雨と死体と紫陽花と

 

 

 

 耳に触れる雨音の調子がかすかに変わり、それで魔理沙はまぶたを開いた。
 窓際に据えられたテーブルに頬杖を着いて、顔を窓の方へ向けていた。その姿勢のまま、いつの間にかうとうととしていたらしい。半端な眠りは却って睡魔を強めてしまったのだろう、頭に鈍い重さを感じる。
 窓の外では、密度の濃い雨が森を濡らしていた。視界はほとんど白に近い灰色に煙り、ほんの庭先までの風景しか確かめることができない。家を囲んでいるはずの木々すら、その影をおぼろに感じられる程度だった。
 退屈極まる絵だ、こんなの見ていたんじゃまどろんでも仕方がない。魔理沙はあくびをこぼす。
 テーブルを挟んだ向かい側では、アリスが黙々と人形の衣服を縫っている。そうだ、ここはマーガトロイド邸の居間だった。自分は来客で、それを放ってこの人形遣いは手芸に夢中でいたのだ。魔理沙は窓を向いたまま、もう一度、これみよがしの大きなあくびをしてやったが、アリスはやっぱりそのまま、視線を手元からちらとも動かしはしなかった。
 せっかく人が遊びに来てやったってのに――頼まれて訪れたわけでもないくせに、魔理沙はぶちぶちと身勝手なぼやきを漏らす。事実としては、自宅にいても暇すぎて黴が生えてしまいそうだったため、アリスをからかいに来ただけの彼女だった。
 そんな魔理沙を、アリスはしぶしぶといった顔つきで家に上げ、茶の一杯を出した後は、ひたすら無視して針子作業に没頭していた。滑らかな手つきで、小さな衣装に精緻な意匠を施していく。なかなかに鮮やかなその技は、ちょっとした見ものではあったが、生憎と魔理沙にとっては見飽きた手慰みでしかなかった。
 だから仕方なく自分は、窓の外を眺めていたんだっけ。魔理沙はあくびを繰り返しながら思い出す。挙句、眠ってしまった――白雨で閉ざされた世界に、自分はアリスの指先に勝る何を期待していたのだろう。
 こうなったら眠気覚ましに家捜しでもしてくれようかしら、そう考えて窓から眼を外そうとした拍子、灰色の視界の端に、なにやら色彩が浮かび上がっているのを見つけた。そちら、庭の片隅へと目を凝らす。
 あれはなんだっけ、まだ重たい頭で記憶を手繰り、なんとか思い出す。ぱちぱちとまばたきした。
「おい、アリス」
「なに」
 返ってきたのはこの上ない生返事だったが、構わず続ける。
「そこの紫陽花さ」
 窓から十数歩ほどの庭先、雨に半ば霞みながら、そこには確かに、ピンク色に近い赤紫の花がいくつか、寄り添うようにして咲いていた。
「前は青っぽくなかったか?」
 やっと、アリスは指を止めた。うつむかせていた顔を上げ、呆れたような表情を見せる。
「よその花のことなんて、よく覚えていたわね」
 大雑把なあなたにしては――言外にそんな皮肉を込めた声に、だが魔理沙はにやりと笑う。言質を取ったぜ、とその顔には書かれていた。
「青かった紫陽花が、赤く染まっている……これはミステリだな」
「三級の、ね」
 気のない声で応じ、アリスは手元に意識を戻そうとする。それをさらに引っ張りつけようとでもいうのか、魔理沙は声をやや高めた。まだ頭はぼんやりと、窓外の風景に似て薄く霞がかったようではあったが、胸の中には強い好奇心が芽生えていた。
「名探偵霧雨さんは、ここで推理するわけだ。――これは大した謎かけじゃない。紫陽花の色が変わったのはつまり、土壌の性質が変わっただけのこと。何らかの要因で、酸性だった土が中性かアルカリ性へと変じ、これに従って花も色を移したんだ。……あれ、逆だっけ?」
「合ってるわよ」
 つい合いの手を入れてしまい、アリスはそれを悔いるかのように、布地に針を通す速度を上げた。
 魔理沙は不敵に笑っている。
「問題はその要因だが、これもすこぶる簡単。紫陽花の茂る土に、アルカリの性分をもたらす何かが埋められた。埋められているのは勿論……」
 そこで一旦言葉を切り、テーブルに手を着いてぐっと身を乗り出す。いきなり鼻先まで顔を寄せられて、アリスはたまらず手元を狂わせた。
「あいたっ……ああ、もう、分かったわよ。付き合ってあげるから、さっさと終わらせて」
 とうとう観念して、溜め息混じり、縫いかけのものをテーブルに置く。
 魔理沙は満足げに元の位置まで身を引いた。そして全てを見通したかのような達観の表情で、アリスを真っ直ぐに見る。
「……埋めたんだろ?」
「何を」
「土をアルカリ性に変えてしまうようなものを、だよ。ミステリ的には、もちろん、アレだな」
「言いたいことは分かるけれど。そんなの都市伝説の類でしょ、色が変わった紫陽花の下を掘ったら死体が出てきた、なんてのは。なんで私が、自分の庭先でそんな与太話を再現しなくちゃいけないのよ」
「そこらへんの事情は知ったこっちゃない。異変も事件も、とにかく犯人と思しき奴をぶちのめせば万事解決めでたしめでたしだ。動機とかは後からついてくる」
「何もしてないのに犯人扱いしないで」
「ほほう、まだしらを切るつもりかね?」
「……よっぽど、退屈しきってたのね」
 喜色一杯の魔理沙に、アリスはさらなる諦観の色を浮かべた。
 魔理沙は改めて雨中の花を向く。そしておもむろに立ち上がった。
「物置にシャベルがあったよな」
「……ちょっと、やめてよ。そもそも、どうしてうちの物置の備品を把握してるわけ?」
「こうなれば実力でこの事件の真実を暴き立てるまでだ。まあ、いつもやってることだな」
「そうやって大抵は痛い目見てたんじゃない。まだ学んでなかったの」
 アリスの制止は、しかし逆効果で、魔理沙の行動意欲を促進するだけだった。これは怪しい。櫻の下に埋まっていそうなアレこそ出てこないにしても、何かアリスにとって後ろめたいものが、あの紫陽花の下には眠っているのではないか?
 決めたら早かった。椅子の背もたれに引っかけてあった愛用の帽子を頭に乗せ、玄関へと足を向ける。
 アリスは強いて止めようとまではせず、嘆息をこぼしながら、後を追ってきた。


 梅雨の長雨にすっかり潤った地面は、シャベルの刃先をすんなり受け入れた。相変わらずの雨量の中、はねる土塊にも取り合わず、魔理沙は紫陽花の茂みの根元を快調に掘り進めていく。
 すぐ背後には、傘を差して立つアリスの気配。
 魔理沙の傘は、防水魔法のかかった帽子だった。帽子の鍔が落とす影に、彼女の両の瞳が期待できらきらと輝いている。
「何も出ないって言ってるのに」
 背中に投げつけられるつぶやきにも、魔理沙の手の回転は止まらない。リズミカルに繰り返される掘削音が、外野の声も、低い雨音も、遠ざける。
 やがて、突き出した刃先の向こうに固い感触を覚え、魔理沙は手を止めた。おっ、と期待に弾んだ声が漏れる。人骨にしては堅固すぎる手ごたえだが、だとすれば何を掘り当てたのだろう。石ころだった、なんて興ざめなオチでなければいいのだが。
 刃を引いて土砂に穿たれた穴の奥を覗き込んだ魔理沙は、今度はむっと唸って、眉をひそめた。そこに見えたのは、石ころでこそなかったが、似たようなものではあった。灰色の、手触りのざらりとしていそうな、壁のようなもの。そんなものが垂直面をさらしていた。
 魔理沙は首を傾げる。
「なんだ、これ」
「コンクリートじゃない」
 何を当たり前のことを、といった調子の声が背にぶつかってきた。魔理沙は再び首を捻る。コンクリート、そんなものがなぜここに。
「まったく、本気で気付いていなかったのね。コンクリートのアルカリ分が土壌に染み込んで、紫陽花の色を変えたんだってこと。他に何も埋めなくたって、そうなるのよ」
 アリスが何を言っているのか分からない。魔理沙はのろのろと視線を持ち上げた。紫陽花をまたいですぐ目の前、無機質な灰色の壁がそびえ立ち、視界をいっぱいに占めている。コンクリート壁。この森にはあまりにもそぐわない構築物。
 こんなものいつの間に、どこから湧いて出た――魔理沙は目を剥きかけ、だがすぐに思い出した。いや、こいつは元からここにあったのだ。暗い雨の中、ずっと黙りこくって立ち続けていた。自分が気付いていなかった……忘れていただけだ。
 その事実に呆然となり、足元をふらつかせる。足の下で、ぬかるんだ地面が崩れ落ちていくかのような感覚。
 低く重い雨音の向こうで、アリスがしゃべっている。
「紫陽花が青かったなんて、いったいいつの話を始めたのかと思ってたら……まだ寝ぼけてるの? それとも痴呆でも来たのかしら。捨食に捨虫を使ってても、始まっちゃうものなのかしらね」
 その声が妙に遠い。これだけ体を動かしたのに、まだ頭が重い、霧がかかったようになっている。自分は、まだまどろみから醒め切っていないのか。
 背筋にうそ寒いものを覚えながら、それでもアリスを振り向こうとする。彼女に確かめなければならないような気がした。自分は、いったい何を探していたのか。どのような真実を、掘り当てようとしていたのか。
 振り返った先に、アリスはじっとたたずんでいた。彼女の向こうにはマーガトロイド邸の温かみある佇まい。そして、家屋とわずかな庭地を切り取るようにして、冷たい灰色のコンクリート塀が周りを囲んでいた。
 いつしか雨は少しやわらいで、さっきまでは暗い影としか見えなかった周囲の風景がいくらかはっきりと判別できるようになっていた。マーガトロイド邸を囲むコンクリート塀の、そのさらに周りを包み込む形で、木々が立ち並んでいる。灰色で無機質の、巨大な建築物の木々。それが林立し、殺伐とした森を構成していた。
 天を衝くような高さから見下ろしてくるそれらのことを、ビルディングと呼ぶのだと、魔理沙は思い出した。自分は、はじめから知っていたのだ。
 重苦しい灰色に囲まれて、ただマーガトロイド邸とちっぽけに切り取られた庭だけが、わずかな色彩を保っていた。
 自分が立っている場所を確かめようとするかのように、魔理沙は足元に眼を落とした。絞り出した声は震えてしまっている。
「ここは……幻想郷じゃないのか?」
 発してから、その問いの答えなど望んでいないことに気付いた。答えはもう自身で知っているはずで、だけど思い出したくはない。まだまどろんだままでいたい。無用の記憶など、いつまでも雨の中に霞ませておきたい。
 何かに抗うかのようにかぶりを振りはじめた魔理沙の耳に、雨音を貫いてアリスのひどく無感動な声が届く。
「そんなことまで忘れてしまったの」
 処置なし、とでも告げるかのような声音。その響きに魔理沙は思わず一歩退こうとして、だがそこにあった紫陽花に踵を阻まれて絶望を覚えた。自分が掘り出したものの正体を、このとき、はっきりと知った。悟ってしまった。
 すぐそばに立ち、アリスは目元を傘に隠していた。傘の先から雨だれがぽつりと落ちて、彼女は小さく口を開いた。
「幻想郷は、遠い昔に死んだわ」


 魔理沙の足元では、赤い花びらの群れが、降りつづける雨を受けて小さくゆれていた。

 

 

 

 



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2007年9月6日 日間

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