一日一東方

二〇一〇年 七月二十三日
(星蓮船・村紗水蜜)

 


『魔王』

 

 

 おとうさん おとうさん
 魔王が
 わたしを

 

 

 私が三途の河を訪れたのは、主に星輦船が命蓮寺に変形したせいで仕事が無くなったからであり、命蓮寺の雑務も大概片付いたからでもあり。一応ひとつ注釈しておくと、私は別に成仏したから此処に立っているわけではない。舟幽霊として存在が許された身ではあるけれど、この身はむしろ幽霊より妖怪に近い。お祓いを受ければそれなりに苦痛ではあろうが、成仏するかどうかは怪しいところだ。
 浮かばない河を前に、心が乱されるかと思いきや、不思議と気分は穏やかである。連綿と続いている己の過去と向き合うのは辛い。記憶の河を遡上し切って、私が私になる以前、海に落ちて溺れ死んだ瞬間を思い出すたび、胸が張り裂けて身体がバラバラになるような錯覚を抱く。
 昼も夜もなく、霧が立ち込める河川敷に佇んでいた私だが、とりあえず座る場所を探すことにした。程無くして、ちょうどよく平たい石が積み上がっていたから、ありがたやありがたやと手を合わせた後でそこに腰掛ける。
「ふう……」
 息を吐いて、頬杖を突き、しばし生者の絶えた静寂に浸る。
 河縁に引っ掛けてある舟の上で、三途の河の船頭が仰向けに寝転がっている。
「お寺も静かだったけど、ここはそれに輪を掛けて静かだわ……」
「おーいえー!」
 静寂とは破られるもの。
 場違いな咆哮は私の後ろから。何事かと振り返れぱ、砂利の少ない草むらの切り株に、明らかにスズメではないが適切な種類を挙げるなら多分スズメなんじゃないかなあといった感じの、鳥妖怪が誇らしげに立っていた。
「あーいえー!」
 なんでこんなにテンション高いのかわからないが、マイクを振られたところで取るべきリアクションなどわかるはずもない。
 とりあえず、「おー」と適当に返しておいた。
「おっけ!」
 大体合ってた。
「いやー、ノリの良いお客さんで助かったよー」
「いや客じゃないけど」
「まー細かいことは気にしないで! 人類みな兄弟だよ!」
 気にするだけ無駄だということはよくわかった。
 うるさい以外は害もなさそうなので、再び河の流れに目を向ける。私の背中に、というよりか三途の河全域を対象として、妖怪はなんら臆する様子もなく大声で歌い始める。
 曲名もわからない、歌詞すら判然としない歌を、小さな身体からは想像もできない声量で。
「……すご」
 感心するのを通り越して、呆れる。
 何もこんな静かな場所で歌わなくたって、広場だったり、空き地だったり、騒霊楽団の会場を乗っ取ったりすればいいものを。
 それとも、静かな場所だからこそ、その声で、その歌で、三途の河の空気さえ塗り替えようとしているのか。
「らららー」
 気が付くと、声量は次第に小さくなっていき、歌詞もちゃんと聞き取れるくらいの大きさにはなっていた。
 大胆なアレンジが施されていたから、全く中身が把握できなかったのだが、今なら私の耳でも一応は理解できる。
 あれは。

 

「おとうさん おとうさん
 あれが見えないの
 王冠としっぽをもった
 魔王が」

 

 絶叫の意味が強すぎて、他の一切が掻き消えていた。
 魔王に誘われた少年を追いたてる歌。
 引き寄せられて、浮かび上がることができなかった少年の悲哀を、スズメは擦り切れることのない声と、絶望など欠けらも感じさせない意志の強さで歌い上げる。
 選んだ歌は三途の河に相応しいものなのだが、なにぶん歌い手が歌い手だった。悲劇も惨状も知らず、ただ歌いたいから歌う喜びに溢れ、うるさいことを除けば聞いている私も自然に頬が緩んできそうな。
「……まあ」
 魔王に殺された私からすれば、あまり気持ちのよい歌ではないが。

 

「おとうさん おとうさん!
 魔王が ぼくを連れていくよ!
 魔王が ぼくを苦しめる!」

 

 初めの記憶は、私が死んだときの記憶。
 あの日、私は確かに溺れ死んだはずなのだけど、長い間、どういう状況があって死に至ったのか思い出せずにいた。
 まず、舟から落ちたことを思い出した。不慮の事故だったのかもしれない。
 次に、父が同乗していたことを思い出した。私に向かって手を伸ばしている。舟から振り落とされた私を、必死で助けようとしていたのだ。あまり、家族のことはよく覚えていないのだけど。
 天気は曇り、海は少し荒れていて、私たちが乗っていた小舟は沖合に出ていた。周りに他の舟は見当たらない。釣りをしようにも竿がない。網もない。それに私は、どうしてか普段は着させてもらえない綺麗な白い服を纏っていて、父も、いつもより綺麗な格好をしていた。
 お父さん。お父さん。
 だれかが泣いているよ。
 あれは、うみねこが鳴いているんだよ。
 だれかが、わたしを呼んでいるみたい。
 それは、魔王が。
 魔王が、わたしを。
 海に、引きずりこんで――――。

「――――何が、魔王だ」

 引きずり込まれたんじゃない。誘われたんじゃない。
 誤って海に落ちたのでもなければ、進んで身を投げたわけでもない。
 父が私に向かって手を伸ばしていたのは、助けようとしていたからじゃない。
 あのひとが、私を海に突き落としたからだ。
 海から這い上がろうと、船べりを掴んだ手を振り払ったからだ。
 憎まれてはいなかった。怨まれてはいなかった。
 ただ、絶望はしていたはずだ。母が流行り病でこの世を去って、父は生きていく理由を無くした。私ひとりでは、父の全てを支えることはできなかった。
 海に魅入られ、魔王に誘われたのは、父だ。
 暗い海の底に沈んでいく私の視界に、首から血を流し、身を投げる父の姿があった。ずるい。もっと早くに絶命させてくれれば、父に裏切られたことを理解する前に、意味もわからず死んでしまえたのに。
 あんまりだ。
 こんなのは、あんまりじゃないか。
「……お父さん」
 お父さん。
 魔王が、私を連れていく。
 魔王の皮を被った父が、血の涙を流しながら、私を延々と苦しめ続ける。
 そんな記憶を足枷にして、ずっと、ずっと、暗い海に沈んでいたのだ。
 村紗水蜜は。

 

 

「ご清聴、ありがとうございましたー」
 ぱちぱちと、気のない拍手を送ってあげると、彼女は照れくさそうに頬を赤らめていた。興が乗りすぎてアンコールに突入しかけたけれど、絶叫しすぎて疲れたのかマイクを振り上げた途端その場にへたりこんでしまった。
「もうだめー……」
「全く、忙しい子ねえ」
「面目ないー……」
 疲労困憊して、息も絶え絶えのスズメの背中を擦ってあげる。袖振り合うも多少の縁だ、暇潰しの一環だと思えば無駄な時間などないのだと開き直れる。
「名前」
「んにゃー……?」
「よかったら、名前。聞かせて」
「むにゃ……、いやアンタこそ誰だよ」
 ごもっとも。
「村紗水蜜。船長をしてます。訳あって、今は休業中だけど」
「無職か!」
 元気よく言わなくてよろしい。
「そうかー、無職ならはろーはろーはろーわーくがいいらしいけど、はろーわーくって何さ」
「知らないけど」
「まーともかく、うちも客商売やってるもんだからさー。あ、わたしミスティア・ローレライっていうんだけどね。八ツ目ウナギ屋さん。おいしいよ!」
「あ、うん。よくわからないけど」
 飲みに誘われていることは理解できた。
 ミスティアの名前を軽く胸に刻んで、私はひとり立ち上がって三途の河を眺める。波しぶきはあれど波音は響かず、何かが沈んでも何も浮き上がる気配はない。私もここに沈んでさえいれば、二度と浮き上がってくることもなかったのに。
 嘆息する。
「……八ツ目ウナギ屋さん、だったかしら。今度、お邪魔されてもらうかも」
「いいよーいいよー。お代は見てのお帰りで!」
 もしかしなくても、勢いだけで会話を成立させようとしているのではないか。このミスティアという娘は。
 それならそれで、おもしろい妖怪もあったものだと笑っていればいい。舟幽霊さえ、陸に上がっても生きていられる。陽気な魔王を聞いたことで、穏やかだった心にもわずかにさざなみが立った。それが幸いを呼ぶか災いを呼ぶかは知りようもないが、この一瞬、忌まわしき魔王がかすかに笑っていた気がしたから、ほんの少しは救われた気がする。
 それが、私の錯覚に過ぎなくても。
「らーらーうー」
 声の調子が戻ってきたのか、ミスティアはまた喉を震わせ始める。
 余興に付き合うくらい時間はある。彼女の歌に誘われて、船頭が舟から身を起こし、今の時間を知って目を丸くしていた。
 ローレライの歌が、海に惹かれたひとの心を波打たせる。
 私は静かに瞳を閉じて、その真っすぐな声音に沈んでいった。
 深く。
 深くへと。

 

 

 

 

 おとうさん おとうさん
 魔王は
 わたしを

 

 

 

 



ナズーリン 多々良小傘 雲居一輪 雲山 寅丸星 聖白蓮 封獣ぬえ
SS
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2010年7月23日 藤村流

 



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