馬鹿の墓(後編)
「妖夢っ!」
白玉楼の上空から、沈丁花の世話をする妖夢を大声で呼ぶ。
妖夢は私を見つけて手を振ったが、表情からただ事で無い様子を察したようで、すぐに顔を引き締めて駆け寄ってきた。
「私の…クソッ……あたいの馬鹿を返してっ!」
妖夢は目を何度か瞬かせたが、何を理解したのか如雨露を地面に放り出すと、屋敷の中へ入っていった。
零れた水が、土の上にしみを作っていく。
気を抜くと直ぐに「私」に戻ってしまう一人称に舌打ちした。
やがて、妖夢に手を引かれて幽々子が走って来た。
「チルノ?どうかしたの?」
「幽々子、大変なの!あたいおかしくなっちゃってる!」
「何がどうおかしいの?」
「昔のあたいが消えちゃうの!」
「消える……」
「ねぇ、何とかして、あたいの切られた馬鹿を戻す方法はないの!?」
「とにかく話を聞きましょうか。妖夢、チルノ、応接間に上がって」
玄関を上がる前に、何となく後ろを振り返った。
沈丁花が綺麗に咲いていた。
桜の花びらを想いおこさせるその淡い花弁が、どうしてか心に残った。
―――――
あたいは、パチュリーの話から蝦蟇との戦いまでの経過を掻い摘んで話した。
二人とも、話が終ってからもしばらく沈黙していた。
幽々子は、芋羊羹を爪楊枝で口に運んでお茶で胃に流し込んでから、ようやく口を開いた。
「さすがは、パチュリーね、色々参考になったわ。おかげで、だいぶ私の考えも煮詰まった」
「参考?」
「ええ、私の知識だけでは色々と穴が出てくるものなのよ。直接聞きに行けばいいんだけど、あまり紅魔館とは仲が宜しくなくてね」
「幽々子様。私に言ってくだされば、紅魔館に頭を下げてでも、相談に出向きますのに」
「いやいや、妖夢。まさか、私もここまで切羽詰った話になってるとは、思ってなかったのよ」
「そんな事どうでもいいから、どうなのよ!?幽々子、戻し方解るの!?」
「結論の前に、チルノやパチュリーと私では、今回の事で少し認識が違うところがあるわ。どちらが……」
「あたい、感情まで失くしちゃってるのよ!講釈はいいから解決法を教えてよ!」
「解決をするには、問題を正確に理解する事が肝要よ。まず、チルノが切られたのは『馬鹿』じゃないと思うわ」
「じゃあ……何?」
「私の考えだと魂。魂にくっついて妖精という属性がチルノから切り離されたんじゃないかと」
属性?
そこで幽々子は区切って、また芋羊羹に手を伸ばした。
一々、芋羊羹を挟まないと、会話が続かないのかこいつは!
「早くして!属性って何よ?五行の事かしら?」
「違うわ、鬼、天狗、妖精、などの生まれたときから関わる種族としての縛りね。人の魂、妖怪の魂、魂には属性がくっ付いている」
「いきなり種族とは、突飛な単語が飛び出してくるのね」
「馬鹿を切るというよりは、理解しやすい話ではなくて?」
「どっちもどっちだと思う」
「魂を切り離すというのなら例があるのよ。例えば、鬼に取り付かれた人間を戻すのに、鬼という魂を切って人間の属性だけを残すの」
「それが有り得るとしても、あたいには、妖夢にそんな事が出来るとは思えない」
「もちろん、剣聖の領域でしょう。妖夢が出来たのは奇跡よ。ただその奇跡が起きたのは、貴方の魂が非常に不安定な位置にいたから」
「……不安定な位置?」
「貴方は元々力が強すぎて、妖精というカテゴリーから浮きすぎてたのね。だから切り離せた。思い当たる節があるんじゃない?」
『貴方は、少し力を持ちすぎた事を自覚せよ』
「閻魔に妖精のくせに力の持ちすぎだって、言われた事がある……」
「そう」
「あの、属性を切り離されたら、あたいはどうなるの?」
「無邪気、悪戯好き、自由気まま、など妖精という属性から影響を受けていた補正がなくなる。力の限界も外れてるようね」
「それで、遊びを楽しめなくなってるのかな?」
「それだけじゃなくて、一部とはいえ、魂に宿る感情もあるから。
だけど、魂が抜けた場所は、抜けたままにはならず自然に完全な魂を目指して再構築されるわ」
「じゃあ、あたいの感情は戻れるって事!?」
「いいえ、魂に出来た空白部分を、貴方は図書館に入り浸る数日の間に、知識欲で埋めてしまったの。もう構築は完了している」
「なんてこと……」
「ごめんなさいね、気が付いたのは、貴方がここにパチュリーの情報を持って来てからなのよ」
「……」
「とにかくチルノ。悪い風にばかり考えては駄目。見方を変えれば属性を切り離されたことで、本来の貴方に近づいているとも言えるの」
「本来のあたいですって!?よく言うよ!本気でそんな事思ってるんじゃないでしょうね!?」
「……受け入れ難い気持ちは解るけど、でもねチルノ」
「もういいから、解ったから!解決方法を教えて!どうしても戻らないと駄目なんだ!」
「解ったわ。結論を言いましょう……妖夢、こちらに来なさい」
「は、はい、幽々子様」
「この子は半幽霊という種族ね。そちらのふわふわしてる白いのも、この身体も、どちらも妖夢よ」
「それが?」
「こうやって魂と肉体が乖離しても、両方ともが完全な存在だから消えない。
これは妖夢特有の非常に稀有な例であって、普通は肉体から乖離した魂の方は消えちゃうの」
「だからー、妖夢の事なんていいから、結論を教えてよ」
「結論よ。肉体が生きたまま、乖離した魂は消える」
「え……?」
「人は死によって魂の成熟を迎える。肉体が生きているままでの魂は不完全よ。それも今回なんて一部のみ。確実に消える」
「ちょ、ちょっと待って、消えるって」
「完全ではない魂は、閻魔の裁きを待たず、二日もあれば塵に還る。だから、もう無理なのよ」
「……さ、探してよ……!無理じゃないよ、どっかにきっとまだ!」
「少なくとも白玉楼の周辺にはないわ。それはもう私が探したから。それにどんなに伸ばしても消えるまでのリミットは三日」
「三日……」
「もう、大幅に限界を超えてしまっている」
「そうだ!あたいの魂が彷徨って、誰かに宿ってるとかはないの!?ほら、狐憑きとか言うでしょう!?」
「チルノ……あれは完全な魂だから出来るのよ。不完全で小さな魂は人の身に宿るほどの意思も体力もない」
「そ、そんな、だったら別の方法で!」
「私の知る限り無いわ。パチュリーまで知らないとなるとお手上げね、ただ一つだけ、戻らなくていいなら解決方法がある」
「……何よ?」
「白楼剣で、もう一度。今度はチルノの迷いを切る」
「ゆ、幽々子様!?」
「過去を切り捨てて、今をあるがままに受け入れられる。それが一番楽な解決方法。生まれ変わり新しい道を歩めばいい」
「それはあんまりです幽々子様!」
「決して不幸なことじゃないわ妖夢。このまま悩み続けて生きる方が、よほど不幸よ」
「諦めずに何か探しましょう!チルノだってまだ!」
「妖夢に何か代案があるっていうの?」
「い、いえそれは……」
「そういう事よ、チルノ。私達は出来る限り貴方の助けになる。決断をするなら早ければ早いほどいいわ」
幽々子の目は、あたいが初めて見る気迫を備えていた。
どうやら、本格的に解決方法が無いらしい。
白玉楼に来てはみたが、いよいよ進退窮まっただけか……。
「チルノ……?」
冗談じゃないやい。
「ふざけないでよ……」
あたいは、チルノだ。
「ふざけんな……!あたいは……!」
新しいの、とか、生まれ変われとか、
「あたいは、妖精チルノのまま生きるんだ!」
あたいは今でもチルノだ、最初から最後までずっとチルノだ!
あたいが覚えてるあたいが全てだ。
あれが本来のあたいなんだ。
溶けかけた氷のベッドで目を覚まし、朝からくだらない悪戯を考えて、昼には太陽を見上げてうんざりして、
他の妖精たちを見つけたら氷の飛礫でからかい、蛙の蘇生実験の記録更新を喜んで、
夜が来たら月の下でミスティア達と弾幕ごっこをするんだ。
眠たい目を擦りながら、遊び足りない気持ちを抑えてベッドに戻って、その日を終える。
一日一日を、そうやって生きてきた。
今更、それを忘れろなんて可笑しいよ。
あたいが、こんなんじゃ。
レティだって笑って帰ってこられないじゃない!
「チルノッ!」
屋敷を飛び出すあたいの背に、追い縋る様な声がかかる。
あたいはそれを振り切って、空に身を躍らせた。
目尻に溜まった涙が一滴落ちた。
とてつもなく冷たい涙に、ぞっとした……。
―――――
湖のほとりで、あたいは膝を抱えて夜を待った。
夜になれば、今日もきっとミスティアが誘いに来てくれる。
そうしたら飛び切りの笑顔で迎えるんだ。
それから、うんと謝ろう。
だけど、ミスティアは来なかった。
もしかして、洞穴の方へ迎えに来てるんじゃないかと、急いで洞穴に戻った。
「ミスティアー?いるー?」
何処を探しても、ミスティアの姿は見られなかった。
落胆して、洞穴の外へ出ようとするとき、代わりに奇妙なものをみつけた。
丁度入り口の影になって見えなかった場所に、可愛らしいシールで封をされた封筒が落ちている。
ああ、そうか、あの中身は招待状だ。
今日は満月なんだ。
私達は秋になると満月を見上げて、ミスティアとリグルの三人で月見をしていた。
草むらから月を眺め、歌を歌い、団子に手を伸ばす。
楽しかったんだと思う。
毎年やっていたのだから。
しかし、意識して思い出してやらないと出てこなくなってる事に慄然とした。
余りに優先順位が低くされてる。
頭に焼けた針が刺さったような痛みが走った。
少しでも何か感情が欲しい。
早く開けて中の便箋を読みたかったが、封筒さえ傷つけるのが惜しかった。
爪でシールを擦り、丁寧に開封する。
『今日は月に負けないくらい蛍も綺麗だよ。チルノも是非来てよ。また三人で楽しもうよ:リグル』
『踊ろう、騒ごう、食べよう、飲もう、歌おう!チルノがいないとつまんない!早く元気出して!:ミスティア』
二人の文が便箋の上の方に、左下に、場所と時刻。
右下にはミスティアが描いたと思われる絵があった。
クレヨンで描いた稚拙な絵の中に、三人の笑顔が並んでいる。
「似てないよミスティア……」
クレヨン、持ち辛かったろうな、あの長い爪じゃあ。
リグルに頼んで、彼女に描いて貰えば良かったのに。
そうすればもっと……
「あたい……何考えてんだ……他に感想は出てこないのか……」
涙でクレヨンが滲んだ。
これが、友情を感じた嬉し涙ならどれだけ良かっただろうか。
此処まで来ても、あたいは彼女らに親愛を覚えない。
ただ、そんな自分が悲しくて泣いている。
ミスティア、リグル、ごめん……あたい絶対に戻るから……。
記憶の糸を手繰り寄せる。
満月をミスティアが歌い上げ、リグルが呼んだ蛍の光が柔らかく私たちを包み、風にマントを翻してリグルが踊る。
ミスティアの歌を騒がしいと思いながら、あたいは満月を見上げ月見団子に手を伸ばしてた。
最後の団子を巡って喧嘩して、三等分した事もあった。
記憶は完全に残っていたが、思い出と呼ぶには頼りない。
もう、ただの記録だった。
自分の記憶なのに他人の記憶のような。
残るのは喪失感。
洞穴を出て、空に浮かぶ黄色い月を見上げた。
煌煌とした満月は、山の緩やかなカーブを境界に、山を黒に空を青に染めていた。
夜目が利かない人間でも、今日は明かり無しで出歩けるだろう。
満月の薄汚れた染みを見て、兎の餅つきだと喜んだのも遠い思い出。
ただのクレーターは、何の形にも見えてこない。
胸に、招待状をしまいこむ。
産まれ立ての卵のように優しく大事に扱った。
行こう。
もし、月の下みんなで、笑えたら。
そこから世界を手繰り寄せよう。
あたいの大好きだった幻想郷を。
「……行こう!」
―――――
「ミスティアの屋台ってさー、もう旬過ぎちゃったんじゃない?」
「あれ、知らないの?八目鰻って十月から四月にかけてが美味しいんだよ?」
「え?そうなの、鰻って夏の食べ物だと思ってた」
「リグルあたまわるーい」
「うわ、ミスティアに言われると落ち込むなー」
「あはは」
三人で草むらに腰を降ろし、団子をつまみながら世間話を繰り返した。
リグルの招いた蛍が光の尾を引きながら、辺りに飛び交う。
あたいに気を使っているつもりなのか、二人は歌を歌わないし、踊りもしない
今日はずっと、世間話だ。
あたいは……愛想笑いくらいしか出来なかった。
涙がこぼれないように満月を見上げた。
怖いくらい、月は大きかった。
月明かりに、心が透けそうで怖かった。
演技がさとられないように、笑い声を少し大きくした。
何を話しているのか、何処で頷いているのか、次第にいい加減になってくる。
涙が零れないように、笑い声にだけついていった。
二人の声が、スズムシの鳴き声と一緒になって消えていく。
あたいはちゃんと付いていけてるだろうか。
二人が笑っているのは、あたいを指差して笑っているんじゃないだろうか。
そのうち、涙の衝動を抑えるだけで、必死になって……
馬鹿、何をしに来たんだ。
泣くために、来たんじゃないだろう。
笑おう。
笑わないと。
せっかくみんなで集まったのに。
何もかもが何処かに消えてしまう。
みんなが……何処かへ……。
「……?」
首にぬくもりを感じて、肩の上を見て、ミスティアのブラウスを発見した。
あたいの肩から前に手を回しているらしい。
「チルノは昼も夜もひんやりしているねー」
「ミスティア?」
「この感じ、昔も今も何も変わってないよ」
「あんた達……気が付いて……」
リグルもいつのまにか、私の前に膝を折って屈んでいた。
優しい目を向けていた。
赤子をあやす様な、壊れ物に触れるような、優しい目。
「私も心配だったから、チルノの変化の戻し方は探してたんだ。成果の程は芳しくないけどね」
「そうだったの……ごめん。あたいがいると、お月見がつまらなくなっちゃったね……もう泣かないから」
「いいよ。思うままにしてなよ。そんなに心配しなくても、私達は何処かに消えたりしないよ」
「リグル……」
「ゆっくり考えよう。チルノが昔を忘れない限り、時間はきっと残っている」
「三馬鹿だもんね。一人でもかけたら困っちゃう」
「あ、あぁ……」
「泣きたいだけ泣いて、また明日考えよう?」
「うぅ、あぁ……うっ……ひっく……うわぁぁあん!」
ミスティアのブラウスに縋って泣いた。
すぐにミスティアも泣き出した。
最後には、耐え切れずリグルも貰い泣きした。
リグルが笑えない。
ミスティアが笑えない。
あたいが笑えないと、他の誰かにも連鎖する。
もう、あたいだけの問題じゃなくなった。
最初からあたいだけの問題じゃなかった。
あたいってば馬鹿だから、気付くのが遅すぎだ。
頑張ろう……。
何を頑張るのかは解らないけど。
この遠い空の下何処かで、馬鹿が待ってる。
―――――
目覚めは酷かった。
泣き腫らした目が、非常に赤く、腫れぼったい。
氷のベッドから起き上がって、まだはっきりしない頭を振る。
眠いと訴える瞼を強いて開き、空を見上げるために、外へ足を進めた。
洞穴の前に、小さな鍋が置いてある。
「なに、これ?」
鍋の中に、野菜らしきものを煮込んだスープが入っている。
もう一度外を眺めると、洞穴の入り口に小さな妖精達が三人、顔だけ出してこちらを窺っている姿が見えた。
もしかして、これは、彼女らが?
「これ、あたいにくれるの?」
三人はあたいの声に一度だけこくんっと首を振ると、一目散に、逃げ出した。
彼女らはあたいが昔、氷の粒でからかってた力の弱い妖精たちだ。
まさか、朝ごはんを作ってくれるなんて、思っても見なかった。
不本意ながら、こうなってみて初めて、あたいは皆に愛されている事を知った。
スープが冷えている事が有難かい。
冷やす事は簡単だったが、その心遣いが嬉しかった。
飲んでみる。
「まっず……」
青臭い。
薬草とか入れまくってるんだろう、これ。
せっかくだから、全部飲むけどさ。
噛み応えのある野草は、苦くて苦くて喉に沁みた。
これを朝食と呼ぶには、少々健康的すぎる。
あたいは、まだ婆さんじゃないぞ。
夕方までは、幻想郷を飛びまわる事にした。
目下、魂を探しまくる。
まだ消えてないと信じて。
無理のある望みかもしれないが、今はこれしか手がなかった。
リグルの話によると、妖夢も私の魂を探してくれているらしい。
実は、幽々子もこっそり探しているらしい。
妖夢が言っていた。
しかし、何も手がかりの無いまま、今日も山に陽が落ちようとしていた。
風の無い夕暮れだった。
足元にはだいぶ寒さが溜まっていて、少しずつ冬が近づいているのが解る。
何もしなくても、冬は来る。
あたいに、残された時間は、まだあるのか、もう無いのか。
どんな状況でも、無心に足掻く事が、あたいにとって重要なのだろうと思う。
戻る為に、何かをしたい。
洞穴に帰り、その奥で足を放り出し、仰向けになる。
迷い込んだのか一羽のコウモリが、暗い天井にぶら下がり羽を休めていた。
追い払おうと手を上げて止めた。
まぁ、好きなだけ休んでいくがいいさ。
この広い洞穴、あたいだけより幾分かマシだろう。
寝転がったあたいは魂探しについて考えてみた。
正直、幽々子ぐらいしか、まともに探せてないのでは?と思う。
特殊な能力の無いあたいらに、魂を探せとなると、これは視覚しか頼るものがない。
ふよふよと漂う魂の形を視認しないと解らない。
手がかりは幽々子から聞き出した、不完全で小さな魂という一点だけ。
それほど夜目の効かないあたいなんかは、夜中は完全に戦力外だ。
この広い幻想郷を相手にするなら、何か目安が……探すべき方針が欲しいんだけど……。
うーん……。
うぅ、せっかく天才になったってのに、全然役に立たないじゃないのこの頭。
しっかりしてよ。
「天才……?」
それは何気ない思いつき、気が付いてみても馬鹿馬鹿しい思いつき。
だけど、一筋の光明。
暗闇に天から垂れた蜘蛛の糸。
「じゃ、あっちは馬鹿なんじゃないの?」
幽々子は魂に宿る意思を認めていた。
そして、分離された魂は、とても脆弱な意思しか持てないらしい。
だけど、あいつは規格外のバカだ。
あたいの元気を根こそぎ奪っていったあいつなら、きちんとした意思を持っていてもおかしくない。
もし、もしもだけど、あいつが意思を明確に持っているとすると、色んな条件が引っくり返る。
幽々子は不完全な魂はとうに消滅していると言った。
不完全で弱い魂が消滅を免れる為には、器を探して持てばいい。
幽々子は器を探すには、その意思と宿る体力がいると言っていた。
意思は前述の通りクリアーしてたとしても、人や妖怪を相手に宿るには、決定的に体力が足りないので無理なのは変わらない。
ここで、思い込みが邪魔してる。
人の器が無理なら、別の器を借りれば良かったんだ。
器は人じゃなくていい、生き物なら問題ない、動物である必要すらない。
丁度、この世界で春に起こっていた異変が、その答えになってくれている。
いや、違う、異変はまだ静かに続いていたのだ。
答えは白玉楼で見てきた。
「沈丁花は春にしか咲かない……!」
ならば、あの花は魂が咲かせた花だ。
魂は花に宿れる。
幻想郷を騒がした、開花事件。
原因は外の世界で増加した死者の魂が咲かせたとの事だった。
何故、不特定多数の死者が、花ばかりを選んで身を寄せたのか?
それは、手っ取り早くて宿りやすいからに違いない。
あたいの魂はそれを知っている。
生きてた頃の記憶から知っている。
そして植物に宿るのに、それほど力は必要ないだろう。
以上から、あたいの魂が花に宿っている可能性は高い。
では、宿る場所だ。
白玉楼の近くじゃない。
幽々子ほどの実力者なら、花に宿ろうが魂の索敵は可能だと思う。
だから、最近、幽々子が行動してる線を基準にして、かなりの範囲の円を除去して構わない。
ひたすら遠い場所。
おそらくあたいの魂は、自分が不完全であることを微塵も気にしていない。
完全な魂は、閻魔の裁きを目指して動く。
あたいの片割れは他の魂に釣られ、自分も裁かれなくちゃと、一直線に三途の河に向かったのだ。
そして、そこで立ち往生。
何故なら、そこはサボり魔の死神のせいで、処理が間に合わなくて、三途の河の前は未だに霊が溢れているのだ。
迷ったあたいの魂は、他の霊達の様子を横目に見て、そいつらと同じ行動を取る。
そう、宿った場所は無縁塚の花。
そして花の名は。
「彼岸花!」
……だけど、すぐに脳は、この結論を否定した。
そんな事あるはずが無い。
推理の肝が、魂が馬鹿だからという、訳の解らぬただ一つじゃないか。
もし、そこに魂があったとして、自分の魂の花だけをどうやって見極める。
見極めたとして、どうやって花と魂を分離する。
分離して、それで何とかなるものなのか。
あまりに穴だらけで、都合の良い妄想だ。
でも、それでいい。
信じるに値するのは、己の魂だけだ。
脳なんて、お呼びじゃない。
出たとこ勝負!
「チルノー?いるー?」
「ミスティア!」
「あのね、今日は特に何もなかったんだけど、様子を」
「そんなの後!ミスティア、リグルを呼んで来て!あたいは一足先に無縁塚に行ってるから!」
「む、無縁塚ー?」
「そこにあたいの魂があるかもしれないんだ!」
「えぇぇ!?理由は……?あ……わ、解った呼んでくる!」
「頼むよー!」
登る月を追い掛けるように、あたいは氷の流星になって空を駆けた。
向かい風を全身に受けて、あたいの思考を篩い落としていった。
常識とか、理屈とか、常道とか、ルールとか、そんなのは一切関係ない。
向こうにある都合の良い理想だけを信じている。
そんな馬鹿が、一人くらいいたっていいじゃない!
ぜーったいその方が世の中面白い!
―――――
満月に負けぬ輝きを放ちながら、十六夜の月は天に昇る。
案の定、月下の無縁塚は花に溢れていた。
三途の河沿いに、血の池のような赤の花の群れがある。
近づけば、群生する紅く小さな花の形は、生前の命の飛沫に見える。
血飛沫。
彼岸花の一本一本が、無縁塚に文字通り墓となって連なっている。
弔う縁者のいない、無縁の死者を葬った墓。
魂の終着点、人生の墓場。
この墓場からあたいが探し出すのは、たった一つの馬鹿の墓。
「あっという間にこれちゃった」
自分の力に驚きながらも、花を傷つけぬように冷静に着地する。
さて、どうやって探そうか……。
月の明かりだけでは仄暗く、視界も大して広くない。
リグル待ちかなー。
まあ、それまでにどうやって探すかだけでも考えておかないと。
「こんな時間に氷精が墓荒らしかい?」
へにょ鎌を肩に担いだ死神さんの登場だ。
こいつが適度にサボるせいで、霊の処理が追いつかないのだ。
全くもって……
「いつもサボってくれて有難う!」
「はぁ?」
「ついでに凄くいいところに来てくれたわ!」
「な、なんだってんだ?」
ここで死神の協力が得られるなら、そんな心強い事ってない!
あたいは、必死に今までの全ての事情を二十秒程度にまとめて、死神の耳の中にぶち込んだ。
「そういうわけで、是非手伝って欲しいんだけど」
「あー、無理だ、諦めろ」
「えー!?」
「馬鹿の魂かどうかなんて、そんなの誰が解るもんか。大体、魂を戻すなんてあたいには出来ないね」
「じゃ、誰ならできるの?」
「誰にも出来ないよ」
「へいへい、死神びびってる!」
「煽ったって無理なもんは無理さ」
「ほ、本当に無理?」
「死神の仕事ってのは死期が来た魂の刈り取りと運搬。都合良くくっつけたり離したりできるかっての」
「じゃあ、探す協力だけでも!」
「何で、あたいがあんたに協力せにゃならん。あたいは今サービス残業中でメッチャ機嫌悪いんだ、ぶちのめされる前にさっさと」
「小町!何サボってるの!」
「きゃん!?」
説教閻魔が河の向こうから飛んで来た。
うわぁ、こりゃ話がこじれそうだなぁ。
仕方ない、惜しい人材だが死神は諦めて、大人しくこっそりと、ミスティア達と合流して三人で探そう。
時間がもったいないし。
「すいません!さぼってません!マジさぼってません!サボってるようにみえるのは幻覚です!サボタージュ!」
「あら?貴方は何時ぞやの氷精ですか」
「あ、こ、こんばんは」
「こんばんは、何の用です?」
「……いやぁ、その……あたいは別に大したことは……」
「貴方……どうしたの?今一人称で引っ掛りましたね?」
「え?う、うそ?」
一人称には相当気をつけてるんだけど……。
「いや、本当におかしいわ。雰囲気がまるで違う」
「そ、そうかなー?」
「魂ごと摩り替えられたみたいな……」
「魂!?」
「何?」
「あ、あのね、正直に言うけど、あたいはあたいの魂を探しにここに来たの」
死神に協力を仰いだ以上の熱意で、閻魔に状況の説明と必死の説得を試みた。
馬鹿を切られた事、チルノドラゴンの事、図書館での出来事、白玉楼での会話、リグル達の協力、そして魂を探している事。
死神の奴は耳を穿って欠伸をしていたが、閻魔の方は意外にも真剣に話を聞いてくれた。
「生きている魂の切断……まさに奇跡ね……」
「幽々子もそう言ってたよ」
「はぁ、あの子の従者も、力をつけたものだわ」
知り合い?
閻魔は卒塔婆でぽんっと左手を打って、話を続けた。
「で、ミスティアとリグルは来るか……あとは妖夢が問題ですね」
「妖夢?」
「では、夜雀達が帰ってくるまでに、先に貴方の説教を済ませておきますか」
「げぇ!?なんで!?」
「それも必要なのよ。魂を戻すために」
「戻す……あたいの魂を戻してくれるの!?」
「いや、ここにあるかどうかは……戻せるかどうかさえ、非常に分の悪い賭けですが。どう、それでもまだ説教を受けますか?」
「受ける受ける!戻せる可能性があるんだったら何だってする!」
「熱意は宜しい。ですがやはり説教は必要ですね。小町!」
「……っていうか何でサービス残業なんだよウゼー、は、はい!四季様!」
「星屑の向こうから蛍が降ってきたら、私に知らせなさい」
「は??」
「返事は!?」
「はいっ!!」
「頼みましたよ。ではチルノ。こちらへ来なさい……」
特に何もない平原へ、すたすたと閻魔が歩いていった。
ぼーっと突っ立ってる死神の横を抜けて、あたいも閻魔に続いた。
―――――
閻魔は死神から少し距離をとって、彼岸花のない土の上に腰を降ろした。
「どうぞ?」
どうぞと言われても、指されたのは椅子も何もない地面だ。
仕方なくあたいも座った。
「説教の前に朗報と、悪い知らせがあります。どちらから聞きたいかしら?」
「そりゃ、朗報かな?」
「貴方の魂が僅かに震えている、そして貴方も少し人格に影響を受けている。おそらくここに片割れの魂があるのでしょうね」
「や、やった!魂の場所は解らない?」
「無理ね、小さすぎる。それと弱すぎる。小町でも探すのは不可能よ」
「そうなんだ……」
「次は悪い知らせ。貴方の魂は相当弱っています。今夜救えなかったら明日はどうなるか、誰にも解りません」
「……でもここにあるんでしょう?」
「あると思います」
「今夜救えばいいんだよね?」
「そうですね」
「それで、方法は閻魔のあんたが知ってるんでしょう?」
「方法というよりは賭け。上手く行くかどうか自信は全くありません。これは先程申し上げたとおり」
「方法って何なわけ?」
「皆が揃ってから、その時説明しますよ。さて、説教に移りましょうか」
「えーっ……」
どうせ力が強すぎるとか、テリトリーから外れすぎとか、そう言うんだろうなぁ。
「……貴方は今の自分を愛せていない、それが貴方の罪よ」
「はい?そんな事が罪なの?」
「罪です」
「んー?あたいは自分を愛してるつもりなんだけどなー」
「それは昔の自分をでしょう?」
「あ、うん。だから戻りたいんだ」
「戻りたいのは何故?」
「こんなの本当のあたいじゃないから」
「ほら、愛せていません」
「だ、だってしょうがないじゃない、向こうが本当のあたいだもの」
「貴方は一つになりたいんじゃなくて、今の自分が嫌いだから戻りたい。魂の片割れに幻想を押し付けている」
「い、いやそれは」
「何もかもをマイナスに捉えるのではなく、己のいい所は認めてやり、愛してあげなさい。今も昔も大切にして」
「頭が良くなった自分を愛してやるとか?」
「そうですね」
「……それは解ったけど。自分を愛する事が、魂を戻す事と関係あるの?」
「自分を愛せない者が人を愛せますか。人が愛せない者を誰が愛しましょうか。
今のままでは貴方に向けられた愛は、心の中で同情や憐憫に挿げ替えられる。一生可哀想なまま抜けられない。
それは魂から見ても同じ事なのよ。そんな不幸な身に誰が戻りたいと願いますか」
「……」
「力があること、知恵があること、それは長所です。そこを嫌う事をまず止めなさい」
「うん……」
「返事はどうだっけ?」
「はいっ!」
「よろしい、いい返事です」
「……あ、これってパチュリーにも全く同じ事言われたなー。どういう結末でも自分を愛せって」
「パチュリー?」
「図書館の半ひきこもりの」
「ああ……それは、賢い子ね」
「あの、片割れの魂が戻ったらさ、あたいはどうなるんだろう?」
「魂の上書きが始まります。恐らく魂が切り離されてる間に、新しく芽生えた感情や知識は徐々に忘れるでしょう」
「図書館に新しい友達が出来たんだ、その事は忘れたくない」
「貴方次第よ。その友達をどう捉えていたかによるわ」
「あたい、次第ねぇ?」
「……知識の共有から来る仲間意識や、利用価値から覚えた友情なら、すぐに消えるでしょう」
「じゃ、消えないな」
「自信ありますか」
「友達だからね」
「あっという間に友達になっちゃうのね」
「そうだよ。もう、閻魔様とも友達になったしね」
「……!全くとんでもない人……」
不意に、閻魔が立ち上がる。
あたいも続いた。
向こうから、死神が赤い髪を振り乱して走ってくる。
「チルノ、どうやら役者は全て揃いました」
無縁塚に、一人二人……。
蛍を連れたリグルが降りる、ミスティアが降りて羽を休める。
そして最後に三人目。
妖夢が無縁塚に降り立った。
「では、賭けを始めましょうか」
―――――
リグルと妖夢は白玉楼に一緒にいたらしい。
丁度そこにミスティアが来て情報を伝えたので、三人揃ってやってきたというわけだ。
「皆が揃ったところで、魂を取り戻すまでの手順を説明をしていきましょう」
無縁塚一面に蛍が飛び交い、彼岸花自身が赤い光を散らしているようにも見える。
これでだいぶ視界は確保された。
「リグル、貴方は蛍たちと一緒に、夜の無縁塚に明かりを照らしてあげて」
「う、うん」
「次に小町。貴方は彼岸花から全ての魂を吸霊しなさい」
「は……はぁ?」
「チルノ、貴方は予め上空で待機。小町の吸霊が花から引っ張り出した魂の群れから、己の魂を探す」
「待って!な、何考えてるんですか四季様!そんな事出来るわけないでしょう!?」
「小町、言い分は後で聞くから、今は黙っていて」
「……」
「続いて妖夢」
「は、はいっ」
「貴方はチルノの見つけた彼岸花から伸びる魂の緒を、その白楼剣で水平に切り離して頂戴」
「解りました!」
「最後に、ミスティア。貴方、鎮魂歌は歌えますね?」
「一曲しか知らないよ?」
「十分。貴方は全て終った後に、その歌で魂を鎮める役目」
「解ったー」
「………!」
「以上、質問は?」
「四季様!チルノと話してて馬鹿にあてられましたか!?」
「小町……」
「何もかもが無茶苦茶です。上手く行くわけがないでしょう!」
「だから賭けといいましたが」
「ガキ相手に茶番はもう終わりにしてください!言ってやればいいでしょう!無理だってはっきり!」
「決して無理じゃない。何処が無理だと思いますか?」
「彼岸花は未だに数百、下手したら千を越えてますよ!これを全部まとめて吸霊しろですって!?その中から一つの魂を探すだって!?」
「それでも、可能性はある。死神の貴方の力と、今のチルノの知恵を信じています」
「次はもっと酷い!魂に刃物は効きません!仮に切れたとしても、今度は魂の方がただじゃ済みません!」
「その為の妖夢。その為の白楼剣。この子は一度それに成功している」
「……そんなのただの奇跡だって、ご自分で言ってたじゃないですか」
「あら、ちゃんと聞いてたのですね。奇跡もまた、起これば例となる」
「………」
「他に質問は?」
「あくまで失敗は考えない気ですか?」
「成功を信じないで、前進は有り得ませんよ」
「間違った魂を切ったり、魂が抑えきれず暴走したら、他の閻魔から何を言われるか、どう裁きが下るか解りませんよ」
「その時は私が全ての責任を取ります」
「切り取ろうとした妖夢も、一歩間違えば地獄に落ちる」
「この子はその覚悟を持ってますよ、ねえ?」
「え?……も、もちろんです!私が撒いた種、私が責任を負わなくてどうしましょう!」
「………」
「小町、質問はまだある?」
「……吸霊した魂は不安定です、すぐに処理してやらないと暴走する、もって五秒です。こんな短い期間に何が出来ますか」
「だったら、私の力で暴走を食い止める。十秒まで引き伸ばしてあげましょう」
「無茶苦茶だ……長時間の吸霊は、あたいの体力の方が持ちませんよ」
「大丈夫です」
「どうして!?」
「私はね、誰より小町を信じていますから」
「……卑怯です、こんな時に優しい言葉を持ってくるなんて」
「どうします小町?」
「……断ったら?」
「貴方の意思を尊重します」
「………」
「私の知ってる小町なら、やりますけどね」
「ちっきしょう!解りましたよ、やりますよ、やりゃあいいんでしょう!」
「宜しい」
「お前ら有難く思え!馬鹿に少しだけ付き合ってやる!」
無縁塚の中央に、死神が歩いていく。
吹っ切れたような顔をして、背中越しに鎌を掲げて見せた。
「四季様、合図お願いしますよ!」
「解りました。さて皆さん、他に質問はありますか?」
「あの、これにもし失敗したら、次はあるの?」
「弱ってるチルノの魂じゃ一度が限界。他にも事情はありますけど、一度きりとだけ覚えておいて」
「解った」
「この中に、作戦に反対意見のある人はいますか?」
「あ、もう一つだけ!」
「……時間はありません手短にお願いしますよ」
「どうしてそこまでして、あたいに協力してくれるの?」
「貴方だけじゃない、みんなにですよ」
「え?」
「貴方を愛する皆の願いに応えなくては、まるで私が悪者みたいでしょう?」
「ミスティアやリグルや妖夢のこと?」
「ええ……良い友達を持ちましたね、チルノ」
閻魔の手があたいの頭に伸びた。
髪を梳くように、水色の髪に手を入れて優しく撫で付ける。
「ここを帰るときは、みんなで笑って帰りなさい。それが貴方に積める善行よ」
「うん……頑張る」
「各自、無事役目を果たす事を期待します。チルノは上空に陣取って待機。位置は貴方が好きに決めなさい」
「了解!」
あたいは、無縁塚が一望できる高さに飛び出した。
花の位置全てを図形的に処理しやすいように、真上に陣取る。
ミスティア、リグル、妖夢、閻魔の四人は地上でしばらく相談を続けた。
閻魔が指揮を取り、委細決めてくれてるのには助かる。
少なくともあたいじゃ、死神は説得できなかった。
「チルノ!もし魂を見つけたら大声で妖夢に知らせなさい!」
「あいよー!」
「さぁ、始めますよ!」
卒塔婆が、彼岸花の中心に向けられる。
ヒュッと小さく風を切る音がした。
「小町っ!全力で十秒間!吸霊展開開始!」
「さぁて、死神の力!見せてやりましょうかねぇ!」
無縁塚の暗い土に、鎌の柄が突き刺さる。
地面から蛇が登るような煙が上がった刹那、橙の光が無縁塚の全てを一瞬で包んで消えた。
千を越える彼岸花から、少しずつ魂が浮かんでくる。
蛍と彼岸花の花火に、白い魂が加わった。
五割、六割、七割……まだ魂が足りない。
「弱い!そんなものじゃないでしょう!貴方に流れる死神の血はその程度かっ!」
「んなろぉぉぉーー!!小町、一世一代の大盤振る舞いだぁ!!」
脂汗を浮かべながら小町が吼えた。
八、九、十割。
やがて全ての彼岸花の上を白い魂が踊り出す。
その光景に見蕩れる暇も、死神を案ずる暇もなくて、あたいは自分の魂を探し始めた。
「カウント開始!十っ!」
さぁ、頼むよ、あたいの脳!
一に拘らず、上から図形として全体を見る。
眼が地形の全てを捉え、脳に確実な映像を映し出す。
枯れ始めた彼岸花から出る魂は鈍色のようだ、あたいの魂は宿ってそれほど立たないから、鈍い色、これは除外していい。
逆に瑞々しい彼岸花から出る魂は白に近い、またそれらはある程度固まって咲いている事が解った。
求めるのは白だ。
脳の図形から、白い点の塊を探す。
そして、明度の高い場所以外の全てをばっさり捨てる。
「九っ!」
白い塊は全部で十六。
画像を大きくし、その中から大きな魂を消していく。
残った小さな魂の数は三十二。
魂を重ね合わせ、純粋な白意外を消す。
零になった。
純白に限りなく近いと思われる順に、八個の魂をピックアップして並べる。
ここで、動きの強い魂を消そうかと思ったが、止めておいた。
馬鹿なら己の体力を省みず、激しく動くかもしれない。
「八っ!」
ここまで二秒。
とりあえず、脳に感謝。
天才の作業は此処で終わりだ。
ここからは馬鹿の出番!
魂に耳があるかどうか知らないが、あたいの魂ならこの言葉に絶対反応しなくちゃいけないんだ。
理屈じゃない!
無縁塚一面に!届けあたいの叫び!
「この中で馬鹿はどいつだーっ!!」
夜の空気が震える。
閻魔以外の全員があたいを見上げた。
魂があたいの大声に一斉にざわめき始める。
慌てるな。
信じるんだ。
「七っ!」
あの八つの魂だけを見てればいい。
あの中に必ずいる!
身をくねらせて、あたいの言葉を必死に否定してる奴が!
『あたいは馬鹿じゃなーい!!』
「みつけたぁああああ!!!」
「六っ!」
くねくねと揺れるそいつ目掛けて叫んで、あたいは急降下した。
すぐに、彼岸花の海を銀髪が裂いた。
妖夢があたいの落下地点を予測して怒涛の勢いで駆けて来る。
二人の目が合った。
リグルの蛍が中空に光を集める。
「チルノ!どれ!?」
「そこの右の一番小さくて最高に輝いている魂!」
「五っ!」
答えず無言で妖夢は剣を抜いた。
紫電一閃。
居合い抜き。
妖夢は寸分の狂いも無く、あたいの魂にありったけの水平の太刀を叩き込んだ。
やった!完璧だ!
これで!
「これで分離できるは……ず……」
魂は怒り狂い暴れている。
へその緒みたいなのも繋がっている。
切れていない……。
「四っ!」
「何で……!?」
もう一度妖夢は剣を振った。
やはり切れない。
駄目だ、あんなに魂が激しく動いていては水平になる角度を見極められない。
振るたびに魂の動きはでたらめになる。
妖夢は三度目は振らなかった。
ただ、唇を噛み締めて、妖夢は魂を睨んでいる。
「三っ!」
その顔は諦めた顔じゃない。
おそらく、魂が止まる瞬間を狙って息を潜めているんだ。
だったら!
「妖夢!あたいに任せて!」
「ニっ!」
常軌を逸脱した発想。
完全に馬鹿げた思考。
だけど思いついた、思いついた瞬間あたいの魂がやれっ!と言った。
蛙を凍らせるように、一瞬で魂を凍らせてしまえ!そして止まった瞬間を切り抜いて、切った瞬間に解凍するんだ!
物理的な干渉を受け付けない魂を凍らせるのに、一体どれほどの冷気がいるのか。
壊さずに、傷付けずに、コンマ何秒の争いに、果たして妖夢が応えてくれるか。
だけど、あたいは賭けの出目を信じて疑わない。
「一っ!」
妖夢を信じる。
あたいの力と知恵と経験と、そして大好きだった技を信じる!
「凍符!パーフェクトフリーズ!」
力を何重にも重ねた極限の冷気。
魂の表面だけを狙う、極寒の脅威。
――凍った!
あたいの魂は芸術的に凍り付いて、その動きを止めた。
妖夢はその一瞬を逃さなかった。
「閃!」
空間を切り裂くように、真水平の薙ぎを払う。
月明かりに銀の残光を残して、音も無く剣は突き抜けた。
僅かに魂が傾いたところで……。
「零っ!小町吸霊止めっ!ミスティア鎮魂歌開始!」
―――――
「ね〜んね〜んころ〜り〜よ〜♪」
「魂が……消えちゃった……」
死神が吸霊を止めた直後、傾き始めた魂が闇に溶けた。
間に合わなかったんだろうか。
あと……あと一秒あれば……。
「チルノー!」
リグルと妖夢が、彼岸花の園にしゃがみ込むあたいの傍による。
心配そうに見下ろす目に、大丈夫だと笑いかけてやれなかった。
笑って、帰りたかったのに……。
ごめんなさい、閻魔様、約束守れそうも無いです。
ごめんなさい、みんな。
ごめんなさい……あたい……。
「あたい?」
違和感がない。
意識せずとも、口からあたいと自然に飛び出した。
「あたい……」
間違いない。
戻ってる!
あたいに戻ってる!
間に合ったんだ!
あたいに戻ったんだ!
「あたい、やったの……?やった!戻ってる!みんなー!戻れたよー!!」
両手を広げ、皆に知らせた。
星を見上げた。
月を眺めた。
兎がそこで餅をつき、夜の闇には美しい宝石が散らばっている。
沈んでいた世界の色が、少しずつ輝きを取り戻していく。
「わぷっ!?」
リグルと妖夢があたいの胸に飛び込んできた。
重い……。
彼岸花を潰さないように、場所を選んでじりじりと逃げた。
「ふ、二人とも、その、気持ちは解るけど、圧死しかねないからどいて欲しいなーって、ぐええ……」
妖夢もリグルも笑っていたが、リグルは半分泣いていた。
二人とも、何度もあたいの名前を呼びながら胸に顔を擦りつけた。
ようやく思い出した。この感情。
身体は疲れて重かったが、心はとても暖かいもので満ちている。
要するに最高っ!
空で歌い上げるミスティアの声の伸びも良くなった。
あたい、元に戻ったみたいなのに、思ってたほど劇的な変化はないんだなー。
そうか、馬鹿を切られた瞬間も、こんなもんだったような気がする。
少しずつ戻っていくんだ……。
忘れないうちに大切なものの確認をした。
ちゃんとある。
引き出しにそっとしまった。
明日の朝は図書館に堂々と入ってやろうか。
本を読むだけが、付き合い方じゃないさ。
心が繋がっていれば、どこかで必ず接点がある。
リグルやミスティアが、そうしてくれたように。
今度はあたいから、出向くんだ。
「ぼうやのお守は〜どこへ行た〜♪」
「綺麗な歌だね〜……」
「んー?」
「あれって、鎮魂歌でいいの?」
「いいんじゃない?閻魔から文句も無いし」
「……そだね」
「あ、幽々子様のご飯、昼も夜も作ってなかった……」
「それ、死んでるよきっと」
「………」
「言い返さないところを見ると、相当やばいらしい」
「怒られまくると思うよ」
「………」
「おお、妖夢の顔色が悪くなってきたぞ」
「今日の幽々子の晩御飯は妖夢ね」
「……うぅ」
風が吹き始めた。
波立つ彼岸花の海で、三人は静かに月を眺めた。
ミスティアの鎮魂歌も佳境に入る。
いいね、こういうのも。
侘び寂びだっけ?
遠くの閻魔たちの声が耳に入ってくる。
「いや、まさか魂を凍らせるなんてねぇ……」
「何なんですかあいつ……化物じゃないですか」
「小町も十分化物レベルの活躍よ。良く頑張ったわ十秒連続だなんて」
「あー、そうだ思い出した。四季様、ずっこい。いいんですか公明正大な閻魔様があんな事して」
「あら、何の事です?」
「最後の三カウント。明らかに遅かったですよ?」
「気持ちが張り詰めているときは、時の流れがゆっくりに感じるものですよ」
「……閻魔の商売は口先三寸って本当みたいですね」
「不満かしら?」
「滅相も無い」
「……小町、特別に残業手当出してあげるわ」
「本当!?」
「ただ、他の閻魔に今日の事は言うなよ……?」
「ラジャー!」
……。
ミスティアの歌が終った。
帰ろうか。
皆で笑って。
「うん、そろそろ戻る?」
「そうだね」
「よし、ミスティアー!お疲れ様ー!帰るよー!」
「チルノーーー!!良かったよーーー!!」
「ぶわぷっ!?」
「良かった良かった、チルノだ、チルノだー!」
「ぐぇぇ、何考えてんだ、あたいはもう二人で一杯だって!顔に飛びつくな、キスするな!やめてー!やーめーろーよーっ!」
言うまでもなく、皆、笑っていて、約束は問題なく果たせそうだ。
善行、一つ積んだよ。
―――――
まず妖夢を見送るため、白玉楼に到着した。
幽々子は腕を組んで、玄関の前をうろうろしていた。
時折心配そうに空を見上げる。
怒っているというよりは、我が子の帰りを今か今かと待つ母親のようだった。
腹の減った幽々子の前に、ミスティアを出すとどうなるか解らないので、あたい達は茂みから様子を窺っている。
「じゃ、妖夢。此処でお別れね」
「うん」
「今日は有難う」
「とんでもない。こちらこそ」
「好きなだけ思う存分、幽々子に怒られておいで」
「……あはは、行って来る……」
茂みから出てくる妖夢を見て、幽々子は驚いた。
普段なら簡単に見抜くだろうに、よほど心配で周りの事に頭が回らなかったらしい。
「妖夢……!」
「ただいま、幽々子様。すみませんほったらかしにしちゃって……」
「その顔だと……まさか!」
「え?」
「上手くいったのね!?」
「あ、はい……皆のお陰で、チルノの魂なら無事」
「良くやった……!」
妖夢の身体が幽々子に包まれる。
突然の抱擁に妖夢は困ったような顔をして、逃れようとしていたが。
実のところ耳たぶまで真っ赤だった。
茂みの方をやたらと気にして、チラチラと視線を送ってくる。
「いこっか?」
「邪魔したら悪いよねー」
「そうそう、あたい達には、やらないといけないこともあるしね」
「あれ?何?」
「やだな、忘れたのー?」
「あー、そうかチルノ復活記念に空でいつものアレやるんだ」
「そう!」
「秋の夜長は、弾幕ごっこ!!」
三人で揃って飛び上がる。
この関係が心地よい。
お互いがお互いの空気のように、あって当然で無くてはならない。
わくわくする。
疲れ果てた身体をベッドに横たえる、その瞬間までずっと充実してるのだ。
なんて最高なのかしら。
今日は久々にいい夢が見られそう!
月は十六夜。
今頃、紅魔館ではメイド長主催のパーティでもやってるんだろう。
さらば、チルノドラゴン。
いつか、また会おう。
あたいは諦めないよ。
遊びながら力を蓄えて、いつかまたきっと作ってやるから!
「あたいって最強だからね!」
―――――
紅茶に浸したマドレーヌを口にしたところで、玄関を大きく叩く音がした。
「何かしら?」
「あ、パチュリー様、私が出ます」
「いいえ、私に出させて」
扉を開けると、両手に黄色い花を抱えたチルノが立っていた。
この笑顔は……ああ、戻れたんだチルノ……。
「あら、マリーゴールド?」
「そう!」
花が私の胸の前に突き出される。
何がしたいんだろう?
「これの花言葉は?」
「え?花言葉?」
「黄色いマリーゴールドの花言葉!」
「あ、可憐な愛情……」
「も一つ!」
「健康……」
「そうよ、健康!」
チルノは何て朗らかに笑うのだろう。
幻想郷の中でもこの笑顔は最強の部類だ。
悩みの無い、純粋で、本心からの、偽りの無い、原始的な、理想の……
「あげるよ、パチュリーに」
「私に?」
「健康になって一緒に外で遊ぼう!」
「それでマリーゴールドを……私への友情なんて、貴方の中で空っぽになってるはずなのに……どうして?」
「パチュリーはあたいのこと嫌い?」
「そんなことはないわ、でも」
「だったらあたいはパチュリーが好き」
「え……?」
「友達だからね!」
突き出された花を受け取る。
日溜りの匂いがした。
「じゃあ、また来るよ!」
空に舞う氷の妖精。
彼女に黄金の太陽が降り注ぎ、生きた魚の銀の腹が光る湖に向けて飛んでいく。
これが、生きる強さか。
あの子はその力で、世界を引き寄せ、引き寄せたまま、何も忘れない。
あるがままに生き、何も捨てない。
それがあの子の強さなんだ。
「パチュリー様?チルノがなにを?あ、それ綺麗〜」
「小悪魔、チルノが生命を運んできたわ」
「はい?」
もう、あの子は私の問いに知識を返してくれない。
だが、私の知らない事を、あの子は一杯返してくれるだろう。
実に有意義だ。
また一緒に話そう。
木漏れ日の下、温かい紅茶と、薫り高いマドレーヌと共に。
「願わくば、私の素晴らしい友に、いつまでも自由がありますように……」
―――――
チルノが玉砂利の上を嬉しそうに転がる。
妖夢が、チルノが転がって散らかった後を箒で掃き進む。
あんな事があったから、しばらく妖夢はチルノに頭が上がらないのだろう。
それにしても、ふふっ、逆カーリングみたい。
柿を掴むもうと伸ばした指の爪が、皿を引っ掻いてかつんと音を立てた。
あら、もう終わり?
仕方ない、次のを切ってきましょうか。
あの子は忙しそうだから、自分でね。
柿を剥いで、手ごろな大きさに切り、爪楊枝を刺して、再び縁側に戻る。
玉砂利の向こうの沈丁花に眼がいった。
沈丁花……まだ咲いているわね。
春の異変からずっと咲き続けている沈丁花は、不思議な事にたまに向きを変える。
季節に合わせて首を傾ける。
それは、まるで子供達の遊び場を追う様にも見えた。
「いいわよね、子供達の笑顔って」
沈丁花は私に答えるように、静かな風にその身を揺らした。
やはり、子供は太陽を背負っているのがよく似合う。
塞ぎこんだチルノは見ていられなかった。
元に戻れて本当に良かったと思う。
私はどうだったか。
生前の幼い頃の記憶はぼんやりとしていて、上手く思い出せない。
寂しかったような気がする。
ああやって空の下に出る事も少なかったし、笑い合った友達も記憶にない。
鉛の底を泳いでる気分になって顔を上げた。
白い太陽に目を焼かれる。
子供たちの笑い声が庭を駆け抜けていく。
いつまでもこの幻想郷に、この声が響けばいい。
ああ、思えば、ずいぶん長く生きたわね。
いや、生きたというには語弊があるが、それでも生きたわ。
もういいかな、と思ったこともないわけではないのだけど、しかし、何時でもどうしても、心残りはあるものよ。
いやいや、妖夢。
貴方は偉大。
沈丁花。
丁度、今思いついたの。
一つ、歌を詠みましょうか。
――散らぬ華 無粋と人は嘲るも 子等の笑顔が 後ろ髪引く
「だから、私じゃなくてね」
そう呟いて柿に手を伸ばす。
あら、失敗、この柿は少々早かったか。
この柿はまだまだ渋い。
円熟してとろみを帯びた柿は、喉が震えるほどに甘いのに。
柿も、人生も。
腐りかけてから本番だ。
……そう、まだ早い。
■作者からのメッセージ
笑顔になれる馬鹿は大好きだーっ。
ご感想、ご指摘、突っ込み、何でも大歓迎です。
ここまで読んでいただき、本当に有難うございました。
小町は映姫様ではなく四季様と呼ぶとのご指摘を頂いたので、早速変更しておきました。
ご指摘有難うございます。
助かります。
前編
SS
Index
2005年10月26日 はむすた