一日一東方

二〇〇八年 一〇月二十七日
(緋想天・比那名居天子)

 


『七天抜刀』

 

 

 確か、前に戦ったことのある刀使いから、「あなたの剣の使い方はなっちゃいない」みたいなことを言われたので、比那名居天子はこれを期に本気で剣の世界に踏み込もうと思ったのだ。
 物事を学ぶには、まずは形から。
「……いい刀ね」
「いやそれやばいんじゃないですかね」
「どこがよ?」
 天子が振りかざしている刀は、特にこれといった銘こそないものの、刃から立ち昇る気が余りにも不穏すぎる。心なしか、柄を握り締めている天子の瞳の色も、紫がかっているように思える。
 こんな業物、一体どこから探し当てて来たのか。衣玖はとても気になった。こんなのがぽんぽん不良天人の手に渡るとなれば、自分の身が果てしなく危うい。今だって、いつ斬りかかられるかわかったものじゃないのだ。
「衣玖も、いい刀だと思わない……?」
「いや、峰に舌を這わせながら言われても、何か性質の悪いものに取り憑かれたようにしか見えませんて」
「失礼ね。別にあなたを三枚おろしにしたいなんて思っちゃいないわよ」
 憤りを隠し切れず、天子は予備動作抜きで刀を水平に振った。
 羽衣の端がぷちんと切れる。
「あら?」
 自身の意志とは別のところで放たれた斬撃に、天子自身も驚きを禁じ得ない様子だった。さーっと青ざめている衣玖を前に、鍔や柄本、切っ先、左手に持っている鞘まで丹念に観察する。けれど、何かおかしなところは見当たらなかった。
「おかしいなぁ」
「ほら明らかにおかしいですよね。わたし間違ったこと言ってませんよね。ちなみに、なんで私がここに呼ばれたのかもよくわからないんですが」
 ほいほい召喚に応じる自分も自分だが、そうしなかったらこの天人が地上に降りて無駄な猛威を振るうことになる。それは出来るなら避けたい事態であった。
「それはほら、新しいおもちゃが手に入ったら、誰だって見せびらかしたくなるじゃない?」
 ね? と屈託のない小悪魔の笑みを浮かべながら、手首の返しだけで鋭い袈裟斬りを放つ。
 表情と行動が奇跡的に噛み合っていないから、相手の呼吸を呼んで避けることも難しい。けれども場の空気を読むことに長けた籠宮の使い、あくまで刀が発する斬撃の気配だけを読み、回避行動に移る。
 だが、思ったよりも刀の軌跡は速く鋭く、刃は衣玖の帽子の鍔をかすかに裂いた。
 ひとり、不思議そうな顔をしているのは天子である。
「あっれー?」
「もういいでしょう。いつまでもコントに付き合っていられるほど、私も暇じゃないんです」
 戦闘状態に移行。いつでも天子に雷撃を浴びせられるよう、上空に雷雲を呼び寄せる。
 やはり得心のいかない表情を浮かべている天子に、衣玖はいちはやく嫌な予感を汲み取って、咄嗟に指先を上空に突き上げる。
「龍神!」
 咆える。
 言いようのない焦燥感が、衣玖に声を振り絞らせた。不吉な予感がする。これはきっと天子が戯れに発言したような、生命の本能に訴えかける三枚おろしへの恐怖に違いない。
 やるからには全力で。
 落雷は瞬きする間も無しに、知覚する暇すら与えず、情け容赦なく天子に降り注ぎ。
 ああ、申し訳ない、と一応は謝罪の言葉を心中で述べておいて、衣玖は事の一部始終を傍観していた。
 ……そういえば、いつか有頂天を訪れた刀使いが言っていた。
『雨を斬れるようになるには三十年。
 空気を斬れるようになるには五十年。
 時間を斬れるようになるには二百年掛かるという』
 本当なのかそれ、と衣玖は思ったものだが、あくまでたとえなのかもしれないし、受け売りに近い台詞だから彼女も実践出来ていたわけでもないのだろう。
 だが、唯一、確信を持って告げられることがある。
「――あ」
「あれ」
 衣玖も、天子も、何が起こったのかよくわからなかった。
 雷を斬るには、果たしてどれくらいの年月を重ねればいいのだろう。天子が何年生きているかにもよるが、実年齢よりも個人が刀に費やした時間がものを言うのだろうから、結局は刀そのものが生きてきた時間、経験の賜物なのかもしれない。
 かくて、刀は雷を切り払い。
 場の空気すら切り刻まんと、担い手たる天子を動かして衣玖に突進する。
「マジですか」
 驚愕に立ち止まっている余裕はない。如何な妖刀であれ、握る者がいなければただの刃でしかないのだ。本体を打倒すれば全て終わる。衣玖の頭の中には、不幸な事故、という単語が脳裏を掠めていた。
 空気の流れに逆らうものには、甘美なる死を。
 不意に、天子の顔が歪む。
「ちょ! 衣玖! 手加減、手加減はお忘れなく!」
「なんでしょう、雷の音がうるさくてよく聞こえませんね」
「この薄情者ぉー! ぱっつんぱっつんー!」
 覚悟は決まった。
 斬撃は物の見事な縦一文字、行雲流水、明鏡止水の理を抱いて、ただ一撃の下に打倒せんと衣玖に襲い来る。
 避けるのは不可能だろうと思った。来ることは解っている。だが避けられはしない。金縛りに掛かっている訳でも、回避反応が上手く出来ないという訳でもない。ただ、この一撃は当たるように出来ている。そういう銘を持った刀なのだろう、と衣玖は推測した。
 だが。
「龍神」
 仮に当たっても、切れなければよい。
 斬られる前に、全て終わらせる。
 刀の担い手である、ついさっき衣玖をぱっつんぱっつんと評した天人を倒せば。
 ――刃は、ありえない軌道を描き、天子を狙い打った雷撃を薙ぎ払った。
 そして、天子の懐に衣玖が滑り込むのはほぼ同時。
「龍魚」
 羽衣は甘き死を誘う鈍器と化し、宣言と共に天子の鳩尾を貫いた。
 一足遅く、刀は衣玖の帽子を断ち割っていたのだが、結局は間に合わなかった。
 がふぅ、と何やら魂すら吐き出すような断末魔の悲鳴を上げ、お騒がせ天人はぷっつりと糸が切れるように昏倒した。そして、刀もその動きを完全に停止する。
 断ち切られた帽子を拾い上げ、衣玖は帽子に付いた砂を丁寧に払いのける。
「雷切……いえ、それとも千鳥でしょうか。判然としませんがね」
 いずれにしろ、お気に入りの帽子が切られたことには変わりない。
 それが大きな損害であるかどうかは、衣玖自身もよくわからないが。
「あふぅ……」
 何やら今にも昇天しそうな表情で眠りに就いている天人を前にすると、ふと笑みがこぼれ、そのほっぺたを千切れそうなほど捻り回したくなるのだった。
 実際、そのくらい捻り回しました。

 

 妖刀は白玉楼に移され、少なくとも天子よりは刀が使える庭師の下に預けられることになった。
 その後、特に問題は起こっていないことから、かの刀が暴れるという事態には陥っていないのだろうが。
 時折、その庭師が「雷を斬るには何年かかるのだろう」と零しているという噂を耳にすると、よもや、と衣玖は恐れ戦くのだった。
 主に、三枚おろし的な意味合いで。

 

 

 

 



永江衣玖
SS
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2008年10月27日 藤村流

 



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