終わりに ―― 春

 

 

 








 転生の儀はなかなかに複雑であるが、中でも阿求が一番嫌っている手順が存在する。
「阿求様、日が暮れてしまいますよ」
 まだ昼なので日が暮れるというのは大げさなのだが、共同墓地の中でうんうん唸り頭を抱えている阿求を見ると、そう言いたくもなってくるのだ。
「あ、うん、ちょっと待って」
 当の阿求はといえば、先ほどからこのような言葉を繰り返すばかりで埒が明かない。
「阿求さまあ……」
「うーん……」
 墓参り。
 転生の儀の最も始めの手順が、歴代御阿礼の墓を訪ねることなのである。
 そして阿求は、百数十年に一回程度行うこの墓参りが苦手で仕方が無かった。
「……今回はしなくていいんじゃない。墓参り」
「駄目ですよ! きちんと先代に挨拶しないなんて、礼儀を知らないじゃないですか! それじゃなくても阿求様は墓参りしませんし」
 稗田家で一番間の抜けている従者にたしなめられる阿求。その光景は主従というよりも母子関係に似て見える。
 阿求はくっと顔を上げた。
「よし」
「参りますか!」
「ちょっと散歩してからにしよう」
 呆れ顔の従者をよそに、墓場と反対方向へてくてく歩き出す阿求。
「阿求様ー……私はさびしいです阿求様ー……」
 背後から従者の恨み言が聞こえるが、全く持って気にしない。
 そもそも、この墓参り自体がよく理解の出来ぬことなのである、と阿求は思う。
 いつからかは知らないが転生時の恒例になっていたこの墓参り。確かに、転生の儀を行う前には先代へ挨拶をしておけ、というのは理に適った至言のようにも感じるが、よくよく考えてみれば実際の転生の儀には全く関係が無い。
 最も必要なようで一番意味の無い行為である。
 そんな定義しにくい曖昧な位置づけが嫌なのだ、阿求は。
「周りを二周くらいしてから帰ろうかしら――」
 と、そんなことを呟き、共同墓地の出口へ差し掛かったときであった。
「お、阿求じゃないか」
 右前方から名前を呼ばれ、視線をもたげると、そこにいたのは上白沢慧音。
「丁度そちらへ出向こうと思っていたんだ。今日はなかなかめぐりがいいな」
 にこやかに笑いながら近づいてくる里の先生。
「ほら、こいつができたんだ」
 彼女が差し出したのは、いつかに注文した筆であった。おろしたてのニスがつんと鼻につく。
「一年もかかるなんて、嗜好品なんだなあ筆も」
 うんうんと頷く上白沢から筆を受け取った阿求。
 それを手に構えたり回したりしてみるが、よくなじんでいる。頼んだ筆師は正解だったようだ。
「ありがとうございます。以前のものと瓜二つで驚きました。これで先代にも申し訳が立つというものです」
 上白沢は詳しい事情を知らないのだろう、もう一度うんうん頷き、こんなことを言った。
「筆屋の若頭も苦労したといっていたぞ。なにやら、じいさまの書いた設計図を引っ張り出してどうのこうのだとか……」
 その物言いに、なんとなく違和感を覚えた阿求だが、あまり気にせずお礼の言葉だけ言って別れることにした。
「達者でなー」
 大きく手を振る上白沢に小さく手を振り返し、阿求は彼女と反対方向へ歩き出した――
「こんにちは」
「う」
 歩き出した途端に、目の前に妖怪兎が立ちはだかった。へにょい耳の、いつも薬を売り歩いているヤツである。
 自らのしたためた幻想郷縁起に従って、彼女の眼光から目をそらそうとした阿求だが、よくよく見れば、今日の彼女は変な眼鏡をかけていた。そいつがあれば幻視に酔う心配は無いらしい。
 しばしじっと見つめあう二人。
 妖怪兎はどこまでも無表情な顔で口を開いた。
「師匠が言っていたのですが」
 師匠とは恐らく、あの胡散臭い薬師のことか。
「毎回、この時期には、貴女に、前回と同じ問いをかけるそうです」
 はあ、と阿求は思った。
 この時期ってどの時期だろう。今は春だから、桜の咲く季節だろうか。
「これも師匠が言っていたのですが」
 そんな阿求の困惑をよそに、妖怪兎は淡々と言葉を紡ぐ。
「そろそろお疲れになったのではありませんか。 もう今回で、貴女は役目を終えたのではありませんか。もし年齢のことでお悩みならば……」
 一度口をつぐむ。
「寿命につける薬くらいなら、ご用立て致しますよ」
 よく意味が分からず、ぽかんと呆ける阿求。
 やはり妖怪兎の表情は情報を教えてくれない。
「師匠が言っていたのですが」
 ごく普通の井戸端会議をするように話してくる。
「貴女は必ず断るそうです。だから、今回もきっと断るそうです。なので、私は無駄骨を折るために遣わされたんだそうです」
 妖怪兎は脇に置いていた薬籠をもう一度背中に背負い直すと、もと来た道へ歩いていった。
 なんだありゃあ、と阿求は思った。
「あ」
 唐突に何かを思い出したそぶりでこちらに振り返る妖怪兎。
「師匠が言っていたのですがー」
 一体あの薬師は、弟子になにを吹き込んでいるのだろうか。
「生きてれば良いことあるらしいですよ!」
 力強くそう言った。


「あれ、阿求様。てっきり帰ってしまったものだと」
「ん、いや、なんとなく」
 半時ほどして、阿求は元いた共同墓地の中に戻っていた。体育座りでめそめそしていた従者を立ち上がらせ、墓地の奥へと足早に急ぐ。
「貴女、去年の春に折ってしまった筆はちゃんと持ってきた?」
「あ、はい。ご先祖様に捧げて供養するのですよね。さすがに代々受け継がれているものとなると、許してもらえないかもしれませんが……」
 一層増してめそめそする従者を尻目に、阿求は考え込んでいた。上白沢や妖怪兎と話していて、どうも何事か引っかかったのである。
 自分はこの、転生の儀の前に行う墓参りが嫌いだ。しかも、直接的に転生の儀に関係するわけではない。
 だったら、なんで墓参りが慣例になっているのか。もし自分が先代の自分だったら、こんな面倒くさい慣例はとっとと消してやるわけである。
「ここですね」
 従者が言う。
 目の前には確かに、稗田家ノ墓、と刻まれている墓石。代々の自分の骨が埋まっているのかと思うと、割といやーな感じにはなる。これが駄目なんだ、と阿求は呟いた。
「なんまんだぶなんまんだぶ」
 昨年に折れた筆を捧げ一生懸命に祈っている従者を横目で見ながら、阿求は墓石の周りを探る。
 何か思い出しそうなのである。
 転生の儀の前に墓参りをするのは、何かしら意味があったような気がするのだ。そうでなければ、阿求が墓参りなんて面倒くさいことを毎回するわけが無い。
 自分は変わらないのだ。
 自分のことは一番よく知っている。
 自分の面倒くさがりは、千年前から変わっていないはずだ。
「あ」
 程なくしてお目当てのものを見つけた阿求。
 それを見た瞬間、くっくっと腹を抱えて笑ってしまった。
 ああ、結局の所、千年前から幻想郷は変わっていないんだなあ、と思えたからだ。
「阿求様? どうしたんですか阿求様」
「いや、なんでもないわ」
 このことは従者には内緒にしておこう。そのほうが彼女のためである。
 いくらなんでも、彼女のかあさまやばあさままで非難することはできまいし、そもそも別人の可能性だって大いにあり得る。
 一通り笑いをかみ殺した阿求は、従者へ言う。
「貴女、その折れた筆を貸して。供養しておいてあげるわ」
「え、そ、そうですか?」
 困惑しながらも、素直に折れた筆を渡してくる従者。
 そうして阿求は、その折れた筆を、墓石の下段の、小物入れへしまった。
 実に、歴代で九本目の、折れた筆であった。
 そう、その小物入れの中には、先ほどおろした筆と全く同じ形の、折れた筆が、大量にしまわれていたのである。
 どういうことか。
 きっと、去年の春に折った筆は、千年も時間を経てなどいなかったのだ。
 毎回毎回、自分が転生した折には、誰かが誤って折っていたのだろう。筆を。
 その度に、自分は全く同じ形の新しい筆を作っていたのである。
「ああ、何かちょっとやる気出てきたかなあ」
 毎回、馬鹿をやって筆を折っているやつがいる。
 毎回、何も言わずに同じ筆を作ってくれるやつがいる。
 毎回、同じ心配を掛けてくれるやつがいる。
「阿求様? 阿求様―?」
 変わらないのだ、幻想郷は。
 変わらずに、ずっと同じ時間を刻み続けている。
「さあ、帰りましょうか」
「あ、はい」
 阿求は墓場に似合わぬ桜色をした空を見上げ、吸い込まれそうな千年桜に、傍観者の生き方を重ね見た気がして呟くのだった。


 親愛なる幻想郷よ。

 私は次回も頑張りますので。







 

 

 

 



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2008年3月15日 うにかた

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