さとり愛
間欠泉事件が落ち着いて、地上と地底との交流はわりと盛んになった。
互いに大して危険がなさそうだと分かったのが原因らしい。
私には交流なんてただのブームのように見えて、そんなものに関わる気もさらさら無く、前と変わらぬ日常を猫や鴉とぼんやり屋敷で過ごしていく……つもりだった。
「にゃーん」
「きゅーん」
……あれから、妖怪化したペット二人がやたらと私の前に顔を出すようになった。
しかもただ顔を出すだけではない。
私にべたべたである。
今だって私の右腕にはお燐が、左腕にはおくうが抱きついている。
最近、顔を見せることさえ稀だったおくうやお燐がどうしたことかこの態度。
お燐はともかくおくうのきゅーんってのは甘え声? どこで手に入れてきたのかしら?
離れなさい、と左にくっついているおくうをぶんぶん振ってどけて、次に右にくっついているお燐も同じようにやってると――また左からおくうが。
いい加減自分達はすっかり大きくなってしまって私の手に余る、ということを認識して欲しいのだけれど……。
「子供じゃあるまいし……もうっ、はな……れて!」
「にゃーん」
「きゅー」
「甘えるならせめて動物形態になさい。これで一週間毎日毎日夕方になったら必ず……よく飽きないものですね」
「だってぇ」
「ねー?」
「何が!?」
「放置ペットは駄目なんですよー?」
「ねー?」
ああ、思い出す。
あの日、間欠泉の異変は落ち着いた。
だけど、責任の所在というのがはっきりしなくて事後処理の話が進まなかった。
仕方ないから、あい、すいません、うちのペットが迷惑をかけました、と頭を下げて見せたら「放置ペットはダメ!」と待ってたように私に責任が押し付けられた。
とりあえず飼い主はペットの管理をきちんとすること。
目の届く範囲に置いておくこと。
地上からの伝達はそういうことである。
「ねえ、さとり様〜? 晩御飯カレーにしよー」
「えー、何言ってんだいおくう。昨日おくうのメニューのんだんだから、今日はあたいの番だろ? あたいはカレーだね!」
「同じじゃないのよ……何で毎日キャンプメニューなの……」
「今日はさとり様、寝る前にあたい達と一緒にトランプやりますよね?」
「やりませんが……」
「ああ、心配しなくても景品にするお菓子なら既に買ってありますわ」
「さっすが、おくうだ!」
景品で私のやる気は上下しないわ、と溜息ついて両目を閉じた。
どうしてこう滅多に顔も見せなかったペット達が、急に態度を変えてべたべたし始めたのか。
心を読んでみても彼女達には何の裏も無く、純粋に私と遊びたがっている様子。
それが解せない。
大きくなれば私のところを離れていく、それでいいはずだ。
今までずっとそうしてきたし、それで不満の声が上がったことなど一度たりともない。
「じゃーん、カレー鍋登場ー!」
台所の方、時間も良く分からぬ薄暗い地霊殿の中でお燐がそう叫んだ。
お燐が夕方遊んでいた玉が床に転がっていた。
―――――
もう一週間も続けているのだが、食事中のカチャカチャという音がどうも慣れない。
元が動物だからか私の躾不足のせいか知らないが、言葉もなく一心不乱に食事をがっつく二人(二匹?)はあまり上品な食べ方とは言えなかった。
私一人で食べてると静かなのに……。
「あー、美味しかった!」
最初にお燐がスプーンを皿に投げ出した。
その頬っぺたにご飯粒が残っているのを指差して教えてやると、お燐は表情も変えず指で絡め取ってそのまま自分の唇の隙間に押し込んだ。
おくうの方は彼女より少し遅く食べる。
たまに一服を入れるおくうの食べ方は、彼女の個性ではなく私の食べるスピードに合わせてくれているからだと私は知っている。
だがそれを褒める事も嬉しく思うこともなく、ただ煩わしいと感じていた。
「枕投げしましょうよ、枕投げ」
床に寝転んだまま顔だけこっちを向けて、お燐がそんなことを言った。
たぶん本当にする気はなくて、暇だから適当に言ってるだけなのを私は知っている。
知っていて口にはしない。
どうにもこういう雰囲気は苦手だ。
私とてずっと一人で食べていたわけではないし、お燐と夕食を共にしていたこともある。
だが、その頃の彼女は喉をゴロゴロと鳴らしながら頭を私の脚にこすり付けてくるただのペットだった。
不意にセピアの風に吹かれた私の頭に、焼いた鮎の身をフーフーしてやってからお燐の口に近づけてやる自分の姿が浮かんだ。
むず痒い。
遠い記憶だったはずなのにあまりぼやけてなく、昨日の晩に何を食べたか思い出す程度の難しさでしかなかった。
「ごちそうさま」
おくうがスプーンを置いて、口の周りを布巾で綺麗に拭いた。
何故そんなことを気にするくせに、自分の髪の毛はぼさぼさのまま放置してOKなのか、よく分からない。
気になるから私が梳くことになる。
昔から、そうだ。
「風呂わかしてきますねー」
おくうが席を立って部屋を出て行った。
お燐は幸せそうにごろごろしている。
食事の後のお燐は満腹感を満喫していて動かず、ナマケモノに憑依されたかのように見える。
「食後だけお燐とおくうの立場が入れ替わってるみたいね……」
「んあ? 何ですか?」
「少しは動いたらってこと」
「ああ、私は昼間の運動量が凄いからこんなもんで丁度いいんですよ。おくうも運動ができて一石二鳥」
「……そうだ、おくうだけど」
「はい?」
「あの子も女の子なんだから、髪の手入れくらい自分でするようにお燐から言ってくれないかしら?」
「そりゃ言っても無駄ですよ」
「どうして?」
「あの子、ぼさぼさにしてないとさとり様が櫛を入れてくれないと思ってるんです」
「まさか」
風呂が沸くまでごろごろし、風呂が沸いたらみんなで入り、早い時間に明かりを落とした。
その合間に今日はトランプが入ったが、概ねいつも通りのスケジュールに収まった。
二人がいても何も変わらない。
二人がいて変わったと感じるのは、布団に入ってからだ。
寝付けずに、高揚感が私を支配する。
普段は闇の暗さに浸っていればすぐに夢が訪れるのに。
並べた川の字の布団の中の真ん中の私だけ抜け出す。
真っ暗な廊下を歩き、いつもの部屋に辿り着き、ステンドグラスがあるだろう壁を見上げた。
何も見えず、闇が広がっていた。
不意にいつもの感情が襲ってきて、私は眠くなった。
ああ、そうか、私は闇の暗さに浸っていたのではなく、一人の寂しさから逃げる為に寝ていたらしい。
ゆっくりと来た道を帰った。
暗くても変わらない、目を瞑っていても戻れる、私はずっと眠たい目のままこの廊下を往復してきたのだから。
部屋の前、二人を起こさないように慎重に足を進めていると、何かに引っかかって私は前に倒れた。
「あっ……」
わりと大きな音になった。
二人を起こしてしまったかと心配したが、どうやら大丈夫らしい。
手探りで障害物の正体を探して、それが夕方お燐が遊んでいたボールだと気付いて……不意に目頭が熱くなった。
どうして今まで自分はこけなかったのか?
「なんでよっ……」
私の中で、この生活が楽しいと感じ始めている。
二人がいる生活を失いたくないと感じている。
それは危険な考えだった、絶対に表に出したくなかった。
いずれ惨めになる。
成長すればみんな逃げてしまう。
一過性のものだ
こいしだって殆ど帰ってこないじゃない。
食い縛って、寂しさを飲み込んだ。
―――――
朝起きてみると、私は一人だった。
川の字になっているのは布団だけで、両脇の中身は抜けている。
「お燐? おくう?」
話しかけてみても屋敷から声は無い。
だけど、こんなことは前にもなかったわけではない。
あの子達の朝は早いのだ。
ここ三日くらいは二人とも朝食を食べてから出て行ってたのだけど、今日はたまたまそういう気分じゃなかった、そういうことだろう。
私の不安も知らないで、夕方になればまた何食わぬ顔でやってくるはずだ。
私は起き上がって一人で鏡の前に立った。
腫れぼったい目をしていて情けない。
上手く寝れなかったのだろうか。
あの子達がいなくて良かったのかもしれない。変に気を使われるのは私も辛い。
だが、待つという行為を久しく忘れていた私にとって、夕方までの時間を想像してみると、それが途方もない時間に感じてしまう。
一体何をして過ごせばいいのだろう。
眩暈に襲われて、布団に仰向けに倒れた。
目を瞑る、眠たくない。
私はこの薄暗い屋敷から、第三の目だけで世界を睨んでいれば良かった。
開いてしまった二つの目が、私の感情を揺さぶる。
もう、やめよう。
やはり彼女達には「来るな」とはっきり告げるべきだ。
「さとり様ーっ!」
反射的に飛び上がった。
大して身体が強くないものだから、貧血になったように視界が揺らいだ。
今のは――お燐の声?
混乱しているうちにお燐が部屋に飛び込んできたかと思うと、私の胸に一直線に向かってきた。
遠慮ない速度で衝突し、痛い。
しかし、どうしたことか、何故帰ってきたんだろう? 私が頭を悩ませているとお燐が近すぎる距離で笑って言った。
「プレゼントもってきました!」
プレゼント?
誕生日? それとも何かの記念日? 私が何かを忘れているというわけ?
より混乱が深くなった私に、お燐がむすっとした顔で「やだなぁ、今日はあたい達が出会った記念日じゃないですか」と言った。
驚いた。
まさかそんなことを覚えていたなんて。
また笑顔に戻ったお燐が手元にあったプレゼントを差し出そうとして、ありゃ!? とすっとんきょうな声を上げた。
さっきのダイブでプレゼントの花冠はすっかり潰れてしまっている。
「あ、あはは、さっきまでピンピンしてたんですけどねぇ……」
「朝からこれを摘んでいたの?」
「ええ、昨日の夜に摘むと、鮮度がいまいちな感じがするでしょう?」
「鮮度って……」
潰れた花冠の茎から僅かに汁が零れていた。
摘みなおして来ますーと踵を返したお燐を止めて、私はお礼を言ってから頭に被った。
「さっすがさとり様だねぇ、何着けても似合う!」
「褒めてるんですかね、それ……」
お燐は目を丸くして大袈裟に褒めてから、頭を下げてこう言った。
「まあ、不束者なペットですが、これからも一つどうか宜しくお願いします」
「……」
「何でしょ?」
「あの……どうして急に?」
「……にゃ?」
「だって、前までろくに会いにも来なかったじゃないの……」
「ああ、だって、あの頃は」
「あの頃は?」
「さとり様が会いたくなさそうな感じだったから」
「私が? 私はそんなこと言ってませんよ?」
「言わなくても分かりますよ」
「どうして?」
「ペットと主人の絆……って言いたいところですが、相手の心を読むなんてそんなもん長い付き合いしてりゃ誰にでも備わります」
そういって豪快に笑うお燐の顔にも心にも一片の曇りも無かった。
誰にでも……。
ずっと我慢していたものが私の両目から零れた。
自分だけが特別じゃない。
自分だけが相手の心を読めるなんて。
ああ、私はどれだけ傲慢だったのだろうか……。
傷つけていたのは、私の方だったんじゃないだろうか……。
「そう、ああ、おくうがですね、我が家の朝食の彩を添えるために、そろそろ戻ってきますよ!」
お燐は何食わぬ顔でずっと私から目をそらしていたのだけど、その心は動揺を示していてそこで少し笑った。
私も少しは変わってきているのだろうか?
このまま変われるのだろうか?
ばたばたと忙しない足音が聞こえ、すぐにドアが開いて、そこには温泉卵を篭にざっくり入れたおくうが立っていた。
……相変わらず頭はぼさぼさだった。
「ほら、みなさいウドンゲ。ペットと飼い主のスキンシップってのは極自然な行為なのよ、さあ、おいで!」
「じゃあ、輝夜様のところ行って来ますね」
「!?」
SS
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2008年10月11日 はむすた