一日一東方

二〇一〇年 七月三十日
(非想天則・太歳星君)

 


『真っ赤な誓い』

 

 

 紅美鈴と太歳星君の戦いは熾烈を極めた……。
 拳と肉体が幾度も重なり合い、そのたびに無骨な音を響かせていく。
 書き割りの背景も真昼間から真っ赤な夕暮れに移り変わり、彼女たちの死闘を鮮やかに彩っていた。
 満身創痍の美鈴は、何本か折れているらしい肋骨を押さえ、荒い呼吸を繰り返している。対する太歳星君は一見ナマズのように見えるが、ただの大ナマズだと思ったら大間違いである。表面的なダメージは太歳星君の方が少なく見えるが、表面がつるつるぷにぷにしているのであまり参考にはならなかった。
 だが、太歳星君でさえ、美鈴の猛攻に手を焼いているのは確かなようである。
 何故ならば、彼の口から最強最悪の大妖怪とは思えぬ弱音が漏れ出たからだ。
「……ほう、なかなかやりおるわい。木っ端妖怪が、このワシをここまで苦しめるとは」
「……はは。柄じゃないけど、幻想郷の未来が私の双肩に掛かってるからね……多少の無茶くらい、お茶の子さいさいよ」
 とはいえ、痩せ我慢も限界に達している。あと何回、太歳星君の攻撃に耐えられるだろうか。地震、雷撃、突進、そのどれを取っても、今の美鈴を叩き潰すには十分すぎる破壊力を持っている。
 気丈に振る舞う美鈴を嘲笑うように、太歳星君はある提案を持ちかけた。
「どうかね。ワシに従えば、世界の半分をおぬしにやろう」
 それで手を打ってみないか、とナマズは髭をなびかせながら言う。
「正直、おぬしがここまで強いとは思わなかったのでな……ワシも身体にガタが来ておる。雌雄を決するもよかろう、だがそれではあまりに得るものがない。おぬしの身体もただでは済まんじゃろう」
「……言いたいことはそれだけ?」
「これこれ、年寄りの言うことは最後まで聞くもんじゃ」
 決着を急ぐ美鈴を遮って、彼は悠々と語り続ける。やはり、太歳星君はまだ余力を残している。その上で、手こずっている美鈴を懐柔しようと企てているのだ。
 耳を塞ぎたいところだが、体力の浪費はなるべく避けたい。ダメージの回復には、まず動かないことが第一である。
「おぬしが働いている……紅魔館といったかの。あれもおぬしのものになる」
 だが、これを聞いて動かないわけにはいかなかった。
「貴様……」
「ふぉっふぉっふぉっ、良い顔をするもんじゃの」
「ご託は結構! さっさと掛かってきなさい!」
「そうもいかん。強がってはおるが、今のおぬしが逆転するには接近戦における一撃必殺しか残されておらんからの。むざむざ近付きはせんよ」
「ぐぅ……!」
 歯噛みする。完全に見抜かれている。
 やはり、特に大した銘もない妖怪には太刀打ちできない相手なのか。門番としての責務すら遵守できず、守りたかったものが蹂躙されていくさまをただ口を開けて見ていることしかできないのか。
 挙げ句、この魂まで敵に明け渡せと。
「物は考えようじゃよ。おぬしが紅魔館を手中に収めれば、少なくとも紅魔館の安全は保障される。ワシはこれでも約束を守る性格での、おぬしがワシに従順でさえあれば、おぬしのものに手を出すことはない」
「……何を、馬鹿な」
「ならば、己が非力を噛み締めながら、紅魔館が蹂躙されるさまをその目に焼き付けるか? ワシはそれでも構わんのだがね」
 眠たそうな眼を閉ざし、太歳星君はその巨体を震わせる。選択肢は今まさに閉ざされようとしている。結論を急がねば、取り返しの付かないことになる。
 あまりに無力だった。でも、紅魔館を救う術だけは用意されてしまった。
 太歳星君が約束を反故にする可能性は否定できない。けれど、四の五の言っている暇はないはずだった。取り得る手段が限られているのなら、後はもう手を伸ばすしかないではないか――。
 絶望の中に、どす黒い光明が差す。
「……っ」
 眉間に皺が寄る。
 弱気に押し出されて、少しだけ前に動いた腕は、すぐに美鈴の下に帰った。
「……私は」
 紅魔館の中でも、さほど強い方ではない。主が存分に力を振るえば、外敵を蹴散らすことなど造作もないだろう。居候の魔女も、瀟洒な従者も、隔離された吸血鬼の妹も、その誰もが美鈴を遥かに凌ぐ力を持っている。
 飾り物の門番なのだと、最初からわかっていた。
 あばらに置いた手を、腰の脇に構える。握り締めた拳のひとつは地面に向け、ひとつはナマズに向ける。息をするたびに全身が軋みを上げるけれど、少しくらい痛む方が倒れにくい。
「それでも」
 それでも、紅美鈴は紅魔館を守るために在る。
 たとえその一点にのみ価値がある生き物だとしても、己の全てを掛ける意味があると美鈴は信じた。
「――絶対に、貴様を倒す!」
 咆哮。
 踏み込んだ足は同心円状に大地を震わせ、ナマズの身体にかすかな衝撃を走らせる。
 太歳星君は、半ば期待通りといった手合いの笑みをこぼす。
「ならばおぬしはそこで朽ち果てろ!」
 ナマズは大地を揺るがし、足場が不安定になった隙を突いて雷撃を轟かせる。
 気を纏わせた手のひらでそれを弾き、美鈴は傷付いた身体を懸命に走らせる。
 ナマズがそれ見たことかとほくそ笑んでいる。届かない、届くはずがない。あまりにも大きな力の差、世界を覆う巨大な闇。力無き者には、覆しようのない絶望的な未来。
 けれど。
「はあぁぁぁ――――ッ!」
 襲い来る電撃を次々に弾き飛ばし、一手間違えれば即死しかねない衝撃を間近に感じながら、美鈴は前を見る。余裕綽々だった太歳星君の顔が、驚愕に歪む表情を目の当たりにする。
 たまりかねて、美鈴の突進から逃れるべく天高く飛び上がった太歳星君であったが、それが美鈴の狙いであったことを、彼は間もなく痛感することになる。
 彼自身が言っていたのだ。
 彼女が形勢を逆転するには、接近した上での一撃必殺しかあり得ないと。
「やりおるわ……!」
 だが、太歳星君もただでは転ばない。その巨体を皿に巨大化させ、如何なる一撃であろうとも芯にまで通し得ない肉を纏い、美鈴のみならず大地までも深々と押し潰しかねないほどの身体を叩き付けんとする。
 上空のナマズ、地上の妖怪が、それぞれ澄み切った瞳を交わす。
 ナマズは勝利を信じて疑わず、美鈴は深く息を吐き、心を整える。
 叶うなら、運命の扉をこの手でこじ開けることができますように。
「――奥義」
 そう、ささやかな願いを心の片隅に置いて。
 美鈴は、拳を天に突き上げた。

「破山砲」

 その瞬間、かすかに世界が割れた。

 

 

 

 

 ――ぷに。
「ひゃっ!?」
「捉えた……捉えたぞ! 太歳星君!」
 ――ぷにぷに。
「たとえどんなに厚い肉をまとっていようとも、私の拳は貴様の芯を貫く!」
 ――ぷにぷにぷにぷに。
 美鈴は咲夜の余ったおなかを掴み、嫌がらせのようにぷにぷにと震わせ続けた。
 美鈴を起こそうとした咲夜はとんだとばっちりで、咲夜に美鈴の排除を頼んだパチュリーは咲夜のおなかをじっと凝視している。
 泣きそう。
「さあ、これで終わりにぃ……っ!」

 ――ごぎょっ。

「……」
「……」
 美鈴は、咲夜のナイフ(柄)によって再びの沈黙を余儀なくされた。
 多少、額の接しているテーブルがくぼんでいるのはご愛嬌である。
「……知らなかったわ、咲夜」
「お見苦しいところを」
「あなたが太歳星君だったなんて……」
「……」
「……」

 

 パチュリーにはその日の記憶がない。

 

 

 

 



非想天則 ゴリアテ
SS
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2010年7月30日  藤村流
東方project二次創作小説





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