走馬灯
人は死の間際、人生の歩みを走馬灯のように振り返るという。
経験者が語ろう。それは事実だ。
私こと藤原妹紅はこれまで通算一千とんで三十七回もの死を経験している、いわばプロフェッショナル死亡者、クィーン・オブ・デッドであるが、ほぼ毎回、過去の映る幻灯を見ているのだ。
そして今また、私は過去を夢に見ようとしている。
肉体が外部からの強大な負荷に耐えかね、生命活動を放棄するまでの、ほんの一瞬。その一瞬に、これまで辿ってきた道が凝縮され、脳裏に展開される。
下手に千年以上も生きていると、これがなかなか大変だ。全てが満遍なく再生されるわけでもなく、特に印象的な場面のみが見られるようだが、それを考慮してもとにかく長いのだ。そして中には、ほとんど忘れかけていた情景もある。
「あ、父様……」
最初に見るのは、決まってその顔。肉親である男と言葉を交わした、数少ない機会の記憶。
とても大事な思い出のはずなのに、具体的にどんなやりとりをしたかまでは思い出せない。それが歯がゆい。死ぬたびに、同じ思いをしている。
やがて父様は私を置き去りに歩み去っていった。私はそれを追うことができない。
父が足を向ける先には、一人の女性が立っている。
蓬莱山輝夜の憎き顔。
長い艶やかな黒髪。一見して優しげな面の奥に隠した、冷酷な眼差し。本当に、現在と何も変わらない。
その次に現れるのは、また輝夜。
その次もまた輝夜。
次も。そのまた次も。そこかしこで、輝夜、輝夜、輝夜輝夜輝夜……
私の人生の九割がたに、あいつが関わっている。ああ、理解はしていたが、こうして改めて突きつけられると、やはり気が沈む。私の人生の九割もが、憎しみで構成されているのと、それは同義だから。
生ばかりではない、あいつは私の死についても、九割がた関与しているのだ。直接、間接を問わず、あいつは私を何百回も殺してきた。一晩に十回近く殺されたことだってざらだ。
もっとも、ほぼ同じ回数、私もあいつを殺してきたのだが。あいつも今際の時には、私の顔を何百回も見る羽目になっているのだろうか。そう想像すると、ちょっとは気も晴れた。
私の歴史は、死の歴史。
死の間際の回想の中でも、私は何度も死ぬ。今となっては慣れっこだが、気分を改めて向かい合うと、これはやはり奇妙な感覚だ。
死への恐怖を失ったのは、何度目の生からだったろうか。死が伴う苦痛は今でも嫌なものだが、死そのものについては、案外と早く慣れることができたと記憶している。
二十回も死を経験するころには、慣れるだけではなくて、親しむようにもなっていた。死を利用することすら覚えたのだ。
死という代償を払うことで脱せられる危機は多かった。大抵の敵は、一度死んで見せれば、それで去っていった。中には死体となった私にしつこく手を出そうとする奴もいたが、大きく油断しているという点では同じだ。蘇生すると同時に不意打ちを決めてやれば、どんな猛者でもひとたまりもなかった。
困ったのは野性の獣の類で、奴らは私の死体にこそ用がある。奴らの食道や胃腸の中から再生するのは、ちょっともう、体験したくない。
死んで得られるものもあった。金や食料といった形あるものから、信頼や尊敬といった無形のものまで。
並の人間には扱いかねるような術なども、多くはこの体質を利用して修得した。覚えようとして死に、死にながら身につけていった。普通の修行者に比べて、ごく短期間で修得する荒行だった。
おかげで、早々に輝夜たちと対抗できる力を身につけられた。それ以前は肉弾戦主体だったため、それはもう死ぬわ死ぬわ。でも、術が使えるようになってからは、死亡回数もぐっと減った。
――これも普通の観点からすれば奇妙な話ではある。将来的に死ぬ回数を減らすために、私は修行で何度も死んだのだ。
食料などを手に入れるための死も同じ。より長く食いつなぎ、生き延びるため、私は一時の死を選んだ。
より少ない犠牲で最大限の成果を――どこの国の、誰の哲学だったか。慧音に聞かされた時、私は自分の生にも当てはまる言葉だと奇妙に感心したものだ。
振り返ると、我ながら冒涜的な命の使い方をしているなあ、と思う。死も生も、私にとっては便利な道具と同じだった。
でも私の命だ、他の誰かに文句を言われる筋合いはない。人権家や良識家と呼ばれる連中が幻想郷の外にはうようよしているらしいが、そいつらが私のことを、私の生き方と死に方を知ったら、どう言うのだろう。ちょっと興味が……やっぱり、ないや。どうでもいい。
ああ、それにしても長い走馬灯の記録だ。本当にこれ、外から見たら一瞬のことなのか? こんな走馬灯、本当に作ったら、どれだけの大きさになるのだろう。
私は私の生を客観的に、急ぎ足で辿っていく。そろそろ折り返し地点かな、と見当をつけていると、新たに馴染みある顔が浮かんだ。
上白沢慧音。
妖怪ワーハクタクにして、私の友達。
彼女との出会いで、私の世界は一層の彩りを得た。
輝夜との戦いの日々は、それはそれである意味充実したものだったが、しかし私の魂を確実に磨耗させつつあった。不死身のせいもあって荒みきっていた私を、慧音は叱り飛ばし、叩き伏せ、それから手を差し伸べてくれた。
「本来、個人のことになど、かかずらっている暇はないのだがな。だがお前の生には興味がないでもない。特別だ、お前の歴史も別枠で記録してやろう」
そう言って、しばしば一緒にいてくれるようになった。私と同じで、アプローチの仕方が不器用な娘だ。
「私もお前に興味がある」と言ってやったら、何を勘違いしたのか、真っ赤になっていた。
慧音と語らう時は、私に安らぎを与え、魂に瑞々しさをもたらしてしてくれた。それを糧に私は輝夜への憎悪を新たにし、激化する戦いの日々を過ごした。
それからまた変化に乏しくなった、だけど充実した年月の記憶を、私は転がるような速度で追体験する。
そしてとうとう終盤。新たな顔見知りが一気に増えた、ごく近い過去。騒々しい人間たちと、人間でないものたちとの日々。彼女らを巻き込んで、やっぱり私は輝夜と戦っている。飽きもせずに。
そして千回を超える死の果て――
不意に頭が重く鈍い痛みを訴え、それを最後に私の意識は暗転した。
よみがえった視神経は、月夜に浮かぶ輝夜の姿を捉えた。
私も同じく宙に、あいつと同じ高度に浮かんでいる。四肢に鈍い痛みの残滓。着ている服はぼろきれのよう。
殺し合いの最中だ。そう判断した私は、ほとんど反射的に自衛用の簡易弾幕を展開する。
近頃は走馬灯の上映会が長すぎるせいもあって、実時間にして数秒前のことでしかない死亡時の状況を、即座に思い出せなくなっていた。記憶が鮮明になるのを待つよりは、知覚を総動員して周囲の状況把握に努めたほうが早い。
輝夜も応戦してくる。私は敵の弾幕をかわしながら、戦況の分析を続行。着衣のダメージからして、私は既に四、五度ほど殺されているようだ。手持ちのスペルカードの残数も、その計算を裏付けてくれる。
輝夜のほうも、恐らく同じくらいの死を被っているのだろう。私からの死を。
ならば、さらなる死を、あいつに与えてやる。私は心中の決意を言葉にもして、奴に突きつける。
「死ね、輝夜!」
もちろん、殺しきれないのは承知の上だ。
だが、死ぬたびにあいつは、走馬灯に過去を見る。にっくき藤原妹紅の顔を、何百遍となく目にすることとなる。
そして、私によってもたらされる死を経験するごとに、奴の走馬灯における私の登場回数と割合は増えていくだろう。奴の死に、より多くの苦痛を添えてやることができるのだ。
それを目的に、私は奴を殺す。奴だって、きっと同じ心理のはずだ。
「おかえりなさい、妹紅」
弾幕に混じって、輝夜が声を飛ばしてきた。
私は獰猛な笑みで応える。死の淵から還ってきた人間に「おかえり」、だと? 奴にしては気の利いた挨拶ではないか。
輝夜はまた口を開く。
「あなた、死ぬのは楽しくない?」
唐突な上、奇異なことを言う。どうせ私を挑発するのが目的の戯言だろう。聞き流すが吉だ。
「私は楽しいわ。だって、あなたとの日々を振り返ることができるのだもの」
聞き流そうとして、できなかった。あいつは一体、何を言っているんだ? 私に殺されまくった過去をなぞるのが、楽しいだって?
私は否定しようとして、だが思い直した。口元を皮肉な笑みに歪ませる。なるほど、あいつの言うことにも一理はある。あいつへの憎悪は、並々ならぬ充足感を私に与え続けてくれた。充実の歩みを顧みるのは、考えようによっては悪くないものかもしれない。けれど――
「私はごめんだね!」
ひと言、怒鳴り返し、私は新たなスペルカードの準備に入った。
実のところ、近頃はまた死ぬのが怖くなりつつあった。
理由はあの走馬灯だ。
死ぬたび、いや輝夜に殺されるたびに、走馬灯にあいつの映る割合が増えていく。私の大事な思い出――父様との触れ合いや慧音との蜜月、新しい知己との騒々しくも鮮烈な日々、それらをじわじわと片隅に追いやりながら。輝夜は私の記憶の中でその領域を増やしていく。それを死ぬ間際に確認させられるのが怖かった。次に死ぬときは、温かな記憶のかけらがひとつ、輝夜への憎悪によって塗りつぶされているかもしれない。そう想像するのが怖かった。
それはあいつだって同じことのはずなのに。あいつにだって、仲間との時間といった大事な記憶があるだろうに。
なのになぜ、あいつは私に挑みかかってくるのか。憎い私の顔で、記憶を埋めようとするのか。
私には分からない。なぜ、輝夜が笑っていられるのか。
私にできることは一つきり。自分の記憶を守るためにも、私はあいつを殺したいと望む。
*
「まだ、分からないのね」
すっと高度を上げ、輝夜は妹紅を見下ろす。妹紅の表情は殺意と憎悪、そして苦悩によって歪んでいる。
それが輝夜には愛しい。
「簡単なことなのよ、妹紅。私を愛すれば、ただそれだけで死は甘美なものとなるのに」
輝夜の瞳に、月の豊かな光が跳ね返る。
「それに気付くまで、私は何度でもあなたに殺されてあげる。あなたの夢を見ながら、あなたを殺してあげる。あなたの心を弾で穿ってあげる。あなたの心の奥底に私を刻み込んであげる。そしていつか――」
官能の吐息。
「私たちの心は、互いに相手だけのものになるの。心のみならず、生も、死も」
妹紅を招きよせようとするかのように、大きく腕が広げられ、
「さあ、私の妹紅。永遠に生き、永遠に殺し合いましょう」
走馬灯は、いつまでも廻り続ける。
SS
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