伝説の女2
補強という名の心の贅肉 遠坂編






   学校がいつにも増して騒がしい原因は、あの穂群高校のアイドルともいえる遠坂凛にあった。
 いつだって話題の中心でありながら、決して騒ぎの中心にいないその華麗な佇まい。眉目秀麗、文武両道、どこから見ても付け入る隙のない優等生である。
 その彼女の姿が、世に忍ぶ仮の姿と知ったときは衝撃を受けた。
 しかし、遠坂凛はやっぱり遠坂凛で、ここぞというときにドジをかまし、最後の最後で非情になりきれない、口は悪いが心は錦な感じのイイヤツだったのだ。それに照れたときの強がった顔がやたらと可愛い。
 ……む。なんかノロケになってしまったので話を戻そう。
 とはいえ、俺は遠坂凛について知らない部分がまだまだある。その証拠として、遠坂が自分が中学校時代に築き上げた野球の伝説を語ったときは、それこそ新鮮な衝撃を受けたもんだ。
 でもまあ、ちょっと脚色しすぎかなあとは思っていたんだが――
「おい! どうした後藤!?」
「いま、後藤は深い無力感に囚われている。誰の声も届きはしないだろうよ」
「なんだって……! 誰があの愉快痛快な野球部のエース、後藤くんをこんな目に合わせたっていうんだ!?」
「遠坂だよ」
「遠坂って……あの遠坂凛か!?」
「その通りだ。だからといって精を吸収したのではないぞ。アレは純然たる力と力のぶつかりあい。負けた方を愚かと詰るのは早計だろうよ」
「な……。柴田、まさか後藤は……」
「……打たれたよ。もはや敵なしと恐れられ、冬木の封印指定を受けるとも噂されていた黄金の左。春の選抜予選もアレなしでは一回戦さえ危うかっただろう――火曜日限定魔球『暴れんボール』を」
「くっ……! 心配するな、後藤! おまえの志は俺が継いでやる!」
「埼玉――おまえバレー部だろう」
 ――あながち、ウソおおげさ紛らわしいとも言えなくなってきた。
「……ふう」
「あ、一成。もう落ち着いたのか?」
「無論だ。私的な理由でおいそれと授業を放棄することはできん」
 と、俺には耳の痛いことを言う。まあ、聖杯戦争のときは本当に仕方なかったんだけど。
 一成は一成で、中学時代に野球をめぐって遠坂となんかやらかしたらしく、野球と遠坂を同時に知覚すると否応なく身体の震えが止まらないのだとか。
 ……いやおまえカウンセリングに通った方がいいって。マジで。
「――遠坂……」
 もうそろそろホームルームが始まるので廊下の様子は見れないが、それまでは遠坂を囲む壁は凄かった。うちの高校は結構野球が強いのだが、その彼らを手玉に取る働きを見せた遠坂凛は、まさに喉から手が出るほど欲しい戦力だろう。
 でもまあ、女子は当然のことながら甲子園にも出れない。せいぜいチームの戦力を底上げするためのコーチングスタッフといったところか。遠坂ほどの選手を相手に日夜特訓すれば、甲子園どころかみんなまとめてドラフト一巡目に指名されてもおかしくないくらいに成長するやも知れぬ。
 ……今のところ、獲得に精を出しているのは野球部新主将の柴田くんだ。春の選抜には惜しくも出場できなかったが、自分が主将になる来期こそはと念願の甲子園初出場を目論んでいる。
 その他にも、遠坂の秘められた運動能力に目をつけて、陸上部やテニス部が声を掛けてきている模様。遠坂は『今から入部しても手遅れですから』と軽くあしらっているが、野球部にだけは条件付きで入部を許可してしまうかも知れない。
 ……そしたら、一体この高校はどうなってしまうのでしょう。
 俺は、ただ温かく事の成り行きを見守っていこうと思います。野球のこと、よくわかんないし。
 ホームルーム開始の鐘と同時に、珍しく藤ねえがやって来る。
「みんなー、おはよー」
 おおよそヤル気というものに欠けている。全身から『鬱』という字が毒々しく立ち昇っているかのような意気消沈っぷり。その原因は昨日に端を発する。
 簡潔に言えば、自分が贔屓にしている球団が負けたから落ち込んでいるだけの話なのだ。教師なら、少なくとも翌日までそのテンションを引っぱらないでいただきたい。
「みんな朝早いよねー、わたしもわりと早起きなんだけどー、春眠暁を覚えるとかなんとかでー、二度寝しちゃったー」
 あははー、と心のない台詞をこぼす。聞いてる方が鬱になる響きだ。
「あれー? みんな元気ないよー」
 それはアンタだ藤ねえ。
 結局、藤ねえ改め鬱ねえは、今日一日をそのテンションで貫き通した。ある意味、よく精神がもったと思う。


 昼食時。
 俺は一応、遠坂が来ていないかそれとなく廊下を窺ってみた。
「――遠坂氏の姿がないぞ!? ここは既にもぬけの空だ!」
 陸上部顧問の水谷先生が、大人気なく2のAをシラミ潰しに詮索していた。
「ぬぅぅぅ!! 次の甲子園は譲れぬ! 譲れぬぞおぉぉぉ!!」
 野球部主将の柴田くんは咆哮を上げていた。
「……て、なんでわたしがこんなことで奔走しなきゃなんないのー!?」
 水泳部副リーダーの岩村さんは根を上げていた。あんまり遠坂獲得大作戦に参加したくはなかったらしい。
 ……てーか、そう80年代のアイドルみたいに追い掛け回されてたら、そりゃあ入部する気も無くすよな。ただ一度、己が持て余していた能力の片鱗を垣間見せたばっかりに、運命の渦に飲まれざるを得なかった。
 さすが遠坂、ここぞというときにヘマをやらかす属性は健在だな。
 一成は勝手に生徒会室に引っ込んでしまった。クラスの連中も、遠坂祭りのせいで半数の姿が見当たらない。今なら教室で弁当を広げても俺の被害は最小限に食い止められるだろうが――
「屋上行こ」
 もしかしたらという期待も込めて、のそのそと屋上に向かった。
 途中、どこか切羽詰った表情で廊下を駆ける女生徒れ違ったが、遠坂の騒ぎでそういう生徒はかなり多かったので、さほど気にも留めなかった。


 案の定、遠坂の姿など何処にもなく、今さら教室や生徒会室に行くのも何なので、ひとり寂しく己のために弁当を食べることにした。
 いつも拠りどころにしている給水塔の影で、遠坂は昼食を済ませたのかなあとか、本気で野球に打ち込んじゃってイギリスに行くとか行かないとかいう話は大丈夫なのかなど、いろんなことが頭をよぎった。
 あいつなら二束のわらじでもなんとかやっていけそうだが、それはそれでややこしい展開になりそうだ。遠坂が本格的に野球の道に進んでしまったら、魔術協会なんかよりよっぽど手の届かない存在になってしまう。
 ……むう、と独りで淋しく唸っていると。

ぽーん。

 目の前のコンクリートに、何か弾力のあるものが落下した。ソレは何度か床を弾んだのち、俺と反対側のフェンスにぶつかって止まった。
 丸くて白くて縫い目のついている球。ゴルフボールより大きく、サッカーボールより小さく、テニスボールと同程度。様々な変化をつけることができ、投げるものの技術によってはツーシームとかフォーシームとかあったりして――
 ……アレはなんだ。
 本来なら、アレはここにあるべきものではないはずだが。

がしゃっ!!

 今度は俺が身を預けているフェンスに、ソレは衝突する。俺の背中に直撃したワケではないが、衝撃が振動として伝わってきたのだから相当のえねるぎーである。
 いやまったく――校舎とはほぼ反対側、ホームベース付近から200m以上は離れている校舎の屋上に、野球の硬式ボールが飛んでくることがあろうとは。イチローが遠投しても、さすがに本塁を刺すのは無理めな距離なんじゃなかろーか。
 いやいや……うちの高校は、まさかバットにコルクを詰めてるんじゃないだろうな? あるいは、俺が無意識のうちに野球部のバットをあらかた強化してたなんてことも――
「……遠坂ぁ」
 真実から目を逸らすのはもうやめよう。やっぱり遠坂を野球の道に誘ってはいけない。断固として阻止すべきである。こんなの、平穏な日常を続ける環境としてはハードルが低めに設定されすぎてる。
 フェンスに身を乗り出して、野球部の練習区画を凝視する。
 ボールを打った約1秒後に、打撃音が鳴り響く。音は光よりも速いという証拠だ。たしか、音の速さは秒速330mくらいだから――
 ……やっぱり計算するのよそう。
 半分までしか箸の進んでいない弁当を手早く包み、校舎の向こうにある全て遠き理想郷へと駆け出した。


〜interlude〜 EX−1


 奇跡は、何気なく日々を生きる者たちの上に、超然と現れる。
 それはまさに偶然という名の運命。幻想という名の奇跡であったろう。
「――ふっ!」
 鋭い一閃。ただ一点を狙いすました一撃は、ボールの球威と、バットの反発力、バッターの意志、その全てによりてボールを反転させた。
 力のベクトルはここに逆転する。自信をもって投げ込まれた白球は、ただ気紛れに対戦を求めてきた一人の少女によって天高く弧を描いた。
「……っ……!」
 悲鳴は短い。けれどもこの瞬間を彼は目に焼き付ける。
 ――否、刻み付けねばならない。未熟であり、少女相手とはいえ自惚れ過信していた己を戒めるための鎖として。
 飛ぶ。
 浮く。
 舞う。
 ――落ちる。
 加速を失い、空気の抵抗に屈したボールは、浅い弧を示しながら地上へと帰還する。
 それでも勢いは殺しきれておらず、触れればガラスなど容易く破壊するであろう。
「――ん?」
 その少女は、周囲がやけに騒いでいるのに気付いて、酷使していた足を止めた。
 そして、その理由を自分なりに見極めようとして――上を見た。
 それはただの偶然だったし、誰が決めた訳でもなかった。
 それでも白球は定められたように少女の見上げた空を切り裂き――

「――みぎゃっ!?」

 おもいっきり、浅黒い少女の顔面に激突した。


〜interlude out〜


 それは、10年前の地獄をも越える死の気配だった。
 ジャージ姿のメンツは、昼食休みでも練習したいという崇高な志を持つ方々だ。たいがい、女子陸上部と野球部が校庭を占領して練習に勤しんでいる。……の、だが。
 野球部の敷地に女子たちが攻め込んでいる。その先頭を切るのは、肌がちょっと黒っぽいのだがあまり遊んでいるという感じはしない女子。
「ととと、とと遠坂おめーっ!!」
「だからわたしも悪かったと言っているでしょう?」
 陸上部のホープである蒔寺楓が、バットを担いでいる遠坂に掴みかかっている。遠坂は制服のままだ。そして蒔寺の顔には、マンガのように赤い腫れ跡が残っていた。
 それだけで、この地で奇跡が起きたことは推理できる。まあ、目立った怪我がなくて良かったけど。
「いつかおまえはやると思ったけどなー! まさかあの、あたしに強烈な一撃を加えるなんて夢にも思わなかったぜー!」
「……まず、冷静になりましょう。責任の所在がどこにあるか、それを見極めないといけないから」
「なにをー!? おまえが打っておまえが飛ばしたんだからおまえの責任じゃなくてなんだってんだぁー!?」
「なら、あなたは机から落ちたシャーペンの芯に、使用者の悪意が込められているとでも?」
「え……う?」
「わたしが犯してしまったのはそういう過ちよ。……非は認めましょう。ですけど、私がホームランを打とうとした意志だけは否定したくありませんから」
「あ……お?」
 おお。遠坂の詭弁が見事に繰り広げられている。
 筋が通ってるようで、冷静に考えればあんまり通ってもいない論理展開。しかし、ヒートアップしてオーバーロード気味の相手には立派に通用する。
 蒔寺も例外ではないようで、掴んでいた手を離して遠坂から距離をおく。
「……わかっていただけました?」
「く……。あの笑顔マジでムカツク」
 この場において、遠坂の笑顔に恐怖ではなく怒りを覚えることができる蒔寺は、本当に凄いと思う。俺なんか、アレを見ただけで反射的に心臓が縮み上がってしまうのにな。
 ――と。遠坂が俺に気付いた。
「あら。来たのね衛宮くん」
「……おう。ひとが大人しくメシ食ってる最中に、どかどかボールを打ち込まれりゃあ気にならない方がどうかしてる」
「別に、それも故意ってワケじゃないけど。打ったら飛んだ。それは必然でしょ?」
 ……う。遠坂に死角なしか。
 これ以上、野球に詳しくもない俺が完璧超人の遠坂凛につっこめる要素はない。野球部のメンツは、やたらショックを受けてるのと、恍惚とした視線を遠坂に向けてるヤツに二分できる。どっちも口を挟んでこず、我関せずを貫徹している。
 被害者であり、唯一遠坂に公然と文句を言える立場の陸上部員でさえ、ここに遠坂がいる事実、そして穂群高校においてあしらいづらさでは群を抜く蒔寺楓をやりこめたという真実が、いま以上の侵攻をためらわせているようだ。
 ――だからもし、この状況を瓦解させることが出来るとしたら、それは――
「……はぁ、はぁっ……。蒔ちゃん……!」
「お、戻ってきたね由紀っち。……ふふふ、見てろ遠坂、おまえの独裁もここで終わりだー!」
 不敵に笑う蒔寺。校舎から無我夢中で駆けてきたらしい女生徒の後ろから、ふたりの教師が何事かと駆け込んでくる。……いや、そのうち一人は歩くよりも遥かに遅いスピードだったが。
「……む、遠坂じゃないか。随分と探したぞ」
 陸上部顧問の水谷先生である。20代後半のスレンダーな体育教師で、冬でも無意味に黒い肌が妙に人気がある。さっき、遠坂獲得のために大人気なく東奔西走しているのを目撃した。
 そして。
「あー、遠坂さんだー」
 うふふ。とキャラに合わない忍び笑いを漏らすのは、今日付で藤ねえ改め鬱ねえになった教師、藤村大河そのひとだ。顧問の水谷先生はともかく、なぜ弓道部の藤ねえを召集するんだ。話がかつてないほどにややこしくなるだけじゃないかっ。
「……藤村先生? もしかして、先生もわたしが目的で――?」
「えー違うよー。なんかねー、三枝さんがねー」
「仲裁してもらうなら、藤村先生がちょうどいいと思って……。来てもらったんですけど……」
 その、三枝と呼ばれた女生徒が控えめに語る。……うん、藤ねえに説明させると話が間延びするという判断、なかなかにナイスだ。
「……仲裁?」
「そうだ! そもそも野球部の連中はな、うちら陸上部の敷地内にぼんぼこ球を打ち込んでたんだ! 今までずっと我慢してたけどな、遠坂が来て余計に拍車がかかっちまったから一言文句を言わねーと気がすまないんだよ!」
「うむ。その問題は兼ねてからあったのだ。だから、その不満を解消するためには」
「野球部の敷地を弓道部裏の林にまとめて移動して――」
「遠坂氏が我ら陸上部に入れば全て丸く収まるのでは――」
 ……声が重なった。ホープと顧問が顔を見合わせる。……どうも意志の疎通がうまくいってないらしい。それに、ふたりともわりと自分勝手な意見だし。
「だー! なんで遠坂とコンビを組まなきゃならないんだー!?」
「仕方ないだろう! 蒔寺と氷室だけではタレントが足りないのだ! 我らには即戦力が必要なのだ!」
「ぐあー! だからこいつが一朝一夕で役に立つシロモノになる筈ないだろーがー!」
 キレる浅黒ブラザーズ。身内の争いっては、どうしてこうも醜いのだろう。
「……ま、どの部にも入る気なんてないから、別にどうでもいいんだけど」
 なに!? と叫んだのは野球部の面々(ピッチャーを除く)。どうやら、朝に続き昼も顔を出したことから、どうやら脈ありと踏んでいたらしい。
「遠坂さんは、うちの部に入ってくれるんじゃなかったのかー!?」
「入るも何も……わたし女ですし」
「そんなこと関係あるかー! 君はボクらを甲子園に導く救世主なのだー!」
 そうなのだー! と同調する穂群原学園硬式野球部。
 ……こうしてみると、うちの高校揃いも揃ってアクの濃いヤツばっかりだ。むしろアクそのものと言っても過言じゃないかもしんない。
 どうしたもんかと腕を組んでいる遠坂に、クールでソリッドな感じのする陸上部の生徒が近付く。
 ちなみに、俺はたいぶ前から置いてきぼりにされてるので、ただ黙って事態を見守る観測者になる。
 ……おまえら、置き去りにされたヤツの気持ちぐらい察してやれ。淋しいなーくそー。
「えっと、氷室さん?」
「む。私なりに解決策を検討してみた。結果、遠坂嬢がバットを振らなければ良いという結論に達した次第だが」
「……蒔寺さんのこともありますし。それが妥当でしょうね」
「野球部と陸上部の敷地の件は、この場で議論できる問題でもない。ここは双方が妥協案を呑むことで場を収めるのが懸命だな」
 遠坂がうなずく。
 その氷室という女生徒は、互いの頬を引っ張り合っている浅黒ブラザースの襟首を捕まえ、
「行きましょう」
 有無を言わせず、もといた場所へと引き返していく。
「あー! 遠坂いつか見てろよー!
「いでででで! 氷室ツメを立てるなツメをー!」
 次第に遠ざかっていく人影。陸上部もそれに従って野球部の陣地から撤収する。
 そこに何故か、三枝さんと藤ねえが取り残されている。
「……何してるんだ?」
「えーだってー、呼ばれたのに何もしないでー、帰っちゃうのもどーかなー、とか」
「いや、初めから出来ることなんて何もなかったと思うんだが」
 そんな鬱オーラを周辺領域に展開している教師が、ものごとを円満に解決できるとは思えない。
「……すいません藤村先生。わたしが無理にお願いしたばっかりに……」
「いやー別にいいんだよー、気にしないでーよくあることだしー」
 平謝りする三枝さんに、鬱ねえがふふふと笑顔で答える。
 ……あー、三枝さんびくってしてる。
「……そ、それでは……」
 逃げるように立ち去る三枝さん。鬱ねえは笑顔のまま硬直している。
 関わると面倒くさいことになるので、放っておくことにする。
「――ふう。やっぱりブランク明けはつらいわね」
 肩に担いだバットを腰に回して、何やらストレッチをしながらぼそりと呟く。
「遠坂……?」
「打球の落下点ぐらい、予測できて然るべきなのに……。わたしも腕が鈍ったか」
 なんて自嘲してみる。
 ……つーかこいつ、ブランク明けにも拘わらず200m弾をばんばん放ってたのか? いくら字が上手いヤツだって、一年何も書かなかったら間違いなく下手になる。スポーツも然り、日々のたゆまぬ鍛錬だけが比類なき技術と体力を維持できる。
 それを、ほぼ二年の空白期間がある遠坂が、現役(?)時代と変わりない能力を発揮できるとは……!
「まだ時間もあるわね……。衛宮くん?」
「いや遠慮する」
「……まだ何も言ってないわよ」
「いや想像できるから断固として拒否権を発動する」
「あーそう……。バッティングセンターでのバットの振りを見た限りじゃ、衛宮くんも結構スジがいいと思うんだけど」
 それはそうなのかもしれんが、一成のことが頭をよぎってしまった。
 柳洞一成は、遠坂凛と同じ中学に通っていて、遠坂の伝説を目の当たりにしている人間の一人である。
 しかし、彼はその代償として心に拭いきれない傷を負ったという。
 たぶん、デッドボールを懲りずにばしばし当てられて痛かったんだろうなあ、ぐらいにしか想像できないが、本人の苦痛たるや想像を絶するものであったろう。
 ……だから、俺は否定する。
「わたしはもうちょっと動くことにするわ。……ああ、それと昼食一緒に食べらんなくてごめんね」
 付け足しのように述べた謝罪。しかし、あるのとないのとではえらい違いだ。少なくともちゃんと覚えていて、それをすまないと思っているんなら意味はあるだろう。
 本当は、遠坂を野球の道から引きずり出すためにやってきたのだが、ここまで完成されてると何を言っても無駄のような気もしてくる。それに、無理やり辞めさせたら一成の二の舞になりかねないし。
 遠坂はピッチャーマウンドに大股で進み、いまだ膝を落として項垂れているピッチャーをマウンドから引きずり落とす。そこで泣きが入ったピッチャーは、バーサーカーのごとき咆哮をあげて校舎に消えていった。
 ……まあ、そのうちにいいこともあるだろうさー。
 それじゃ、俺は引っ込むとしようか。
 ……と、その前に。
「……藤ねえ」
「……泣いてなんかないよー」
 その声が震えている。どこか平気だってんだ、まったく。
「……いいかげん、阪神が負けたことぐらい振り払えっての。負けたことを無かったことになんか出来ないんだしさ。ほら行くぞ」
「……ふええええ……士郎、あんたの胸で泣いていい……?」
「断る」
 きっぱりと言う。付け上がらせるとロクなことにならねえ。
「……けちー」
 そう言う藤ねえの声も、さっきより元気ではあった。まあ、藤ねえはこのぐらいがテンションとしてちょうどいい。
 ――校舎に引き返していく途中、背中でボールがキャッチーミットをえぐる音を聞く。
 彼女に限界はない。あったとしても、彼女は道を切り開く力を持っている。
 厄介なのは、切り開いた後の道が、遠坂以外誰も歩くことのできない焼け野原だということだ――





−幕−





・あとがき
 主人公ほとんど何もしてません。
 タイトルに含むところはありません(ホントに)。ジャイアンツもヤンキースも関係ないです。
 ちなみに、遠坂がどの球団のファンかは不明です。全体的な野球ファンということらしいです。
 最後に読んでくださったみなさまへ、どうもありがとうございました。






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