※この作品は物理法則に反した描写・記述などを含んでおります。嘘だらけです。あらかじめご了承ください。
激突! 幻想郷妖怪VS伯剌西爾妖怪(大嘘)
女三人寄れば姦しいという。
では魔女が三人寄るとどうなるのか。一例を挙げてみる。
「ここね」
冷え切った夜気を、確信に満ちた声が震わせる。
「ここか」
応じるのは期待に満ちたつぶやき。
「ここなの?」
そして猜疑のにじむささやき。
魔法の森の一角に、三人の魔女が集っていた。
それぞれおでこをぶつけ合わんばかりに顔を寄せ、地面の一点を見下ろしている。
「間違いないわ。ここが最適の攻略始点よ」
自信ある響きで繰り返すアリスは、その白く細い指先から、小さな人形を糸でぶら下げている。親指姫ほどの大きさしかない人形は紅い水晶のようなものを抱いていて、風もないのに宙で揺れていた。力強い動きで、ぐるぐると同心円を宙に描いている。
「そのダウジング人形、本当に信用できるのかしら」
森のはらむ湿気に負けないほどじっとりとした眼で、パチュリーが人形を見つめている。静かなささやきは、それだけに却って挑発的な響きを含んでもいた。
「そりゃ、一〇〇パーセントとはいかないけれど」
アリスは気に障った風もない。
「私は頼まれたことをやっているだけよ。信用するかどうかはクライアントの判断だわ」
「おーけー、おーけー。私はアリスを信じるぜ」
魔理沙が、ふたりの間のねじれつつある空気を払いのけようとするかのように、人形の舞う真下の地面を景気よく蹴りつけた。真冬の夜の寒気を吸って、森の大地は凍りついたかのように硬い感触をブーツに返してくる。
「人を信じるなんざ安いもんだしな」
「余計なことを言わないで、さっさと進めてよ。寒いんだから」
「喘息が悪化しそうだわ……」
「おーらい、おーらい。それじゃ二人とも、打ち合わせどおり、頼むぜ」
魔理沙は目配せすると、右手に持っていた箒を高々と掲げた。箒の柄先は頭上遥か、森の木々の向こうに浮かぶ望月を指す。
はいはい、とつぶやきながらアリスは軽く手を振った。指先から垂れていた糸がするりと伸びて、親指姫人形がぽてりと地面に転がる。抱えた水晶を天に向け、人形は無表情な顔を仰向けにさらす。
「よし、それじゃ……レディ」
魔理沙の箒、その房が輝きだす。
「レッツ、スターボーリング!」
意味不明な合図の叫びに合わせ、三組の足が大地を強く蹴りつけた。それぞれがそれぞれの方向へと散る。
魔理沙は真上に跳ね、箒にしがみつくような格好で垂直上昇を開始。頭上を覆っていた木々の枝をべきばきとへし折りながら、たちまちに森を見下ろす高高度へ。月を背にしたシルエットは、既に地上からの確認が困難になっている。
その間にパチュリーはふわりと風に乗るようにして、さっきまで集っていた地点から二十歩ほど離れた樹林の陰へ移動している。アリスも同様、指先から糸をさらに伸ばしながら、パチュリーとは反対側へ移動していた。後には、親指ほどの小さな人形が一体、地面にぽつねんと残されるのみ。
ふたりは視線でうなずきあうと、新たな行動を始める。パチュリーは小脇に抱えていた分厚い魔道書を開き、アリスは指を振る。親指姫人形の抱く水晶から、赤い光線が空めがけて立ち昇る。殺傷力のないガイド用レーザー。
これに呼応して、空からも白いレーザー光が降ってきた。同じく非殺傷性のサーチレーザーだ。「標的」を求めて、地面を縦横に照らしまわる。
昇る赤光と降る白光。垂直に走る二本のレーザー光は、じきに邂逅を果たした。紅白溶け合う一本の光が天地を結ぶ。
「ランデブー、魔理沙の座標固定確認。パチュリー?」
「精製なら済んでるわよ」
声を張り上げるアリスに、パチュリーは独り言のような小声でうなずくと、やっぱり気だるげにぼそりとつぶやいた。
「出番よ、賢者の石」
魔女の周囲の大気が渦を描いたかと思うと、忽然と五色の石柱が出現した。溢れんばかりの魔力に宝石の如くきらめく錘子たち。
ばきぼきぐきと木の枝をへし折りながらパチュリーの周りを回転する巨石群は、魔女が手を振ると宙を滑るように移動し、今度は地面に転がる人形を包囲した。その身に天地をつなぐレーザー光の瞬きを吸って、凶悪な色合いに変えて辺りへと散らしはじめる。周囲の木々が、悪趣味な前衛芸術のような色彩に染め上げられる。
これだけでもうまともな神経の持ち主なら勘弁してくれと言いたくなる狂騒の光景だったが、なんのまだまだ、こんなものではない。アリスがさらに指を大きく振りかざすのである。
「アーティフルサクリファイス」
糸を伝ったコマンドを受けて、地面の人形が自爆した。体内の残存魔力を急激に膨張させるファイナルストライク現象。人形の体と水晶が飛び散ったと見えたのも一瞬、たちまち地表は紅蓮のフレアに覆われ、衝撃波を伴う熱風が木々の間を吹き荒れた。
火球は凍てついた地面を融かし、赤熱させ、ぐつぐつとボルシチのように煮立たせる。
そしてとどめ。月を背負った小柄なシルエットが咆える。
「ドラゴン! メテオ!」
空からのガイドレーザーが不意に消失した。
一瞬の静寂を経て、再び降り落ちてきた白光は、先ほどまでのものとは比較にならないほどに苛烈で凶暴なものだった。直径一メートルは下らない極太レーザー。むしろ白い円柱が空から降ってきたかのような光景。
進路上の樹木が広げる枝の傘など瞬時に焼き払って、極光は大地に突き刺さった。人形の自爆によって緩んでいた地盤を容易く貫き、接触面から星屑の火花を散らしながら掘り下げていく。
そしてさらに、さらに。このごん太レーザーに反応して、周囲の賢者の石が次々と破裂していく。飛散した宝石のかけらたちは、宙に輝ける線をつなぎ、レーザーを中心とした魔法陣を一瞬、描いた。
展開された魔力の増幅器を介し、レーザーがさらにその太さを、極限まで広げる。アリスとパチュリーが身の危険を覚え、慌てて退避。白い光はなおも貪欲にその領域を広げていく。
場はただただ白く、何者の存在をも許さぬ純白にのみ染まっていく。
大規模な森林破壊の光景は、遠く白玉楼からさえ観測できたと言う。
「やりすぎたのね」
およそ動くべきであろうと考えられる少女たちの始動は、思いのほか早かった。
「温泉掘ろうって、あいつがそう言い出したの。協力するなら、私たちも好きなときに入浴して構わないって」
「私は加えて、持ってかれた本の返却を約束させたわ」
魔法の森にとても看過できそうもない規模の異常が確認されて一刻も経たないうち、現場に面子は揃っていたのである。
「まあ面白そうだったし。それにほら、断ったら、あいつひとりで暴走しかねないじゃない? だから手綱を持ってあげる人が必要だろうって」
「私はどうでも良かったんだけどね」
現在、現場では事情聴取が行われている。答えるはアリスとパチュリー。
問うは博麗霊夢だった。
「それで手綱を握った結果がこれなわけ?」
いつものんびりしてるくせに、今回は珍しく迅速に駆けつけた博麗の巫女は、すぐそばに広がる光景へ、うんざりとした顔を向けた。
彼女たちが立つすぐそばの地面には、巨大な穴が穿たれていた。
むしろ見ている自分の正気を疑いたくなるほどにでかい。直径十メートルは優に超す縦穴が、ぽっかりと間抜けな口を開いている。
「そんなあほな」
直径十メートルって。
だが恐ろしいことに事実なのだから、眼を背けても仕方がないのだった。
仕方がないので、覗き込んでみる。
一体どれほどの深さがあるのか、どれだけ明かりを集めても、底を見通すことは出来なかった。ただ溶けたガラス質が凝固したらしい内壁の、意外に滑らかなのを確認できただけだ。
ずっと見ていると穴の深淵に横たわる暗黒に引きずり込まれそうな気がしてきて、霊夢は足元がふらつくのを覚えた。飛べるから心配はいらないはずなのだが、それでも不安を覚えずにはいられなくなる、それほどの虚無がそこには広がっている。
これ、もしかして埋めなくちゃいけないのだろうか。そう考えた途端、眩暈がした。馬鹿げた直径と、見当もつかない深度、どれだけの質量が蒸発してしまったのだろう。いっそ蓋をして、その上に何か建てた方が手っ取り早いんじゃなかろうか、霧雨魔理沙記念館とか。
しかし、どんな方法を採るにせよ、穴を塞ぐのはまだ後にすべきだった。先にやらねばならないことがある。
「まったく、あのお馬鹿は……」
霊夢は溜め息をつきながら、視線を穴から移す。近くの地面に突き刺さっている一本の箒へと。
この騒動の元凶、主犯、首魁たる霧雨魔理沙。その姿が、地上からは消え失せていた。
「うーむ」
暗黒に吐き出した声は、反響すらしてくれない。その事実は、周囲に広がる虚空がいかに甚大なものかを物語っていた。
霧雨魔理沙、巨大な縦穴を絶賛落下中であった。
「参ったなどうも」
腕を組み、ついでにあぐらをかいた姿勢を取ってみたりなんかして、魔理沙は頭から自由落下していく。空を飛ぶための触媒たる箒は、地上に置き去りにしてきてしまった。
何もかもが想定外の展開だと言えた。こんなでかい穴を掘ってしまったことも、増幅ドラゴンメテオの余りに強大な力を制御しきれずに姿勢を崩して落下してしまったことも。地面に叩きつけられず、自分が穿ったばかりの穴にホールインワンしてしまったことも。
「せめて箒がなあ」
この手に残っていれば。無限の暗黒の中、魔理沙は魔法で作り出した小さな明かりを頼りに、空っぽの掌を見る。ぢっと見て、やっぱりそれではなんの解決にもならない。生活も楽にはならない。
ストラップでも付けておけば良かったかなあ、と益体のない考えはそこまでで打ち切り、善後策を講じることにした。
現在、落下開始から数時間が経過、本来ならばとっくに意識が吹っ飛んでしまっているほどの落下速度の中にあるはずだが、不思議とゆっくり、魔理沙は穴を下っている。ときどき欠伸すらしている。
「おっと、そろそろだな」
懐から取り出した砂時計を確認した彼女は、こののんびりした降下のからくりを披露することにしたようだ。
エプロンドレスのポケットから、今度は水鳥の白い羽根を引っ張り出した。呪文詠唱。
「むにゃむにゃ……ふぇざーふぉーる!」
ぱっとその体が光を放ったかと思うと、辺りに白く輝く羽毛が幾重にも舞った。
羽毛落下、その名の通り羽毛のようにゆっくりと降下できる魔法である。別に羽毛を落下地点に敷いて抱きとめてもらう魔法ではない。周りに広がった羽毛のエフェクトも、単に魔理沙の趣味の産物である。
手習いの時期に習得しておいたこの初級魔法が、現在、魔理沙を絶体絶命の一歩手前に留まらせてくれているのだった。効果時間が切れる寸前に再度唱えなおせば、またしばらくは命をつなぎとめていられる。
ただし、あくまで一時しのぎに過ぎない。所詮は落下速度を抑えるにすぎない魔法であって、浮遊や飛行ができるわけではないのだ。上昇はできない。地上への脱出には役立たないのである。
やはり独力での飛行魔法も会得しておくべきだったか――決して先に立つことのない後悔に、魔理沙は溜め息をつく。
「なんか遠い昔に、羽根を生やして飛んでたような気もするんだがな……」
そういうこと言わないの。
地上、魔法の森には霊夢のほかにも集まっている者の姿がある。
「まったく……紫様も冬眠に入られて、橙とのんびり年越しの準備してたってのに……」
そう言って慨嘆の息を吐くのは八雲藍だ。彼女は突拍子もない大きさの穴に、心底呆れきっていた。
「いやはや。これは見事なブラジル・エクスプレスだこと」
「なに? これ、地球の裏側まで突き抜けてるっていうの?」
霊夢は目を丸くした。そして、長い長い穴を抜け切って地球の裏側からすぽーんとばかり飛び出す魔理沙の姿を想像する。魔理沙はそのままさらに落下を続け、成層圏を飛び出し、とうとう宇宙に落っこちるのだ。ああ、星に憧れていたあの子は、ついに自ら星となってしまったのね。
「そんなわけないだろ」
藍が冷めた声で突っ込む。
「地球を貫通するのに、いったいどれだけの力が要ると思ってるの。確かに魔理沙の放ったレーザーは、熱量も照射時間も結構なものだったようだが、それでも地球の中心さえ遠いわよ」
「そうかしら。不思議が当然、幻想郷って言うじゃない。何が起きてもおかしくはないわよ」
「言わないし、だいたいそこまで地中深くは幻想郷の範疇外だろう」
そんなふたりのやりとりを耳にして、興味深げに翼を揺らしたのは、紅魔館よりはるばるこの馬鹿騒ぎを見に来たレミリアである。
「ねえパチェ、地球の裏側って言うと、私の故郷あたりかしら」
「惜しいわね。出るのは南米よ。まあ、魔理沙も完全な垂直に穿孔したわけじゃないから、誤差は生じるでしょうけどね」
「南米と言えば、お嬢様。向こうにも吸血鬼がいらっしゃるそうですよ」
レミリアはメイド長に妹も連れた、ご一行様での訪れです。
「なんと言いましたっけ……“パチェかしら”?」
「……チュパカブラのことかしら、咲夜」
パチュリーは冷ややかな視線をメイド長に向けたが、逆にレミリアは愉快げに目を細めた。
「ふうん、これも何かの縁ってことかしらね。よし、行くわよ、咲夜」
「心得ました」
「いや、何しに」
嫌な予感に思わず口を挟んだ霊夢に、レミリアは牙を見せて笑う。
「もちろん、紅魔館の版図を広げに行くのよ。地球の表と裏を同時に制すれば、間に挟まれた諸地域もぱたぱたと私の領土に引っくり返るはず。これすなわち世界征服よ」
「素晴らしいオセロ理論ですわ、お嬢様」
「もういいから黙ってて、あんたら」
いつから世界征服なんて野望を抱いていたんだ紅魔館は。霊夢は脱力し、このまま神社に帰ってしまいたくなった。
けれど、そういうわけにもいかない。これでもう何度目か分からぬ溜め息をついて、穴に向き直る。その手には、魔理沙の残していった箒があった。
「行くの?」
隣に並んだアリスが、訊いてきた。
霊夢は軽く肩をすくめる。
「まあね。このまま放っておいたんじゃ、寝覚めが悪くなるだけだし」
「できることなら、私も行きたいんだけど……」
「生憎と私たちには無理な相談なのよ」
アリスの言葉を、パチュリーが途中で継いだ。レミリアたちと遊ぶのは切り上げたらしい、真面目な表情でいる。
「地球の中心に近付けば近付くほど、重力は強まるわ。ある程度を上回ると、私たちの飛行能力でも振り切れなくなってしまう。……すぐに追いかけていれば、そうなる前に魔理沙を引っ張り上げることは出来ていたのだろうけれどね」
穿孔の後、姿の見えなくなった魔理沙が、まさか穴に落ちたとは考えなかったアリスとパチュリーは、地上ばかり探して貴重な初動時間を潰してしまったのだ。やっと真相に思い当たったときには、既に事態は取り返しのつかないところまで進行しつつあった。
「魔理沙が魔法で落下速度を低減させていたとしても、もう私たちに掬い上げられる深度は超えているはず。もう誰も彼女を助けられないのよ……たった一人の例外を除いては、ね」
重力に縛られない存在。無重力の巫女、博麗霊夢を除いては。
霊夢はうなずき返す。
「まあそこらへんの理屈はよく分からないんだけど。私しかできないのなら、私が行ってくるわ。この異変の犯人を捕まえてくる」
「気を付けなよ」
藍がしかつめらしく、忠告をくれる。
「言ってみれば、地球そのものを相手に立ち回ることとなる。重力を無視できたとして、想像以上の高温や高圧がお前たちを待ち受けているぞ」
「なんでそうやる気を殺ぐようなことを言うのかしら……」
「発破を掛けたつもりなんだが。私の主は、私に対していつもこんな感じだから」
互いに苦笑を交わす。
「ま、とりあえず。犯人がまだ死んでないことを願って、行ってくるわね」
そう言い残して。しごくあっさりと、霊夢は大穴に身を投じた。
魔理沙を地獄へ引きずり込もうとする重力の触手は、着実にその力を強めつつあった。羽毛落下を継続して使用しているにも関わらず、落下速度が徐々に増している。
全身を捉える重力の触手に、魔理沙は息苦しさを覚える。錯覚ではない、実際、呼吸が難しくなっていた。肺に取り込む空気が、いやに重く、固い。
おまけに熱い。暑いんじゃなくって、熱い。さっきまでかいていた冷や汗とは別種の汗が、体中から噴き出ている。
喘ぎ喘ぎ、魔理沙は時折身をよじる。魔法の明かりが照らし出す頼りない視界、いきなり、すぐ鼻先に壁が迫ってくるのを目にし、歯を食いしばるようにしてミニ八卦炉を構えた。
「ますぱー!」
もはやスペル名全てを唱えるのも辛いらしい。ともあれ、八卦炉は無事に火を噴き、周囲の漆黒を揺さぶると同時、砲撃の反動で魔理沙の身を壁から遠ざけてくれた。
ふう、と息をつきながら、魔理沙の頭の中は疑念に占められている。なぜ、どうして。真っ直ぐに穿った縦穴の中を真っ直ぐに落ちているはずなのに、なんで内壁に接触しそうになるのか。実はちょっとだけ穴が歪んでいたのかしら。
いやいや、そうじゃない。何かそれに関することを、パチュリーの図書館の文献で読んだことがあるはずだ。なんだったろう、確か……コリコリ? ガリガリ君? それっぽい名前の力に、この体は翻弄されているみたいなのだ。
このままでは穴の底に着く前に、壁と抱擁する羽目になりかねない。いくら抑えていると言っても、やはりそれなりの速度は出ている、接触すればただで済むはずがなかった。
顔を巡らせる。今度は反対側の壁が迫ってくるのが目に入った。マスタースパークの加減が上手くいかなかったのだ。なんだかんだ言っても魔理沙が置かれているのは極限状態に違いなく、そんなところに長時間捕らわれていたのでは、集中力も低下する。頭にもちゃんと酸素が届いていないのかもしれない。
魔理沙はミニ八卦炉を再び構えなおそうとして、ふと疲れきった息をついた。手に力が入らない。頭がぼうっとする。
不意に頭が軽くなったと思ったら、眼下、愛用の帽子が飛んでいくところだった。いや、自分が帽子を残して落下しているのだ。これまでずっと、落下の勢いに帽子を奪われないよう気をつけてきたのだが、とうとうそこまで意識が回らなくなってきていた。
遠ざかっていく帽子を、魔理沙はぼんやりと見送る。じき、明かりの届く範囲の外へと帽子は消え、そして魔理沙は壁が眼前にそびえているのを再発見した。
あ、間に合わないや。
暗黒の淵に、紅白の影が躍った。
「魔理沙」
霊夢が、こちらと同じように頭から落下していた。
いや、飛んでいる。魔法で減速している魔理沙とは逆に、自ら下方向へと向けて、加速し続けている。普通の人間なら恐怖に意識が飛ぶか、発狂しかねない速度で、こちらへと向け突っ込んできている。
「魔理沙」
再び呼びかけてくる声。低く抑えた声なのに、風切り音なんかよりよっぽどはっきりと鼓膜を震わす。
なんだろう、こいつにこうやって名前を呼ばれて、こんなに嬉しかったことってあったろうか。
「霊夢」
魔理沙はほとんど無意識に手を伸ばしていた。向こうも同じように手を伸ばしてきて、だが互いの指が絡み合うより早く、壁が無骨な体躯で魔理沙のことを抱きすくめにかかる。
「……おととい来やがれ」
壁に向け、魔理沙は素早くミニ八卦炉を構えていた。
「マスタースパーク!」
その声だけであらゆる障害を撥ね退けてしまえそうな、気力に溢れる宣言。
白い光が穴の内壁を叩く。反動で宙を泳ぎながら、魔理沙は砲門を徐々に落下方向へと修正、自らの体を斜め上へと押し上げようとする。
じりじりと低下していく落下速度の中、不意に上方にある足首が、温かい手に掴まれた。
「まったく。手間かけさせてくれて」
「よう。遅かったじゃないか」
暗黒に満ちた地中の奥底で、二人の少女が交わす笑みは生気に輝かんばかりのものだった。
「ほら。とっとと帰るわよ」
霊夢の手を借りて姿勢を上下反転、天地を本来あるべき位置に戻す。たちまちスカートがめくれ上がってドロワーズ丸出しになってしまったが、そんなことをまた気にかけられるのが、ちょっと嬉しい。
こんな所までやってきてくれた霊夢は、さらにありがたいお土産を手にしていた。魔理沙の箒と、帽子。どちらも今生の別れになったかと思っていた。
「よし、行くか」
魔理沙は箒にしがみつく格好を取ると、上昇飛行に移った。箒に推力全開を命令、見る見る落下速度が減じていく。
翻っていたスカートの裾もゆっくりと下りていき、頭に乗せた帽子も勝手に浮き上がろうとするのを止め、徐々に徐々に、落下速度はゼロへと近付いていく。
ゆっくり、じりじりと。
「……魔理沙?」
そばに付き合って浮かんでくれている霊夢が、訝しげに眉を寄せた。
「なにをこの期に及んで遊んでるのよ」
「いや、そのな……」
じりじり、じりじりと。魔理沙の体はなおも地中目指して低下しつづけている。
魔理沙は苦い笑みを浮かべた。
「実はこれで、目いっぱいなんだ」
箒の房から吐き出される星屑は辺りをまばゆく照らし、まるで昼間のように漆黒を押しのけていると言うのに。それほどまでに、箒は全力を尽くしているというのに。
重力の顎は、既に魔理沙の足にしっかりと牙を立て、食い込ませてしまっていたのだ。
じりじり、じりじりと。魔理沙は地底へと引きずり込まれていく。
霊夢の顔に瞬間、はっと何かを察したような表情がよぎった。巫女は頭上のどこか遠いところを仰ぎ、それからまた魔理沙に顔を戻す。手を伸ばす。
「ちょっと、寝言は帰ってからにしてよ。ほら、来なさいってば」
魔理沙の手を取って引っ張り上げようとするが、だが落下速度をほんの少し緩められたに過ぎなかった。手にかかる負荷が想像以上のものだったのだろう、霊夢は愕然とした表情をさらした。
「ちょっと、ちょっと待って。……そうよ、スペルカード。あんた、はっちゃけたスペルいくつも持ってるじゃない。まだ余力はある?」
魔理沙が返したのは、やっぱり苦笑じみた顔だった。
「あー、生憎と今夜のデッキは偏っていてな。後はほとんどモンスターカードとトラップカードしか残ってないんだわこれが」
「……冗談でしょ」
残念ながら大マジだった。
「いや、まあ、取って置きは残してあるんだけどな」
霧雨魔理沙の代名詞第一位が「マスタースパーク」であるならば、第二位はこれであろう。
「ブレイジングスター」
天翔ける流星。地上の希望を懸けられる彗星。文字通り、この状況における最後の希望となりうる切り札。
「それだけにな……もしこれが破れたら。どうするよ、おい? こんな地の底で、希望の星が散る様なんて、なあ。良い子のみんなにはとても見せられないだろ」
「なによ、それじゃこのまま諦めるの? 切り札を使いもしないで」
「……ま、そういうわけにもいかんわな」
うっすら笑って、魔理沙は一枚のカードを抜いた。
霊夢は頬を膨らませる。
「なによ、やる気なら、はじめからそうしなさいよ。ただでさえ時間を争うって時に」
「まあそう言うな」
こう見えても霧雨魔理沙の心は、存外、繊細に織られているのだ。大博打を打つ際には、わりとちみっちゃく震えてしまうのだ。
「それじゃ、行こうか。行くぞ。行くぜ」
レッツ、ブレイジングスター。
闇の奥底に、希望の星は灯る。
極彩色の星屑が地底にばら撒かれる。
大地に穿たれた直径十メートルの細長い宇宙に天の川を曳きながら、青く燃え盛る彗星が、遥かな大地目指して流れてゆく。
重力の顎を振りほどき、その鼻っ面を蹴りつけ、追いすがる触手どもを推進炎で焼き尽くしながら、魔理沙は猛々しく暗黒の回廊を駆け上っていく。
一緒に箒にしがみつく霊夢が、声を出そうにも出せないので、目で訴えてきた。これ、いけるんじゃない?
魔理沙はにやりと笑う。
頭の裏側では、カウントを続けていた。この身が彗星でいられる、残り時間。
あと数秒。
さん、にぃ、いち、ぜろ。
箒を包んでいた青い炎が消える。がくんと、あまりに急激な減速のため、一瞬、魔理沙は箒が停止してしまったように感じた。
そうじゃなかった。
そんなもんじゃなかった。
箒は落下を始めていた。
「魔理沙」
こんな暗いところで、霊夢の顔が蒼褪めているとはっきり分かる。
魔理沙はやっぱりにやりと笑い返した。
「いや、惜しかったなあ。もうちょいぽかったんだが」
のろのろと周囲の闇が上昇していく感覚。自分たちの体が沈みこんでいく感覚。
霊夢がかぶりを振った。
「冗談じゃないわ。ここまで苦労させておいて、こんなの」
「そうは言うがなあ」
いいからお前は、上へ戻れよ。こっちだって、いつまでも笑ってられるわけじゃないんだ。
自分の笑みがひきつっていき、目尻に熱いものが浮かびかけたのを感じたとき。
魔理沙は視界の端に、金色に光るものを見つけた。
はじめ自分の乱れた髪かと思って、しかしすぐに気付く。それは、人形が生やしている髪だ。
一体の人形が、すぐそばの宙に揺れていた。
人形はなにやら文字の記された紙片を、こちらに向けて掲げている。
『アリアドネの糸。安くないわよ』
魔理沙は目をしばたたかせながらも、その人形に手を伸ばした。そして掴んだ瞬間。
その体が、勢いよく引き上げられた。
「オーパ!」
漆黒で塗り込められた虚空に、二つの小さな影が浮かんでいる。
一片の明かりもない暗黒の中空、しかし二人にはそんな事情などなんら関係がない。なにせ二人は闇を統べる夜の王、吸血鬼なのだから。
「かかったわよ、お姉様」
フランドールが、愛用の杖の先から垂らした糸の緊張を敏感に察し、告げた。
傍らのレミリアはうなずく。
「それじゃあ、まずはキャッチね」
「うん」
一本の釣竿を、二人の小さな、しかし力に満ちた手が握り、勢いよく振り上げる。虚空に翼を広げて踏ん張り、糸を引く。
重苦しい暗闇の底から、「それ」を引きずり出す。
「ぁぁぁぁぁぁぁああああ!?」
悲鳴のような声が徐々に近付いてきて、あっという間に白黒と紅白の影が視界に飛び込んできた。
「きゃーっち」
「あんど」
ふたり一緒に、
「りりーす!」
高々と振り上げられた杖の先、箒とそれにしがみつく二つの少女の影とが、一瞬にして姉妹の占める空間を通り過ぎていった。
「やれやれ。今回も大損ね」
地上、大穴のそば。アリスは人形たちに囲まれて、溜め息をついている。
人形たちと己の指とをつなぐ糸は、一本もない。全てを一つにつなげて、吸血鬼の姉妹に託してしまった。あの弾幕ごっこにも耐える糸の強度と、吸血鬼の膂力とを信頼しなければ、こんな馬鹿な真似などできたものではない。
「馬鹿だわ、私……」
しみじみとつぶやいたとき、そばにいたパチュリーがささやいた。
「来たわ」
「うわああああっ」
間を置かずして、かすれた悲鳴が穴の奥から聞こえてきた。近付いてくる。
次の瞬間、ぽんと音さえ立てそうな勢いで、穴から彼女らは飛び出してきた。高々と月空に浮かびあがり、ややあって、同じ軌道を落下し始める。再び穴を目指して。
「おおおおおーっ?」
やっぱり叫ぶばかりの二人を、不意に横合いから飛び出した金色の影が抱きとめ、そのまま地上に降り立った。
「さ。いい加減、しゃんとして」
足元に二人を下ろして、藍は疲れたように九尾をふわりと揺らした。
「おかえり」
アリスとパチュリーはつまらなそうに口を揃え、
「ちょうどお茶の準備ができたところよ。誰か、お嬢様たちを呼んできてくれると嬉しいんだけど」
近くでティーセットを広げていた咲夜が、場の面々を見回した。
かくて生還した魔理沙と霊夢は、しばし背中を預けあうようにして、地面にへたりこんでいた。
「魔理沙……」
「なんだ……?」
「私、ちょっと寝るから。起きたらお仕置きね」
「ああ……起きたら逃げることにする……」
ほどなく、二人はかすかな寝息を立てはじめた。
その後、魔法の森に空けられた大穴は、霊夢に頼まれた萃香が蒸発してしまった分を萃めたりした甲斐もあり、なんとか埋められた。温泉の掘削計画など、初めからなかったかのように、それきり穴が掘られることはなかった。
この騒動は、冬が終わる前には人々の脳裏から忘れ去られたのだが、冬眠中だった八雲紫は、春になって目覚めた後に藍から報告を受け、遅れて事件を知ることとなった。
「ああ、どうりで何かうるさいと思ったわ」
「……は?」
「この冬もね、寝るのに良さそうな温かい場所を探してたのよ。それで気が付いたら地中の深いところまで潜ってたんだけど……マグマの熱が、ちょっといいのよねえ。溶岩浴、知ってる? 健康にいいのよ」
「え、いや、ちょっと待ってください。もしかして、あの夜、あの穴の近くにいたんですか?」
「今にして思えば、あれは霊夢の声っぽかったわねえ。声かけてみれば良かったわー」
呆然となる藍を残し、紫は欠伸を噛み殺しながら、二度寝するべく寝室に戻っていったという。
SS
Index