら、羽に力が入らなかった。
この世界には、変な力が働いているらしい。
仕方ないので歩き出した。
何処に行けばよいか解らないまま歩いた。
だけど、歩いていれば、パチュリー様に会える気がした。
これがパチュリー様が仕組んだ悪戯ならば、おそらく、困ってる私を何処かで見ているのでしょう。
馬鹿にしすぎですよ、本当に。
今回はさすがに怒りましたからね。
戻ったら、最低、一週間は口を開いてあげないんだから。
(あれ、待ってよ?)
いや、本当にそうだろうか?
この場合、パチュリー様も被害者だったら?
あの頭だけプリンから出している状況は、巨大な食虫植物に飲まれかけた虫の姿にも似ていた。
プリンだけに危機感がなかったし、パリュリー様の表情からも危険は窺えなかったのだけど……。
元々、パチュリー様、あまり感情を顔に出さない方だしなー。
拗ねてる時と甘えてる時の表情の違いなんて紙一重だから、上手く判断していかないと、扱いが難しいんだよねぇ。
そんな時の為に、甘えてる時は、声が半音高くなるのを、覚えておくといいです。
いやいや、それは置いておいて。
まさか、あの時は助けを求めていたんじゃ?
喘息が悪化してて、声が出なかったとか?
何だか、不安になってきたぞ。
徹底的に姿を見せないってのも、気になる。
この世界がパチュリー様が作ったものである、という私の感想は正しい。
あの人ならこのくらいやってのける、喘息さえなければ、パチュリー様は幻想郷でも最大の魔力を有する人だろう。
そうなんだ、突発的な喘息で世界の構築に失敗して、パチュリー様が飲み込まれた可能性だってあるんだ。
真実、スペルカードだって、喘息の時は暴発を恐れて控えている。
そんなパチュリー様が、薬も無しにこの世界に放り出されてるとしたら、大変なことだ。
喘息が酷くなるのは、夜中と早朝、今はその時間から外れているから、安静にしていれば発作は収まるはずだが、この世界で安静にしてろというのは、かなり無理があるだろう。
激しい運動は、いつだってやばい。
自然と早足になる。
こんな時、悪魔なら「ざまーみろ」とでも言うべきなのだろうか。
浮かばない。
他人の心配をする悪魔は、悪魔失格だろうか。
解らない。
ただ、苛立ちと焦りがある。
早く答えを知って安心させて欲しい。
どうにも、くだらないオチがついて、私が頭を抱えてもう嫌だーと唸って、それで終わりにしたい。
結末で誰も傷つかないなら、どんな理不尽だって笑ってあげる。
「……何かあってからじゃ遅いのに」
大股で、草原を闊歩していく。
ピンクのマンモスも気にならなくなった。
空を飛ぶ珍獣も、危害を加えないならそれで良かった。
私は、ひたすら前へと、手がかりを求めて歩いた。
強い風が横から吹き付ける。
私の頬に当たった風は、ふわふわに弾けて、たんぽぽの綿毛となって空に飛んでいった。
理不尽な世界だ。
どうしようもない。
綿毛のカーテンの向こうから、また一頭、馬がこっちに走って来る。
今度も、オグリなんたらかと思ったが、ピンク色の馬だったので早い段階で違うと解った。
現実には存在しない、ピンクのぬいぐるみの馬。
そいつは、急ブレーキをかけて、計ったように私の横に付けた。
背中のゼッケンには、Locked Girlと書かれている。
ラクトガール? 少女密室……。
あ……。
「ぱちゅりー様?」
不思議と懐かしい感じがした。
当たり前だけど、ぬいぐるみから返事はなかった。
荷車でも呼び止めた感じで横に棒立ちする馬は、私の声を視線も無視して、真っ直ぐ草原の先を向いている。
乗れ、ということかな?
この世界で始めて意思をもって私に干渉してくるものが現れた。
見逃す手は無いというか、それ以外の選択肢が無い。
私は思い切って、馬の背中に飛び乗った。
「それっ!」
ウエスタンな感じでひらりと乗ったつもりだったのに、スカートが引っ掛って反対側に落下。
きゅう、と高い悲鳴をもらして尻餅をついた姿は、無様すぎて誰にも見せられません。
どうもロングスカートが邪魔になっていて、頭に描いた、馬を跨いで座る姿は無理なんだと解りました。
ついでに言うと、こぁに乗馬の心得なんて全くないわけで、その状態になっても、どうすればいいか見えてきません。
私は大人しく、貴婦人のように馬の背に横向きになって座ってみました。
「………」
馬の毛を両手で握り締めて、走り出すのを待つことにしました。
十秒、二十秒、そうやって待っていて……やがて、一分程度経過しました。
「あ、あのー?」
変化なし。
馬のお腹を軽く蹴ってみたり、馬のお尻をぺちぺち叩いてみたり、それなりに試行錯誤してみたけど、うんともすんとも言わない。
今度は一転御機嫌取りに走り、毛並みを誉めてみたり、首を撫ぜてみたりしました。
その時、首の付け根辺りに、妙なヘコミがあることに気が付きました。
起動スイッチでもあるのだろうか? よーし。
『 コインを入れてね 』
「お前は屋上のアトラクションかぁー!」
エルボー、全力でエルボー。
小悪魔の全体重を乗せたパッションボンバーが、馬の背中に決まりました。
紅魔館来てから突っ込みスキルばっかり上がってるよ、チキショウ。
――ゴゴゴゴ
「ごご?」
――ボボボボッ
揺れてる。
馬が揺れてると驚いたのは一瞬でした。
揺れてるという驚きは、浮いてる、浮いてる! という驚きに席を譲ったからです。
「おお! 動き出したー!?」
浮くということは、この体勢からホバー移動でもするのだろうか。
なるほど、メルヘンワールドだけあって、お馬さんもロマンに満ちている。
メリーゴーランドだって、浮いてるものね。
よし、頑張れ、ラクトガール。
「目標、パチュリー様! はいよー! ラクトガール!」
気分が乗ってきたので、指示も飛ばしてやった。
良かった、とにかくこれでパチュリー様に会え……これで……あれ……。
も、もういいですから、ちょっ、あ、あの、これは浮きすぎなんじゃないかなって。
――ボボボボボボッ
さっきからこの音の正体がわからず、激しく不安を煽られるのですが。
い、いいから、いいから下に降りなさい。
小悪魔、今飛べないんだから、あんまり高い所は駄目なのです。
………。
さっきから、下がやけに明るいのですよ……。
私の嫌な予感メーターが、一周して戻ってきました。
これは、ひょっとして……。
「ジェット噴射だー!?」
ラクトガールは熱血仕様なんだね。
うるせえ! ふざけんな! 何で四本の足からバーナー噴いちゃってんだよ!?
ぬいぐるみと見せかけて、今週のびっくりメカですか!
冗談はロイヤルフレアだけにしろー! ひいい、降ろして、お願いします降ろしてぇー!
――ウィィィン……。
気味の悪い音に全ての怒りと恐怖が消えた。
私は馬の首に飛びつき、両手をがっちり組んだ。
解ってた、これは変形の音だって。
ほぼ同時に馬の足が胴体の横に移動し、けたたましい音を立ててジェットエンジンが始動した。
ぐんっと、物凄い力が両腕にかかる。
何処を飛んでるのか解らない。
目は瞑っていたし、音は情報になる以前に爆音だった。
私は落ちたら死ぬと思って、骨が折れそうなほどにしがみついた。
どーん、どーんという衝撃音が間近で聞こえる。
薄目を開けると、馬はラクガキ生物どもを吹き飛ばして、一直線にどこかに向っていた。
山が見えた。
丘だったのかもしれない。
そこを通り過ぎたあと、ハイスピードのまま上空を旋回し、それから勢いを少しずつ落として、またその山に戻ってきた。
丘の上に、私が朝一番に挨拶をしている人が手を振っていた。
その人はラクトガールの着陸と同時に、物凄い健康そうな笑顔で、私にこう言ったのだ。
「オカシなウチにようこそ!」
そうか、よし、殺す。
――――
しかし、所詮は小悪魔です。
滅多にない怒りに震えてましたが、私の腰は正直抜けていました。
へなへなと丘の上にお尻を下ろし、私の下へゆっくりと歩いてくるパチュリー様を見上げます。
「どうだった? お菓子の中(うち)の可笑しな世界を、堪能できたかしら?」
そのお姿に、喘息の影はどこにもありません。
臆病な私が必死になってネバーランドを大冒険して来たっていうのに、オチはやっぱりこんなのでした。
「……パチュリー様のばかー!」
それが精一杯の反撃でした。
せめて涙は抑えようと、唇を結びました。
騙された気分は抜けないし、味わった恐怖も抜けてません。
ただ、パチュリー様の元気な姿を見て、私はとても安心していました。
苦しんでるパチュリー様なんて、いなかったのです。
それでいい、それがいい、と思ってる自分は、甘えん坊な悪魔ですが、私は嫌いではないのです。
「ふむ……」
対してパチュリー様の言葉は、ふむ、だけでした。
湖の妖精みたいに「あたいは馬鹿じゃなーい!」とでも言ってくれたら張り合いがあるのですが。
「大丈夫、これからもっと面白くなるから」
今度は、流れが読めてない台詞です。
ごめんね、とか、悪かったわ、とかを聞きたかったわけではありませんが、これから面白くなるとはどういう意味でしょうか。
私の心には暗雲が集い、今にも嵐を吹かせようとしてました。
それを必死に抑えて話しかけます。
「あのぉ、だべってる余裕があるなら、とっとと紅魔館に帰りたいのですが」
「中々、面白い世界じゃないの」
「はあ……?」
会話になってませんよ。
そもそも、あなたが創った世界なんだから……あ、自画自賛でしょうかね。
「ここが、何処だか解る?」
パチュリー様、図書館にいる時より、ずっと明るい顔をしておられる。
空気がいいのだろうか? 病弱もやしっ子(失礼)なイメージはそこにはありません。
健康そうな少女が風に吹かれ、帽子を左手で押さえてました
「何処だか解ってたら、さっさと帰ってますよ」
「そうかしら?」
「……もう、いいです。とにかく、早く紅魔館に戻りましょう。それからじっくり感想を言いますから」
「それが、このままじゃ帰れないのよ」
「は?」
「Locked Girlってね、鍵を見つけないと此処から出られない仕組みなの」
何を言い出すんだこの人。
出れない? 出られないって言ったか?
「ちょっと待ってくださいパチュリー様、出られないってどういう――」
「今から小悪魔は鍵を探す旅に出ます」
「……何なんですか?」
「まず、酒場で仲間を集めるわ。それから魔王の塔に登って鍛錬をしつつ、最上階にいる魔王を倒しに行くのよ」
「いやいや、誰が旅の内容を尋ねたんですか。違いますよ。どうしてそんな話になるかということです」
「……」
「……」
「面白くない?」
面白くない……。
「もしかして、ボロボロになって辿り着いた私に、まだ鞭打って遊ぶつもりですか?」
「ボロボロじゃないじゃない」
「精神的にです」
「子供が描いた世界、小さい頃の憧憬、だけど大人になって輝きを失くしたもの、それがこの世界にはあるの。冒険はきっと楽しいよ?」
「全く楽しくありません、早く此処から出ましょう」
「だから、脱出の鍵を探しに行こうって……」
また腹が立ってきた。
せっかく、許してあげる気になってるのに。
不安になると、怒りがぶり返す。
「どうしてそんなものを地道に探さないといけないんですか! ラクトガール号みたいなインチキだって出来るくせに!」
「あれは、その――」
「私をからかうのはそんなに楽しいですか!? 私がパチュリー様をどれだけ心配して歩いてたと思ってるんですか!? 人の気も知らないで! 冒険ごっこなんて一人で勝手にやっててよ!」
息が切れる。
自分でもびっくりしていた。
パチュリー様に、本気で怒鳴ったことなんて、何年ぶりだろうか。
意外にも心は、汚い口ね、とレミリア様に言われたのを思い出していた。
「……」
パチュリー様から返事は無かった。
垂らした右手の爪で、ピンクの服を摘んでいる。
それはパチュリー様が精神的に辛い時に、よく目にする仕草だった。
「……ごめんなさい」
「はい?」
「ごめんなさい、私が強引過ぎたみたい」
ご、ごめんなさいって……。
謝った? パチュリー様が? 私に?
私の欲求なんて、いつも軽く吹き飛ばしてくれるはずなのに。
「そんなつもりじゃなかったの。貴方ならこの世界をきっと喜んでくれると思っていた」
口調ははっきりしていたが、パチュリー様は辛そうに下を向いていた。
何だか……これ、私が虐めてるみたいになってる。
「パチュ――」
「それでも計画は続行しまーす!」
顔をくるっと上に向けたら、元気良く両手を上げてバンザイ。
突然な事で、自分が騙されたという認識も持たないまま、私はぽかんとパチュリー様の笑顔を見つめていた。
小熊のように愛らしいが、頭の中は陰謀が渦巻いてる魔女だった。
作り物めいた笑顔に見とれていたら、空からラクガキ生命体が降りてきて、パチュリー様の背中をわっしと爪で掴んだ。
服を引っ張られて背中が丸くなったパチュリー様が、ラクガキ生命体と一緒に空を上がっていく。
あーれー、なんていうわざとらしい声を残して、空に消えた。
「……」
茫然自失。
何が起こったの? ねえ何が?
割と本気で助けを求めて、360度辺りを見回したら、背後にいたラクトガール号がウインクしてくれた。
ごめん、君はいい。
パチュリー様なら絶対に手がかりを置いていっているはずだと思い、地面を探していたらパチュリー様がいた場所に一枚の手紙があった。
平べったいが、何ページかに分かれているらしい。
とりあえず、題目を読む。
『 小悪魔RPG☆ 説明書 』
「は、ははは……RPGだってよ、RPG……☆……って☆がむかつくんじゃゃうがぁぁぁあ−−−−!!」
手紙を草むらに叩き付け、その上から全力で小悪魔十六連フィストを打ち込んだ。
汗と涙でごっちゃになりながら、殴って叫んで早五分。
この騒動で、峠の下にいたピンクマンモスが逃げた。
今なら烈海王にも勝てる気がした。
「さぁ、どんと来い! 一ページ!」
やけくそになってページを開く。
そこに、壮大なストーリーの幕開けが載っていた。
『 わたしこそ しんの ゆうしゃ こあくまだ 』
飛ばした。
『パチュリーの攻略ヒント:一人旅だと心細いわ! まず夜雀のお宿で仲間を集めましょう!』
3頁目からいきなり攻略ヒントの手抜き構成には呆れる。しかもヒントこれだけ。
いきなりだが、パチュリー様が何をやらせたいのか、それは伝わった。
この世界でのゲームとやらを、私にクリアーさせたいらしい。
どうして、そんなことを?
仕方ないから平仮名ばかりのストーリーを読み直してやると、捕らわれの姫、すなわちパチュリー様を助けるのが私の目的だと解った。
いや、ゲームの目的じゃなくて、パチュリー様の目的が知りたかったのだけど。
「はぁ………なんだかなぁ……へふぅ……」
溜め息から溜め息へのリロードが早すぎる。
かなり滅入ってる状態らしい、このままだと危険だ。
「その夜雀のお宿とやらで、たっぷり休みたいなぁ……」
開き直るわけじゃないけど、パチュリー様の安全が確保されてるって事は、私の安全もある程度保障されてるって話だ。
別に急ぐ必要もないだろう。
ちょっと言い過ぎちゃって後悔してたけど、あの調子なら怒ってるわけでもないみたいだし、この酔狂が終われば全てが元通りに……なーんて、散々噛み付かれて、まだ信用してるのかって感じですが、パチュリー様が喘息で苦しんでなくて、本当に良かったというのが私の第一の本音だったりします。
依存してるなー。
「さぁて」
付属の全体マップを広げ、現在位置及び夜雀のお宿を確認する。
縮尺比率から考えて、ここから北に10km前後行った場所にあるようだ。
初期配置から第一目標が遠すぎる……。
バランス考えろよ〜とか悪態ついてると『乗りな嬢ちゃん。俺のエンジンなら月まで届くぜ?』とラクトガール号がウインクした。
―――――
「乗るたびに寿命縮むぅ……」
目が回る、地面が揺れる、貧血ってこんなのだろうか?
空は何故か暗くなっていたが、これが時差かと思うほどのラクトガールの爆走ぶりだった。
直線距離にして10kmを、僅か二十秒程度で駆け抜けるってどんな設計してるんだ。
私が悪魔じゃなかったら、死んじゃってるよ。
星空が上下逆に見えるのも目が回ってるせいにしときたい。
右手に立つラクトガールを恨めしそうに睨んでみたが『なぁに、いつでも呼びな』とウインクで返された。
用済みになったら廃棄処分にしてやると誓った。
夜雀の宿は、ぼんやりと赤提灯の明かりに包まれて目の前に建っていた。
二階建ての年季の入った木造家屋で、正面からちょいとずれた所に立つ幟に『おいでませ 夜すずめの宿』と書かれてあった。
雀という漢字に悩んで結局平仮名で妥協した店主の姿を想像すると、思わずにやけてしまう。
「へい、らっしゃい!」
暖簾を潜り、中に入ると、威勢の良い声が私にかかった。
期待を裏切らず、夜雀とはミスティアさんその人だった。
長いカウンターテーブルの向こうで、何かの生肉を焼いている。
明るい店内と、一気に身体を包み込む香ばしい香りに、天国に来たような安堵を覚えた。
「おや? お客さん、初めてだね?」
「ん、まあ……とりあえず水もらえます?」
「はいよ!」
丸椅子に腰を落ち着ける。
ラクトガール号よりずっと居心地が良かった。
テーブルには適当な間隔で調味と割り箸が配置されていて、奥までテーブルを覗いたけど客は私だけだった。
「はい、水一丁! メニューはそこだよ! 注文が決まったらもう一度呼んで!」
「う、うん」
注文と言われてもなぁ……とりあえず革張りのメニューを開く。
マンモスの根性焼き……タラバ馬の馬刺し……怪しいメニューばっかりだ、鰻はどうしたんだろ。
ポケットを探ると、真ん中に穴の開いた銀貨二枚の感触があったが、このお金が果たしてこちらの世界で通用するのかどうか疑問だ。
私はメニューの横から首を出して、レジを探した。
探してたら、店の奥に引っ込んだ夜雀がギターを持ち出してじゃんじゃか鳴らし始めた。
「……何でギター?」
「え? ギター好きだし、何よりお店のテンションに合うっしょ?」
「今日は歌わないんだ?」
「なーにそれ? しないよ。というかお客さん初対面なのに発言がロックだね。変な格好してるし」
「えぇ? 変な格好……してるのかなぁ?」
Yシャツは騒動で少しくたびれてしまったが、外見はいつも通りのフォーマルな司書服なんだけど。
ミスティアさんは、私が良く知っている格好をしている。
「私はギター。ギターが燃えるよー、ぎゅいーん!」
「同一人物に見えても、私のいた世界と少し違うんだなぁ……あ、店主さんお名前は?」
「ミスチー!」
「それは渾名だと思うよ」
もしかしてパチュリー様、ミスティアさんと会ったことがないから、性格を上手く作れなかったんだろうか?
「それよりお客さん。私のいた世界――ってのはひょっとしてお客さんアレじゃないかい?」
「アレ?」
「異世界から来た、真の勇者じゃん?」
「そんなストーリーなのかな?」
「やっぱりそうなんだ! いやー助かるよ、あの塔が出来てから全然お客来なくってさー。今日はお代はいらないよ食べて食べて!」
「え? いいの!? ところで塔って?」
「はい、マンモスの根性焼き、どーん!」
漫画でよくある表現の「骨付き原始肉」が私の前に出される。
湯気がたつほど良く焼けてたし、お腹も空いていたのだが、箸をつける気にはならなかった。
汗まみれで外走ってたピンクマンモスの肉だろうし……。
「どうしたの? 食べなよ?」
「あはは……いやー……異文化コミュニケーションは難しいねー……」
「そうか、別の用事で来たんだね。はい、じゃあこっち」
名簿みたいなのを渡される。
メニューより小さく、私の顔よりは大きい。
はて、れんらくもう?
「……あ、連絡網?」
「そうそう、夜すずめのネットワークを生かしたね。その中から、真の勇者は、好きな仲間をニ人まで選んでいいんだよ」
「そうか、これがパチュリー様の言う、旅の仲間って奴か」
「おー? パチュリーって誰ー?」
御機嫌なミスチーさんを軽く流して、私は名簿を開いた。
1.レイム
2.マリサ
3.アリス
4.ヨウム
5.エイリン
6.小町
7.チルノ(予約済み)
「凄いシンプルで片仮名が怪しさを惹き立てる構成ですね……」
「でしょ? でしょー?」
「予約済みってのは?」
「チルノは駄目。先約済みで仲間に出来ないよ」
「まあ、チルノさんは弱そうだから敢えて選択することは無いかな」
「あ、キャンセルは一回のみだからね、それ以降、選んだ仲間は強制的にパーティに入るよ」
「……えー?」
勇者側に拒否権が無いパーティ編成は初めての経験だ。
だったら、最初に選ぶのは万能で且つ間違いの無さそうな人がいいよね。
霊夢さんなんて、バランスがばっちりじゃないだろうか? 対魔物戦術にも優れていそうだし。
ミスティアさんがずれてるのを考慮しても、霊夢さんから犬耳霊夢にとか旧世代靈夢にぐらいなら問題はないかな。
片仮名が怪しいのは、他を選んでも一緒なわけで。
少なくとも一人だけ漢字の小町さんは無い。
「では、霊夢さんでお願いします」
「はい、レイム一丁!」
カウンターの向こう側、ミスチーさんの背後数メートル先にある木製の扉が、ばんっと開いた。
ぺたぺたと歩いてくる気配が音で伝わってくる。
(どうか間違いのない人でありますように……!)
カウンターの上で組んだ両手に目を瞑って祈りながら、霊夢さんの到着を待った。
だいぶ待った。
なのに声がしない。
目を開けると、ミスチーさんがにこっと笑ってカウンターの下にしゃがみ込んだ。
カウンターの上に、なにやら白っぽい物体が乗せられる。
「ワン!」
「…………」
「うちで飼ってるレイムだよ、柴犬、牝二歳、特技は噛み癖――あいたっ!」
「……飲食店で犬飼うなよっていうか、噛み癖は特技じゃねえよっていうか、早速噛まれてるじゃんか飼い主ぃぃい!」
拳でカウンターを叩き、にじる。
モノホンの犬だった。
神の犬霊夢の名に恥じぬ、リアルな犬を使用していた。
これをパーティのメンバーに常時ストックしてるこの宿屋はどうかと思うし、飲食店としても営業停止処分じゃないの。
マンモス肉の横だよ? こいつが降りた場所。
「痛いっ、痛いよレイムっ!?」
「いいから、そのギャグはもういいから」
「くそぉ、私の指はササミジャーキーじゃないって毎日言ってるのにー!」
「とりあえず、その子はキャンセルで……」
「ええ!? こう見えて可愛い所もあるよ!? 勝手にドッグフードの銘柄変えると怒ったりさー、うおおっ!」
嘗められっ放しの飼い主だったが、あんまり深く噛まれて怒ったのか反撃を開始した。
お前だ! 明日はお前がここに並ぶんだ! と左でカウンターを指差しながら右は腕を振り回す。
そのうち犬はスポンと指から外れて飛んでいった。
「ハァハァ……レイムの野郎、拾ってやった恩を忘れおってからに……」
「だ、大丈夫?」
「心配いらねえっす、御機嫌っす」
夜雀は赤チンを棚から取り出し、右の人差し指に塗り終えると。
「次は何にするー?」
と、いつもの営業スマイルに戻った。
調理場に立ってる最中に赤チン塗るのもどうかと思う。
「次からはキャンセル効かないんだよね?」
「そうそう、慎重に選んでね」
残ったのはこうか……。
1.レイム(マジ犬)
2.マリサ
3.アリス
4.ヨウム
5.エイリン
6.小町
7.チルノ(予約済み)
レイムのことがある、おそらくまともな人物は少ないだろう。
レイムの経験を踏まえて、このまま二回とも無難に狙って外すより、一回でもいいから当たりを引く作戦の方が良さそうだ。
この中で、最も優秀な人物は間違いなく永琳さん。
パーティの司令塔を担える、究極の実力者であり、薬師として回復だって期待出来る。マッドだけど超有能な人物。スーパードクターE!
これが、外れたら痛いが……いや、いや!
「ここで攻める! 店長! 永琳さんでお願い!」
「はい、エイリン一丁!」
――ギィィィィィィ……。
厳かに扉が前に開く。
早々に人の姿が確認できた。
助かった、少なくともこれで動物は無い。
人物は暗がりから出て来て、今度は赤と黒で出来た服が見えてくる。
ナースよりも逆にノワールを思い起こさせる出で立ちに見覚えがあった。
よっし! 今度はもらった!
銀色のおさげ髪、いいね、黒い帽子に赤十字、いいねー、大きな弓に小さな背丈、うーん、完璧――だ?
小さな?
「よ、よろしくお願いします、薬師のエイリンです……きゃっ」
私は両肘をカウンターに乗せて両手で頭を抱えた。
きゃっ、というのは落ちそうになった帽子を、慌てて止めようとするその人の声だった。
おい、待ってくれ。
見間違いだろ、遠近感だろ!?
だって、あんなに小さい訳が無いだろう!?
顔を上げる。
「……あ、あのぉ?」
ち……ちっけぇ……。
本気でちまっこいっすよ……。
だって、カウンターに背が届いてないもの。
それは、ぺったんこであり、咲夜さん発狂しそうな年齢であった。
外した、私はまた……外してしまったのか……。
「落ち込むのは待っておくれよ、勇者さん。そうは見えないかもしれないけどさ、こいつ、町じゃちょっとした有名人なんですぜ?」
私に耳打ちしたミスチーさんの声は自信に溢れていた。
見かけが小さくたって術士としての能力は分からないぞということですか。
なるほど。
「――ロリリンって渾名で」
「その渾名は戦闘力の裏づけにならないだろっていうか逆!?」
「ロリリン、去年、おねしょが治ったらしいよ」
「知りたくなかったよ! ごっついへこむ情報掴まされて小悪魔ショック死寸前だよ! エイリンちゃん本当に戦えるの!?」
「ひっ!?」
「勇者さーん、そんなに怖い顔したら子供は怖がるに決まってるよー」
「これからモンスターと戦うってのに何を言ってるの!?」
「わ、私、モンスターとは戦えません……」
「はぁ!?」
「うぅ、役立たずでごめんなさい」
「ちょっ、背中のでっかい弓は……ミスチーさん、これ何のどっきり!?」
「勇者さん!!」
「は、はい?」
「ロリリンは弱いよ……一人だと足手まといかも知れない……。だからこそ、みんなの力を合わせて戦うんじゃないの、違う!?」
「後半は美しいけど前半は確実にアウトだろ!?」
「うぅ……」
「泣くなロリリン、勇者さんも分かってくれたから……」
「ごめんなさい、勇者様、エイリン頑張ります……」
「美談にするなーっ!」
カウンターに突っ伏す。
爪を立てる。
お願い。
紅魔館に帰して。
紅魔館はもうちょっとだけぬるい世界でした。
「一人決まったね、さあ、最後の一人は?」
展開早いよ、ミスチー。
今、こぁは咲夜さんとか思い出してアンニュイな気分に浸ってるんだから、もうちょっと待って。
………。
……。
アンニュイだ。
門番にナイフが突き刺さり、世界は崩壊を望んでいる。
「……どんな勇者なんだ、私って」
「あ、あの、戦闘は苦手ですが、薬でバックアップならできます。毒薬転じて甘露になる、とか」
「毒薬を転じずに、最初から甘露を使用して欲しいよ……」
「ほらほら、次は誰にするのー?」
ミスチーさんが名簿を私の胸に押し付ける。
むかつく、焼き鳥にしてやろうか。
そんな私の殺気を感じて、エイリンちゃんが涙目になってきた。
私、何でこんな所で子守してるの……もういいよ、誰が来てもいいよ、うりゃ、残ったのはどいつだ!
1.レイム(マジ犬)
2.マリサ
3.アリス
4.ヨウム
5.エイリン(ロリータ)
6.小町
7.チルノ(予約済み)
リストを眺めても、もう誰を選んでも外れそうで怖い。
頼りないが一応の回復役はパーティに入ったので、次は前衛だろうか。
守備力なら妖夢、パワーなら魔理沙と言ったところ。
妖夢は絶対辻斬りモードだろう。
魔理沙は……うふふ魔理沙、俺魔理沙、僕魔理沙、等々か……あれ? あんまり危険そうじゃない?
性格が反転してたとして、むしろ魔理沙は安全な方に進みそうな気がする。
本泥棒とか門破りとか器物破壊とか、普段の生活が普段だものね、あの人は。
私も痛い目に合わせられているが、この世界の魔理沙とは関係ない話、よし、魔理沙を迎え入れる事に決まりだ。
「決めた! 最後は魔理沙さんでお願いしまーす!」
「へい、マリサ一丁!」
さっきより大きな音で、扉が開いた。
黒い影がゆっくりと光の下へ現れる。
今度は小さくない、動物でもない、大き目のちゃんとした人物だ。
のっしのっしと歩いてくる。
いや……おかしいだろ、のっしのっしって、ちょっと、これ、でっ――。
「おいどんが、マリサでごわす」
「誰てめぇぇええええ!?」
濃いよ、濃すぎるよ!
身長二メートルの一人称がおいどんの魔理沙って理解不能だろ!
わし魔理沙とかで来いよ! 規格から外れすぎだよ! まずお前は髭を剃れ! 次にきっちり金髪ウェーブと少女趣味な服を止めろ! 筋肉と魔女ッ娘は対角線上に位置してるんだ! あぁ、神様! こんな生物にOK出さないで! 私がどんな突込みをしても目の前の異物に圧倒的に負けてしまいます!
「お、おのれぇ! こぉら夜雀! これのどこがマリサだ!? こいつは明らかに西郷さん! 西郷さんだ! コスプレ好きの!」
「勇者さーん、別に魔法使いがガタイで魔法撃つわけじゃないっしょー? おう、マリサ、あんたの得意魔法、勇者さんに言ってやんな!」
「男色マスタースパークでごわす」
「どんな色じゃー!?」
「力を溜めて次のターンの攻撃力を倍にすることが、得意魔法でごわす」
「それは魔法じゃねー!!」
「おいどん、実は魔法の事は良く解らんですたい、だからMP切れても困らないでごわす」
「お前もう魔法使い辞めろー!!!」
全力の三段突込みだ。
息だって切れ切れになる。
今日一日でどれだけ突っ込んだことだろう。
そろそろ、おいどんは複数形のことにも突っ込んだ方がいいんだろうか。
うぅ、こぁがボケに走る暇すら与えられないって、どれだけ過酷な世界なのですか、ここは。
「マリサでごわす。これから、よろしくお願いもうす」
「こ、こちらこそ、エイリンです」
リーダーの私を無視してパーティメンバー同士の交流が始まっていた。
おいどん魔理沙が屈みこんで、ロリータ永琳とがっちり握手。
レスラーと、がきんちょ並に違う背丈。
その中間が私。
「でかい、ちゅうくらい、ちいさいの、ですかー。や、なかなかバランス取れてますよ?」
ミスチーさんが朗らかに笑った。
私は生温い水を飲み干して、カウンターにコップの底を叩きつけて、思い切り泣いた。
紅魔館を、あったかい紅茶や、みんなの顔を思い出してたら……途中でおいどん魔理沙の顔にすげ変わって、ちっきしょお!
―――――
一宿一飯。
更には武器まで貰って、私達は宿を後にした。
勇者といえばやっぱ剣! と思っていた私の期待はあっさり打ち砕かれ「鋼鉄のグリモワール」という真っ黒な本を渡された。
この世界の勇者は、本を鈍器に変えて戦う職業らしい……。
パチュリー様の設定をお恨みもうす。
やべ、伝染った。
そんなパチュリー様の攻略ヒントを読んで、私達は冒険の進路を決めた。
昨日、夜雀との会話でちらっと出てた「塔」とやらだが、そこに悪役が住み着いて困っているらしい。攫われたパチュリー様もいるとか。
塔の位置は、宿から南に1km未満。
昨日見えなかったのは暗さのせいなのか、それともフラグが立ってなかったのか。
実は、今も朝靄がかかっていて、良く見えないのだけど。
先頭に少女趣味の巨漢、真ん中に私こと小悪魔が、後方にロリータ永琳。
魔法使いが前衛なのはどうかと思うが、あのガタイじゃあ誰だって先頭を任せるだろう
一番不安だった戦力としてこのパーティは足りてるのか、という点だけど、これは予想を裏切って余るくらいだった。
おいどん、つええ。
「うおー! マジーックナパァーム!」
あれがアッパー。拳が摩擦で燃えています。
「アステロイドベルトォォ!」
ブレーンバスター、またの名をインドラの光と言います。
「ンーーー! マスタースパァァァーーーク!!」
ストレート、真実の名をキングストレート。
終わったと見せかけてもう一度信じられない伸びを見せる帝王の拳。
当たった敵が猛烈にぶっ飛んでいき、その直線状の敵を何匹か巻き込んで雪だるまみたいになって転がり、草原に崩れた。
私はおいどんの暴力からあぶれたモンスターを、バトルフィールドの端でぺちぺち叩いていた。
お菓子の靴とか、二足歩行の兎とか――こやつらは、ある程度痛めつけたら、例外無くぼふっと白い煙になって消えてくれた。
死体とか血とか残らなくて、本当に助かってます。
ああ、これはゲームなんだって認識が、私の罪悪感を消してくれるし、なにより、こぁ、血がブシューとかいうの苦手。
お前、それでも悪魔かよ、という突っ込みは慣れっこだからいいです。
敵は時間が立つとまた同じのが復活するので、消えたのは撤退したという形が適当なのか。
「ふぅ、なかなかの敵だったでごわす」
近隣のモンスターを一掃したおいどん魔理沙は、疲れたとばかりに額の汗を拭った。
髭も剃ったから、少しだけ爽やかになった。
この冷たい朝に、あれだけの汗を掻くには、どれだけ運動すればいいのだろう?
エイリンちゃんは戦闘中は全然役に立たないんだけど、戦闘終了後は傷ついたおいどんの手当てをしてくれていた。
案外、このパーティはいけるんじゃないかしら、とか思ってる。
うん、魔王だって、きっと。
――てれれれんてってってー
これは、レベルアップの音らしい。
エイリンちゃんの頭の上に、LEVELUPと黄色い文字で表示されているから良く解る。
エイリンちゃんがレベルアップに照れてると、おいどんが頭を撫でにいった。
仲良くなったなー、あの二人。
私も何度かレベルアップを体験したけど、とても良いものだ。
すーっと身体が楽になったと思ったら、前より力がみなぎってくる。
ひ弱な小悪魔も、いまは鉄アレイぐらいは楽勝です、へへっ、バーベルですか? まだ無理なんですよぉ……。
そうそう、鋼鉄のグリモワールだけど、持ってみたら大変軽かった、でも、明らかに鋼じゃない物質で出来ていて詐欺だ。
私は兎を擬人化したような敵をしばき終えて、彼女達の近くへ歩み寄った。
「おつかれー」
「お疲れ様でごわす、こあくまどん」
「お疲れ様です、勇者様」
草原に立ち、談笑していた二人が、私を労う。
勇者様というのはくすぐったいが悪い響きではないのだけど、こあくまどんというのは、爬虫類みたいでなんか嫌である。
「えーっと、西郷さ……じゃなくてマリサ」
「何でごわす?」
「こあくまどんってのは、イグアノドンみたいで嫌だなーって」
「では、こぁちゃんで?」
「そんな急接近するな」
「あの、可愛らしくて親しみやすい呼び方だと、私は思いますけど」
「では、こぁちゃんで」
「許可無く疑問符を取るな!」
「あの、勇者様、私もこぁちゃんって呼んでいいですか?」
「君は君で遠慮を知らんのかー!?」
私の声は、二人の笑いで流されてしまう。
朝早くのトレーニング、笑い合い分かり合う若人達。
この青春ドラマ的な展開はどうだ、すっかり主人公というか主人公達の弄られ役の立ち位置にされてる。
ふん、いいよーだ、どうせ、この場だけの付き合いですー。
むしゃくしゃして積極的に敵と戦いにいった。
この辺りの敵は弱いのか、擬人化した兎から、兎耳を生やした人間みたいにランクアップしても、私達は楽勝で勝ち進めた。
そのうち、おいどんみたいに、二匹、三匹相手にしても、へっちゃらになってくる。
何だか少しだけ楽しくなってきた。
小さい頃、野原を木の枝握って走り回っていた感覚が蘇る。
使えもしない魔法や、ド派手な技名を叫びながら、枝を振って友達を一緒になって笑って……。
「こぁちゃん、塔が見えてきました!」
早速あの渾名で呼ばれてるよ……。
いい感じに過去を振り返ってたのになぁ。
「どれどれ?」
「あれです、あれが私達が目指す塔です!」
見てみれば、ぶっとい塔だった。
4階建てぐらいに見えるのだが、横がやたら太っている。
縦30m×横40mくらいは目算であった。
太さに加えて、何の統一性もない、階層ごとに自己主張が激しいデザインが気になる。
一階はまるで日本家屋、二階はファンシーで乙女っぽい主張をしていて、三階は氷のように透き通る壁がぐるりと回っている。
四階は紫色、屋上もあるのか塔の周囲に手すりが見える。
「もしかして、一階って永遠亭かな……」
今まで戦ってきた敵と、あの和風な屋敷を見て、そう呟いたら――
「はい、そうです、さすがこぁちゃん、よくご存知ですね!」
期待もしてなかった声が返ってきた。
「私、昔はそこに住んでいたので、中のことは詳しいです。私が案内します」
「え? ちょっと待って、私達は今からそこを攻めるんだよ? エイリンちゃんがこっち側にいていいの?」
「あはは……あの、私、かぐや様に家を追い出されてしまいまして……」
「追い出された!?」
「め、面目ないです……」
「こんな小さい子を追い出すって、こっちの輝夜さんはどうなってるの?」
「そ、そんなことないです、私が悪いんですよ! かぐや様は凄いです、働き者で、美しくて、みんなの信頼も厚く、カリスマに溢れていて――」
以下、輝夜さんに対する誉め言葉が延々と二分は続いた。
こっちの輝夜さんは、スーパーマンみたいなえらい優れた人物らしい。
もう、向こうの世界と比較するだけ、無駄な気がしてきた。
永琳さんがヘタレてるし、なんか聞いてると発音がたるいよ、かぐや様。
「何か失敗でもして追い出されちゃった?」
「は、はい、そんなところ……です」
「歯切れ悪いなぁ。気になるよー。もし戦うのが辛いなら、向こうに戻ってもいいんだよ?」
「こぁちゃん、その辺でいいでごわしょう。人にはそれぞれ、ややこしい過去があるものでごわす」
「だけど、私達は…………っておいどんにこぁちゃんって呼ばれるの、凄くむかつくー!」
「おいどんという渾名にだって文句があるでごわす」
「だから、五分だと言いたいのか!?」
「おいどんがややリードですな」
「何という自信家!」
私はおいどんと戯れるフリをしながら、エイリンちゃんの顔色を窺ったが芳しくなかった。
おいどんが言うように、これは穿るたびに痛みを伴う厄介な過去かもしれない。
チームワークにひびを入れない為にも、スルーが望ましい。
それで、裏切られるとしても。
仲間を、信じられないよりマシだ。
それにしても、私を止めた時のおいどんの顔は険しかったなぁ。
こいつにも、ややこしい過去があったりするんだろうか?
声が低い分、真面目な顔で発言すると迫力があるよね、面白みだってあるけど。
エイリンちゃんの頭を撫でてやろうと手を乗せて、リーダーに相応しくないなと頭を軽く叩いた。
彼女も、この方が楽だろう。
「よし、行こうか!」
最後に背中を押してやる。
エイリンちゃんは笑顔に戻って、元気良く返事をしてくれた。
無理をしているのは分かる、でも、それを指摘するのは、お互いがもうちょっと親しくなってからだ。
塔が近付いてくる。
敵の攻撃が激しくなった。
おいどんを先頭に立たせ、私は遊撃に走った。
道を作れば勝ちだ、奴らは塔に入って来れない、RPGってのはそういうルールだから。
敵を叩けば叩くほど軽くなる自分の身体、それに違和感が無いことに驚く。
適応力だろうか?
私がこんなに運動神経が良いなんて 夢の中でも出来すぎている。
どうせならド派手な魔法が欲しかったですよ。
道が開いた。
私が号令をかけて、全員で猛ダッシュ。
こけそうになったエイリンちゃんを、おいどんが摘み上げて走った。
あの塔の中に、働き者でカリスマに溢れる輝夜さんがいる……完全体輝夜とも呼べる人に会えるのは、ちょっと楽しみかもしれない。
―――――
塔の中に駆け込んで、でっかい扉を三人で押して、最後にかんぬきを下ろす。
入ってくる敵はいないと解っていても、扉を閉める間、ぞろぞろと外に敵が整列してる様は私達の恐怖を煽った。
扉ががっちりと閉まったのを手で確認して、ほっと一息下ろす。
北に向けて薄暗い廊下がさーっと伸びている。
敵の気配は感じないが、光源が頼りなくてはっきりいないとは言えない。
「ここが、永遠亭でごわすか?」
パチュリー様にお使いに出された事があるので、私も見たことがあった。
自然の明かりを取り入れた、逆に言うと人口の明かりを嫌った、珍しいくらい由緒ある日本家屋だ。
天井が凄く高く、廊下の先は見えない。
その長さは空間を歪ませているためか、また、両脇に並ぶ襖には靄がかかっているように揺らいで見えた。
「凄い広さでごわすな!」
おいどんは興奮気味に腕を組んで果ての見えない廊下を眺めていた。
エイリンちゃんは、靴を脱いで下駄箱の中に入れた。
ちょっとびっくりしたが、言われてみれば居住区なのだから、そういうのがあって当たり前である。
私もそれに従いながら、隣にいるエイリンちゃんに話しかけた。
「大丈夫?」
「あ、はい」
「凄く広いね」
「空間操って無茶苦茶にしてますから。道を知らない人が迷い込んだら、餓死するまで出られないかも」
「……これが、とてもプリンの中だとは――」
「はい?」
出かけた言葉は、もごもとと口の中で噛み潰した。
あんまりスケールとリアリティが凄すぎて忘れがちだが、やっぱりここはプリンの中なのだ。
だけど「世界はプリンに包まれていた!」なんて事実を発表しても、仲間に白い目で見られるだけだろうからね。
コペルニクス、あんたの気持ちが今なら分かる。
ここで気になるのは、紅魔館にいる私の方だ。
こちらと向こうの世界が同じ時間軸で進んでるならば、私は昨日以来ずっと目を覚ましていないことになる。
みんな心臓に毛が生えてるから、パニックにはならないだろうけど、それでも永琳さんは違うだろう。
どうか、マッドなお医者さんに、変なところ弄繰り回されてませんように、と祈るばかり。
「こっちのエイリンちゃんみたいに、本物も大人しい性格だったらなぁ……」
「は、はい?」
「ううん、ちょっと望郷の念がじんわりと目頭に」
「そうだ、注意してください、ここにはかぐや様以外に、強力な二匹の兎コンビがいます」
「兎コンビ? ウドンゲさんとてゐさん?」
「わ、当たってます、どうして知ってるのですか?」
「悲しいけど、これが勇者の能力(ちから)なのよね……」
「凄い! こぁちゃんは何でもお見通しですね!」
あんまり誉められたことないから、こんな状況でも嬉しいなー。
えへへ。
「……そこまでだ!」
突然響いた高い声に一気に緊張が走る。
おいどんが戻ってきて私達の先頭に立ち、私もブックカバーを取って鋼鉄のグリモワールを抜き身にした。
「気をつけるでごわす、襖の向こうに敵の気配がありもうす!」
おいどんの視線の先に一斉に注目が集まる。
その時、襖が一気に! いや、襖がすーっと開……い、いやガタガタしながら、ゆっくりと開……なんか苦戦しまくってるけど大丈夫か。
二十秒ぐらい待ってやったら、ようやく全部開いた。
が、出てきた人物は襖の敷居に躓いてこけて、廊下で垂直に鼻を打った。
「うさーっ!?」
何か取り返しのつかないほどに空気が弛緩しちゃったんだけど……。
「ああ、また突然の不幸が……! 昨日滑りやすくする為に念入りに蝋を塗っておいたのに何故ー!?」
不幸だ、不幸だ、とぼやきながら、鼻にちり紙を詰めて、その人は立ち上がる。
ふさふさの兎耳はぺたんと寝ていて、首にかけたペンダントのシンボルは人参じゃなくて苺だった。
「ざ、残念だったな、いまのは敵を油断させるための罠ですよーだ!」
だったら言うなよ。
「さあ、侵入者め、ここから先は易々と進めると思うなよ、永遠亭が誇る因幡一番隊隊長、因幡てうぃが相……なんじゃその死神はぁ!?」
おいどんを見上げて、てゐさん(正確にはてうぃらしい)が腰を抜かした。
そりゃ、びびるよね、暗がりにこんなんがいたら。
「ああ、良く見たらエイリン様まで!? なんすかエイリン様、追い出されてぶち切れて今度は反逆ですか!?」
「あ、いや、違うのよてうぃ、私達はただ…………あれ、合ってる?」
「合ってるのー!?」
「おいどん達は、悪い奴らを退治に来たでごわす」
「どう見ても悪い奴に悪い奴って言われ――っておいどんで且つごわすかよあんた!?」
小悪魔、突っ込みスキルの高い人には親近感が湧きます。
マブダチになりたい。
「ああ、不幸だ、今日も不幸だ! こんなの相手してたら野兎のソテーにされてしまう!」
「いやいや、野兎は、ハンバーグの方が好みでごわすから」
敵にメニューを訂正されたてゐさんの顔は、既に脂汗まみれでした。
可愛そうに、こっちのてゐさんは自分を不幸にする程度の能力の持ち主らしい。
そういえば、私の能力ってなんだろう? 幻想郷にいたときから地味だったよね、本を整理する程度の能力?
「そ、そっちのお姉さんも敵なのかな?」
「私? 私は、このパーティのリーダーをやってるの」
「……うへぇ、人は見かけによりませんねー」
「ううん、私、悪魔」
右手で尻尾を掴んで見せてあげると、てゐさんはお尻を地面につけたまま、手の力だけで床を後ろ向きに疾走した。
そうして、五メートルほど距離をとって、立ち上がろうと頑張ったが、まだ足が利かないらしく座ったまま叫んだ。
「ああ、私じゃとても敵わない! ウドンゲ様に知らせます! 早く知らせて二人で戻ってきますから、ちょっと待っててね!」
と言って廊下の奥に消えていった。
ピンクのスカートを引き摺って雑巾がけでもしてるみたいな格好で、だかだかだかーっと。
「襖、開きっ放しで行っちゃったね……」
「開けたら閉めるのは、生活の習慣でごわす」
「こぁちゃん、好機です。今のうちにかぐや様の下へ急ぎましょう。ウドンゲと合流されると厄介なことになります」
「……エイリンちゃん、今何歳?」
「はい? 突然ですね。八歳ですけど」
「は、八歳で弟子までいるの?」
「ウドンゲのことですか? こぁちゃんには何も隠せませんね。ええと、成り行き上ですから、実力とは関係ないんですけど……あ、それより急がないと、さ、こっちへ!」
てゐさんが出て来た襖の前に立ち、私達を手招きするエイリンちゃん。
上手いこと弟子話を流されてしまった。
私はおいどんと顔を見合わせた後、肩をすくめて襖に向った。
―――――
「静かだ……今が乱世とは思えぬ」
「乱世じゃねえよ」
しかし、おいどんの言葉通り、この静けさは私も異様に思っていた。
ここまで歩いてきて、誰一人敵と出くわさない。
「どうなの、これ?」
「おいどんに言われても……」
裏道を通ってるとか、そんな感じはしない。
普通に廊下を横切ってるし、詰め所っぽいところも堂々と通過してきた。
外の警備に比べて、中の警備が異様に少ない、といいますか、実質ゼロなんじゃないだろうか?
あれからバンバン襖を開けて、もはや適当に進んでように見えるエイリンちゃんの背中に、私は声をかけた。
「ねえ、おかしくない?」
「警備ですか? ええ、かぐや様の仕業だと思います」
「変だよ、どうして敵の総大将が、こっちに気を遣っているの?」
「……勝てないと思って、兵を引き上げたのかと」
「今のは厳しい言い訳だよね」
「すみませんです」
「質問を変えていい? エイリンちゃんは輝夜様に会ったらどうするの?」
「え?」
「あんまり戦いたくないよね?」
「……わ、私の事は気にしなくていいです。私は今、勇者様のパーティの一員なのですから」
無理に作った笑顔に悲しみが滲み出ていた。
おいどんが、私の背中を拳で突付く。
あいつは軽く静止の合図を出してるつもりだろうが、私にしてみれば割と痛いので、そのことをいつ言おうか迷っていた。
次の襖を開け、大広間に入った。
奥まで続く畳の淵の黒い線と平行に、座布団と膳が十個ほど並んでいる。
膳の上にはまだ食器や残飯が残っていて、ついさっきまで食べていたような雰囲気は匂いからも分かった。
エイリンちゃんの足がひたと止まる。
上座の席の方を眩しそうに眺めて、それから幽霊でも見たように目を大きく開いた。
「あぁ……!」
口から漏れた悲鳴のような声。
私は突然の変化に驚いて、何をどうすればいいか分からない。
エイリンちゃんは堪えるように口を押さえて、ふるふると首を振ったが、そのうち鼻をスンスン鳴らして泣き出した。
「な、なに?」
「私の席が……まだ……残って、残ってるんです……もう一年も、たっ、経つのに……」
「私の席? 食事の席?」
静かに頷いた。
私は上座を見る。
一際豪華な金粉の施した膳と、その隣に小さな膳があった。
隣の膳に食器も食べ物も置いてなく、座布団と膳だけがぽつんと残されていた。
「そう、大切な席だったんだね」
エイリンちゃんも、誰も答えなかった。
泣きじゃくるエイリンちゃんの背中を、私は泣き止むまでずっと撫でた。
傷に薬を摩り込むように、何度も撫でた。
「ねえ」
「……」
「無理しなくていいよ、輝夜さんには私からも頼んであげる。エイリンちゃんの席はあっちだ」
「だ、駄目! それは駄目です!」
「どうして?」
「私も戦います、戦わせてください、お願いします……!」
私に向い直し、正座して頭を畳みに擦りつけた。
慌てて頭を上げさせるが、私も相当に混乱していた。
戦わなくていい、と言えば義理に迷いこそすれ、戦いたいと願うわけがないと思っていたから。
「逃げたくないんです、もう裏切りたくないんです、わ、私は勇者様のパーティの一員ですから!」
泣きながら私に訴えるが、そんな深い絆を結んだ覚えが全く無い。
いよいよ対応に困って、傍観者に徹していたおいどんに救いを求める。
おいどんはその場で首を振った。
「好きにさせるでごわす。誰も強制はせんから。その代り責任は自分が持つでごわす」
八歳の子供を相手にしてるとは思えない、非情とも呼べる台詞だった。
私は憤りを感じたが、でも、エイリンちゃんは、それで泣き止んだ。
「しっかりと前を向くでごわす」
厳つい手を差し伸べる。
エイリンちゃんはそれを両手で握って立ち上がった。
なるほど、こういう立たせ方もあるのか。
はぁ、私はお母さんになったことないから、ちょっと難しいですね。
出番の無い私は、もう一度大広間を見渡して、首を捻った。
何故だろう。
食事を慌てて切り上げたような不自然さもそうだが、膳の数があまりに少なすぎないか……。
―――――
沈黙が続く。
パーティはどんどん進み、妖気も濃くなってきました。
こういう重くて苦い雰囲気は、小悪魔二分と耐えられませんから口を開きます。
「その歳で薬師なんてエイリンちゃん凄いよねー」
「あ……私、本当は毒を操る程度の能力しかないんです」
「毒を?」
「はい、勝手に薬師を名乗ってるんです。私の毒を加工して薬に使ってます。もちろん普通の薬も使いますけど」
「へぇ……」
「強力な鎮痛剤は毒から作るのが有名ですよね。面白いのでは多汗症の治療に猛毒が役立ったり――」
「あはは、毒の話なのに嬉々として説明するね」
「そうですね。人を傷つける毒は嫌いですが、人を救う毒は楽しいです」
エイリンちゃんはこちらの出方を窺うように上目を向けた。
齢8才とは思えぬほどの艶が出てる……。
「あの、やっぱり、追い出されたことも説明した方がいいと思います」
「いいの?」
「はい、こぁちゃんが宜しければ」
「私はいいよ、話すと楽になるかもしれないし。おいどんもいいよね?」
「もちろんでごわす」
おいどんが力強く頷く。
こんな時だが三人の結束力に感謝した。
丁度部屋の中を通過中だったので、三人とも畳みに腰を落ち着かせた。
「簡単に言うと、私、敵に味方しちゃったんです」
「はぁ、敵に……」
「私達と仲が悪い種族がいたんです。あいつらは兎を食べて、こっちは兎を保護をする。これが結構深刻でした。ビジュアル的に辛いですよね、知能は違えど仲間と同じ姿の者がばりばり食われてるんですから」
「向こうはどうして兎を食べるの?」
「昔から食べてたらしいんですよ。野生動物の少ない地域で、たんぱく質の殆どをそれで賄っていたらしいです」
「じゃあ、エイリンちゃん達は何を食べて補っていたの? それを一緒に食べればいいんじゃない?」
「私達は川魚を食べてました。だけど向こうは文化の違いで食べないんですよ」
「ややこしいんだねー」
「狩場で何度か小競り合いを繰り返すうちに、遂に戦争になってしまいました。数的優位は断然向こうにありましたから、かぐや様は悩んだ末、お味方を守る為に、敵の布陣してる近くの川に毒を流すことを決めたのです」
「毒って、まさかエイリンちゃん……?」
「そうです、私の毒です」
話を急ぎすぎたのか、話す内容が苦しいのか、エイリンちゃんの声は最後の方で掠れていた。
その哀れな表情に、私は抱き締めてやりたい思いをぐっと堪えて、話が最後まで進むのを待った。
「生活水に毒を流せば一網打尽だ、という作戦です」
「きっついこと考えたね……輝夜さんも……」
「でも、私は臆病者でした。実験の時から、水槽にぷかぷかと魚の白い腹が浮かんだときから、私は吐き気を必死に堪えていました」
「え? じゃあ、流さなかったの?」
「はい、怖かったし、そんな非道な毒で勝っても仕方ないと思ってました。ですが……」
「周りはそうは思っていなかった……?」
「ええ、実際の永遠亭は勝ち目が薄くなって士気が大幅に低下していました。衝突してみれば一方的に兵がばたばたと倒れていきます。かぐや様は我が軍の士気の低下を見て、早々に降伏を選びました。元の永遠亭を引き払い、少数で落ち延びて、辿り着いたのが此処です。だから、私は永遠亭では裏切り者なのです」
裏切り者という響きは平坦なものだった。
自覚があり、ずっと昔に断ち切ったのかもしれない。
「落ち延びた後、私は無期限追放処分を受けました。離れるのは悲しかったですが、かぐや様の恩情が無ければ斬首でも仕方が無い所です」
「で、でも、子供相手にでしょう?」
「私は一人前に扱われてました。私が嘗められないようにかぐや様は弟子まで付けてくださいましたから」
「……追放された後は何処に?」
「一年間、近隣の町に潜んでおりました、多種族で構成された雑多な町です」
一人で暮らしていけたの?
それを訊いて良いものかどうか迷った。
辛い過去に決まってるだろう、話さないならやめようと考えた。
「私は永遠亭の外で暮らして、自分が今までどれだけ甘えていたか分かりました」
甘えか……甘えられるうちに甘えないで、どうするんだろう。
そんな期間すぐ過ぎるってのに……。
「安寧に暮らせる席はそう多くないようです。自分を守る為に家族を守る為に、みんな必死になってその席にしがみついていました。人口に対して食料はもちろん、土地も家屋も圧倒的に足りません。雨の日は軒下の取り合いで喧嘩になります。私が誰も傷つけないで笑っていられたのは、かぐや様の庇護の下で暮らしていたからです」
「じゃあ、どうやって生活を……?」
「私は学んできた薬という力がありましたから、最低限の物に手が届きました。薬の評判は貧民層から広まり、勝手に市場に出て高い値段が付けられるようになって……私の薬が店に置かれるようになった時には、別の業者が棚からそっくり消えていました」
「最後のは別に競争だから、エイリンちゃんが悪いわけじゃないでしょう?」
「競争です、ですがあの戦争も、生存競争でした」
「……それは、違うよ」
「そうですか?」
言葉にならない。
飲み込んだ唾がやけに固く、喉に絡まった。
「私は金儲けの道具になってる自分が嫌になって、町からも逃げて夜雀の宿にご厄介になってみたんです」
「どうしてその宿を選んだの?」
「予言がありました。異世界から魔界の勇者来るって、これに薬師としての自分をかけてみようって思いました」
そうか、それでミスチーさんも私にすぐ気付いたんだ。
でも、誰だ、予言ってパチュリー様が? そもそも、予言ってどういう形式で広まったんだ?
「だから、こぁちゃんが誘ってくれて、本当に嬉しかったんです」
「悪いけど、私はそんな凄い奴じゃないよ」
「ううん、優しくて強いお人です」
「会ったばかりなのに……」
「永遠亭でも町でも私は自分勝手で中途半端ばかりでした。だから、今度こそ逃げずに皆さんと最後まで一緒に――」
「もういいよ」
「え?」
「あなたの決意は分かったから……いい」
沈黙が降りる。
エイリンちゃんは私から目を逸らし、俯いた。
言ってやれる言葉、慰める言葉、そんなのは幾らでもあった。
彼女はたくさんの人を救ってきた、例え金儲けに利用されたって薬が誰かに渡ればそれで救っている。
輝夜さんの庇護の下だったかもしれないが、その環境の中でたくさんの病人を救ってきただろう。失敗が過去の偉業を消すわけじゃない。
いや、私は失敗だったとさえ思っていなかった、死者の数で言えば、毒を流すことよりずっと少なく済んだだろう。
どっちにしろ毒を流したって別の後悔が続いているんだ。
吹けば飛ぶような勇気で、強くなったフリをする必要なんてない。
外に出て競争を覚えても、自分の力への嫌悪が消えたわけじゃないんでしょう?
だったら、貴女は戻るべきだ。
戦わず永遠亭に戻れるように努力すべきだ。
まだ席が残っていた、それこそがメッセージであり、それが伝わったからエイリンちゃんは泣いたんじゃないの。
……一つも言葉に出来なかった。
こちらの世界に住まない私が、彼女の一年を理解してやれなかったからではない。
私の望むハッピーエンドに腕を引っ張って導くのは、傲慢だと思ったからでもない。
今考えているのは、彼女への思いやりかもしれないが、おそらく言葉に出せば、それは醜い自己弁護に化けると分かっていたから。
この子と、私は似すぎてしまっている。
偶然じゃない。
『私が誰も傷つけないで笑っていられたのは……様の庇護の下で暮らしていたからです』
これは、いつか紅魔館を出る私の物語だ……。
―――――
エイリンちゃんが先に進んでいく。
私は胸にある苛立ちを抑えて、それに従った。
おいどんは、存在を忘れそうなほど会話に入ってこなかった。
今も、腕を組んでぶつぶつ言いながら、私の前を歩いている。
何を考えているのだろうか、小声に耳を立ててるうちに、呟きは私への不満に聞こえだした。
(これが、全部、ストーリーってのはなぁ……)
エイリンちゃんは、おいどんは、パチュリー様が作った劇の登場人物なんだろうか。
だけど、私は自由に行動してきたはずだ。仲間だって私が選んだ、それら全てを管理出来るはずはない。
そう思っているが、この展開に疑惑が拭い去れない。
だったら、少し乱暴になるけど……こういうのはどうだ。
振り向いて、勝手に襖を開け放つ。
部屋に入り、奥の襖に手をかけて、それとは別の襖を蹴り飛ばした。
後ろからエイリンちゃんの声が聞こえた、何を言ってるのか良く聞こえないが、想像するまでもない。
廊下に出る、小さな机に飾ってあった花瓶を薙ぎ払う、水は流れ、花は落ちた。
花瓶の破片を指で掴み、手の甲に当てる。
「こぁちゃん!」
引いてやれば、ちゃんと血も出た。
「何をしてるんですか! や、やめてください!」
エイリンちゃんの悲鳴に、おいどんが飛んできた。
破片が叩き落される、右手をがしっと掴まれる。
痛かった。
これで分かった、この世界は一夜城じゃない。根幹から丁寧に作られていて、私の突発的な行動に、物も人も対応出来ている。
「ち、血が……これで!」
ぺりりと音がして、小さな絆創膏が私の甲に張られた。
エイリンちゃんは優しい、この優しさも設定なんだろうか? 話してくれた過去も。
いや……何を揺れている。
それで、裏切られるとしても。
仲間を、信じられないよりマシだ。
「……それが、私のポリシーだっけ」
「?」
「いいの、ごめん、私って未熟者だから、たまに暴走しちゃうんだよね。ほんとゴメン」
二人が心配そうに私を見ていた。
事情を知らない二人には、突然錯乱した私が相当に電波な行動取ったと見えていることだろう。
事情を説明したら、いよいよテンパったと思われるだろうか。
「ご、ごめん、本当に大丈夫だから」
おいどんの手が私から離れる。
「何を悩んでいるのか知らんが、もっと仲間を頼って欲しいでごわす」と言って、その言葉の後にすぐ「あ、あの私も」と隣で手が上がった。
私は笑った、これが嘘の笑みでもこの人達の言葉は嘘じゃない。
もう、手の平の上だっていいじゃないか、こんな懸命に生きてる人を悲しい存在にするな。
小悪魔。RPGなんかにさせるなよ、頑張れ、これは私達が生きる物語だ。
「脱線しちゃったね。うん、輝夜さんに会いに行こう、まず一つ決着を。それから上へ!」
「はい!」
「ごわす!」
「ごわすって、そんな返事が通りますか……! せっかく締まってたのに」
「ごわす?」
「疑問文にも使えないっての!」
突っ込みも馬鹿馬鹿しい、今度は本当に笑えた。
私は、隣で笑いを我慢しているエイリンちゃんの脇腹をくすぐって、笑顔の道連れにしてやった。
エイリンちゃんは身をよじって逃げたが、顔は嫌がってはいなかった。
「ほら、笑ってる方が楽しいよ」
私がそう言うと、おいどんまで笑い出した。
あんまりでかい声だったので、こーら、敵に見付かるでしょうが、と弁慶の泣き所を軽く蹴ってやった。
―――――
耳がピンと上に伸びている。
スカートはいつもより少し短くて、カンの強そうな瞳がこちらを睨んでいた。
もちろん、ウドンゲさんである。
「戻ってきたんだ、あーあ」
柱にもたれかかって、ロングストレートの髪を弄りながら、ウドンゲさんは何でもないように呟いた。
ウドンゲさんに隠れるようにして、てゐさんのピンク色のワンピースがちらちら見える。
「死んでるのかと思ってたよ、音沙汰ないしさ」
てゐさんを見た時から心配していたが、こっちのウドンゲさんは相当に勝気な性格らしい。
いつもの「です、ます」口調から脱退した彼女は、強烈なカリスマ性を手に入れていた。
カリスマの半分くらいが、ブレザーと丸見えの太ももだったりしますけど、あ、失礼、久しぶりに失礼。
「ようやく回り始めたのに、またあんたが永遠亭を引っ掻き回すの?」
「あ、あの、ウドンゲ」
「気安く呼ぶな!」
その声に、エイリンちゃんより、傍に居たてゐさんの方が震えた。
エイリンちゃんは衝突が分かっていたのか、ある程度から冷静な顔を崩さない。
「腹立つ……! わざわざ死にに来るなんて……!」
何を思ったのか、それだけ言うとウドンゲさんは踵を返して歩き出した。
しばらく見守っていたら、振り返り、親指を立てた指を私達に伸ばして、それから自分の胸に向けた。
また歩き出す。
来い、という意味か。
カッコイイゼ、ウドンゲさん。
てゐさんは、相変わらず耳を下げ困った顔をしていたが、ウドンゲさんを追いかけ始めると、期待を裏切らず転んでみせた。
「行く?」
二人とも頷いて、暗やみの向こうを見据える。
待ったなしの、臨戦態勢である。
私は先頭に立ち、おそらく三人の敵が待つだろう暗闇に向けて歩き出した。
ボス前にセーブポイントが欲しいなーと、弱気なことを考えたのはナイショである。
3分ほど歩いたら、目の前に大きな扉があった。
他の襖と違い、木製になっていて重い。
「輝夜さんの部屋?」
エイリンちゃんは、ふるふると首を振る。
「訓練場です、ここ」
説明を聞くと、道場みたいなものらしい。
主に新米さんに、戦闘訓練をつませる為のものだ。
「わざわざ、ここを選ぶってことは……」
「戦う気満々でごわすな」
進み出たエイリンちゃんが、爪先立ちになって扉の取っ手に手をかけた。
私が手助けしようとすると、自分に開けさせてくれと、首を振って断った。
「開けます!」
重く軋む音がした。
暗い廊下に光が溢れてくる。
中は廊下よりずっと広く、明るかった。
入ってきて右手側の壁には幾つか大きな窓が開いている。
すーっと奥まで視線をもっていけば、輝夜さんの豊かな黒髪が、檜の床に扇状に広がっていた。
ウドンゲさんとてゐさんがその両脇に片膝を付いて、頭を下げている。
あれだけ気性の荒かったウドンゲさんが、ぴくりとも動かない。
まさに頭が上がらないといった感じだ。
「エイリン、久しぶりね」
立ち上がると、扇状に広がっていた髪が集まり、黒い傘がすぼまるように一つに纏まった。
それから振り返り、私達へと向けた視線は冷たいものだった。
無感動、無表情、再開の場に似つかわしくない空気が流れる。
「ご無沙汰しております、かぐや様」
「それが正しいのだから、問題ないわ。あら、少し背が伸びた?」
挨拶が交わされる横で、私は、輝夜さんの圧倒的な強さを感じ取り、震えていた。
なんてこと……。
引き摺る程に長く赤いロングスカートは、上着との境界線でしっかりとくびれを作っていた。
袖口を和服のように広げたピンクのブラウスはゆったりとしていても、ふくよかな胸部を抑え切れずホワイトリボンが弾んでいる。
エイリンちゃんのカリスマとスタイルが、そのまま輝夜さんに移ってるのだから、この輝夜さんは絶対無敵に強いはずだ!(こぁ理論)
「あの泣き虫が、立派なパーティに入れてもらったこと……」
「はい、感謝してます」
「ウドンゲ、てうぃ、立ちなさい」
輝夜さんの意思で人形を操っているみたいに、全く同じ動作で二人が立ち上がり、輝夜さんの傍に付く。
「エイリン、どうしたいの?」
「塔の上に、悪い奴がいます。勇者様の大儀のため、ここを通りたいと思っています」
「それで、戦闘になったとしても?」
「戦闘になったとしても……」
「後悔しないわね?」
「はい」
「ふむ、いいでしょう」
五つの神宝が輝夜さんに集まってくる。
私にも、偽物とは思えない程の魔力を感じることが出来た。
ひょっとすると、こっちの神宝は全て本物なのだろうか……それは、勘弁して欲しい展開だが……。
「丁度三人ずつね。フェアな戦いが出来そうじゃないの」
「お言葉ですが、雑兵相手にかぐや様御自らというわけには……」
「黙りなさい」
「はっ……」
「来なさいエイリン、私が相手をしてあげましょう」
輝夜さんがエイリンちゃんを招く。
エイリンちゃんは素直に頷いて、前に進み出た。
うわわ、幾らなんでもラスボスを君一人に任せるわけには――。
「それでは、私がこいつを」
カバーに入ろうとした私の目の前に、真っ赤な瞳が飛び込んでくる。
「う、うわっ、ウドンゲさん、いきなり邪魔だって!」
「邪魔なら力尽くでどうぞ……!」
「おいどん! エイリンちゃんのフォローに回ってあげて!」
「させない! てうぃ! そいつの相手をしてなさい!」
言われたてゐさんは最悪である。
なにしろ、指差されたのはあの巨漢。どう見ても一番弱そうな奴が一番強そうな奴に回ってしまった。
「お、おかしくないですか!? この配置はおかしくないですかー!?」
涙ながらの必死の叫びも空しい。
さらば、てゐさん、それが君の不幸だ、おいどんの手の中で安らかに眠れ。
「さあ、やるでごわす」
「何を殺る気じゃーーー!? い、いやぁーーーー!!」
てゐさんは身長ぐらいありそうな杵を振り回して、おいどんを近づけさせまいとしていた。
悪いけど、早いところ、てゐさんには倒れて欲しい。
おいどんはエイリンちゃんの救援に、一刻も早く向わないといけない。
「……」
何を警戒しているのか、ウドンゲさんは私を睨んだまま、動こうとしなかった。
正直、私はウドンゲさん相手に勝てる自信は無いので、このまま睨み合いなら望むところだけど。
「ちぃ……仕方ないわね、てうぃ!」
発言と同時にウドンゲさんが動いたが、何故か私にではなくて、てゐさんの方に跳んだ。
てゐさんの頭を両手で掴み、ぐりんと無理やり捻って対面し、顔と顔をキス出来そうな距離まで近づけて、三秒ほどしてから離す。
二人の顔を中心に赤い波動が広がって見えたせいで、何をしていたのか理解ができた。
「ウ、ウドンゲさん、味方を狂気に……!?」
「私の能力を知ってるの? さすがにリーダーを務めるだけはあるわね」
「ウサァーー!!!」
バーサクモードに入ったてゐさんが、杵を片手でおいどんにぶん投げる。
おいどんは咄嗟にガードしたが、弾かれた杵を空中でキャッチしたてゐさんが獣の唸り声を上げながら頭部を強襲する。
まだまだ、杵の乱舞が続く、武器が素手なおいどんには、不利な状況だ。
骨を打つ鈍い音が耳に痛い。
私はエイリンちゃんはどうしてる? と奥を覗いてみたが、すぐに後悔した。
彼女は壁に叩き付けられて、胃液を吐いていた。
それで立たなきゃいいのに、また立つから、今度は火鼠の皮衣に焼かれ火傷を負って崩れる。
戦いというより虐待が続いていた。
「あ、あんまりじゃないの……!」
「おっと、私を目の前にしていい度胸じゃない」
「ウドンゲさん見損なったよ! あれが戦いなもんか! すぐに止めさせて!」
「博愛主義者の悪魔なんて始めて見たわ。そんなに余裕があるなら、すぐに私を倒して助けに行けば?」
焦りの中で、発言に奇妙な点があるのに気が付いた。
私、余裕があるように見えるだろうか?
向こうの方がずっとそう……あ、ひょっとして、勇者の肩書きが効いてるのか……?
「い、いいでしょう! あなたを倒してあげます!」
指を向ける。
ウドンゲさん、半歩、後ろに構えた。
間違いない、はったりだが効いているらしい。
勇者凄いっす!
「くっ、早いところその魔導書を開いたらどうなの!?」
え? あ、魔導書ですか。
ああ、そうか、勇者よりこっちを警戒してたのか。
そりゃ、これが鈍器だとは思わないよなー。
「むべなるかな……。けれど、私が魔導書を開けば、あなたを壊してしまう……」
「な、なんだと!?」
「その覚悟があなたにあるというのならば見せてあげましょう! 私のエターナルフォースブリザードを!」
魔道書を空中に放り投げる、相手はびびっている。
私はその隙に腰を落として回転の準備をした……何をって、もちろん、小悪魔クレイドルだー!!
「こぁー!!」
まさか飛んでくるとは思っていなかったウドンゲさんは無防備だ。
鳩尾にジャストフィットした私の頭が、ウドンゲさんを津波に飲まれたように壁際まで押し流す。
どーんと大きな音がして、壁の板が何枚か外れたり壊れたりした。
「魔法ッ……と見せかけて頭突き! 見たか、勇者の力!」
動かないウドンゲさんを前に、壁から漏れる祝福の光を受けた私が悠々と立ち上がる。
完璧、これぞパーフェクト、最高の打撃が腹に入ってくれました。
パチュリー様だってスタンディングで誉めてくれそうな、十年に一度の小悪魔クレイドルでしたよ。
確認の為に、光の筋に舞う埃の中で私は親指を立てて勝利宣言。
ウドンゲさんは完全にノックアウトされているのか、だらりと頭を落としたまま反応無し。
終わってみれば私の圧勝! よし、次はエイリンちゃんを助けに――
「なるほど、さすが勇者だ、体術も出来るのか……」
散らばった木の板が弾ける。
首をギギギと後ろに向ければ、ウドンゲさんがゆらりと立ち上がっていた。
右肩に刺さった木の破片を鬱陶しそうに抜いて、そのまま拳で握り潰す。
き、効いて……ない……です?
「い、痛くないですか? かなりダイレクトに腹に入ったのですが……」
「痛いわね」
「で、でしたら、もう、やめません?」
「あなたの人生を?」
……無茶苦茶怒っておられます?
「MP温存かしら? 私のような雑兵には勇者様は魔法を使う気も起きないって?」
ご、誤解です、この本は開かないし、開いても何も出来ません私。
私は近くの壁にかけてあった、高そうな掛け軸まで高速で張って逃げて、それを盾にしました。
「こ、こ、この掛け軸の盾が、ウドンゲさんの攻撃を防ぐぞ!」
「それ、安物だから意味ないよ」
「ひぇぇ!」
「……どれだけ自信があるのか知らないけど、これを見ても、まだふざけていられるかしら?」
ブレザーのポケットから取り出したスペルカードは……真実の月、インビジブルフルムーンだ。
カードは赤い満月の絵柄なので判別つきやすい、こんな土壇場でこのカードを出すとは、ウドンゲさんも運の悪い人です。
確かに初見での回避は大変難しいスペルです、けどね、私は既に書物の中で攻略済みなのですよ!
「散符 真実の月!」
宣言後、ウドンゲさんから、さっと円状に弾が広がった。
白い波にも見える密度の濃い弾幕が、ゆっくりと私に迫ってくる。
まだだ、もっとギリギリまで引きつけてから!
――パシュ
弾が歪む、来た来た、このときに物理判定が消えると解ってれば楽勝だ……!
一気に接近して、小悪魔クレイドルをもう一度ぶち込んであげる!
「……紙一枚ずれただけで世界は消える……」
波長が戻る間際に、格好つけた台詞が聞こえた。
ふふっ、私には避けられないと思っているのでしょうね。
だけど、ほら、ぼやけた弾が私の身体に幾ら重なってもダメージを感じない。
同じだよ、ウドンゲさん!
弾幕の嵐を一直線に進んでいって……さぁ、目指すは台風の目!
「真実の月は、どこにある?」
はれ?
「既にずれてるのよ。あなたは」
何も無い。
弾の中身には誰もいない。
何もない空間に間抜けに突撃した私に、上から何かが降ってきた。
「あっ」
弾だ、本物の散弾だ。
雨のように鋭く、槍のように重い。
やばいと本能的に察知した私は、手足を引っ込めて亀の姿勢で攻撃に耐える。
背中が熱い、えぐられているような痛み、弾が止まらない、臓腑が焼けた、溢れた血が顔の前まで流れてきた。
何、これ、あっという間に死んじゃうの?
どうして……。
「どうしてかしら?」
気が付くと嵐は収まっていて、目の前に誰かの脛が見えた。
痛みは依然続いている。
「これが幻視の力、さっきのが幻覚でよかったわね」
幻覚? 幻覚なのこの痛みが?
血が見えてない、本当にそうらしい、でも痛みで動けない。
良かったわねー、良かったー、あはは、あははと二人で笑いあう。
「じゃあ、今から死んでくれる?」
は? と驚いた間抜け面に爪先が飛んできた。
痛みは歯茎に食い込んだ、えらいリアルな痛みが幻覚を消してくれた。
だけど動けない。
蹴りが今度は脇腹に飛んでくる。
あうぅ、と小さく呻いた、呻いた時、口の中が張れてたら上手く発音できないのだと知った。
サンドバックのままで攻撃が続いたが、案外頭の中は冷静で、だから暴力って嫌なんだ、って考え続けていた。
打撃の音が五月蝿い、頭を抱えるのを止めて耳を塞いだ。
最後は壁に叩き付けれた。
それは、彼女のチャージアタックの爆風だったんだと思う。
目を開けていられなかったから、音と暗闇に入る光で判断したのだけど、あってるかな……。
「……止まっ……た……?」
ほんの少し不安だったけど、もちろん私は生きていた。
身体中が痛かったが、痛みを我慢すれば動くことは出来そうだ。
骨が折れてなくて助かる。こんなに耐久力があるのは、私達が有するへたれ属性のおかげだろう。
そう思うと少し可笑しかった。
だって、何も変わらない、ウドンゲさんだって凶暴になってもへたれのまま。
私に止めがさせなかった彼女は、優しさに満ちている。
「どう? 少しは見直した?」
距離をとったまま、ウドンゲさんがにたりと笑う。
「私達は……」
「は?」
「へたれのままの方が似合うと思いません?」
口の中の血を吐き捨てて立ち上がる。
踏ん張ってみると、思ったより力が残っていた。
勇者としてレベルが上がってるおかげなのか、単なる小悪魔ド根性なのか。
「まだ立てるの?」
「あんな小さい子が戦ってるのに、私が寝てられますかって」
「馬鹿言わないで、あの人ならとっくに負けて――」
ウドンゲさんが視線を逸らす。
攻撃のチャンスだったが、私も同じ方向を見た。
「な、なんで……?」
何度吹き飛ばされても、エイリンちゃんは諦めてなかった。
私は知ってるから解る。
攻撃を食らうたびに、毒の弾を撃つたびに、彼女の中で天賦の才が目覚めていっている。
一歩でも輝夜さんの下へ近付く、それだけを目標に走っているんだ。
「こんなことが……!」
「見てよ、永遠亭のNo2は、芯から強くなった」
「No2だって!? 今は、今は私がッ!」
息巻くウドンゲさんの背後を見て思った。
みんなが望んでることなんだって。
恐る恐るといった感じで、永遠亭の兎達が扉を潜って入ってきていた。
誰も手を出さず、黙ってこの戦いを見学している。
ウドンゲさんだって手が出せなかった。
てゐさんも。
そうか、誰もがエイリンちゃんと戦いたくなかったから、輝夜さんが敢えて苦しい役目を選んだんだ。
席を作ってやる役目を引き受けたんだ。
「あ、おいどんの奴、解ってやがったな……」
「?」
「こっちの話です。さて、こんな痛いことは早いうちに終わらせましょうよ」
「ようやく魔導書を開く気になった?」
「うんにゃ、その必要は無いです。もうウドンゲさんのは覚えたから戦うだけ無駄なの」
ウドンゲさんの眉がつり上がる。
ご心配なく。へたれにはへたれなりの戦い方がありますから。
「ウドンゲさんは――」
指を突きつける。
空気を肺に溜める。
「――白と水色の横縞ァ!!」
辺りに稲妻が走った……ような気分になった。
ウドンゲさんは呆然として両手を下げ、五秒経ってから、はぁ? と尋ねてきた。
「そんな短いスカート履いて蹴りなんかするから、大事なとこが丸見えだったという経緯が――あ、これ説明しないと駄目かな?」
「……い、いや、あなたが覚えたのって私の技じゃないの?」
「うん」
「……そ、そんなので私の動きが止まると思ってるの!?」
「ふふん、果たしてその意気や何秒もつかな?」
「はったりは止せ!」
「カモーン! おいどーん! そして良く聞けー! ウドンゲさんのは――!」
「キャーーーーーーーッッッ!!」
さすがに男性に聞かれるのは恥ずかしかろう。
これは永遠亭には女人しかいないという弱点を突いた一撃なのだ。あ、紅魔館にも女人しかいなかったっけ。
「だーまーれーッ!!」
果たして、ウドンゲさんは狙い通り飛び掛ってきた。
それは、私の知る「へたれだけど、感情豊かなウドンゲさん」だった。
これで私も安心して撃ち込めるってもんです。
終わりはスマートになりそうもないが、へたれ同盟同士、こんなもんかもしれない。
落ちていたグリモワールを拾い直して、ウドンゲさんを待った。
赤い目が見開かれる、そんなもので私を防ぐのかと、嘲笑の思いがウドンゲさんの唇を曲げた。
でも、ウドンゲさんは知らないだろう、この軽そうな本の名前を。
魔導書とずっと思っていたのだから。
知らないだろう。
「本ごと潰してやるーッ!」
こいつは鋼鉄のグリモワール。
どんなに軽くても、神が名前を与えてた時点でこいつは揺ぎ無い鋼鉄なのだ!
「うわぁぁぁぁ!!」
指から放たれる、至高の弾丸。
加速は最高だ、加速に乗った弾丸も最高だった。
だけど、両手で突き出したグリモワールは、鉛の弾を粘土のように平たく潰した。
その衝撃で、私は後ろに吹き飛ぶ。
少し楽しみだった、ウドンゲさんがどんな顔をしてるか、そして顔を上げ、想像通りの顔だったから笑った。
まだ、諦めていない。
弾丸を握り、拳を丸め、渾身の一撃を乗せたパンチが私に迫っている。
「小悪魔式ぃ……」
ごめんね、グリモワール。
「大玉カウンタァー!!」
振りかぶって第一球、勝負ボールはグリモワール。
回転して迫るグリモワールを、ウドンゲさんは意地で砕こうとしたが、やはり無理だった。
鉄拳は火花散らす鋼鉄に跳ね返され、その後に本の角が綺麗に顎に入った。
脳震盪、不時着、床に崩れ落ちたところに私が近付いて、首筋に斜め四十五度のチョップをかます。
それで終わり。
別に気絶するほどの威力じゃない。
だけど、勝ち負けを意識させるほどには、効果があった。
「……何がしたいのあんた……?」
「ウドンゲさんには、まだ役目があるんですよ」
肩を貸してあげる。
地面から立ち上がらせるのも抵抗は無かった。
右手から上がる野太い叫び声に振り向くと、丁度、おいどんの方も勝負がついたようだった。
吸い込むような背負い投げで一本、とても魔法使いの戦い方じゃない。
「いやー、杵のリーチが長くて、なかなか投げの間合いに入られなかったでごわす」
「戦闘中にそんなこと考えてる魔法使いはいねぇ……」
「照れるでごわすな」
突込みを諦めて、てゐさんの安否を確認する。
投げって案外内部破壊が酷いらしいが、顔色は良いし、大丈夫だろう、たぶん。
あとは、一人だけ……。
私が声をかけるまでもない、みんな見てた。
エイリンちゃんと輝夜さんの戦いを。
食い入るように見てた。
「がんばれ、エイリンちゃん!」
答えず、振り向かず、エイリンちゃんは弾幕に走った。
花火のように鮮やかな五色の弾丸を越えて、空いたスペースに上手く潜り込んだ。
しかし、足が止まった所で一気に押し流されて、元の壁に叩きつけられる。
服はボロボロで、帽子はもうなかった。
悲鳴と、泣き声と、溜め息が後ろから同時に聞こえた。
ウドンゲさんが、助けに行かない私を見て眉を顰めた。
五つの神宝を一つのローテーションにして、輝夜さんは途切れることなく攻撃を繰り返していた。
このローテーションを崩せば、次の神宝へのチャージが間に合わなくなって、輝夜さんのリズムは大幅に崩れる。
それは、おそらくエイリンちゃんにも解っている。
だから、私の助言は一つしかない。
表の世界と裏の世界がずれているのを、私だけが知っているなら。
輝夜さんの前に並ぶ神宝がふわりと周り、蓬莱の枝が手元に来た。
枝を持ち、玉の輝きをエイリンちゃんに向けて、最後の攻撃を輝夜さんが宣言した。
蓬莱の玉の――その宣言を打ち消すように、私は決めていた言葉を、肺いっぱいの空気に乗せてエイリンちゃんにぶつけた。
「そいつは偽物の神宝だ! 押せーっ!!」
汗か涙か解らぬものを一滴床に落とすと、エイリンちゃんは前のめりの姿勢で床を蹴った。
縦に並ぶ弾の、美しい七色の流れの中へ飛び込んで横に抜ける。
両脇から来る弾の塊を時間差で避けたその一瞬、束の間の安全地帯に立ったエイリンちゃんは、毒の矢を番え弓を引き絞った。
慟哭も歓声も起きない、ほんのニ秒の出来事。
毒の矢は真っ直ぐに輝夜様の胸を目掛けて飛んでいった。
本来ならば余裕で止めれている攻撃だろう。
しかし、止められない、何故ならスペルを変えざるを得ない。
唯一その神宝は、チャージ時間を稼ぐためのフェイクだったのだから。
毒矢が胸に刺さる。
散らばっていた弾がカラフルなシャボン玉になったみたいに一斉に弾けて消えた。
輝夜さんが、目を細めて笑い――ウドンゲさんが走るのを合図にして、床に倒れた。
「かぐやさまっ! かぐやさま!」
毒の矢は深くはなかった。
それでも動かないことは、毒性の強さを、身をもって示したことになる。
ウドンゲさんの泣き声が部屋に響いて、これは不老不死ではないらしい、と私に感じさせてくれた。
エイリンちゃんを責める者はいなかった。
朽ちた人形のように転がる少女を責めるのは一層辛くなるだけだった。
おいどんまで泣き出した。
結末で誰も傷つかないというわけにはいかなかったが、まあ上出来な部類ではないか、と私は思うのだけど。
「たぶん、毒矢じゃないですよ」
動けないエイリンちゃんの代わりに、私が声をかける。
ウドンゲさんの顔が、釣り上げられたみたいに上を向いた。
「毒の弾を撃っていたのは、毒を毒で制していた時だけ。人を傷つける毒は嫌いです、だったよね?」
仰向けに倒れたまま、少しだけエイリンちゃんが右手を伸ばした。
ウドンゲさんは目をぱちくりさせて、それから輝夜さんへの呼びかけを強くした。
兎達がみんなして駆けて寄ってくる。
周囲を囲む喧しい声に、輝夜さんは目を開き、それから顔を歪ませて、こう言った。
「馬鹿ね、早く手当てをなさい――私じゃないわよ?」
―――――
怪我の手当てが続く。
輝夜さんは一旦着物を脱ぎ、肩から胸にかけての包帯を自分で巻いて、元通りきちっと服を着こなしていた。
素晴らしいとしか言いようがない。
ああ、もちろん、その間はおいどんを隔離しました。私が。
「かぐや様、今はまだお休みになられていた方が……」
「心配ない」
「はっ」
背筋を伸ばして立ちあがった輝夜さんは、ウドンゲさんにはっきりと言い切った。
それだけで、不安や気遣いの表情で溢れてた部屋が一変する。
此処での彼女の強さと、信頼の高さを如実に表していた。
「エイリン」
輝夜さんがエイリンちゃんの下へ赴き、静かに膝を畳んで腰を降ろした。
「痛い?」
「……ですね」
多数の兎から現在も手当てを受けているエイリンちゃんは、頭を持上げて輝夜さんに笑って見せた。
目の淵が切れているのか、左の瞼が晴れ上がっていた。
この顔で笑われても、対処に困るだろうなと思う。
顔だけじゃなくて、全身が包帯と赤チンで埋まっていた。
「これはもう、戦うのは無理でしょう」
「……え?」
顔色が悪くなる。
輝夜さんの言わんとすることは伝わった。
縋るような目つきでエイリンちゃんは私を探した。
私は少しはなれて立っていた。
隣でおいどんも渋い顔を見せた。
エイリンちゃんの怪我は酷く、これからも一緒に戦っていくのは無理そうだった。
さすがに、ここに置いてもらうしかないと思う。
悲しむだろうか、恨むだろうか……途中で投げ出せというのは辛かった。
「最善の道を取りなさい。それが逃げだというのなら、全ての戦いは蛮勇であり無謀だわ」
輝夜さんに任せた方がいいのだろうか。
何を言っても傷つけそうだと思うと、湿った舌打ちばかりになってしまう。
「そちらの勇者さん」
「は、はい!?」
「貴女達の勝ちです。二階への階段を解放させます、てうぃ、後でこの方達の案内をなさい」
「ラジャー!」
「しかし、エイリンです。これは罪人です、私共に引き取らせてもらって宜しいですか?」
引き取ってもらうつもりだったが、罪人って言葉のきつさに言葉をなくした。
まだ感情を抑えて、家の顔として一つずつ遺恨を処理していく気なのか。
うんざりする。
そうして、権威や形式にこだわるから、こんな戦いをしなければいけなかったというのに。
「あのね、輝夜さん。私達は――」
「ならば、仲間として連れて行くと言いますか?」
「……かぐや様。私はここで罰を受けます。だから、どうか勇者様を二階に通してあげてください」
「エイリンちゃん、そういう問題じゃなくてね!」
「すみません、こぁちゃん、マリサさん、駄目なんです私。どう考えても足手纏いみたいなんです……どうか、その私の分まで」
「そんな話はしてない!」
我慢出来ない!
ここまでお膳立てしといて、まだ罪だの罰だの、ちまちま潰していかないと言えないのか!
抱き締めて、おかえりって言ってやって、それで誰が文句つけるってんだ!
「茶番も引き伸ばしすぎると、興を殺すでごわすな」
口を開き、怒鳴りかけた私に冷水をかけるような、低く重い声が部屋に響いた。
驚いて、後ろを向く。
「そこの姫君は聡明らしいが、いちいち完璧すぎてつまらん。エイリンどんの実力は皆が知った。ここで迎えて異論が出るとはおいどんは思えん」
沈黙、ざわめき、それから姫を馬鹿にされたと思ったか、何人かが武器を取った。
「よしなさい」
一言で静まる。
「困ったわ、あと少しの詰めを辛抱していただけたら、委細片付いていたというのに……」
「少しの詰めが失敗して、大事になったことがあるでごわしょう」
「エイリンがいらぬ話をしましたか?」
「いやぁ、単なる昔話でごわすな」
おいどんの言葉は良く解らないほど回りくどかったが、私と根幹は同じところにありそうだった。
私も言ってやりたいことがいっぱいあったけど、おいどんが押している状況は確かで、激情なんて火に油みたいなものかと黙っておくことにした。
「まあ、ちょっとね……感情にかけてみるのも、面白いかもしれません」
細い顎に手を当てて、輝夜さんは考える。
沈黙が続くと、蒸し暑くなってきた。
「……」
「あ、あのぉ、かぐや様?」
「ウドンゲ、てうぃ、上手いこと合わせなさいよ?」
「はい?」
呼吸を溜める。
「ウドンゲ!」
「はっ!」
「我らに必要なものは何ぞ?」
突然の問いにウドンゲさんは目を白黒させたが、輝夜さんの笑みに何かを思いついたのか、まるで決められていたような言葉を返した。
「え、ええと、力です! それは拳であり、兵であり、友であります!」
「良い……! てゐ!」
「はっ!」
「我らが失ったものは何ぞ?」
「光です! それは故郷であり、笑顔であり、家族であります!」
「実に良い……! 皆!」
「「「はっ!」」」
「我らが欲する力の名は?」
「「「エイリン様っ!」」」
「我らが欲する光の名は!?」
「「「エイリンさまーーっ!」」」
最後は殆ど絶叫だった。
卒業式で決まったフレーズを復唱する時くらい全員の声が合ってた。
ぽかんと口を開ける私達三人を置いて、輝夜さんはにんまりと口の端を上げる。
「エイリン、貴女がこれだけ慕われていては、私も文句がつけようがないわ」
「あ、あの?」
「無期限追放とは、期限の定まらぬ追放。別に終身刑ではないのよ」
「は、はあ……」
「つまり、私の判断で今日解いても構わないってこと」
寝転んだまま首だけ傾けて話を聞いていたエイリンちゃんが、意味を知って上半身を跳ね起こす。
「い、いけません、それでは他の者に示しが……!」
「皆の者、何か異議はありますか?」
「「「異議なーし!」」」
輝夜さんは好きなだけ笑って、それから私達に三つ指突いて頭を下げた。
「お願いします。どうかエイリンを私達に返してください……」
エイリンちゃんは、頭を下げる輝夜さんをぼーっと見ていた。
どういう展開だか、どういう筋書きだったか、この子は何もわかっていなかったのだろう。
他人は凄い気にかけるのに、自分の事になったらやたらと鈍い。
また、誰かと重なってしまった。
私とおいどんは首を縦に振って、輝夜さんに答えた。
「師匠! おかえりっ!」
ウドンゲさんが、エイリンちゃんの首に飛びついた。
てゐさんが、輝夜さんが、白い兎が、黄色い兎が、喜んで飛びついて頬ずりする。
やめときなよ、怪我人だよ? ――ほら、エイリンちゃんが泣き始めた。
―――――
案内してくれたてゐさんが、北の廊下の角で仏の御鉢の石をちーんと金棒で鳴らすと、魔法のように階段は現れた。
てゐさんはお礼とお辞儀をし、少し賑やかになった家族の下へ、嬉しそうに跳ねて消えていく。
私は彼女が見えなくなるまでに、エイリンちゃんを宜しく、という台詞を二回吐いた。
おいどんは三回吐いた。
土壇場で、涙もろい。
「なんか、朝からの付き合いに思えないよね〜」
階段を登る、ずいぶんとむさいパーティーになったなぁ、と諦め交じりの溜め息を吐く。
背後から「で、ごわすか」という訳の分からない返事が返ってきた。
「エイリンちゃん、最後まで勇者の仲間だと言い張ってたね」
「どこにいても仲間でごわしょう、距離が離れたから疎遠になっても友達じゃなくなることはないでごわす」
「だといいなー」
それは強い人の台詞だなと思う。
故郷のみんなはどうだろうか、パチュリー様はどうだろうか、遠くにいても変わらぬ関係を保っていてくれるだろうか。
私は弱い人だから、心配で胃が痛い。
「そういえば、お腹空いたよね」
二階に続く階段の踊り場についた。
壁に小さな丸い窓があり、そこから草原の地平線が見えた。
世界に太陽が下ろす影は、ずいぶん短くなっていて、私が持つ真っ黒なグリモワールも、父さんの靴みたいにピカピカに光っていた。
「おや?」
なんだろう?
小さな罅割れを発見して指で擦ってみると、チョコのようにぺろりと剥がれ落ちて、揺れながら床に落ちていった。
ウドンゲさんとの戦闘で、酷使しすぎたのだろうか?
黒いコーティングの下は白色で、触ってみるとざらついた感触があった。
「実はコロッケがあるでごわす」
「あるわけないでしょ……って何処から出した今ぁ!?」
「どこって、このコロッケならミスチーどんが持たせてくれたでごわすが?」
「もっと近い過去を言ってるんだけど!?」
今、スカートの下から出てきたような……。
いや、気のせいかもしれない。出来れば知りたくないし、新聞紙に包まれたコロッケは美味しそうで、これに逆らうのは辛い。
というわけで不問にしましょう。
種の無い手品も存在する。
「うー、お茶がないと芋はぺたぺたして辛いんだよー」
「贅沢言うなでごわす」
「むぅ……はふっ……んー、ちょっと冷めてるけどあまーい。一人二個? 五個あるけど」
「一つは残しておくでごわす。コロッケは三階のボスの弱点だとミスチーどんが言っていたでごわす」
「コロッケが!?」
「ごわす」
どんなボスなんだ三階の奴は。
包装紙にも三階のボス専用ってマジックで書かれてるぞ、コロッケが弱点ってRPG史上初じゃないのか。
でも、気にしないことにした、楽が出来るなら歓迎だし。
しばらく、そのままコロッケを食べる。
水が欲しくなってきたあたりで、口を開いた。
「あのさ、一つ訊いてもいいかな?」
「食事中でごわす」
「毒って流すべきだった? 流すべきじゃなかった?」
「……食事中でごわす」
「あの時、毒を流せなかったから今があるんだよね。毒を流せばエイリンちゃんの実力が示せて地位も上がり、そうすれば輝夜さんの不安や不満も解消できて、ついでに故郷も仲間も失わずに済んだよね?」
「そう思うでごわすか?」
「だって、その為にエイリンちゃんの毒をわざわざ選んだんでしょう? それが輝夜さんの策でしょう?」
「……だったら、流さなくて正解でごわすな」
「おお?」
「流してたら、全部が上手くいってたら、出会えなかった縁でごわした」
おいどんは食べ終わったコロッケの包装紙を丸めていた。
私はそうだねと軽く頷いておいた。
「それでも分かんないなー?」
「質問は一つじゃなかったのでごわすか……」
「自分の従者が軽く見られてるってことが、主にはそんなに気に病むことなの?」
「そりゃ不満でごわしょう。従者に限らず、自分の大切な人が不当に軽く見られてたら誰だってやきもきするでごわす」
「だって、本人はそれで幸せなんだよ?」
「その笑顔が不憫に思えて仕方ない時が、かぐやどんには何度もあったことでごわしょう」
「余計なお世話だよ」
この辺でヤバイなと思って口を噤む。
私はコロッケについてる新聞紙を剥ぎ取ると、丸ごと口いっぱいに詰め込んだ。
「……親ってのは、泣いている子を見るより、我慢して笑ってる子を見る方が万倍辛いのでごわす」
唐突な言葉だ――でも、そうかもしれない、そうなのだろう、そんなことが確かにあった。
言語とは未発達だ、心とは未完成だ、ちゃんと伝えたはずの気持ちが、気付かないうちに迷走してることがある。
変な話だよ。
たかが笑顔一つで、齟齬が起きるんだもん。
心の中身を数字や文章に出来たなら、ずっと楽に生きられるのになぁ。
そしたら、エイリンちゃんだって、輝夜さんだって、一切戦わずにハッピーエンドを迎えてただろう。
おいどんが、窓から丸めた新聞紙をポイ捨てしようとしていた。
私が叱ろうとして立ち上がったら、コロッケが咽た。
ハムスターの頬みたいになってる私をおいどんが笑い、私は涙を浮かべながらおいどんから新聞紙を奪い取った。
丸めて小さくなった新聞紙を、四つともポケットに突っ込む。
ポケットに油が付いたら洗濯が大変だーと、しみったれた考えがまず浮かんだ。
こんなもんだ。
勇者なんて肩書きがあっても。
階段を登っていく。
二階に着く頃には、おいどんが先頭を変わってくれた。
私の後ろには、もう誰もいない。
黒いグリモワールの罅割れを指でなぞり、私は、パチュリー様の好きなモノを思い出そうとしていた。
■作者からのメッセージ
ここまで読んで頂き、まことに有難うございました。
長いですが(2)に続きます。
SS
2
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2006年10月15日 はむすた