一日一東方

二〇一〇年 八月八日
(求聞史紀・稗田阿求)

 


『永久欠番』

 

 

 私の身長と同じくらいの御影石には、稗田家代々之墓、と刻まれている。
 その溝を上から順に指でなぞっていき、「之」に達したあたりで人差し指を見たら、指先は真っ黒に汚れていた。
 桶の水に指を浸し、仕出かしたことを誤魔化すように洗う。
 あと一週間もしないうちにお盆が来る。頻繁にお墓参りを行っているから、改めて墓掃除をする必要もないのだが、私がみずから歴史のある御影石を磨くことに意味がある。
 と、父が言っていた。
「にしても、何故増援が無いのか……」
 墓地にいるのは、稗田阿求ただひとり。他にも墓掃除をしているひとがいれば気が紛れるのだが、今日に限って誰もいない。
 いないものを求めても仕方がない。諦める。
 照りつける太陽に、額からこぼれる汗は瞬きする間もなく地面に落ち、敷石に雫を落としてすぐに乾いて消えた。麦わら帽子は発汗を促進させるが、熱中症を防ぐためにはやむをえない処置である。
 柄杓を手に取り、熱せられた石を冷ますように水を掛ける。故人によってはお酒を掛けることもあるようだが、そういう知り合いが眠っているかどうか定かではないし、何より勿体ないからもし飲みたければお盆に帰ってくればよい。
 腕をまくって、流れる汗はもう垂れ落ちるか襦袢に染み込むか、そのどちらかに任せておく。健康であることは素晴らしい。でも仕事量は少なくてもいい。
「ふう……暑い……」
 束子の残骸が、「稗」の溝にやたらと溜まる。力仕事は不向きだから、完全に汚れを落とせたかといえば全くそんなことはないのだが、最終的に水で洗い流して、ひとまず墓石の磨き方を終える。
 次は雑草だ。
 いくら抜いても、根っこの部分が残っていれば勝手に生えてくるし、そうでなくても繁殖力が尋常ではないからやっぱり無尽蔵に生えてくる。鎌を振りかざすと何とはなしに強くなった気がする。そして漆喰に刃を打ちつけて手が痺れて泣く羽目になる。
 軍手を嵌めて、抜けるものは根っこまで抜いて、無理なものは根元から断つ。
 腰を曲げたままの作業は、身体に負担が掛かる。時折、腰を伸ばして休憩を挟み、用意した水筒に口を付けたら無茶苦茶ぬるくなっていた。誰か私を助ければいいと思う。
 思ったところで、救いの手が差し伸べられることはない。決して。
 そんなものだと納得できるほど、深く生きている自信はないが。
「やれやれ」
 帽子のつばを上に持ち上げて、空いた額に手拭いを押し付ける。汗が染み込む。力が奪われる錯覚を得る。
 恨めしげに太陽を見上げて、やっぱり眩しいから目を細める。
「お」
 墓石の前に佇む私の背中に、聞き覚えのある声を聞く。
 振り返れば、まず魔法使いらしい三角帽子が目に入る。
「魔理沙さん」
「珍しいな」
 箒の先に桶を引っ掛けて、片腕にはいっぱいの花束を抱えている。
 墓掃除というよりか、お墓参りが目的なのではないかと思われる。
「霧雨家の、ですか」
「秘密だぜ」
 冗談めかして、唇に人差し指を置いて沈黙を促す。私も、それ以上は追及しない。彼女が霧雨家と折り合いが悪いのは知っている。それでも、お盆の時期にお墓参りをする彼女の心情を、そう簡単に推し量れるはずもない。
 魔理沙は稗田家の墓を通り過ぎて、霊園の中でも一際大きな墓地に向かう。その背中を目で追って、私のところの掃除も終わったから手伝うのもいいかなと思ったが、結局は階段の段差に腰を掛けて、灯籠に背中を預けて休息を取ることにした。
 太陽の位置が高くなり、麦わら帽子を被っていても水分を摂っていても、限界はすぐそこまで来ていた。木陰に移動するのも手だが、その場合は蝉たちの大合唱に付き合わなければならない。熱中症に掛かって医者の世話になるより、幾分かマシな選択肢であるようにも思うが。
 手押し車に纏められた雑草の中には、蝉の抜け殻も何個か混ざっている。蝉の寿命は短く、土から出る時期を間違えれば、同族のいない季節を遮二無二歌って命を散らすだけの存在となる。その生き方が虚しいか否か、判定することは難しいけれど。
 命。人生。その末路。過程。
 墓地の中心に立ち、灯籠に背中を預け、墓石を磨き、名前も顔も性格も、何も解らない亡き縁者を想う。想うだけで、思い出せはしない。
 見たものを忘れない、幻想郷の記憶と称される能力でも、九度の転生を経て記憶の大半が失われている。要所要所、大事な記憶やあまりそうでもない記憶も残ってはいるが、全ての人生を隈なく語ることは最早不可能である。
 私は、私以外の人生を持っていくことはできない。
「……熱中症。精神の」
 墓場の空気にあてられて、少し病んだ。
 いつか訪れる終わり、そして残される者たちに対する死の象徴としての、墓石。そこから距離を取る。
 ふらふらと、引き寄せられるように木陰に導かれ、しかしてそこに先客がいることを知る。
「よう」
 魔法使いの象徴たる帽子を脱いだ、霧雨魔理沙だった。
 私は、無言のまま彼女の反対側に座り込んだ。麦わら帽子を脱いで、三角帽子の上に重ねる。重みに負けた三角帽子が、力無くくず折れた。
「お疲れのご様子で」
「人遣いが荒くて困ります。仮にも一家の当主に墓掃除を押しつけるとは、なんともはや」
「阿礼乙女も大変だな」
「全く」
 背中越しに、皮肉めいた笑い声を聞く。
 木陰の片隅に、彼女の箒が倒れているのが見えた。視線の先に、水子様の姿が映る。
 霊園は広く、幻想郷に住む全ての死者を収めるくらいの面積はありそうだった。あまり外部との接触もなく、代々の墓に入れば墓石自体も増えはしない。妖怪は墓を作らない。天狗は作りそうな気もするが。神は死んでも死ななくても誰かが勝手に祀ってくれる。楽でいい。その分、存在を維持するために信仰が必要にはなるが。
「暑いなー」
「暑いですね」
「蝉。何より蝉が五月蠅いな。声も聞き取りにくい」
「大声出すの苦手なんですよ」
 他愛のない会話である。お互いの顔は見えないが、顔が見えると話しにくい話題もある。お互いに、生きてきた道程は異なる。見てきたものが違い、感じてきたものが違う。進むべき方向も、終着点も、おそらく何もかもが絶望的に違っている。
 けれど。
「阿求は、死んだらあの墓に入るのか」
「ええ、まあ」
 墓を見て何を思うのか、ある程度は共通しているようである。
「なら、気が向いたら稗田家の墓にお酒かけてやるよ」
「いえ、素直に供えてくれた方が」
「遠慮すんなって」
「遠慮じゃないですって」
 丁重に断るが、聞き入れてくれた感じはしない。
 私が死んだあと、墓掃除を頼まれた人には悪いが、まあ頑張ってもらうしかない。
「どんな酒がいいかなあ」
「まだ死にませんよ」
「早い方がいいだろ」
「なんですか、早く死んでほしいんですか」
「そんなわけないだろ」
 やや不謹慎にも思えるやり取りも、冗談と解り切っているのなら、適当に切り返すことも容易い。
 ……なのに。
「そんなわけないじゃないか」
 間を置いて、その台詞を繰り返すものだから。
 彼女は、真剣にそう告げたのだと理解してしまった。
「そう、ですね」
 言葉を濁して、顔を伏せる。別に顔を見られているわけでもないのに、今の表情は誰にも見せたくなかった。自分でも、どんな表情をしているのか解らないくせに。
 魔理沙も、また下らない話をしてくれればいいものを、押し黙って蝉の鳴き声に身を委ねているだけだ。余計なことを言った自覚があるなら、私のことなど気も留めずに、語りたいことだけ語っていればいい。吹けば飛ぶような気まずさなど、文字通りに笑い飛ばしてしまえばいいのだ。
 でも、彼女はそれをしない。
「……卑怯者」
 霧雨魔理沙を小さく責め、自分は抱えた膝に顔を埋める。しばらくはこうしていたい。蝉の音が鳴きやむまで。あるいは蜩が鳴き始めるまで。夕立が降れば大樹の陰で雨を凌いで、誰かが来れば顔を上げて後片付けを始めよう。
 だから、せめて、今だけは。

 

「暑いなー」
「そうですね」
 彼女は、再び喋り始める。
「来年の夏も、きっと暑いんだろうな」
「だと思いますよ」
 先刻の発言の余韻など微塵もなく、喋りたいように、目に付いたものを思った通りに、何のてらいもなく。
「ふー、ちょっと汗掻いたぜ。肌がべたべたするわ」
「そりゃ、暑そうな衣装ですからね」
「だろ? なら、阿求の家にお邪魔しても何の問題もないな」
「夏のせいですか」
「夏のせいだな」
 そう言われると、そんな気もしてくる。
 行きより、帰りの方が荷物は多くなった。お土産だと思えば得した気分だが、このお土産はたまに盗みを働くので油断ならない。
「仕方ありませんね」
「よし。決まりだな」
 魔理沙が勢いよく立ち上がり、私も、いい加減に顔を上げた。
 空の果てを見れば、にわかに白雲が立ちこめている。適当な予測だったとはいえ、夕立が近いのかもしれない。急ぐことにしよう。
 箒を担ぎ、幾分か荷物の軽くなった魔理沙が、私の後ろをついて歩く。身長差はあるものの、そのうち私は彼女の身長に近付く。越えるかどうかは、最後まで生きてみないと解らないけれど。
 手押し車に溜まった雑草を、霊園の片隅にある空き地に捨てる。蝉の抜け殻もそこに散らばって、名も知らぬ草にまみれて見えなくなった。
 空っぽになった桶に柄杓と鎌を突っ込んで、肩を鳴らし、腰を擦りながら帰路に着く。後ろから、魔理沙の足音が付かず離れず聞こえてくる。
 彼女は私に並ぶでもなく、前を行くでもない。ずっと私の背中を見ているようだった。私は決して振り返らなかった。魔理沙がどんな顔をしているのか気になったけれど、絶対に振り向いてやらなかった。
 霊園に背を向けて、私の家へ。
 私は何も語りはしないし、魔理沙も何も語りはしない。
 あの一言に全てが詰まっていたから、後に残るものは何もなかった。
 それだけでよかった。
 ――蝉の鳴き声が、少しずつ遠ざかっていく。
 名残惜しいけれど、徐々に、その声が小さくなっていく。
 夏が終われば、耳を澄ましても、蝉の鳴き声は聞こえない。
 来年になれば、また蝉の声は聞こえるけれど。それは、去年に鳴いていた蝉ではない。
 私は、そのかすかな声を振り切って進む。
 やがて、ぽつりぽつりと降り始めた通り雨の音に掻き消されて、蝉の鳴き声は聞こえなくなった。
 私たちは、雨を振り切るように、思い切り走り始めた。
 完全に雨を振り切ることはできなかったけれど、思い切り、必死で。一所懸命。
 そして、家の門まで辿り着いて、びしょ濡れになった身体をお互いに見回して、馬鹿みたいに笑っていた。
 本当、馬鹿みたいに。
 実際、馬鹿みたいだったけど。
 楽しくて、面白くて、私たちはしばらく笑い続けていた。
 お手伝いさんが何事かと駆け寄ってくるまで、思い切り、みんなに聞こえるような大きな声で。

 

 笑ってた。

 

 

 

 



花屋の娘
SS
Index

2010年8月8日  藤村流
東方project二次創作小説





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