楽園の素敵な巫女に桜咲く(3 終わり)
「よう、霊夢」
岩の上に魔理沙は傘も差さず胡坐を掻いていた。
雨の中、魔理沙の周りに、星型の弾が光を放ちながらくるくると回っている。
「どうも苦手だな、こういう地味な魔法。ぱっとしない、威力が無い、心が躍らない」
「あんた、弾幕で明かりを作ってるの?」
「そう。スターライト。威力ばかり求めているうちに、こういう地味な魔法はさっぱりになってしまった。
じいちゃんに謝らないといけないぜ。ごめんな」
彼女は笑っていて、謝ってる態度に見えなかった。
星空を仰いだ魔理沙の顔に雨が遠慮なく降り注ぐ。
「……夢に出てきたお爺さん、あれは貴方のね?」
「ああ、こういう星の魔法が得意な人だったよ。私も相手をぶちのめす為の星弾は得意だけど……ふぅ、さっぱり駄目だぜ。
全然魔力が集まってこない。ああ、悪い、霊夢。予定変更だ。じいちゃんに怒られそうだが私には間接的な魔法は似合わない」
「何を始めるのかすら解らないっての」
「満月を輝かすんだよ」
満月は今でも十分な輝きを見せている。
空の色も漆黒ではなく青に近い。
これ以上輝かして、どうするんだろう。
「満月が輝く事が、楽園なわけ?」
「いや、楽園は満月の下に現れる」
一瞬、記憶の底で月が輝いていた映像がフラッシュバックした。
真実に近づいているような、遠回りさせられているような……。
もっとはっきり言って欲しい。
「何が起こるかはっきりさせなさいよ」
「すぐにはっきるするさ。さて、何でやるか……あー、心が躍る魔法って霊夢は何か知っているか?」
「……?」
「私の魔法を打つとき、何が一番楽しそうだと思う?」
「マスタースパーク」
「良く見てるな霊夢。実に嬉しい答えを聞いた」
魔理沙が膝を叩いた。。
私の答えを噛み締めるように、ゆっくりと下を向き目を瞑る。
帽子の鍔を小さな川のように水が落ちていった。
雨の勢いが段々と薄れ……やがて雨は止んだ。
「……見事、止んだな」
「だわね」
「天にここまで完璧にお膳立てしてもらったら、さすがの私もやらなくちゃという気分になるぜ」
「で、魔理沙が満月を輝かす?」
「そう、満月を輝かす」
「まさか、前にここに来た時も、魔理沙が月を輝かしたの?」
「無茶言うな子供だぜ? あの時は霊夢の母さんが雨を降らし、その術を買ったじいちゃんが約束を果たしたのさ」
「買った? 約束? 良く知らないけど、月を輝かせる約束なんてしたっけ」
「楽園を見せる約束ならしただろう?」
「ああ……母さんの……」
他人の手が入ってるから、私への贈り物が一日遅れたって事なのか?
いや、母さんがその日に雨を降らしたという事は、母さんは前もってそれを知っているはず。
少なくとも前日に雨は降っていなかったのだから。
やっぱり、おかしいものはおかしいままだ。
「さぁ、時間が無い。手っ取り早くやろうぜ」
魔理沙が立ち上がり箒を掴む。
伸びた背中に彼女の確固たる意思を感じた。
「月を輝かすのには、一体どうする気なの?」
「エネルギーを送り込む。本物の月には距離が届かないが、偽の月になら送り込めるのさ。そうして月が輝けば、ムーンボウが現れる」
「ムーンボウ?」
聞いたことが無い単語だ。
さっきから疑問だらけで、鸚鵡返ししか出来ないな。
「私らしくやらせてもらうぜ、ちょっと離れててくれるか、霊夢」
魔理沙は帽子の鍔を握り、ぐっと引き下ろす。
目深く被った帽子のせいで、魔理沙の表情が解らなくなった。
箒に跨った魔理沙は、両手で箒の柄を軋むくらい強く握って宙に浮いた。
「ちゃんと離れててくれよ……でないと吹き飛ぶぜ。何しろ今夜の魔理沙さんは……」
「え?」
「月まで飛べそうな気がしてるのさ!」
魔理沙を中心に風が外へ動き出す。
ゆっくりと光が魔理沙の手に集まっていく。
段々と全身が赤く輝いて……。
ちょ、ちょっとこの子まさか……。
「いっくぜぇえええ! 月までひとっとびだぁ!」
心の中で、馬鹿魔理沙! と叫びながら慌てて岩にしがみ付く。
こんな至近距離で何考えてんだ。
大気が震える、魔理沙の下の岩にべこんと穴が開く。
「ブレイジングスタァー!!」
百雷の轟きに勝る音を立てて、赤い彗星が夜空を切り裂いて飛び出した。
耳を塞ぐか、岩にしがみ付くかの二択で迷ったが、吹き飛ばされないようにしがみ付く事にした。
ようやく轟音と突風が過ぎて、奴が飛び立った空を見上げると、真っ赤に燃えた魔理沙がレーザーのような尾を引きながら月に一直線だ。
……魔理沙が通った空から大型の星弾が幾つも降ってきた。
って弾幕ごっこじゃないんだから、星弾はいらないでしょうが!?
急いで二重結界を展開して弾を防いだ後、魔理沙に文句を言ってやろうと口を開けると、
「わりぃー!それ廃棄物ー!」
私の心の声を汲み取ったのか、先に魔理沙の大声が届いた。
そうなのか、廃棄物だったのか、なら仕方ないわね……。
んなわけねえだろ!
怒鳴り返そうとしたが、既に魔理沙に声が届きそうになかったので諦めた。
戻ってきたら覚えてなさいよ。
高く、高く、何処までも高く。
魔理沙は冗談抜きで夜空の星になりそうな勢いで、全てを燃焼させながら目標に突き進む。
あいつ、本当に、月まで行く気なの?
しばらくして、赤い光の進行が止まり、残光もゆっくりと消えた。
辺りが急に暗くなる。
残ったのは満月の下に、黒い小さな点。
あれが魔理沙らしい。
目を凝らしても、本人だと形で確認するのは無理だが。
今だけ静かな夜が、嵐の前の静けさに思えた。
おそらくあの場所から魔理沙は撃つのだろう。
ようやく、心が躍る魔法の出番なわけだ。
何もかも巻き込んで震え上がらせる、最も彼女らしい魔法。
月に向って放たれる、最高のエネルギー。
魔理沙のスペルカード宣言はここからでは聞き取れなかった。
だけど、凝縮するエネルギーの咆哮が、私に撃つと教えてくれた。
大気が震え、魔理沙がもう一度輝く。
あいつの黄金の髪のような輝き。
涼やかで、情熱的で、真っ直ぐで、波打って、美しくて、でたらめの、矛盾だらけの彼女の祭りが始まる。
お手並み拝見と行こうか、霧雨魔理沙が誇るマスタースパークの。
一発。
世界が白く輝いた。
月を飲み込む勢いで発射されたそれは、しかし月よりでかくはなかった。
それでも天蓋の月は震えた。
彼女の力は今、確かに月に届いている。
スパークが消えかかる、まだ月は輝かない。
閃光が消える中、遥か頭上から魔理沙の心底楽しそうな笑い声が聞こえた気がした。
『いいねぇ、月が踊るまで続けようか!』
ニ発目。
消えた直前に交代するように更にでかいスパークが放たれる。
即座に三発目をニ発目に重ねて撃ち込み、出力を大幅に増大させる。
夜を断ち切る極太のダブルスパークに、月が唸った。
響く大砲の轟音は魔理沙の心の代弁のようだ。
悲鳴を上げたくなるほどのエネルギーを前にして、彼女は今、狂喜に酔っているのだろう。
月が少し煌いた。
四発目。
しばらく溜めがあった。
月を食らう勢いで発射されたそれは、今度は月よりでかく月を包み込む。
エネルギーが消えるまで、地震のように大地が揺れ続けた。
月が震えた、唸った、啼いた、そして踊った。
ゆっくりと、月はその輝きは増していった。
光は周囲の星と闇に手を伸ばし、鈍色の雲は白色に近い色を取り戻し、光の帯が月を飾り立てる。
夜の静けさを残したまま、藍色の空が青へと姿を変えていく。
どうやら、魔理沙の術は完成したようだ。
しかし、通常からファイナルまで、マスタースパーク四連発か。
魔理沙、あんた臨界突破したら死ぬわよ……お? あれ? 魔理沙?
「あ……」
案の定、魔理沙は自由落下中だった。
明らかに意識を失っている。
箒を掴む手すら離して、両手を広げて落ちてくる。
さすがに、やばいかしら?
助けるべきかと逡巡してると、魔理沙は器用に空中回転して、足で箒を手元に手繰り寄せると体勢を整えた。
箒を取り戻した魔理沙は、私の前へ曲芸的な飛行で戻ってくる。
無茶な飛行にスカートが結構な位置まで捲れたが、魔理沙はそういう事は気にしない性質である。
少しは気にしろ。
「ふぅ、間一髪だぜ。よし、今のをクアドラプルスパークと名付けよう」
「あんたサーカスにでも入ったら?」
「いけないな霊夢。そこに入るのは私のマスタースパークを誉める台詞だ」
月の輝きが最高に近づく。
岩の上から見下ろす世界が、夜の闇と火の光だけではなくなった。
その景色が子供の頃見たのと、重なっていく。
景色が明滅する。
綺麗だ……くっきりと解る。
神社が、民家が、川が、森が、闇の衣を脱ぎ捨てて眼に飛び込んでくる。
素晴らしい景色だ。
だけど、これが楽園?
いいえ、こんなものでは……!
「さぁ、ここからがショータイムだ。少しは憶えてるか?」
「……ええ、少しだけ。雨上がりの夜空に、極限の満月の光が生み出す神秘の光景を」
「始まるぜ! こいつが世界で最も美しい魔法だ!」
魔理沙が帽子を回して、軽く上に投げた。
月が一際強い光を放つ。
その下に薄っすらと模様が浮かんできた。
誰もが綺麗だと感嘆するであろう七つの色を備えた。
オーロラと見間違える程の、大きさの。
「思い出せ霊夢! あの日お前が夢見た楽園を!」
青い闇にさっと虹が走った。
それも一本ではなくて、二本も。
博麗神社の上を出発点にし、幻想郷の端まで届くような巨大な虹が、月の下に出現した。
虹の内側はほんのりと明るく、その下にいる全ての者を祝福してくれる。
七色の橋。
雨と満月と魔法が呼び込んだ、自然の奇跡。
子供の頃の眼と、今の私の眼が完全に重なった。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
この暗さでも、七色が完璧に見える……!
「凄い……」
青の色は空に上るほど深くなる。
雨に濡れた全ては虹の下で、薄く青い光を受けて輝いていた。
人も妖怪も関係なく、全ての生きる者が、夜に見えるこの虹の光に感動しただろう。
その瞬間に、幻想郷が一つの楽園になるんだ。
あの日も、私はこの楽園をこの岩の上から眺めてて、そこで誓いを立てた。
この楽園を続かせたいという夢を見た。
母が守ってきた楽園、楽園がくれた私の夢。
この美しい世界を私の手で守っていけたなら、それはどれだけ素敵な事だろうと。
母が私に残した通り名の意味を、その時、私が体現したのだ。
その時、心から名乗れた。
私は楽園の素敵な巫女だと、胸を張って。
母の言いつけじゃない、私は私の意志で幻想郷を守ってきたんだ。
「なるほどね、こいつは魔理沙に完敗だわ……」
まるで、博麗神社が自ら虹を発して、世界を抱きしめてるように見える。
これを魔理沙は上から見させたかったわけか。
それについて魔理沙が何処まで知っているのか、色々訊く事がある。
しかし、それよりも……。
「さてと霊夢。月見酒改め、虹見酒と行きたい所だが」
「え?」
「ほれ、お前から飲むか?」
魔理沙が小型の水筒を私に放り投げた。
受け取った時にちゃぷんと水音が鳴る。
酒が入ってるのかしら。
「気が利くじゃないの……じゃ、頂きます。ぶほぉっ!?」
「銘酒、水道水だぜ」
「これ、ただの水じゃないのよ!」
「だからそう言ってるじゃないか。お前の好物だろう」
「飲む前に言え! 好物じゃないし!」
「ま、今日だけは酒と弾幕は無粋って事で」
「え?」
「せっかく過去の思い出を引き寄せたんだ」
魔理沙は足を崩して、虹を見つめた。
青白い世界の中で、魔理沙の横顔が美しく輝いていた。
魔理沙なりに、虹を見て、胸に込み上げる想いがあるらしい。
「虹は十分も続かない、せめて今くらいは童心に帰ろうぜ?」
「……うん」
美しい虹は長くは続かない。
今だけの輝き。
だから皆その出会いを大事にする。
人との出会いも、そんな刹那の煌きだろう。
私が記憶を忘れる時に、煌きだけ選んで残しておけたなら、どんなに幸せだっただろうか。
いらない事を考えた代償に、私は過去の全ての記憶を捨てるしかなかった。
関連のある物事全てを忘れる必要があった。
皮肉にも、戻ってきた記憶にも同じ事が言える。
三年目の誕生日。
母の思い描いた通りに全ての事は運んでいた。
たった一つの誤算が、幼い私に疑いをもたらした。
解れた糸を、好奇心でほんの少し引っ張ってみたら……。
そこには、母が隠していた悲しい嘘が一杯ぶら下がっていた。
―――――
虹は徐々に薄くなり、空に消えていく。
今夜の虹も、たくさんの人の心に残るだろう。
今頃、射命丸文あたりが、大急ぎで明日の朝刊の予定変更してるかも知れない。
嬉しい悲鳴という奴だ。
満月も元に戻り、また静かで暗い夜が帰ってくる。
私は虹を最後まで眺めた後、岩の上でただの水を飲みながら、魔理沙に疑問をぶつけ続けた。
他に訊きたい事はあったが、それは後に回す。
「それじゃ、魔理沙と魔理沙のお爺さんが、うちに四回来たのは交渉のためね」
「私は、じいちゃんに懐いてたから、無理やり付いてきただけだけどな」
魔理沙が言うには、星の魔法使いとして名高い、霧雨一族のお爺さんに、母から術を買って欲しいという手紙が届いたらしい。
呼ばれて来てみると、なるほど興味深い術であるが、交換に訳の解らぬ条件を出されてしまい、その場でお爺さんは断ったのだと。
しかし、どうにも気になって、二度目はお爺さんの方から神社に通ったそうな。
術の理論を売るのはいいが、条件が変すぎる。
今から四年後の指定した春の日に、この術を使って下さい、それがこれの対価ですってのは、一体どういう了見だ?
その後の三回の訪問の間に何を話したのか、それは魔理沙も知らない。
だけど、今の私には、ある程度解る。
母の説得に負けたのは、お爺さんにも魔理沙という可愛い孫がいたからだ。
人情に負けたのだ。
そして、三年目の約束の日が来た。
その頃には、お爺さんは約束した満月の日が、誕生日と一日ずれている事を理解していたと思うが、それはどうにもならない。
母の術は変更が出来なかったから。
私の誕生日にも、お爺さんは神社から少し離れた場所で準備はしていたものの、やはり、雨は降らなかったそうだ。
次の日、雨が降り出したのを確認して、地面に描かれた家ほどの大きさがある魔方陣から魔力を送って、雨が止む頃に月を輝かした。
魔理沙はお爺さんに付いて来て、術の勉強をしてたのだろうが、私の事が気になって、勝手に抜け出して神社まで走ってきたと言う事だ。
三年目に魔理沙が都合よく現れて、雨の後に虹が出る事まで知っていたのは、そういう訳。
「ところで、あんた。あの日から随分会わなかったけど、何処で何してたの?」
「んー? 何してたっけ。あ、森で本格的な修業に入ったな」
「魔法使いも大変なのね」
「普通の人間が魔法使いになるんだ、そりゃ大変さ。空もまだ飛べなかったし……そういや、霊夢は何時から飛べたんだ?」
「ああ。あの虹を見た次の日からあっさり飛べたわね」
「何だそりゃ」
「精神的なものだったのね。それまで私は神社で母を待っていただけだから、博麗の巫女として飛ぶ必要が無かったのよ」
「……何も習わなくても飛べるものだったのか?」
「巫女は血で飛ぶのよ」
「卑怯だぜ」
「ほれ、天才を敬え」
「あ、でも、お前血は――」
魔理沙が言い淀んだ。
そのまま声を小さくして有耶無耶にした。
「何?」
「いや、何でもない、ちょっと話が出てこなかった」
「母さんと血が繋がってない事くらいなら薄々解ってるから、隠さなくてもいいわよ?」
「……お前、何処まで思い出したんだ?」
「楽園を見た途端、あの時の夢と一緒に、色々嫌なことまで全部思い出しちゃった」
「そいつぁ、予定外の最悪だぜ」
「この際、魔理沙が知ってる事、あるだけ吐いちゃいなさいよ」
「私はほとんど何も知らないさ。あの時の虹の事くらいしか」
「母さんの事について訊いていい?」
「知らないって言ってるんだが」
「ねぇ、母さんはどうしたの?」
恐らくその質問が来ると予測済みだったのだろう。
魔理沙が答えを返したのは、すぐだった。
「何処にいるか知らないが、きっと元気にやってるんだぜ。何しろ三年目の術だってお前の母さんが……」
「正直に答えていいわ魔理沙、これはまだ核心まで行っていない、貴方が答えなくても私の答えは変わらないの」
「何度でも言うさ、何処にいるかなんて誰も解らない。だったら元気だと信じるしかないだろう」
「そうね、何処で死んだかは誰にも解らないわよね」
「酷い事言うなよ、おい」
「気を使わなくていい。これは私が今考えたんじゃないの、昔の私の記憶から引っ張ってきただけ」
「……」
「じゃ、核心に触れるわよ、母は……」
服を握り締める。
手に嫌な汗を掻いていた。
落ち着け、もう答えはある程度解ってるんだ。
「母はいつ死んだの?」
長い沈黙があった。
魔理沙は動かない。
私は、この先は聞きたくなかった。
だけど止まらなかった。
魔理沙が答えを返さない、もしくは返せないなら、これ以上追求はしないと心に決めた。
「霊夢が言いたいのは、三年目の雨はあんたの母さんの術じゃないってことか? それ以前に亡くなってたとでも?」
ようやく返ってきた答えは、とても満足できるものではなかった。
この言い方は答えを知っていて、この期に及んでまだ誤魔化そうとする嘘だ。
私の嫌いな嘘。悲しい嘘、優しい嘘。
「いいえ、雨を降らしたのは母よ。当然、死んでるでしょうけどね。だから一日ずれても報告も出来ないし、修正も出来ない」
「そこまでかよ……やばいな、本当に予想外だぜ。それが昔の記憶からってことは、お前の勘の鋭さは生まれつきなんだな」
「言いたくないならいいわよ、ここから先は魔理沙の判断に任せるから」
「霊夢、この件は、お前の方が良く解っていると思う。私は霊夢程何もかもが見えてるわけじゃない」
「言い逃れね、此処まで来てまだ誤魔化したいの。言いたくないなら面と向って言ったらどうなの?」
「霊夢が知らなくて私が知っている事は、おそらく一つしかないよ」
「だから、その知っている事を話しなさいっての」
「すまない、だけど煙に巻くつもりはないんだ。言葉にしたらそこで約束を破ってしまう」
「魔理沙、言っている事が解らない」
「なぁ……霊夢は今でも母さんの事が好きか?」
「何それ、話が飛びすぎて質問の意図が理解できないのだけど」
「大切な事なんだ。霊夢は今でも――」
「そんな質問の仕方で、私が答えると思ってるの?」
「霊夢の性格は良く知っている。だけど、それでも答えて欲しい」
「煩いわね! こんなに苦しい想いが、好きなわけないでしょ!」
「……そうか」
「まだ、愛してるから苦しいのよ! だけど、今でも愛してるからはっきりさせたいの! 何が悪い!?」
その時の魔理沙の顔は、鳩が豆鉄砲くらった顔とでも言うのか。
とにかく、ぽかんと私を見つめていた。
そんな恥ずかしい言葉が私の口から二度も出るなんて、思ってもみなかったのだろう。
「……好きじゃなくて愛してるか。さすが天才は言う事が違うねぇ、いや気持ちいい!」
魔理沙が豪快に膝を二発叩いて、気味良い音を立てた。
三秒後、叩いた場所をさすっていた。
どうも、痛かったらしい。
「で、質問に答えたら何が出るの?」
「お前の母さんもきっと喜んでいるよ。私は最高の娘を持ったってな」
「あんたね、からかいたかっただけとかのオチだったら、全殺すわよ?」
「よっし! 決めた!」
「全殺し?」
「約束を破って、明日お前に鍵を渡すぜ」
「鍵ぃ? しかも今日じゃないの?」
「持ち歩いてるわけじゃないしな。朝が来たら神社で会おう。そこで私が譲り受けた物を霊夢に返す」
「返すってか」
「ちょいと預かってただけだ。ちゃんと未開封品だぜ?」
「っとに、話す気が無いのなら、とっとと帰れ。ただし、明日ちゃんと持って来なさいよ、それ」
「お、朝みたいに、恋人の帰りを引き止めないのか?」
「誰が恋人だ。帰っていいっての、明日の朝、神社に来るって約束は破らないんでしょう?」
「当然」
「約束破ったら、針千本よ」
「お前なら、本気でやりそうで怖いぜ」
「約束破ったら、制限時間無しで夢想天生よ」
「……本気だと解って怖いぜ……」
転がる箒を爪先でひょいと蹴り上げると、魔理沙はその上に飛び乗った。
「じゃあな! 素敵な巫女! 風邪引かないように早く風呂入って寝ろよ!」
魔理沙は風を纏い、森へ去っていった。
あいつ、銘酒水道水忘れてやんの。
岩の上に立ち上がり、腰に手を当てて、水筒の中身を一気に飲み干した。
ぷはーっ、とか美味しくもないのに言ってみる。
肝心の話は何も聞き出せなかったのに、少し気分がすっきりした。
魔理沙が楽しそうに笑うと、暗闇が吹き飛んでしまう。
母さんの笑顔もそうだったな……あいつの笑顔とは方向が正反対だけど。
魔理沙が夏なら、母は春のような人だった。
白く穏やかな霞桜のような人、とは少々想い出を美化し過ぎかしら。
さ、私も神社に帰ろうか。
ただし、寝る前に、まだたくさん考える事があるけどね。
魔理沙が持ってくる何かの前に、私が忘れようとしてた事を、一つずつ心に戻そう。
明日、母の死を受け入れる為に……。
もう、あの時とは違うのだから。
私は一人神社に戻り、幼い頃の記憶の続きの紐を解いた。
―――――
幼い私が空を飛ぶ。
虹の夜に巫女の誓いを立て、次に目が覚めると、私は重力から解放されていた。
身体が宙に浮く、緩急自在、変幻自在に空を飛びまわれる。
指の間を抜けていく風の心地よさに、笑みを浮かべた。
あらゆる束縛も、あらゆる脅しも、もう私には通用しない。
負けぬ力に加え、折れぬ翼と、挫けぬ心を、あの楽園から貰った。
あるがままに幻想郷を守る、素敵な巫女の誕生だ。
行動範囲が大きく広がったので、張り切って幻想郷をパトロールして、悪を探したのだがさっぱり見付からない。
もちろん、脅威が迫れば勘が働くのが巫女なので、何も感じないという事は平和なのである。
あの時は、そんな事は知らなかったので仕方がない。
不謹慎にも、それを不満に思いながら、人や友好的な妖怪から情報を集めて回った。
しばらくして、妙な事に気が付いた。
母の目撃例が無い。
いや、ひっそりと住んでるなら、最近の目撃例が無くてもいい。
私と住んでいた頃の目撃例も無い。
異変を解決にいってきます、と私に宣言して何度も外に出ているはず。
異変の解決だなんて、ずいぶんと目立つと思うのだけど?
更に調査すると、おかしな事に、近年、異変そのものが確認されていない。
これは、どういうことだと頭を悩ませた。
大きくなった今なら解るが、この事は、慧音も言っていた。
『年齢はお前と同じくらいじゃなかったか? それ以降、異変らしき異変がなかったので歴史に残っていないな』
幾らなんでも、今の私より当時の母さんは年上に見えると思う。
つまり、長い間、慧音の歴史に残るような異変は起こっていない。
私を引き取ってから異変なんて起こっていなかったのだ。
母はここで一つ嘘を付いていたことになる。
さて、幼い私は頭を悩ませたが、母が嘘を付いてたとまでは思わなかった。
小さな異変ってのも、あるんだろうと。
それを解決に行ってたんじゃないのかと。
まぁ、これだけならそういう解釈が普通かも知れない。
私は好奇心から、母の消息を探し始めた。
会ってくれなくても、場所が解れば手紙くらい送れるかも。そんな事を考えながら。
だけど、相変わらず、手がかりは何も無いままだった。
あの日、母は術で雨を降らせているのだから、神社の近くに寄ったはずなのに。
例のお爺さんに連絡を取る事も考えたが、名前すら知らなかったので道は母より困難そうだった。
ああ、そういえば、誕生日の贈り物、どうして一日後ろにずれたのだろう?
それは少し手がかりになる気がした。
母は別れる前から、私に三年後の誕生日は夜空を見上げるように言っていたのだ。
それは、その時から、きっちり計算をしていたということだ。
満月が来るのを。
三年も先の月齢を計算してた。
それはまた、別れ際の約束にしては随分と用意周到だよね。
ずれた原因について、まず真っ先に思いついたのが、うるう年だった。
母は人里離れた山奥にでも暮らしていて、うるう年の事が頭になかったんじゃないかと。
それで月齢の計算が狂ったままだったのだ。
とは言え、今年はうるう年じゃなかった気がするなー。
一日一日、カレンダーの日付を×で潰してたから、二月の時も憶えている。
自分の家のカレンダーを遡ってみた。
二月は二十八日で終っている。
ほら、やっぱり、うるう年じゃないわ。
……。
逆に気になった。
うるう年じゃなかった事に。
ちょっと待ってよ、この前のうるう年は何時だった?
母の部屋に入る。
この部屋は昔から時間が止まったままだ。
カレンダーは三年前のまでは、楽に見付かった。
日付を潰した後、私が残していたカレンダーだ。
残念ながら、四年前のはなさそうだった。
まあ、カレンダーなんて用が無くなれば捨てられてて普通だろう。
諦めて部屋を出ようとしたとき、ふと鏡台の引き出しが気になった。
一番上は鍵で開かなかった引き出し。
二段目、三段目は、こっそり開けた事がある引き出し。
筆記用具とか、半紙とか、細々した物が三段目にあった。
二段目に私が描いた空の絵や、母の似顔絵、と呼ぶのもおこがましい私の落書きが入っていた。
落書き……?
私が落書きをした紙は主に何だったっけ?
『カレンダーの裏だ……!』
引き出しを開ける、一見固い普通の紙。
裏返すと、大量のカレンダーがそこにあった。
四年前、五年前、下に行くほど古い。
二月を探す。
八月、違う、六月、一月、四月、ああっ、バラバラすぎ! ないの!?
十二、ニ、やった、あった二月!
四年前の二月。
そのカレンダーは少々他と違っていた。
赤いペンで二十九日に大きな丸がついて『今年はうるう年』と書かれている。
私の字じゃない。
これは母の字だ。
母は四年前のうるう年を知っていた。
わざわざ、カレンダーに注意書きをするほど気にかけていた。
それは、月齢の計算の為かしら?
うん、一日多かったり少なかったりするだけで、計算が狂うものね。
……あれ? うるう年の四年後なのに、誕生日の年はどうしてうるう年じゃないの?
答えはあっさり見付かった。
人に訊いて回っていると、里の知らないお爺さんが教えてくれたのだ。
百で割れる数字の年は、四で割れても平年になるらしい。
更に四百で割れる場合は、うるう年に戻るらしい。
それが太陽暦と実際の時間の調整だと。
それで、納得した。
百年に一度法則が逆転する年が、奇しくも私の三年目の誕生日だったのだ。
母が四年後もうるう年と勘違いして月齢を計算したであろう事は、この事から十分有り得る。
四年後がうるう年ならば、私の誕生日はきっちり満月の夜だったのだ。
実際の暦は一日増えていないのだから、母の予想した満月は、実際の満月より一日早くなる。
まあ、間違えてはいたが、母はうるう年まで計算し、私の三年目の誕生日まで月齢を調べて、贈り物を届けようとしてたんだ。
それは非常に嬉しい。
結局は、贈り物もちゃんと届いたわけだし、母には幾らお礼を言っても足りない。
私は母の愛を嬉しく思い、意気揚々と神社に帰宅した。
でも、ちゃんと連絡さえしてくれれば、私も無様に桜の下で泣き明かす事なかったのになー。
確認をして……。
……おかしいよ。
山だろうが何処だろうが、日付の確認を取ろうと思えば、いつだって出来たはずだ。
少なくとも、二月が終れば、その時点で私の誕生日から計画が一日ずれるのが解る。
あれだけ前から綿密に計算をした母が、そこまで来て一回も確認を取らないのだろうか?
あまつさえ、私の誕生日が通り過ぎていく時が来ても、母は何も疑問に思わなかったのだろうか?
そもそもこの虹の計画、雨と光があれば、完全な満月に拘る必要が無い。
どうして、手前に修正が出来なかったんだろう?
それでも無理ならば、手紙でいい。
予定をずらすにしても手紙で連絡は取れたはず。
――急に寒気がした。
氷の柱を胸に抱いたような、神経が麻痺する冷たさが心に走った。
私は何をそんなに畏れている、先程の言葉の何がおかしかった……。
予定……手紙……。
ああ、思えば、最初に母がくれた手紙は少しおかしい。
秋の日の雨上がりの手紙。
あの手紙、雨上がりなのに地面に落ちていて、しかも濡れていない。
雨の中、目の前に郵便受けがあるのに、わざわざ地面に封筒を置く馬鹿なんていない。
雨上がりに配達されたとしても、どう考えても郵便受けに入れるし、地面に置いたのなら、まるで封筒の下が濡れていないのはおかしい。
雨避けがあっても地面は少しは濡れる、郵便受けから水滴が落ちてくるのだから、
上部が濡れていたのは、まさに郵便受けから垂れる雫だったし。
何故、そんなわけの解らない配達方法をしたんだろう?
他にも、あの時、外から聞こえた、カシャンという音の正体が解らないままだ。
ガラスに皹が入ったような音……ええと、母が山で結界を破った時の音に似ているかも。
あちらの大きさとは比較にならない音だったけど、極端に小さくしたならそんな音になると思う。
もしかして、あの封筒は結界に包まれて運ばれたんじゃないのかしら?
結界張ったままなら、口の細い郵便受けには入らないだろうし、結界が破れて、私の目に晒されたと。
透明な結界の中に、手紙を包むか。
その考えは、母らしくロマンティックだと思えた。
あ、でも、あの時は直ぐに飛び出して、辺りを探したのに、空に人影は無かったわね。
と言う事は前もって、母は透明な結界で包んだ封筒を、昔からそこに用意してたと言う事?
わざわざ割れる時間まで計算して……それは少し無駄にやり過ぎじゃないかなー?
私が結界に気付かないとロマンティックじゃないし、だったら、割れた後に私がもっと簡単に気が付くような証拠を残さないと意味がないよ。
またぞわりと寒さが蠢いた。
そうか、気付いたらまずいんだ。
私に気付かせない必要があるんだ。
隠しておきたいから、普通の手紙に見せかける為に、そんな遠まわしな事をしたんだ。
むしろ雨が降った時に結界が割れたのは、大きな誤算だったのだろう。
晴れの日に、郵便受けの下に手紙を見つけられれば、私はそこまで疑問に思ったりしない。
何故、今配達されたような嘘を付く必要があったのか。
疑い出したら、色んなことが急に気になった。
大きな異変がなかったのに、母が外に出るたびに私に言っていた、異変の解決の事。
あれは、本当は何の用事だったんだろう……。
あの時の、母の飛び方も妙だ。
風を利用したゆったりした飛び方が巫女の飛び方だと思っていたが、私が飛べるようになってみて、風を待つ必要なんか全く無いのが解った。
大体、母さんは、私を妖怪から助けに来た時には、風神顔負けの速度で飛んで来たじゃないの。
母は元からあんな飛び方をしていたわけではない。
ああいう飛び方をしたかったわけでもない。
力を抑えて飛ばなくてはならない程に、体力が無かったんだ。
実際、私を助けに来たあの一瞬の飛行でも、母は肩で息をしなくてはいけないほど疲労していた。
あの後、冬に倒れたのも、本当に風邪だったのかな?
我慢強い母が、風邪で突然倒れたりするものかな?
まさか、何か別の病気だったのでは?
異変を解決しに行くという台詞はやっぱり出任せで、実際は医者に掛かっていたりして、私に病気を気付かせないための嘘だったのかも。
そういえば、春に解れる時、母は急激に痩せていた。
あれも悲しみなんかじゃなくて……病気で……。
でも、そうなると病気を隠す事自体が良く解らない。
本当に長い間、隠し続けていて、最後に解れる時まで、まだ隠し続けていた事になる。
病気の症状が大変重く、私に心配かけないように、最後まで隠し通していたのだろうか?
もしそうだったら……。
別れ自体が博麗の掟などではなく、母の病気を隠すために行われてたとしたら。
まさかとは思うけれど、母はもう病気で……。
頭を振った。
三年間ちゃんと贈り物をくれたし、最初の秋には手紙だって届いているんだ。
あの綺麗な毛筆で書かれた字は、大病を患って動けないような人の字ではない。
だから、少なくとも秋の頃はまだ元気で。
いや、そうじゃない。
あの手紙は普通じゃない、秋に書く必要はないんだ。
随分、昔に書いたって構わない。
時限性の結界を使えば、書いた時期を誤魔化す事が出来る。
このずれを利用しようとしてたなら、この無駄に手の込んだ酔狂な手紙の出し方も理解できる。
しかも、あの封筒、秋に肌に触れて冷たいと思うほどに、冷えていた。
気温より封筒の持つ温度の方が低かった。
冬に書いたのを、閉じ込めておいたのかもしれない。
あの手紙に、母の近況は一切書かれていなかったし、春に帰ってくることなんて、触れられてすらいなかった。
当然だ、あの時は、まだ春に戻ってくる約束なんかしてなかったから。
帰る事の約束も、贈り物の約束も、両方とも別れ際に唐突にしたような気がするが、贈り物については即座に思い浮かぶものではない。
それは月齢の計算の事を考えれば明らか。
春に帰る約束は、私の声に負けて、その場で約束してしまったのだろう。
だから手紙に書けなかった。
近況だって未来の事は書けない。
手紙の後半は、唐突に、人生の教訓みたいな話で埋め尽くされているし。
愛してるなんて言葉も、あの手紙で初めて聞いた気がする。
あの内容じゃ、まるで……。
母から子に残す遺書みたいじゃないの……。
あの手紙をああやって残して置いた母は、己の死期を、秋より前に予想してたと言う事なの……?
寒さはもう全身を覆っていた。
立っているのが辛い。
急速に世界が熱を失っていく。
額に手を当てて、千鳥足で神社に歩いていき、母の部屋まで上がると、畳に膝から落ちて座り込んだ。
『生きてるよね、母さん? 元気だよね、母さん? 春の術だって母さんがやったんでしょう?』
震える声で鏡台に呼びかける。
そこに座っていたはずの母の笑顔が、今日だけは幻視出来なかった。
こんな時に、術も結界を利用したものなのかも知れない、なんて考えてる自分を呪った。
考えなきゃいいのに。
悪い方向へ、悪い事ばかり考えて、集めて一つにして、どんどん自分を追い込んでいく。
駄目だ、楽しい事を思い出そう。
母さんが手紙に書いてたじゃないか。
悪いことばかりを思い出さず、楽しい事を思い出しなさい。
しかし、あの文面すら、私が嘘に気が付いたときに後ろへ下がれるように、母が予防線を張っていたような気がしてきて……。
そんな風に考え出した自分が、心の底から憎かった。
『確かめればいいんだ』
証拠を外に探しに行こう。
術符を見えない結界に封じ込めていたとしても、その後で符を燃やしたとしても、灰は残る。
私は立ち上がった。
境内に出て、符の残骸を探し始めた。
三年目の誕生日から、まだ遠い日は経っていない。
探すなら、今しかない。
結果は解っている。
恐らく徒労に終る。
何しろ隠し場所の見当もつかない。
例え、私の考えが全て正しかったとしても、偶然にも場所を探し当てたとしても、灰なんてもう残ってはいないだろう。
だけど、見付からない事が探す目的であり、私の歓迎する結末だ。
証拠が無かったら、そこで考えが止まる。
見付からなかったという、結果だけを考える。
それ以上は進まない。
逆にそれを証拠にして、全ては妄想だったという事にする。
外に出て、神社の周りをぐるりと一周。
何も、見当たらない。
私の良く知る、普通の神社。
綺麗な空と引き換えに、少し寒くなってきた秋の境内。
あの日、雨が降ってから、何も変わらぬ平穏で平常通りの寂れた神社。
やがて、意図的に探すのを後に回していた、賽銭箱の前に来た。
ここを覗く時が一番恐怖した。
人の来ない神社の賽銭箱。
枯葉や、木屑が飛んできて、僅かな五円玉と一緒に混ざっている雑多な賽銭箱。
母にとっても、神社にとっても、関係が深く、隠し場所として思いつきそうな場所。
上から息を潜めて覗きこむ。
結果に、ほっと息をついた。
それらしき物の姿は無い。
やっぱり、私の思い過ごしだ。
回収するほど溜まらない空っぽの賽銭箱が、今日は恋しく思える。
あの日、霧雨のお爺さんが入れてくれた綺麗な五円玉が、まだ稲を光らせていた。
懐かしいな。
そういえば、お爺さんは、あの時点で三年目の母の計画を知っていたはずだ。
だから、あんなに感慨深そうにしてたのかも。
きちんと作法通り賽銭を入れてくれて、その後、長い間目を瞑って空を仰いでた。
それから、境内と縁側と私を眺めて帰っていったっけ。
……?
一つだけ動作が浮いている。
縁側を眺めた?
私の視線は、賽銭箱から見える縁側から動かなくなった。
あの時お爺さんが向いていた、斜め右前の方向から。
縁側の下は……最高の隠し場所じゃないか……。
馬鹿、馬鹿。
何で余計な事を考えたんだ。
勝手に、足が縁側に向いた。
どうして私は、いらない事に首を突っ込もうとするんだ。
歩き出す、止まらない。
私は、縁側に辿り着いた。
張り付いたように、私の足は其処から動こうとしない。
いいえ、大丈夫。
あるわけがないのよ。
根拠に乏しすぎる、お爺さんがちょっと向いただけって。
全く笑っちゃうわよね。
子供の発想、馬鹿げた思案。
この下を見て無かったら、他の縁の下は絶対に探さない。
此処を調べれば、疑わしい事はもう無くなる。
幾ら大丈夫だと言い聞かせても、私は怖くて怖くて、あの下に悪魔でもいるような気がして仕方が無い。
だけど、今調べないと、例え何も無かったとしても否定の材料にならないじゃないか。
完全に風化する前に動かないと、私は生涯、縁側の下の悪魔に悩まされないといけない。
何も無かったという結論が、どうしても必要なのだ。
私は、えい、と思い切ってしゃがみ込んだ。
動きの無い冷たい土と、広がる暗い空間。
秋晴れの空が信じられないほど、縁の下は静かな時を湛え、冷たい独自の世界を作っていた。
見た感じ、土以外は何も……。
「きゃっ!?」
その時、奥で緑色の何かが光った。
驚いて尻餅をつく。
あ、ああ、何だ猫か……。
僅かな光を集めて、緑色の猫の目が光っている。
猫は、私が尻をはたいて起き上がる前に、闇の中へ消えていった。
全く脅かさないでよね。
でも、猫の目如きに、尻餅つくなんて。
たかが縁の下を、見知らぬ地獄のように怖がっていた自分がおかしくなった。
それで、少し勇気を取り戻した。
さあ、探そう。
探すといっても、外からじっと目を凝らして、暗闇を眺めるだけであるが。
それで何も無ければ……。
その、黒いゴミのようなものを発見したのは、探し出してまだ数秒も経ってない時だった。
ピントを合わせるように、目を擦って、じっと正体を見極める。
そいつに裸の心臓を鷲掴みにされた。
『嘘……やだ……やだっ!』
黒い三角形の断片があった。
あれは紙だ。
灰に近い、焦げた紙だ。
縁の下の地面に紙が張り付いている。
あの紙は……。
違う違う、何、想像しちゃってんの。
あれはただのゴミだって。
暗いから判別できなくて、悪い想像をしてるだけだ。
本当に、もう、考えるだけで怖いじゃない。
やだよ、何で見付かっちゃうのよ……。
距離は結構遠い。
手はとても届かない。
箒を持ってきたが、それでも届かない。
そこで、散々迷った。
いや、取るのは簡単だ。
箒の柄の先に熊手を括り付けて伸ばせば、それで届くだろう。
それでも駄目ならば腹這いで進めば良い。
だけど、その後で調べるのが怖い。
調べて本当に、あれが術符の断片だったらどうするの?
そうなったら完全に思考の逃げ道がなくなってしまう。
だけど、結局、私はその黒い三角を取る事にした。
ここまで来て逃げても、一生その事が気になって、同じ結果になるだろう。
不確定な恐怖に脅えるより、明かりに晒せばやはりただのゴミだったという可能性にかけよう。
そう決意した。
熊手が土ぼこりと一緒に、符を私の手元に運んでくる。
それは、全体が黒かと思っていたが違った。
確かに三角形の底辺は、黒く焼け焦げてギザギザだった。
だが、そこから上に上ると焦げ茶色に変わる。
頂点の方は、まだ白く残っている。
文字が見える。
赤いノの字を左右反転させたようなものが。
白から茶色の領域にかけて……。
これはもう只の紙じゃない。
燃え尽きていなかった。
符は残っていた。
雨を呼ぶ符は、己の雨のせいで床下に湿気を篭らせ、皮肉にも自身を完全に燃やす事が出来なかったのだ。
出来すぎだ。
酷すぎだ。
こんな偶然があってたまりますか。
偶然に偶然が重なって。
悪魔に手を引かれる様に、私は答えに辿り着いてしまった。
いつもなら、何の事は無い、只の出来損ないのゴミ一つが。
全ての悪意の象徴であるかのように、目の前で揺れている。
私を嘲笑っている。
好奇心が嘘を殺した。
好奇心が母を殺した。
私が、気が付かなければ。
何も変わらぬ日々だったのに。
私が台無しにした。
母の嘘を。
母が私の為に死ぬまで隠し通した優しい嘘を。
私が、私が、私が……。
博麗の掟なんて初めから無かったのだ。
全てが、私のための嘘だった。
母は苦しかったのだろうか。
解らない。
病名も解らない。
私には、何一つ伝えられなかった。
痛みも苦しみを言葉に出来ぬまま、一人で悩みぬいて。
私を生かす事だけを考えて、沢山の嘘を付いて。
最後まで笑顔で私に接して。
いよいよ死の間際まで、私の傍にいたのだろう。
私を受け止めてふらつくまでに痩せ細って、それでも隠して、最後まで騙して。
死して子に嘘吐きとなじられても、本当の事は何も形にせぬまま死んだ。
私のせいで、あんないい人が墓に名も残せず死んだ。
誰にも看取られず、誰にも悟られず、たった一人で声も上げず。
どれほどの孤独か、どれほどの惨めか。
私さえいなければ、母はもっと安らかな死を迎えられただろうに。
……そんな嘘を、私が台無しにした。
『……いやあああぁぁぁあぁっ!!』
―――――
「思い出すだけでも、結構来るものがあるわね……」
私は布団の上に座って目頭を押さえた。
当時の私では、とても母の死に耐えられなかっただろう。
母もそう思ったに違いない。
だから、私が生きていく為に、母は死を隠した。
恐らく母は早い時期から死を予感していたのだろう。
その期間に、ありったけの準備をしてたのだ。
術の事はもちろんだが、私に残された食料も相当に多かった。
私の衣服も、成長に合わせて揃っていた。
その代り、箪笥に母の着物の姿が無かった。
母が自分のものは持って行ったのだろうと、幼い私は考えていたが、ほとんど手ぶらで母は飛び去ったからそれは違う。
生活費に換えていたのだ。
私に生きる為の希望を残して、母は死の全てを隠した。
生きてるように見せかける為に、毎年、術を発動させて、一番辛い一年目には手紙を残しておいてくれた。
二年目、三年目に連絡が無いのは、母離れのために突き放したのかも知れないし、ただ準備が間に合わなかっただけかも知れない。
ある程度私が成長し、母離れが完了した所で、母は最期の術で私に楽園を見せ、そこで巫女としての自覚を持たせた。
私は母の死は知らないまま、一人前の巫女として楽園を生きていく。
その筋書き通り、全ては上手くいった。
私が気が付くのが早過ぎたのを除けば……。
その時の私が、母に取れた親孝行は一つだ。
計画は、何も知らなかった事にする。
母の意志を尊重して楽園の巫女を継ぐ、けれど母の死は知らない事にする。
母は何処かで生きていて、そんな残酷な死に方はしていない。
とてもじゃないが、自分の為に母がそんな死に方を選んだなんて受け入れられなかった。
ああ、親孝行なんて言葉すら、私の心を必死に守るために考えた思い込みなのかも。
満月が一日ずれた事は無く、完璧に母の願いは成就したと。
そういう事にするために、あの日考えた事を忘れようとした。
少しずつ時間をかけて、忘れようと頑張った。
部分的に忘れるのは難しいし、忘れても他の事で思い出してしまう。
そこで関連のある物事も全て忘れようとした。
網をかけるように、周りのものも段々とぼやかしていく。
その為に、部屋も整理した。
カレンダーの絵も捨てた。
母を思い出すものは、出来るだけ奥に片付けた。
そうして長い年月が過ぎ、私は望む望まないに関わらず、過去の全てを忘れた。
「母さん……ごめんね……忘れてた、私」
私が母さんを忘れてた事はどうなのだろう。
やはり親不孝なのか。
意外と親孝行なのか。
母の死を知るぐらいならば、全て忘れた方が母の望む所なのか。
悲しい嘘が全部暴かれても、やはり母は私に思い出して貰いたいのか。
布団から起き上がって、母の部屋に向う。
だけど、そこに昔の面影は無い。
私が何もかも忘れてしまったから、元々狭かった母の部屋は、家の物置みたいになってしまった。
鏡台の周りだけが、何も置かれずに、昔のままの姿を見せている。
私は潜在的には、まだ母の記憶を持っていたのかも知れない。
あの場所は母の場所だと、意識していたのかしら。
試しに、母の姿を鏡台の前に投影して見た。
しっくり来ない。
やっぱり、環境が違いすぎるわね。
これでは思い出の母も満足に帰ってこられないだろう。
「明日、少し荷物を片付けましょうか」
もう一度寝間に戻る。
私の布団にしがみついて、幼い私が泣いていた。
私がその頭に触れる前に、幻は幻らしく消えていった。
小さい頃の真似をして、布団の中で丸まってみた。
あの頃程、布団の大きさを感じなくて、寂しくなった。
おやすみ、と一言呟いて布団から手を伸ばし、枕元の明かりを消した。
布団の中で、昔の自分に謝った。
忘れててごめんねと。
母にも謝った、部屋を散らかしていてごめんなさいと。
それから祈った。
せめて天国では、誰もが悩まず苦しまず、心から笑えていますように。
母が母らしく笑えてますように。
眠るまで、それだけを神に祈った。
―――――
魔理沙は早朝に歩いてやってきた。
昨日の雨と朝の露が、朝日を反射する鳥居の下を、魔理沙はわざわざ歩いて登場した。
逆光で魔理沙に後光がさしてるように見えて、何時もと違う神秘的な雰囲気に呑まれそうになる。
口を開けば、やはり魔理沙は魔理沙だった。
「どうだ、少しは格好いい登場が出来てたか?」
「自分で台無しにしてどうするか……」
「私の方も視点が変わるだけで、周りの景色にずいぶんと変化があったよ」
言葉の続きを待ったが、魔理沙はそれ以上喋らず、縁側まで歩いてくる。
重力のままに尻を落とした。
黒いスカートと尻がぼふっと音を立てる、こいつ神社登って来ただけで疲れてるのかしら。
「やー、実際疲れた」
「人の心読まないでよ」
「ここらで熱いお茶の一つでも欲しいぜ」
「はいはい」
「おお? 自分で言ってなんだけど、こんな早朝から熱いお茶の準備が出来てるのか?」
「朝起きたら、まず湯を沸かすのよ。お茶のない人生なんてゴメンだわ」
長い話になるのだろう。
お茶の一杯くらいは出してやらないと。
私が急須と湯の身をお盆に載せて戻ってくると、魔理沙はありがたいと言って、両手で湯の身を握り締めた。
「ふぅ、沁みるねぇ」
「まだ、握っただけじゃないの」
「飲まなくても暖かい飲み物ってのは有難い。特に寒い朝の悴んだ指には特効だぜ」
「いいけどね。で、持って来たんでしょうね?」
「おー、寒くなると太陽が綺麗に見えていいな」
「おい、こら」
「解ってる解ってる。そう焦るな」
一口お茶を飲んでお盆に戻すと、魔理沙は立ち上がった。
って何で立ち上がるのよ、と思う間も無く、次はその場でジャンプし始めた。
「はぁ?」
「ラジオ体操だよ」
こいつ、いい加減夢想封印するか、とか。
そんな考えに至った所で、魔理沙のポケットから一枚の封書がはらりと落ちた。
「ん? 何か、落ちたわよ魔理沙」
「そ、そ、その手紙はー」
「……?」
「うわぁ、そ、その手紙は霊夢にだけは見せてはいけないのにー」
台詞が物凄い棒読みだった。
「ふ、不可抗力だー。ただラジオ体操をしてただけなのにー」
物凄い言い訳だった。
物凄い大根役者だった。
これで演技してるつもりなのか。
呆れた。
「なんてことだー。このままでは霊夢に拾われてしまうー」
それでも私が拾わないでいると、興が醒めたじゃないか、という顔を見せてから、爪先でずりずりと手紙を私の前に持ってきた。
このままでは、いつまでもこの泥臭い芝居を見なきゃいけなそうだったので、欠伸をしてから拾ってやる。
「これが、あんたの言っていた鍵ってわけ?」
「ああ、拾われてしまったかー、仕方ないよな。霊夢相手じゃ私もどうしようもないぜ」
「それは、もういいから、真面目に話せ」
「約束にはまだ二年程早いんだけどな。受取人のとこ見ろよ」
『楽園の素敵な巫女 様』
「かあ……さん……?」
「イエス」
「何、何であんたが母さんの手紙持ってるのよ!?」
「そりゃ、渡されたからだよ私に。霊夢の母さんから」
「どうして!?」
「さあ、あの頃の霊夢の唯一の友達が私だったからじゃないか?
最も私が小さい頃はずっとじいちゃんが預かってたんだよ。別れが来て始めて私に渡された」
「別れ?」
「ストレートに訊くなー。お前も」
「ごめん、触れない」
「裏表があるんだか、ずっと裏なんだか、良く解らない奴だ」
「この手紙、何時渡されたの?」
「お前の母さんが、お前の所からいなくなった時期とほぼ一致すると思うぜ。
約束の十年後、霊夢が母の事をまだ憶えていたら渡してあげて欲しいと頼まれていた手紙だ」
「……何で、今頃なわけ?」
「さぁて、な。お前の精神が大人になるまでの、猶予期間だったりするんじゃないか?」
「それじゃ、この手紙に、母の死が書かれているの?」
「知らん」
「知らんって……」
「誓って言うが、その手紙は誰も封を開けちゃいない。私が持っているものはそれだけだ。ちゃんと返したぜ」
あ、まさか、こいつ、またいい所で帰る気か!?
「待った、まだ話は終ってないわよ。帰るなって」
「私は気を使ってるんだぜ? 泣いてる姿なんて見られたくないだろう?」
私が魔理沙の言葉を理解するまで、少しだけ間があった。
「ば、ばかっ! 手紙一つくらいで泣かないっての!」
「泣くって」
「泣かないっての!」
「別に恥ずかしい事じゃないぜ」
「だ、だったら、ここにいなさいよ」
「やっぱり泣くんじゃないか。誰かがいたらしょうもない照れで、思いっきり泣けないだろうが」
私は泣くのだろうか。
手紙一枚で、本当に泣けるものなのだろうか。
「身内の死を知っても、涙も出ない奴が世の中にはごまんといる。泣ける奴は上等な人生だと思うぜ」
「そうかしら……」
「後悔しないように精一杯泣け。それが死者に届くたった一つの認め方だ」
「認め方?」
「死を認めてやるんだよ。さようなら、天国へ行けよってな」
「何だか冷たい話ね」
魔理沙は答えず、背伸びをして光の中を歩き出した。
「箒、置いたままよ?」
「霊夢が泣き終わる頃には戻ってくるさ。少しなまった身体を石段で鍛えてくるぜ」
「だから、泣きませんっての!」
「泣いた方が気持ちの整理もつくぜ?」
「まるで、私を泣かせたいみたいね」
「死のインパクトが強すぎて顔を背けたくなる気持ちは解る。だけど死を認めてやらないと、どうしても先に進めない。
死は一つの悲しい終わりだが、それで残された者に何も出来ないかと言うと、どうも違うらしくてな」
魔理沙の足が止まる。
振り返った彼女の顔は笑顔だったが、光の下に涙を隠しているような感じを受けた。
「好きなだけ楽しかった想い出を思い出してやれ。そいつが残した者、残された者の双方が望む、唯一間違いの無い弔い方なんだろう」
「……あんた、何かあったの?」
「別に何も。誰だって生きてりゃ別れの一つくらいあるさ」
静かな朝に魔理沙の足音が響いた。
わざと水溜りを踏んで、おどけて見せる。
それが魔理沙の強がりに見えて、少し悲しかった。
「今日は晴れるぜ」
その言葉を最後に、魔理沙は石段を降りる。
最後に残った頭の帽子の先が、手を振るように揺れていた。
「……ありがと」
残された私は手紙をもう一度見つめた。
鋏を持ってきて、上部を綺麗に開封する。
中には手紙が二枚。
そして底に一つ銀色の小さな……これは、鍵か?
魔理沙の言葉は別に暗喩ではなくて、本当に鍵だったのか。
手紙を広げる。
母の字は少しだけ崩れていた。
あの時ほど綺麗な毛筆ではなかったが、それでもバランスよく配置されている。
静かな朝に深呼吸してから、私は二枚の手紙を読み始めた。
『親愛なる博麗の素敵な巫女様へ。
有難う、霊夢。
貴方は私の事を覚えていてくれたのですね。
この手紙を読んでくれている事。
私はとても嬉しく思います。
元気にやってますか?
大きくなったでしょう、美しくなったでしょう。
今日まで、本当に良く頑張りましたね。
あのくせの無い黒髪を撫でて誉めてやれない事を、とても残念に思います。
貴方の手を引いて、二人で神社の石段を登った事は、今でも昨日の話のようです。
霊夢と暮らした全ての事は、今でもキラキラと輝いており、全く色褪せる事がありません。
霊夢は私にたくさんの宝をくれました。
三年と言う短い間でしたが、私の一生で最も大切な時間であったと断言出来ます。
霊夢と出会えて本当に良かった。
さて、語りたい言葉は幾らでもあるのですが、先に大事な事を済ませておきましょう。
私が吐いた嘘の事を。
長くなりますが、私と霊夢との出会いから、始めさせてください。
貴方との出会いまでは、聞いた話になるけど、ごめんなさい。
霊夢を産んですぐ、霊夢の本当の母は不幸にも亡くなってしまったそうです。
貴方は父方の実家に引き取られ育てられましたが、そこで問題が起きてしまいました。
あの子が大泣きをするたびに、村に災厄が訪れると。
あの子が不幸を呼んでるのだ、と噂になりました。
ええ、霊夢は何一つ悪くありません。
霊夢には生まれた時から、強い力が備わっていたようです。
貴方は災厄や異変が訪れると、それを肌で感じ取ってしまい、上手く言葉に出来ず泣いてしまっていた、それだけの事だったのです。
不幸を呼ぶなんてとんでもない言い掛かりですが、愚かにも村の人は信じきっていました。
凶事が続いたのです、何かに原因を求めないと怖くて仕方ないのでしょう。
偶々、貴方がその対象に選ばれてしまった。
とても可哀想な話です。
話を聞いて、私は直ぐに村の人を説得に当たりました。
表面上は私の説得に頷くのですが、それは普段の異変解決の義理からであり、本心から頷いていないのは明らかでした。
とにかく一度その子に会わせて欲しいと、私は申し出をしました。
数日後、私は貴方に面会することが許されました。
実質の座敷牢でした。
やり場の無い怒りを覚えながら、私は鍵を開けてもらい、貴方に会いました。
おかっぱ頭の可愛らしい女の子がいました。
話してみると、相当に頭の切れる子でした。
こんなに幼くても私の言葉にきちんと答えを返してくれる。
自分がどうして閉じ込められてしまったのかも、理解している。
それでも、この子の瞳は生を信じて疑っていない。
その強い瞳の輝きに惚れました。
己の境遇を呪う事も、周りを非難することもなく。
ただ生きるという、生の使命を全うしようとしている。
話をするたびに、この子に情が移ってしまい、将来がますます心配になりました。
このまま閉じ込められて暮らすのか、殺されてしまうのか。
明るい未来は、私には浮かびませんでした。
彼女ならきっと立派な巫女になれると。
是非、引き取らせて欲しい。
私に育てさせて欲しい。
そう願い出たのは、その日、貴方の部屋を出た直後でした。
巫女になれるかどうかは、半ばはったりが混ざっていましたが、元々厄介払いがしたかった家の主人は二つ返事で了解してくれました。
私は霊夢の意志を尊重するために、霊夢が来たいと言ってくれる時を待ちました。
何度も足を運びました。
六日目に紅白の巫女服を着せてやると、顔を輝かせて喜びました。
その時、私と共に暮らす事を選んでくれました。
そうやって貴方は博麗の巫女として、神社に来たのです。
憐憫はあっという間に愛情に変わり、私は貴方を本当の娘のように愛しました。
結界の張り方、破り方、払う力、止める力、砕く力、避ける力。
霊夢の才能は、私の予想を遥かに上回ってました。
天才という言葉にふさわしい人材を、私は生まれて初めて目にしました。
貴方が黙って従うのをいい事に、私は少々厳しい修行をさせてたかも知れません。
霊夢に惚れ込み過ぎていたことは、認めます。
それでも貴方に一日も早く、立派になって欲しいと、それだけを考えていました。
自分の身体に嫌な予感がしていたからです。
疲れが取れません。
何日経っても、身体が重くて仕方なくて……。
頑張りすぎたのかと、しばらく様子を見ましたが、やがて変化の無いだるさに怖くなって医者に駆け込みました。
病名が不明なまま、風邪薬を持たされて帰りました。
何ヶ月も通って、ようやく解った私の病名は「血液のがん」だそうです。
ずっと昔から存在する病気だと聞かされました。
昔からあるのならば、治療法もあると信じていました。
残念ながら治療法は幻想郷には存在しないと、その場できっぱり言われました。
実質の死の宣告。
信じられなかった。
『正確には血液のがんではなく血球のがんです』
どうでもいい事を飄々と続ける、医者を恨みました。
唯一助かったのは、私の病気の進行が極めて遅かった事です。
この状態なら、最長で四年も生きた例もあると。
たった、四年かと怒鳴り散らしましたが。
明日、死ぬぞと言われるよりは救いでした。
私はまだ、霊夢が一人前になるまで、どうしても死ねなかったから。
私は未熟な親でした。
すくすくと育つ貴方の背中に、真実を告げることが出来ませんでした。
何度、告げようとしても、貴方は笑顔で私の声に走ってくる。
この笑顔を泣き顔に変える権利が私にはあるのか?
何度も自問しました。
問うたびに、色々な思い出が浮かんできては離れてくれない。
お風呂でじっとしているのに我慢できなくなって、泡のついたまま私の手をすり抜けて、勝手に風呂に飛び込んだこと。
縁側に座り、縁側の下を覗き込んで、危ないから止めなさい言っても大丈夫、大丈夫、と止めてくれなくて、そのまま落ちて頭を打った事。
良く解らぬ落書きを、これは母さんだと主張され続けて、何だか私もそんな風に見えてきた事。
竹箒を剣に見立てて、威勢の良い言葉を発しながら、降ってくる秋の落ち葉と格闘していた事。
靴下が伸びる様を面白がって、何度も何度も引っ張られて、私の靴下が二足も台無しにされた事。
私が妖怪役をやらされて、霊夢に適当に退治されてあげてると、妖怪はもっと強いんだよー、と霊夢に駄目出しされてしまったこと。
行動の全ては物言わぬ言語でした。
統一性の無い言葉は、笑顔で括られていました。
まるで自分の役割が、母に向って笑う事だと自覚していたように。
遊びという言語で、霊夢は私との関係を確かめていた。
私も何時までも霊夢と遊んでいたかった。
時間さえ、それを許してくれるならば。
結局、私が選んだのは嘘を突き通すことでした。
立派に子を育てる事こそが、母の役目であると。
私の病気も、私の死も、霊夢には足手まといにしかならないでしょう。
何時か私が死ぬのならば、貴方が挫けずに生きられるような環境を残してやりたい。
無理だと思いましたが、里親を探しました。
やはりまだ霊夢を恐れていて、引き取り手はいませんでした。
悲しい話です、こんな素晴らしい子を、どうして解ってやれないのでしょうか。
先代から付き合いがあった家も『神社に寄る事すら怖いのに』と迷惑そうな顔で首を振りました。
怒りに涙を流しながら、私は会話の途中で席を立ちました。
神社に戻る前に涙を拭いて、何事も無かったように、空から風に吹かれて霊夢の元へ戻る日が続きました。
貴方の、お帰りなさいの声が。
その母の帰還を無邪気に喜ぶ声が、私の馬鹿な決心をますます固くさせました。
私は生きている間に霊夢に残せる事を考えながら、毎日を過ごしました。
着物を売って、貴方の服や毛布を買いました。
食糧を買い込む金を作りました。
霊夢は力は強大でしたが、精神はまだまだ幼い。
私の死が貴方の心を折ったりしたら、どうしても自分が許せない。
私は嘘を重ねました。
最後の最後まで。
嘘はどんどん大きくなり、やがて自分の死すら越えていきました。
私は死ななかった事にする。
三年間の贈り物もその時に考えました。
貴方の誕生日に、丁度満月が来る事を、神が最後にくれた奇跡だと思って。
結界の中に、ありったけの愛情を込めて。
手紙と、春の暖かさと、春の風と、春の雨を残しました。
後は満月なのですが、満月を輝かすのは今の私では力が不十分で無理だと解りました。
そこで、先代と少しだけ交流のあった、星の魔法使いとして名高い霧雨家に、駄目もとで手紙を出しました。
最初の交渉は決裂しました。
二度目に来てくれた時に、全てを話して欲しいと言われ、私は計画の説明と説得に全力を注ぎました。
話を聞いた霧雨のお爺さんに、こう言われてしまいました。
ならば、生きているうちに術を見せてやりなさい。
あの子は、貴方と二人で見る事を望んでいる。
貴方が生きてる間の事だけを考えなさい。
全てを話し、少しでも多く抱きしめてあげなさいと。
私はそれを受け入れられませんでした。
私はもう、貴方を立派に育てる事を第一に考える事が、母の役目であると信じるしか無かったのです。
交渉はまたも決裂しました。
だけど、逆にお爺さんは、何度も私を説得に来てくれました。
最後には、お爺さんの方が私の考えに折れて、三年目の計画を約束してくれました。
あの時のお爺さんの苦虫を奥歯で潰したような、やり切れない表情は忘れられません。
やがて、冬が来ると、強烈な貧血のような眩暈を前にして、私は倒れてしまいました。
もう、霊夢といられる時間が短い事を悟りました。
動けなくなる前に空に飛ぼう。
私の死を決して霊夢に知らせてはならない。
春にはここを出ると決めました。それが私に出来る愛し方だと思って』
一枚目の手紙はそこで終っている。
涙は出なかった。
手紙はびっしりと私の事で埋まっていた。
実の親の事なんて、私にはどうでも良かった。
母の苦悩が、ひたすらに胸を締め付けた。
母さんはどれだけ私を愛していてくれたのだろうか。
私はどれだけそれに応えられてたのだろうか。
語る言葉を持たないまま、二枚目の手紙を手に取った。
『別れ際に霊夢と交わした約束、戻ってくると言う約束。
あれは、霊夢に負けて仕方なく吐いた嘘ではありません。
本当に戻ろうと思っていました。
霊夢の涙を見て、貴方の苦しみに、私の苦しみはまだ足りていないと。
私だけが楽になるわけにはいかないと。
何としても一年頑張って、貴方の誕生日に戻りたいと願いました。
僅かな段差に躓くほどの消耗した私が、一年後に生きていたとしても、そんな姿で戻れば全ての嘘がばれるかも知れない。
だけど、戻りたい。
戻って霊夢の頭を撫でてあげたい。
良く頑張りましたねと、強く、強く。
霊夢を抱きしめて、耳元で愛を囁いてあげたい。
一年頑張ろうと春にあれだけ誓ったのに、私は、夏にはほとんど動けなくなっていました……。
貴方に会うかどうか悩みました。
鏡を見て唇を噛みました、自分は幽鬼のように痩せ細ってしまっていた。
幾ら紅を引いても、何一つ死を隠せません。
会えば、霊夢に悲しみを与えるだけでしょう。
それでも、会うべきなのでしょうか。
悩んでいるうちに、私は飛ぶ事も出来なくなりました。
全ては夢の中に消えていきました。
私の死を隠して、貴方の感情を操ろうとする事は、やはり私の傲慢だったのでしょうか。
霊夢の傍に一秒でも長く居続けて、全てを語り、屍を越えさせるのが、母の役目だったのでしょうか。
こんな事を考えている事自体が、私の傲慢なのかも知れない。
死が近づいて来ても、未だに良く解らないのです。
霧雨のお爺さんが何を言いたかったのかは、今なら身に沁みて解ります。
だけど、私が残した事の全てが間違いだったとは思いません。
今は計画を信じて、貴方の未来を祈る事が、私が取れる最善だと思います。
ああ、どうしても湿っぽい話になってしまいました、ごめんなさい。
以上が、貴方の出会いから事の顛末です。
さあ、ここからが大事なお話。
不幸な母だな、なんて思われたくありませんから、精一杯書かせてもらいます。
碌に筆も握れぬ手になりましたが、私の思いを包み隠さず、書けるだけ書いておきます。
私は人生にやり残した事が、たくさんありました。
霊夢にうんとおめかしさせて、二人で町に出てみたかった。
綺麗な簪の一つでも買ってあげて、座敷でご馳走を腹いっぱい食べさせてあげたかった。
霊夢に沢山の友達を作ってあげたかった。
もっと遊んであげたかった。
もっと構ってあげたかった。
もっと愛してあげたかった。
私は、霊夢にしてやりたかった事が、まだまだ山ほどありました。
ですが、それは残念な事でもありますが、嬉しい事でもあるのです。
私には、これだけ気にかかった愛しい娘がいるのです。
この想いが、私が天国に持っていける最高の財産。
持てるだけ持って、天国へ行きましょう。
天国に着いたら、私が知る限りの人に、聞かせてあげましょう。
私には、こんなに立派な娘がいましたって。
幾ら愛を注いでも足りない、最高の娘がいましたって。
死という結末を迎えようと、霊夢と過ごした日々が霞むような事は、決して無く。
霊夢という煌きを残せたからこそ、私の死後の世界は豊かなものになるのです。
これから霊夢がどんな生き方をするのかを、それを天国からゆっくり見させてもらいます。
ええ、とても楽しみで仕方ありません。
これからは楽園を飛ぶ素敵な巫女の武勇伝を、空の上で語りましょう。
私は空から霊夢を見守り、霊夢の幸せをずっと祈っております。
霊夢の笑顔が、沢山の人に愛されますように。
霊夢の笑顔が、沢山の人を愛せますように。
そして、霊夢が幾つになっても、素敵な巫女でいられますように……。
この手紙を成長した霊夢へ宛てて、貴方の友達に預かってもらおうと考えています。
鴉の配達に任せるのは、些か不安が残りますが、残念ながら私は動けません。
貴方がこれを読んでくれていると言う事は、どうやらきちんと辿り着いたのでしょう。
みんなに感謝します。
そうでした、封筒の中に手紙と共に、鍵を入れておきました。
これが母が残した、最後の結界を破る鍵。
私が霊夢に残せる唯一の形あるもの。
少しばかりそれを派手に包んでおきました。
受け取ってください。
成長した霊夢なら、きっと気に入って大切にしてくれると思います。
……思いの丈を書き尽くしたら、少し眠くなりました。
この辺りで筆を置かさせて下さい。
愛しい私の娘、博麗霊夢。
霊夢が私を母と呼んでくれた日を、私は絶対に忘れません。
死んだって忘れません。
私は霊夢と出会えて本当に幸せでした。
健やかなる時も、病める時も、生きている時も、それから先も。
ずっとずっと、幸せです。
有難う、霊夢。
沢山の温かい想い出を有難う。
そして、どうか素敵なままに……。 ―母より、楽園の素敵な巫女様へ―』
乾いた心臓に、雫が落ちた。
ぽたぽたと、一滴ずつ広がっていく。
熱くもなく、辛くもなく、悲しくもなく。
ひたすらに優しい雫が、私を潤していく。
水で戻すように、ゆっくりと心が膨らんでいく。
心の中で固く閉じてしまった蕾が、少しずつ開きかけている。
私は銀色の小さな鍵を手にして、立ち上がった。
場所はあそこしかない。
母の部屋に入る。
目を閉じて、天井を見上げて、目を瞑った。
遠い春の日を、母のいた風景を、瞼の裏に映し出す。
じんわりと眼が熱くなってきた。
その時、場違いにも、首がこきりと鳴った。
「はぁ、いい所で、締まらないわよねぇ……」
頭を掻きながら、窓を開いて風を招きいれた。
溜まっていた澱が落ちていく。
悲しさと一緒に閉じ込められていた時間が、冷たい空気にかき回されて動き出す。
両手を広げて、大きく深呼吸した。
埃っぽかった。
片付けと掃除が私の急務らしい。
後で頑張ろう。
「さてと、それじゃ」
鏡台の前に正座する。
一番上の引き出しの鍵穴に鍵を差し込んだ。
鍵を回す。
手ごたえはあったが、音は無かった。
少し力を入れる、引っ掛りは無い。
ゆっくりと引き出しを手前に引いた。
引き出しが開いた隙間から、桃色の何かが、私に向って吹き上がってきた。
――花?
引き出しの中から吹く風が、どんどん花を、桜を舞い上げる。
桜の嵐のように、部屋の天井まで吹き上げられ、散らばった桜が揺らめきながら降りてくる。
畳に正座する私に、桜は上からシャワーのように降り注ぐ。
「桜花結界……」
母も凝った事をするものだ。
引き出しの中に桜花結界か。
あ、それって、私が春に母を驚かせようとして、桜を溜め込んでいたのと同じ事じゃないの。
「血は争えないってやつかなー」
血は違うか、犬が飼い主に似るって方が近いのかな。
うわ、何だろうこの屈辱……。
犬はどこぞのメイド一人で良い。
春風が少しだけ室温を上げたが、すぐにまた冷えるだろう。
だけど、窓は開いたままにしておいた。
この部屋を明るくしておきたいから。
引き出しの奥に何が入っていたのかは、私の想像通りだった。
綺麗な和紙に包まれた、漆塗りの木製の小さな櫛。
赤の背景に満月を思わせる黄色い丸、その周りに桜の花弁が踊っている。
昔と何も変わらぬその櫛を、桜吹雪が終る前に手に取った。
綺麗な櫛だと、心から思った。
鏡台の前の、丸椅子に座る。
頭のリボンを外して、膝に置き、髪を両手で背中に流した。
そうして目の細かい櫛を、髪に通す。
鏡の中で髪を伸ばした私の姿は、その髪を梳く仕草は、間違いなく、母に似ていた。
あの日の母の姿が、私と重なり合う。
母の背中に抱きつく、幼い私までもが見えた。
暖かい涙が目尻から溢れて、ぽろぽろと落ちていく。
「お帰り、かあさん……」
母が帰って来てくれた。
母が全てを語ってくれた事で、私が母の死を受け入れた事で。
私はようやく、母を帰してあげる事が出来たんだ。
私の心の中に。
私の想い出の中に。
母の姿を。
蕾が開いていく。
閉じ込めていた母の想い出が、綺麗に綺麗に一つずつ開いていく。
溢れ出した想い出は、何処までも鮮明で美しいのに、そこに冷たい悲しみはなかった。
幾ら思い出しても、今は凄く暖かくて、それが嬉しくて仕方なくて。
私は満開の桜の絨毯に寝転がって、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
美しい母の姿を、いっぱい思い出して泣いた。
楽しかった日々を、いっぱい思い出して泣いた。
二人で笑っていたあの日々を、やっと取り戻せて泣いた。
私に、再び満開の桜が戻ってきた。
雲の切れ目から太陽が姿を現して、窓から強い光が入ってきた。
涙のせいで、視界は光の鱗を通したように見える。
部屋の隅で、窓からの光に白い粒が泳いでいた。
散らばった桜までもが、瑞々しく光っている。
私は母のぬくもりに抱かれたまま、光の海に身を投げ出した。
―――――
私が縁側に戻った時には、魔理沙はもう帰って来ていて、お茶を飲みなおしていた。
「おかえりー。どうだ、満足できるまで泣けたかー? ぶーっ!?」
会うなり、いきなり魔理沙が豪快に茶を噴出した。
石畳の上を冗談みたいな綺麗な放物線が飾った。
虹が見えるかと思ったわよ。
もったいないわね。
「汚いわね、どうしたのよ?」
「ごふっごはっ……そ、それはこっちの台詞だ! その髪はどうした!?」
「ああ、ちょっと髪を解いたから、似合う?」
「こいつぁ新鮮だぜ、今日は霊夢の腋以外の魅力を発掘してしまった」
「今まで腋しかなかったんかい!」
少しこいつと話しただけで、もう涙は吹き飛んでいた。
あれだけ泣いたのが嘘みたいだ。
髪や服についた、桜の花弁を払い落とし、私も魔理沙の隣に座った。
「花嫁さんみたいだぜ?」
「ばーか」
「その顔なら、手紙はいい事が書いてあったらしいな」
「うん?」
「泣いたまま出て来る事も考えて、二十通りの慰め方を考えていたんだが」
「細かいわね」
「あ、お茶おかわり」
「自分で注げ」
「霊夢が注いでくれたお茶の方が美味しい」
「誰が注いだって、中身は同じでしょうが」
「同じ結果でも、其処に至る過程をどう捉えるかで、まるで違う結果に感じたりするのが人間さ」
「……手紙の事を言ってるの?」
「いいや、お前が注いでくれたお茶が美味しいって話」
「へぇ……」
注いでやった。
お茶は冷めていた。
わざとらしい溜め息を吐いて「あー、美味いなぁ」と魔理沙は呟いた。
相変わらず、下手な嘘を吐く。
何処までそのつもりか知らないが、こいつの嘘は、しかめっ面や泣き顔を解して、人を笑顔にさせてしまうので、そこは嫌いじゃない。
「あんまり、嘘ばかりついてると、閻魔に舌を引っこ抜かれるわよ」
「ところが、二枚舌だから、大丈夫なんだよ」
「二枚とも引っこ抜かれるわよ」
「そう言ってたっけな」
魔理沙は帽子に片手を当てて、白い歯を見せた。
しかしよく笑う娘ね。
「母の嘘は……どうなのかしらね……」
「んー?」
「もしかして、閻魔に舌、抜かれちゃったのかしら?」
「抜かれないぜ」
「どうしてよ?」
「閻魔だって生きているんだ、愛を持つものが、子を想う母の愛を裁けるものか」
「……うん、有難う魔理沙」
「何で霊夢がお礼を言うんだ?」
「優しい嘘に、お礼を言いたい気分なのよ」
「そりゃ酷い誤解だな、私は常に真実しか語らないぜ?」
「マジで舌抜かれるわよ、あんた」
「えー? うーん、抜かれるかなー?」
「いや、真面目に悩まれても困るのだけど……」
「ま、全ては死んでからの事だよな。私達は生きている。天国ばかり見上げて、自分を抑えたつまらない人生はゴメンだ」
「天国、行きたくないの?」
「いや、行きたいよ。霊夢は何の為に行きたい?」
「……待ってる人がいるから、かしらね」
「私も似たようなもんだ」
「そう」
「だったら、その待ってる人にさ、人生どうだった? って訊かれてさ。窮屈で苦しかったです、なんて言う訳にはいかないだろ?」
「それは、絶対に嫌ね」
「私は自分らしく生きて、最後は胸を張って死んでやる。あー、人生楽しかったってな」
「あんたらしいわ」
「それで天国行けなかったら、閻魔にちょっと見る目がなかったって、へこむ」
「胸を張って死ぬか。意外とそれが天国への近道だったりしそうよ」
「……伝えてやろうじゃないか霊夢」
「ん?」
「語り尽くせぬほどに楽しい想い出を残して。私達の人生はこんなに素晴らしかったよってさ」
「天国で待っている人へね」
「そう、天国で待っている人にだ」
二人のお茶を啜る音だけが、静かな縁側に響く。
太陽が徐々に上がって来たのか、だいぶ暖かくなってきた。
上を見ると、雲の少ない綺麗な空だった。
「ごっそさん! さぁ、忙しくなってきたぜ!」
湯の身を空にしてお盆に戻し、魔理沙は立ち上がった。
立ち上がって腕を元気良く、ぐるぐる回す。
「何を急に張り切っているのよ?」
「だって、久々の宴会をやるんだろ。幻想郷駆けずり回って、大人数集めないとな」
「誰が宴会やるって決めたんだ、誰が」
「国民投票で」
「うわ、凄い嘘を平然と吐きやがった」
「今日は、幽々子も紫もレミリアも萃香も輝夜も何でもかんでも呼ぶぜ、ミスティアやプリズムリバー三姉妹も合同コンサートだ」
「喧しくなるわねー。今夜も、雨になったらどうするのよ?」
「今夜は絶対に晴れる」
「何で?」
「楽園の巫女から涙が消えたからさ」
「良くそんな台詞吐けるわね。その調子でアリスとかも口説いてんじゃないの?」
「アレとは犬猿の仲だぜ?」
「そう見えないから言ってるのよ」
「よし、そろそろ出発するか。おおっと、一つ忘れてた」
そう言って魔理沙が縁側から振りかぶって投げた五円玉は、見事に賽銭箱に落ちた。
口笛で自分の健闘を称えた魔理沙は、箒に乗って空に舞う。
随分、色々語った割には、別れの言葉は一言も無かった。
どうせ、夜に会うのだからいいのだけど。
境内に落ち葉が我が物顔で陣取っているので、いい加減掃除しようかしらと思った。
これの掃除が済んだら、母の部屋を片付けて、それから宴会の準備かしらね。
では、と竹箒を手にしようかと立ち上がった時に、大切な事を忘れているのに気がついた。
慌てて部屋に取りに戻る。
そう、これ。
これがないと、私らしくないからね。
頭の後ろできゅっと結ぶ。
鏡の中でふんわりと広がる赤いリボンに満足して微笑んだ。
母さん、待っててね。
まだ、少し時間かかりそうだけど。
その分、楽しい想い出をたくさん運んであげるから。
境内に出ると、濡れた落ち葉の上に、乾いた落ち葉が被さる様に降ってくる。
遠い山を見れば、山頂から中腹にかけて、色づいた秋の色が眼に眩しい。
周り一面、秋一色。
この下で飲む酒は、さぞかし美味かろう。
紅葉の下、酒の雫に、友の声。
嗚呼、ここは楽園である。
私は楽園に生まれ、楽園を生きる巫女、博麗霊夢。
存在が、解りやすくていいわね。
「さぁて、今日も楽園の相手をしてやるかー」
私は竹箒を手に、落ち葉の中へ切り込んでいった。
■作者からのメッセージ
霊夢のリボンってどうなんでしょうかね。
妖々夢とかでは、明らかに髪を括ってる様に見えるのに、永夜抄のやられ絵では取り外し可能タイプに見えますし。
好き放題書いた上に、長過ぎて申し訳ないです。
読んでくれた方に最大限の感謝を。
本当に有難うございました。
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2
SS
Index
2005年11月21日 はむすた