麦藁帽子の隙間からこぼれた、煌びやかなブロンドが生温い風になびいている。卯酉東海道京都駅の東口、無造作に並べられたベンチと屋根の真下、マエリベリー・ハーンは静かに佇んでいた。行き過ぎる人々の目に気が殺がれる様子もなく、両手に下げたボストンバッグが盗まれないよう目を配っている。
自由席から見える景色が指定席のそれと大きく異なっていたとしても、卯酉東海道線から窺える情景は常なるハイパーリアルなパノラマピューイングだ。本質は変わらない。
重すぎるボストンバッグの中に何が入っているかを問いただせば、乙女の秘密だと蓮子は頑なに発言を拒む。メリーも蓮子ほどではないにしろ相応の重量を秘めたバッグを抱えている以上、湿りがちな蓮子の口の戸をこじ開けることはできなかった。
蓮子の両親が実は機械だったなどという暴露話もなく、金髪碧眼のメリーもすんなり宇佐見家に受け入れられた。日本語が達者でありなおかつ端整な顔立ちをしていることから、特に宇佐見父から絶大なる支持を受けた。危うく入浴シーンを覗かれるところであったが、それは蓮子と宇佐見母の活躍により未遂に終わった。それを期に忽然と姿を消していた宇佐見父も、丸一日ほど経ち何事もなかったかのように復活した。ミミズ腫れが誠に痛々しい。
犬の散歩がてら町内の探索を開始した二人だが、寂れた神社やお地蔵さん以外に見るべきものもなく、メリーは事あるごとに擦り寄ってくる犬の対処に懸命であり、蓮子は必死に犬の顎を押し上げるメリーを見てニヤニヤすることに懸命だった。
青から黄金に移り変わり始めた水稲の一群を抜け、秘封と一匹は脇目も振らず黒猫が逃げた方角に突き進んでいた。だがやはり野生は自然に溶けやすく、鬱蒼と茂る針葉樹林に突入して間もなく黒猫の姿を見失っていた。
階段でぬくぬくと寛いでいる野良猫を追い払おうとしても、警戒心のない田舎の猫は動く気配すらない。蓮子が試しに尻尾を踏もうとするのを遮り、メリーが獅子を模った呼び鈴を鳴らす。返事は期待していない。不法侵入の責任逃れに近い行為だ。
「見失った……」
メリーは先の見えない廊下を歩き続け、途中に転がっている髑髏や仏蘭西人形など見向きもせずに終着点を目指していた。蓮子が消えた扉は開かなかった。迷子になったとしても、自力で帰還できる能力がなければ秘封倶楽部など務まらない。共倒れになっては元も子もないのだ。
開け放たれた扉を潜り、今も昔も変わらずに歩き続けている。飽きないものだな、と嘆いた狐の台詞を思い返す。廊下の両脇には、年代物らしい調度品の置かれる頻度が上がった。鏡、机、椅子、壺、掛け軸、刀、抜き身の血塗られた凶器が廊下に突き刺さっていることも少なくなかった。
絡み合った三本の手にはどれも女性特有の滑らかさがあり、うち一本は筆舌に尽くしがたい白さを秘めていた。扉の隙間から這い出た純白の腕は幽霊のそれに似て、酷くおぞましい美に満ちている。
鳴き声の主は予想通り蓮子の飼い犬だった。彼は主人など顧みもせず、激しく揺れるメリーの胸に飛び込み瞬時に頭から張り倒された。リードは外れ、彼は屋敷の窓に向かって延々と吠え続けていたようだった。ご苦労様、と頭を撫でるメリーの唇を奪おうと舌を伸ばすも、それを察知したメリーに再び張り倒された。
怪物と闘う者は誰しも、その過程において自らが怪物と成り得ない様に気を付けなくてはならない。あなたが深淵を覗き込むその時、深淵もまた、こちらを覗き込んでいるのだから。 |
フリードリッヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』より |
当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。 |
宮沢賢治『注文の多い料理店』より |
発行:2006年9月24日 |
公開:2009年3月15日 藤村流 |