あの子にはブンブン分が足りない!

 

 

 

――アホー、アホー

「なんとっ!?」

 それは射命丸さんが鼻歌を歌いながら魔法の森を飛んでいる時のことでした。
 香霖堂の店内からなにやら怪しげな怪鳥の、しかし大変魅力的で且つ同族の匂いがする鳴き声が聞こえてきたのです。
 こうして僅か二行で状況を説明する間に、射命丸さんはぴったりとショーウィンドウに張り付き、存在の確認を目と耳で終了させてました。
 さすが最速の女。
 やりにくい女。
 射命丸さんは知識の渦の中にぴったりと符号する存在があったのか、その場で大きく頷きました。
 これは、ドリフ式脱力阿呆ガラスに違いない。
 鳥篭の下の札は時価と書かれており、大変なレア度が窺われます。
 外の世界で一世を風靡した伝説のカラスがそこにいる、それなら射命丸さんの次の行動も分かるってもんです。

――アホー、アホー

「動物虐待はんたーい!」

 扉を殴り飛ばし、大声と両手を上げながら、店内を突き進みます。
 こうやって口で正義を語っていますが、もちろんカラスが目当てです。
 財布なんてもっていません。
 押し売り的に新聞の定期購読を押し付けて、商品だけかっぱらう作戦です。
 動物は自然が一番とか言いながら、ちゃっかり自分の家に連れ帰って家来にする気です。
 勉強になりますね。悪気がない人が一番タチが悪いという。

 射命丸さん、どこから持ち出したのか自作のプラカードまで掲げ、スキップをしたい気持ちを全力で抑えながら、ツーステップでカラスに向かっていました。

――ガシッ!

「なっ、射命丸!?」
「リ、リリカさん!?」
 
 ところが、予想外の展開です。
 射命丸さんとリリカさん、二人の少女の手が香霖堂の一角で重なりました。
 二人して同じ商品を取ろうとして、見事に手が重なり合ったというわけです。
 なんていう偶然、これが運命と言うものでしょうか。
 ここから友情が芽生えたり、愛が芽生えたりするときもありますが、今日はクロスカウンターが芽生えました。
 多少展開が速くて分かりにくいかなと、思いますので、説明のため射命丸専属マネージャーを呼んであります。
 どうぞ。

――カラスさんの解説――

 けったいな悪い店やなぁ……え、カメラ回ってる?
 ……。

 そうです、相手が悪かったとしかいいようがないです。
 リリカさんの方が踏み込みが早かったし、その、十分な体重も乗ってました。
 じゃあ、どうして負けたかというと、闘争に関する心構えの違いといいましょうか。
 ちょっと、ここの図をアップしてもらえますか?
 はい、結構。
 見て下さい、文様の方は敵と目が合った瞬間、プラカードに隠れて右拳の加速を完了させています。
 対してリリカさんは、戦いになると認識してから一歩踏み込んでますね。
 あー、遅いんですね。
 駄目だ、こういうのは本能で動かないと駄目なんだ。
 敵と出会ったら、まず殺した映像が頭に流れる、このくらいいかないと駄目だ。
 私から言わせてもらえば、踏み込むというワンテンポを考慮した時点でリリカさんの闘争は終わってましたね。
 殺るか殺られるかではなく、ああ、また殺ってしまったか、と後悔から始まるのが射命丸流クレイジー柔術、略してBUN道です。
 そういうわけですから――。
 ん?
 ちょっといいですか、ごめんなさい、一刻を争います。
 えーっと。

 よっしゃ! 見えた、白! さらにダブルでインパクトがディープ! これだからローアングルな生き方はやめられんなぁ!

――人生終了――

 ゴミ屑のように踏まれて蹴飛ばされて部屋の隅で唸ってるカラスさん、解説、ありがとうございました。
 続いて、仁義なき抗争に戻ります。

「ちょっと、ちょっと、それってどうなのさ!?」 
「何がですか?」
「そういう態度は感心できないと思うな! 今のは私のほうが早かったでしょう!?」
「最終的に掴んでるのは私じゃありませんか。この世は全て弱肉強食なのです」
「先着順に決まってるじゃんか!」

 オージー戦の日本FWみたいな紳士的な態度(シュートどうぞ。いやいや、そちらこそどうぞ……)で譲り合うことはありませんでした。
 私だ、私のものだ、と店の中でお互いが所有権を主張し始め、言い争いに発展してしまいました。
 困ったものです。

「どうせ、ドリフ式脱力阿呆ガラスの価値なんて、リリカさんには解らないでしょう?」
「そんなの知らないよ。でも、私はこの幻想の音があれば、もっといい曲が作れるよ」
「じゃあ、私はこの癒し系の鴉クンがいてくれたら、もっといい記事がかけますね」
「駄目駄目、続いてるのが不思議なへっぽこ新聞より、私達の需要溢れるライヴに使われた方がよっぽど幻想郷の為になるってもんよ」
「くっ……! あ、あなた達のお遊びと一緒にしないでいただけますか? この騒音公害!」
「なんだとこの、定期購読数一桁の赤貧ブン屋!」
「…………」
「へっへー、ぐうの音も出ないね」
「上は大妖精、下はマエリベリー・ハーン。なーんだ?」
「上は大妖精、下がマエリベリー……私の人気のことか…………私の人気のことかーっ!!」

 キーボードのようなものが確実な殺意の元でどたまに振り下ろされようとした所で、

「殺人事件なら外でやってくれないか」

 いまいち冴えない店主さんが出てきました。
 タイミングが良すぎる、この男、どこかで見ていたに違いない。

「人気のことだけは言うなって口が酸っぱくなるほど言ってるだろうが、この腐れブン屋ー!」
「購読数のことも言うなって口がしわしわになるほど言ってるでしょうが、この腐れキーボーダー!」

 店主さんは丸っきり無視されましたが、いや、リリカさんも大したものです。
 今度はクロスカウンターにごっついキーボードを合わせ、射命丸さんからひゃうという可愛らしい悲鳴を出させました。

「はいはい、ブレイクブレイク。あんまり騒ぐと売らないよ」
「なに!? それは困る」
「なんですって!? とても困ります」

 商品はとっても欲しい二人。
 急遽、休戦協定が結ばれました。

「ここで止まってくれるだけ、魔理沙とかより扱いやすいね」
「ところでさ、商品て先着順だよね?」
「何を仰る赤い人、より力があるほうが取るでいいのでは?」
「勝手に決められても困るが……そうだね。こっちは商売だから、より価値のあるものを持ってきた方と交換するよ」
「ほう、市場主義」
「へぇ、ビジネスライク」
「なに? プリズムリバーと勝負して勝てるとでも?」
「そっちこそ恥をかかないように、今すぐ辞退したらどうですか?」
「ふん、手加減しないからね、射命丸!」

 売り言葉に買い言葉。
 というわけで、彼女達は交換用の品を持って、再びここに帰ってくることとなったのです。
 ……。
 ……お、何か忘れていったと思ったら鴉さんだ、誰か手当てしてあげて。
 いいや、もう。

―――――

 射命丸さんが家に帰るころには、彼女はとっぷりと鬱になってました。
 場の勢いってのは怖いなぁ、と蟻の巣より深く反省してました。
 深いのか、浅いのか、どうもはっきりしないこの女。
 
 しかし、天狗の住処ってのは意外にぼろっちいです。
 家宅捜索したって金銭的価値があるものなんて出てきやしません。
 こうやって家中を駆け回ってる姿も半べそ掻いてますから、射命丸さんはこのことが分かってて鬱になってたのでしょうね。
 
「習字は上手いんだけど、これ売れないかな……」

 射命丸さん、壁土に押しピンで貼り付けてある今年の抱負を見上げます。
 売れるわけがありません。
 箪笥の奥には年代物を期待してたようですが、大切そうに包んであった布の中身は、黒光りする鴉の羽が何枚か入ってただけでした。
 仕方ないので、その羽を羽ペンに加工し始めています。
 まさか、それで勝負に行くのですか、幾ら器用でもあなたがやってることは内職レベルですよ、射命丸さん、射命丸さん、思い直して。
 ……なに、そのちょっと満足気な笑み。
 決定ですか。
 
 射命丸さん、再び香霖堂に戻りました。
 軒先に立ち、ひっそりと店内を覗きます。
 勝負するには不安がある品物なのでしょう、分かります、少しは常識があったようで一安心です。
 
「どう、水晶の髑髏」
「おおっ!?」

 店主さんが珍しく大袈裟な反応を見せてました。
 視線が食い入るように離れません。よほど良い物を出されたのでしょうね。
 落ちぶれたとは言え、外の世界から転移してきたリリカさんのお屋敷は幻想郷にとって宝の山。
 そのうえで文花帖BGMのギャランティが入ってがっぽがっぽなプリズムリバー相手に、売れないブン屋が勝てる道理はありません。
 射命丸さんの写真ですか? あれは、ノーギャラなんですよ……。

 カラスくんさようなら、さようならカラスくん。
 
 射命丸さんは潔く去るつもりでした。
 しかし、踵を返したときに、その高い靴が邪魔をして、派手に石ころを蹴飛ばしてしまったのです。

「あー! 来てるじゃん射命丸! どしたの? 入ってきなよ」

 悪意のない笑顔でした。
 カラスの所有権よりも、射命丸さんが持ってきた品を楽しみにしている笑顔でした。
 とてもカラスの羽を持ってきたなんて言える雰囲気じゃないです。
 笑ってやってください、これがあなたの町のブン屋です。

「どーも、ブン屋の射命丸でーす。今日は皆様に定期購読のご案内を……」
「やだな、笑えないよ、冗談なの? ほら、早く入って!」
「い、いやー、リリカさん。やっぱり私あのカラスは諦め――」
「良く考えたら天狗って長命じゃん? 古美術とか凄いの埋まってそうだよね!」
「そ、そういう人もいますけどね」
「何を持って来たの!?」
「ペン……かな?」
「おー!」

 リリカさんが店主さんを肘で突付きました。
 店主さんの方も笑顔で、高度な魔術式を書くには最高のペンがいるからねと返します。

「で、どんなペンなんだい?」
「鴉の、えーっと」
「カラス……すると黒魔術関連かな?」

 射命丸さんは今にも消えそうな蝋燭の勢いで、鴉の羽ペンをおずおずと差し出しました。

「三本もあるんだ、凄いね」
「おや? おかしいな、用途がぱっと浮かばないが……一体どんな曰く付きの品物だい?」
「いえ、魔術品ではありません」
「魔術品では?」
「魔術品では、ない」
「では、年代物?」
「年代物では、ない」
「縁のある?」
「縁は、ない」
「ただの?」
「羽、ペン」
「……」
「……」
「……」
「何の変哲もない?」
「いえ、ちょいと洒落た羽ペン」

 リリカさんが眉を顰めた。
 ちょっと、あんた、価値が解らないにも程があるんじゃない? という顔でした。
 店主さんが目頭を押さえました。
 君、こんなものじゃ赤フン一つ買えないよ、という顔でした。
 分かってました。
 誰にだって分かってましたけど。
 射命丸さんは俯き加減で涙をぼろぼろと零しました。

「うわぁぁぁぁあん! 家中探したけどこれしかなかったんですよー!」

 自作のペンを取り返して握って、射命丸さんはガラスを打ち破って外に飛び出しました。

「ごめん待って、射命丸っ! 悪かったよ! しゃめいまるぅーー!!」

 リリカさんの声が射命丸さんの背中に追い縋ります。
 しかし、なんというか、叫ぶだけ叫んどいて、走って来ないのが実にリリカさんらしいですね。
 そんな展開だから、射命丸さんの落胆ぶりは酷いものです。
 あんまり悲しいので、玄関の前で浜辺に打ち上げられたナマコのような格好で不貞寝を始めてしまいました。
 おい、それは営業妨害だろ。
 チーン、とかいうレジっぽい音と、まいどありーという声が店内から上がって、リリカさんは裏口から飛んで行きました。
 誰も来ません、一人で彼女は泣いています。

「うぅ……」

 こんな射命丸さんの前に満を持して登場したのが、人形遣いのアリスさんです。
 良かったね、最高の出番がきたよアリスさん、さあ、自慢の人形達で鬱っぽい射命丸さんを楽しませてあげて!

「返して! 主人公の座を返してっ!」

 駄目だ、この人空気読めてない。
 何の躊躇いも無しに、起き上がりに人形操創(236A)を重ねちゃった。
 アリスさんが主人公になれないのは、射命丸さんのせいじゃないと思うのだけど。

 射命丸さん、冷静に天狗アッパーでリバーサルを狙います。
 あ、アッパー意外と無敵短いみたい、潰された、あー、判定負けしちゃった、これだけ吹き飛ばされたら追撃確定で――。
 ――凄い、あの天狗、落ちながら戦ってる! 

 しばらく戦ってたら、アリスさんの援軍に白黒いのが来ました。

「ば、馬鹿ね、助けなんかなくても私は――」
「黙ってろ、傷に障る……」
「魔理沙……」
「仇は取らせてもらうぜ射命丸! これが上海の分! これが蓬莱の分! そしてこれが……上海の分だーっ!!」

 アリスさんの分が入ってません。
 上海さんなんか二回も入ってるのに。
 射命丸さん、さすがに戦う気力を失くして、家に帰ることにしました。

―――――

 そんな射命丸さんの帰り際の出来事です。
 良く知ったゴミ捨て場に、一羽の鴉がいました。
 クチバシでゴミを突付いているその鴉は、今日の朝まで射命丸さんの第一の子分だった奴でした。
 パンチラ未遂で一気に地位が降格した彼は、ひもじい腹を満たすため近くのゴミ捨て場へとやってきたのでしょう。
 たった半日でこんなに落ちぶれてしまったのか、と射命丸さんは罪悪感に苛まれました。
 傍に寄り、羽を撫ぜて、射命丸さんは優しく説得します。
 
「やめなさい、そんなはしたない真似は止めなさい。ボロを着てても心は錦です。週刊誌は雑誌の状態よりも発行日を取りなさい、当然三日前のなら確実に捌ける」

 いつもやってるような台詞でした。
 週刊誌は村でお米に変わりました。

「お昼ごはんゲット!」

 晴れやかな太陽の下に米をかざし、鴉と天狗は笑いあっていました。
 仲直りの言葉なんて、二人にはいりません。
 辛くても、悲しくても、今は雌伏して時を待つと二人で決めたのです。
 いつか追い風を得て空に上がり、誰もが認めるブン屋となるために。

「ただいまー!」

 誰もいない家に声をかけて上がる人は寂しがりやだそうです。
 アリスさんとか、そうです。  

 顔と手を井戸水で洗うと、待ちに待った昼ごはんです。

 ご飯はかまどで炊きます。
 射命丸さんはかまど炊飯一筋のプロですが、多少の失敗なら許容する寛大さも持ち合わせています。
 原木から自力で作った木のおひつは、空気を取り込むのはもちろん、内角が丸くなってご飯を掬いやすいユニーク設計。
 射命丸さんは白いご飯が大好きですから、ここまで手の込んだことが出来るんですね。
 愛ゆえに、頑張れる。
 こうなると気になるのが、おかずですが……。
 今日のおかずは何でしょうか? 何でしょ――おおっと、何もない! おかずは何もなぁーい!
 何のイベントもないまま、射命丸選手これを華麗にスルー、ご飯だけで一日の折り返しが終了です。
 夜の後半戦に期待しましょう。

 黒い丼に山盛りのご飯が輝いています。
 黒と白と空気の隙間が作り上げる魅力的な三角形。
 やー、素晴らしい。ライスイズグッド!
 おや、大小の丼が二つありますよ……これは、一体。
 答えは相棒の鴉さんが、小さな方のご飯を食べるからなんですねー。
 鴉って雑食ですから、何を出しても文句は言いません。
 というわけで、笑顔を机に並べていただきますの声が部屋に通れば、がつがつもしゃもしゃと昼ごはんスタートです。
 たまに口に含みすぎて、必死になって頬袋に外気を取り入れたりします。
 嗚呼、微笑ましい。
 幸せって、お金じゃ計れない価値なのね。
 
 でも、これだけ山盛りのご飯ですから、途中で飽きが来ないのか心配ですね。
 いやいや、射命丸さんに限ってそんなぬかりがあるものですか。
 見て下さい、鴉が卵を持って来ました。
 これを割るんですね、ご飯にどーんと落とすんですね。
 あー、来た。
 来ましたよ、卵ご飯が。 
 あったかはふはふ、から、ぬるぬるのもちもち、に食感チェンジです。 
 ぶっかけご飯、ぶっかけメシ、卵ご飯、それぞれが好きなように呼ぶといいですが、大切なのはこれに醤油があれば、射命丸さんの食欲に減衰なんて文字はありえねえってことですよ、おかわり!

 余談になりますが、途中から卵ご飯に切り替えるというのは、射命丸さんの発案ではなく神社の巫女さんが先なんですね。
 貧乏にも上がいるというもので「あんたが立ってる場所は、私が十年前に通過した道よ!」とか言われてるそうです。
 十年前ってあんた、てんで子供じゃないっすか。
 そう思って心が痛んだ優しい射命丸さんは、こっそりと賽銭を入れてあげたそうな。
 巫女さんは現在、新メニュー紅白丼とやらを開発中だそうで、射命丸さんはそれを密かな楽しみにして生きています。

――ドンドンドン!

 そんな平穏を打ち破るかの如く、突然、玄関からノックの音が飛び込んだ。
 誰にも会えない顔なのに、もう、なんだよどちら様? ってやつでしょうか。

「もぐ?」

――ドンドンドン!

 荒っぽいノックの音です。
 射命丸さんの顔から血の気が引いていきます。 
 アジトがばれたマフィアのボスみたいな顔になりました。
 どうも、最近は廃品回収業者との確執が深いそうです。
 おかげで「古紙の日は射命丸から目を離すな」との標語が出来ました。
 いつも状態の良い雑誌だけスッパ抜いていくので、睨まれて当然といえば当然ですが。

「くそっ! サツか!」

 いや、サツじゃないですよ。
 落ち着きましょうね、射命丸さん。

「NHKか!?」

 違いますよ、違いますって。
 というかあなたの家にNHKが押しかけてくるわけがないでしょう。
 何の略だと思ってるのですか、ちょいワルな特別捜査官とか思ってるでしょ?

 急いで口の周りについたおべんとうを拾うと、射命丸さんは鴉に薄い本を持って来させました。
 その本を胸に抱きかかえ、内容らしきものを何行か暗唱すると、射命丸さんの顔に急に自信が戻ってきました。
 お茶を流し込んで、きりっと眉を引き締めると、玄関に向けて歩いていきます。
 いいですね、正面対決の構えですよ。

――ドンドンドン!

――ガチャ。

「うちは、えぬえいちけーは見てませんよ?」

 まだ引っ張ってたんですか。
 開口一番、つんのめりたくなる棒読みですね、その本は一体なんだっ……うわ、押し売りを断る百の方法だ。

「うちは、新聞は読みませんよ?」

 即座に二発目いきましたが、あんた自分の職業忘れたんですか?

「うちは、牛乳あれるぎーです」

 一ページ目から順番に読んでるだけじゃない。
 射命丸さんそんなんじゃ鴨が葱しょって立ってるって押し売りさんに宣伝してるようなものですよ。
 実際に……おや? 

「射命丸! 大変だ! 助けて!」

 相手はリリカさんでした。
 押し売りじゃなかったようです。
 今まで発言できなかったのは、急激な運動に息を整えていたからみたいですね。
 そんなに急ぐわけとは一体何でしょうか?

「うちの鴉はだいじょうぶです」

 いいから、あんたは前を向け。
 予防接種受けろなんて誰も言ってねえよ。
 空気が読めないのは、アリスさんだけで十分だってのに……。

「射命丸! 大変なんだってば!」
「その菌はたいさくずみで……え?」
「リリカだよ! リリカ!」
「おお? リリカさん? どうしたんですかこんな僻地まで」
「姉さんが大変なんだ! あんたの力が必要なんだよ、ああっ、とにかく家に来て!」
「えー、何だか良く分かりませんが、昨日今日の敵に塩を送るほど私はお人好しじゃないですしー」

 まあ、そうですね。
 非常に正しい意見ですが、口に残ったご飯を咀嚼しながら言うと物凄くむかつくので止めた方がいいです。

「上手くいったら、阿呆ガラスは射命丸にあげるから」
「友が泣いているのにどうして見過ごせましょう。それでどうしました?」 
「今までにない鬱が来てるんだ、姉さんにはブンブン分が足りない!」

 ブンブン分?

「わかりました」

 ブンブン分とは――早いよ、説明させてよ。

―――――  

 ブンブン分とは、トマトに入ってるリコピンみたいなものです。
 昔から存在してたんだけど、名前が付けられただけで急に湧いてきた栄養素のような気がしてきますよね。
 射命丸さんから発散される熱量J(ジャスティス)を、親しみやすい数値に直したのがブンブン分です。
 残念ですが、偉い人にネーミングセンスがありませんでした。
 漢字の地名を無理やり平仮名にしちゃって、失笑を買ったようなものです。

 彼女のチャームポイントの、ふくらはぎ、腰、ふともも、毒舌の四種の中から毒舌分を抜いてやるとブンブン分になります。
 余った毒舌分は「幽香になじられ隊」に回して喜んでもらいましょう。
 必要に応じて、尻分とか胸分とかを回してもらうといいです。
 持ちつ持たれつですね。

 さて、ブンブン分は、明るく、健康的で、色っぽい、生きる希望として十分なエネルギーである理解してもらえたことと思います。
 これが無くなるとどうなるのか?
 単純に鬱になります。
 ルナサお姉さんは基本的に鬱ですから、定期的にブンブン分が必要なのです。
 とは言え、ブンブン分はメルランさんの胸やリリカさんのお尻で十分代用できるはずですから、三姉妹で暮らしてるあの人達に、急遽必要な事態が訪れるなんてありえないと思うのですが……はて?

「ルナ姉! 射命丸を連れてきたよ!」 

 屋敷に入り二階に上がると、ベッドの中でルナサさんは魘されていました。
 五月だというのに重たい羽毛布団を被り、顔色も良くありません。

「これは、酷い状態です。一体どうしてこんなことに?」
「私はおそらく五月病だと思うよ」
「うぅーん……ち、違うわ……」
「違うと言ってますよ?」
「いや、五月病で間違いないと思う!」
「違うって、リリカが物凄い無駄遣いをしてくるから姉さんショッ……ごふっ!」
「姉さん!? 姉さんしっかり!」

 ルナサさんは都合の悪い事を言う前に、実の妹にボディーブローで口封じされてしまいました。
 射命丸さんも、これには憤りが隠せず「殺すなら一発で決めろ」と駄目出しをしました。
 姉の身体を張ったギャグがそんな風に流されてしまって、リリカさんは大変ショックでした。
 でも、一番ショックだったのはルナサさんだと思います。
 
 簡単に纏めると、阿呆ガラスなんぞに高価な水晶髑髏を出しちゃった妹の金銭感覚の無さに、ルナサさんは鬱状態です。

「なら、カラスを返品してきたらいいんじゃないですか?」
「クーリングオフきかないんだよ、六割なら引き取るっていってたけど」
「うーん、六割は厳しいなぁ……」
「だから、ブンブン分を補充して姉さんを元気にさせてあげたいんだ、そしたらカラスはあげるから!」
「仕方ないですね、今回限りですよ?」
「やった!」

 困った人達だ、と苦笑しながら、射命丸さんポケットから何かを取り出しました。
 丸くて丈夫な固形タイプのブンブン分です。
 成分ですか? やめてください、ブンブンに消されます……。

―――――

「あれほど、お医者様に言われてたでしょう!? 12時を過ぎたらブンブン分を与えたらいけないって!」

 買い物袋の紐が肌に食い込むくらい大量に買い付けして帰ってきたメルランさんに、リリカさんは随分怒られてました。
 夜の12時と、昼の12時とで誤解があったようですが、しかし昼の12時ってルナサさんグレムリンより扱いにくいなぁ。
 ブンブン分は優秀な栄養素ですが、投与を間違えると鬱を加速させてしまう事もあるので、用法と用量を十分に守ってお使い下さいませ。

「ごめんなさい。じゃあ、メル姉が持って帰ってきた薬を……」
「は?」
「え? 永琳の所に行ってたんでしょ?」
「あ、これはおやつよ?」
「全部おやつなの?」
「うん、姉さん倒れてると、ケーキもパイも出ないから」
「まあ、それはそれで……」
「ちょっと勝手に中身を探らないでよ」
「私が公平に皆に分配してあげるんだって」
「そんなこと言いながら、早速チョコバナナ取ってるじゃないの」
「それは、メル姉がちゃんと三つ買ってこないから悪いんでしょ?」
「理屈になってないわ、返しなさいって」
「聞いた射命丸? メル姉、チョコバナナを自分のだけ買って来たんだよ?」
「まだ食べたことがありません」
「いいから、返しなさいって」
「やだ、せめて半分こしてくれなきゃ、やだ」

「ああ、鬱だ、鬱だ、妹達が、全然心配してくれてなくて、鬱だぁ……」

 ベッドから落ちたルナサさんが、床を転げまわります。
 慎ましやかな胸が、揺れたような揺れてないような微妙なラインをキープしていたので、みんなも鬱になりました。

「鬱だ……どうしよう」
「鬱だ……なんとかしないと」
「鬱だ……このままじゃ鬱が幻想郷を覆っちゃう」

 三人は考えました。
 ルナサさんから出る鬱の波動は相当に膨れ上がっていました。
 屋敷の傍を通った鳥が、鬱になって地面を歩き出す、そんな程度にまで。

「そうだ、芸人を呼ぼう!」
「芸人とな?」
「うん、それでルナ姉を強制的に笑わせてしまえばいいんだ!」

 リリカさんの鶴の一声。
 ゆるい頭にぎゅんぎゅん響くその言葉に、深い鬱気から皆が這い上がって来ました。

「採用!」

 メルランさんがリリカさんを指差して、提案を即採用。
 鬱という大河に邪魔されていても、その彼岸にある躁の気持ちを忘れたわけではないのです。
 射命丸さんも、大きく頷いて、二人の手をとりました。
 さながら三銃士のように、手を高く上げて、鬱の支配から躁への革命を誓います。

「よーし、じゃあ、どうしようか?」
「あ、私、旅芸人さんに心当たりがありますよ!」
「いいね! 何でもいいから、思いついたのジャンジャン呼んじゃって!」

 羽のように軽いステップを刻み、射命丸さんが窓から飛んで行きます。 
 メルランさんはトランペットで部屋の鬱を少しでも吹き飛ばそうと努力し、リリカさんは下で芸人歓迎の準備を始めました。
 新設三姉妹のチームワークはばっちりです。

 ルナサさんは……まだ、転がったままですけど。

―――――

「鬱のエキスパートみたいなの呼んじゃったね」

 リリカさんの言葉が全てを現してました。

 何を血迷ったのか、射命丸さんが呼んできたのはアリスさんでした。
 この人、文花帳のときからずっとアリスさんのこと旅芸人だと勘違いしてたんです。
 ……シーン3−7に書いたコメント?
 ああ、ギャラが出なかったショックで射命丸さん忘れました。

 ホールの紅い絨毯をゆらゆらと歩いて来る、アリスさんのコンディションもレッド。
 目元が晴れて赤く、すんすんと鼻を鳴らし、いつもの三倍増しで暗い動きです。
 あれから魔理沙さんと痴話喧嘩でもしたのでしょうか。

「うぅ、こんな私をパーティに呼んでくれて、みんなありがとう……」

 健気な言葉に、射命丸さんに一切の非難が集中しました。
 かなり間違って伝わってるじゃないの、この先走り天狗、間抜け天狗、お前が帰せ、何とかして今すぐ帰せ。
 だけど、小声でした。
 目の前まで来たアリスさんが怖いからです。

「じゃあ、人形劇でもしましょうか?」

 話しかけてこられたので、イヤイヤながらも、これ済めば帰ってくれるかなと、三人は素直に頷きました。
 まあ、人形劇なら間違っても危険はないだろって。

「ハイ、おいでグランギニョル。髪がのびーるのびーる……うわぁ……泣かないで……」

――予想以上。

 泣きたいのは私達だと突っ込みかけた手は、ひらひらと宙を泳ぐだけでアリスさんに届きません。
 脱力感がピークに達しようとしていて、既に「劇じゃねえよ」という根本的に間違ってる部分に突っ込めない程です。
 これでまた、ジャストタイミングに「アホー、アホー」と二階のカラスが鳴き始めました。
 アリスさんが青い顔で二階を睨みます。
 大丈夫、アリスさんのことじゃないから、そんなに傷つかないで、とみんなで必死になって慰めました。
 ここの人達は優しいのね、と涙を溜める少女に、帰ってくれなんて今更言えなくなりました。。
 もし許されるなら、三人は今すぐ人形ごと爆破して此処を更地に変えてたでしょう。
 そのくらいアリスさんは、有害な鬱電波を発していたのです。

「グランギニョル、ありがとう……次は首吊り人形やりますね……」

(やばい、ここにルナ姉が合流したら死ねる……!)

 幸いここは一階のホールでしたから、二階のルナサさんとは距離が開いてます。
 本当にそれだけが救いでしたが、逆に言えばルナサさんが来たら何もかも終わります。
 
「そ、そんなことより楽しい事をしようよ!」
「楽しくなかった?」
「い、いやぁ、そんなことは全然、決してないんですけど、ね、ねぇ? 射命丸」

 振るなよ小娘と般若のような形相でリリカさんを睨みましたが、そこは射命丸さん、得意の営業スマイルに素早く切り替えて返します。

「そうですよ、とても楽しかったです」
「じゃあ、続きを……」
「よ、世の中にはもっと楽しいことがあるかなって」
「楽しい……例えばロシアンルーレットかしら?」
「それは楽しくないんじゃないかなぁ……」
「大丈夫よ、退屈しないように今日は実弾五発でいきましょう」
「いやぁ、それはルーレットになってないっていうか……あ、心中させる気だな!? この悪魔め!」
「え?」
「……今のは唐突に図書館の司書の小悪魔を思い出して言った言葉でありますので、アリスさんとは何の関係もございません」
「良かったわ、嫌われたのかと思っちゃった」

 あははは、と乾いた笑いがホールに響きます。
 乾きすぎて皹が入りそうな笑いでしたが、窓枠の方が率先して歪んでくれました。
 アリスさんより窓の方がまだ空気が読めます。
 
 そんな中、メルランさんはアリスさん並に青い顔で二階を見上げていました。
 振り返ったリリカさんはその顔にぎょっとしながらも、恐る恐る二階を見上げます。
 吹き抜けのホールの上から、ルナサさんが虚ろな瞳で四人を見下ろしていました。

「妹達が私に隠れて……楽しそうなパーティやってる……鬱だ……」
 
 ルナサさんの目が、アリスさんを捉えました。
 アリスさんは縄で輪を作って、そこに人形の首を入れようとしましたが逃げられ、良い子は真似しないでね? と残しながら自分の首で代用しようとしてるところを、射命丸さんに全力で抱きつかれ床に崩れたところでした。 
 
「こらこら、あなた達。お客様に紅茶も出せないの……?」

 とても常識的な言葉、だけどこの状況からは明らかに狂ってる言葉を吐いて、ルナサさんは階段に向いました。
 ルナサさんが一歩近付くたびにアリスさんの鬱と共鳴してるのが、ありありと分かります。 
 天井のシャンデリアが、鬱で落ちてきました。
 青銅の像が鬱で倒れて、叫び声を上げました。
 このまま合流させたら、屋敷だけじゃ済まないと三人は一斉に察しました。
 メルランさんはシャンデリアを危機一髪で避けつつ、背後にあったトランペットを転がりながら取ります。
 リリカさんはどちらを止めるべきか考えて、アリスさんは射命丸さんに期待して、自分は床を蹴り鎧を飛び越えて階段に迫りました。
 ルナサさんが階段を降り始めると、鬱の波動は目に見える程色濃くなって、屋敷中がライブポルターガイストになりました。
 ラップ音が世界消滅のカウントを告げています。
 そして、我らが射命丸さんは……。
 
「ありがとう……貴女って優しいのね。聞いてくれる? 今日、魔理沙がね、ううん、大したことじゃないんだけど」

 縺れ合って倒れたまま、アリスさんから人生相談を受けてました。
 空気が読めないことに突っ込むのも飽きてきましたが、恋愛の相談が終わってる頃には世界が終わっているのは間違いない。
 射命丸さんは既に対話を諦めて、二人を一ミリでも遠くに引き離そうと、アリスさんを引き摺りながら、玄関の方へ向っていました。
 
「プァプァプァプァープァプァプァーパパ、パラパラパー!」
 
 ようやく、メルランさんのトランペットが火を噴きました。
 鬱に対して唯一対抗できるであろう武器、最終兵器は彼女の躁です。
 当然、鬱の波動も黙ってはいません。
 敵意をむき出して赤色に染まった波動は、鬱保有者の二人からレーザーのように伸びてメルランさんを襲います。
 メルランさんも負けず、見た目も爽快な青い躁のオーラでこれを迎撃します。
 かめはめ波VSギャリック砲といった具合で、押すか負けるかの激戦を繰り広げていました。
 リリカさんは大声で叫びながら、姉にタックルに向ってます。
 射命丸さんは、玄関のドアに辿り着きました。

「あれ、開かない!?」

 鍵がかかってるわけではありません。
 もっと強い力で封印されてました。
 何発も天狗烈風弾を叩き付けますが、傷一つ付きません。
 そのうちくっついてきたアリスさんの鬱っぽい会話に、脳が焼けきれそうになりました。
 膝が折れました。
 扉にしがみつきます。
 負けないで射命丸さん! 考えるんだ、楽しい事を考えるんだ、射命丸さんっ!

「うわー! ご飯! 新聞! ご飯! 新聞! ご飯! ご飯! ご飯! 新聞!」

 考えるどころか、かなりテンポの良いリズムで叫び始めましたが、二種類しかなかったのが射命丸さんの敗因です。
 絞りだした多幸感は、背負ってきた鬱の元凶に飲まれました。

「うわぁ……ご飯……無い……新聞……売れない……尽きた……尽きた……新聞、売れない……」

 相変わらずテンポだけは良いのですが。
 ブン屋廃業したら、第二の人生はDJでも目指したらどうでしょうか。
 
「くっ……! 射命丸が落ちたか!」

 射命丸沈黙、鬱軍団の圧倒的な攻勢は、メルランさん達の耳にも届きました。

「……!?」
「吹くんだメル姉! 今、止めたら幻想郷は終わりだ!」
「(プァプァプァプァープァプァプァーパパ、パラパラパー!)」

 トランペットも劣勢です。
 吹いてばかりで、殆ど息が吸えません。
 しかし吹くのを止めたら、鬱レーザーに飲み込まれます。
 二つの事情を一挙解決する手段はないものでしょうか、このままだとメルランさんが酸欠で倒れてしまう。

「メル姉! 私がルナ姉を止める! その時に息継ぎしてー!」

 リリカさんの声援に、メルランさんは最後の力を振り絞って応えました。
 鬱が一瞬晴れます。
 この時をリリカさんは見逃さない!

「キエーッ!」

――びたんっ!

 飛び出したリリカさんが、何故か地面に張り付きます。
 彼女はチャンスを見逃していませんでした、凄まじい跳躍から最高のチョップを繰り出していました。
 ですが、そんなリリカさんを見逃さない人もいたのです。
 誰って……。

「アリィィィィース!!!」

 振り返ってリリカさんは叫びました。
 肺が潰れるような絶叫でした。
 その声に、背後の悪魔がにやりと笑いました。
 いつのまにか、アリスさんはルナサさんと交信が取れる距離に近付いていたのです。
 遅かった、射命丸さんが倒れた時間が早すぎた……!

「良かった間に合った、姉妹で喧嘩なんて良くないわ……」
「めるぽぉー!」
「メルねえっーーーー!!」

 我慢できず息継ぎをしたメルランさんは、二人の接触により強まった鬱の波動に飲み込まれてしまいました。
 最終兵器が……躁への唯一の希望がここに沈黙です。

「メル……姉……ちきしょお……ちっきしょおお!」

 悔し涙を流すリリカさんも床から動けません。
 強かに打った鼻から血を流しながら、世界の終わりをただ待つしかありませんでした。
 鬱の共鳴はより一層酷くなり、双子の女王の誕生に、鳴き声なのか泣き声なのか判別できぬ産声を上げていました。

「ふふふ、喧嘩は不幸を生むだけよね……」
「あら、ありがとう……あなたはどちら様……?」 
「私はアリス、アリス・マーガトロイド……でもそんな名前なんてもうどうでもいい」
「どうでもいい……」
「何故なら最高に鬱ってやつだから……」
「なるほど、あなたの言葉は何故か耳に心地よい……」
「ようやく会えたのよ。私達二人は鬱の仲間、他人ではないもの……」
「何か喧嘩を止めていただいたお礼がしたいわ……」
「音の無い人形劇で寂しかったの。これにあなたのヴァイオリンをもらえます……?」
「ええ、喜んで弾きましょう……」

 暗黒の屋敷へと変貌を遂げた家が震え始めます。
 狂乱の人形劇と暗黒の音楽の組み合わせは、鬱パワーを二乗にも三乗にも高めていました。
 溜まった鬱は、まもなく世界へと弾き出されることでしょう。
 ……。
 残念だけど、もう終わりなのでしょうか。
 このまま誰も助けてはくれず、世界は鬱の炎に包まれるのでしょうか……。
 ああ、どうやら終わりのようです……誰一人動けません……。
 
 リリカさん、メルランさん……あなた達の活躍は立派でした。
 私には何も出来そうもありませんが、あなた達の勇姿だけは後世に伝えられたらなと思っています。 

「…………諦めたらそこで……試合終了ですよ……」

 え?
 こ、この声は!?
 あ、そうか! アリスさんが離れたことで一人フリーになった人がいたんだ!

「伝統は……私が守るッ!」

 来ました! 立ち上がってます!
 射命丸さんはまだ終わってなかった!
 さすがは伝統の幻想ブン屋、さっすが主人公! 
 ヒーローは、遅れてやってくるのですか! 憎いぞ、この演出家!

「ようやくブンブン分が集まって来ました!」

 射命丸さんの目が落日のように赤く透き通っています!
 ピンチになって主人公のパワーアップ! 伝統だ、間違いなく伝統ですよ、これは!
 いまいち表に出ませんけど、最強クラスですもんね、そりゃ本気になれば滅茶苦茶に強いですよ!
 さあ、ブンブンの力を、今ここに示して!

「チェェーーーーストォーーーーー!」

 風神少女が必殺に燃えたー!
 壁を蹴り、シャンデリアの高さから繰り出されたキックは、流星のように標的に落ちていくー!
 この勢い誰が止められるものか! 陰陽玉でも卒塔婆でも持って来いってんです!
 てぇーんぐキィーック!


――ガッ!


 ……誰がめるぽに突っ込めと言ったよ。

――――――

 20××年、世界は鬱の炎に包まれた。

 伝統とは窮屈なものです、射命丸さんは世界を天秤にかけても己の矜持を優先させてしまったのです。
 使命を終え、満足そうに倒れていく射命丸さんの背中にリリカさんが二階からブランチャーかましました。 
 当然の権利だと思います。

 巫女さんはすぐに異変を察知して出向こうかなと考えなくもなかったらしいのですが、鬱になってお茶に逃げました。
 他の偉い人達も、じゃあ私が動こうかなー? 動いちゃおうかなー? と見せかけて、最後まで誰も動きませんでした。
 みんな鬱だったんだと思います。
 そうでも考えないとやってられません。 
 残ったのは鬱により完全に狂った幻想郷です。

 レポートの最後に、幻想郷住民の生の声を集めてみました。
 一部ですが、以前と比較すれば今がどれだけ酷くなったか解ると思います。

 こんなに世界が鬱なのに、掃除なんてやってられない。
 こんなに世界が鬱なのに、なぜ働くなんて出来ようか。
 こんなに世界が鬱なのは、姫様が働かないのが原因だ。
 こんなに世界が鬱なのだ、今日は賽銭詐欺に向います。
 こんなに世界が鬱だから、てゐにげんこつを忘れてた。
 こんなに世界が鬱ならば、ヤケ食いでもしちゃおうか。
 こんなに世界が鬱なのは、切れば解るさ辻斬りしよう。
 こんなに世界が鬱ですか、眠いわ二度寝をはじめます。
 こんなに世界が鬱だから、橙でさびしさをまぎらわす。
 こんなに世界が鬱だけど、今はつきたてのほやほやだ。
 こんなに世界が鬱でもね、蛙をこおらせると楽しいよ。
 こんなに世界が鬱なのか、冬までに何とかしておいて。
 こんなに世界が鬱だもの、四百と九十五年は引き篭る。
 こんなに世界が鬱ですか、門を越えられても仕方ない。
 こんなに世界が鬱なのよ、日光なんて見たくも無いわ。
 こんなに世界が鬱だから、今日はお前を持ってくぜ?
 こんなに世界が鬱だから、今宵は朝までれみりあうー。
 こんなに世界が鬱だけど、うーに鼻血が抑えられない。

 まあ、見ての通りです。
 巫女さんは仕事をしないわ、輝夜さんは引篭もるわ、ウドンゲさんは目が赤いわ、てゐさんは賽銭詐欺に走るわ、永琳さんはお仕置き忘れるわ、幽霊さんは団子を集めるわ、庭師さんは辻斬りに出るわ、スキマさんは二度寝するわ、藍さんは過保護だわ、橙さんはもふもふしてるわ、チルノちゃんは夜更かしするわ、レティさんは太まし(致命的なエラー。文中に不適切な表現が見付かりました、直ちに修正してください。例:レティさんは太ましくない)

 

 

 

 

■追記

氷精の友達の――名前を出すとまずいもんで、仮にCちゃんとしときましょうか。

そのCちゃんが、春休みの共同自由研究に「鴉の生態研究」なんて選んじゃったんですよ。
うわぁぁ、と思いましたよ。
あり得ないんだ、Cちゃん共同研究なのにいつも手伝ってくれないんだ。
負けるもんか、負けるもんかって、ここずっと頑張り続けて私生活はしっちゃかめっちゃかで、
最後には、Cちゃん今度こそ泣かす! 今度は誤魔化されない! ってな具合だったんです。
更に例の事件で鬱までうつっちゃって、うっかり寝込んでたら、提出期限が二ヶ月も過ぎちゃったんですよ。
レティ先生ご立腹だったなぁ……。

だけどそれもようやく仕上がったってもんだから、私もご機嫌でね。
Cちゃんが「出来たぁ?」とか悪びれもせず訊いてくるのを許しちゃいました。
私も、Cちゃんが嫌いじゃない、嫌いじゃないもんだから笑顔なんて大好き。
二人でトットコトットコ、レティさんの家まで歩いていきましたよ。
遅れた宿題を出しに行くのに、飛ぶなんて無粋ってもんです。

そしたら、道すがらあんまり暑いんで涼しい話でもしようかってなってね。
あーでもないこーでもないなんて、言ってるうちにレティさんの話になってね。
「どうせなら宿題も、レティさんが起きてるうちに出したかったね」って、
そう言ったんですよ、そしたら……。

「Dちゃん、レティなら昨日いたよ」

ってCちゃんが言うんです。
よせやーい、ってなもんですよ。
夏ですよ? 夏。
いるわけがない、いちゃいけないんだ。
冬の妖怪が夏に立ってるわけが無い。
でも、Cちゃんはしつこくてね、いたよ、レティはいたよって、
仕舞いには昨日は一緒になって大福まで食べたって言い出すんです。
私もいい加減怖くなって「滅多なことを言うもんじゃないよ!」ってきつく言っちゃいまして。
それがきっかけでCちゃん帰っちゃったんですよね。
最後までむすーっとした顔でしたよ、ええ。

ちょっと怖かったけど、一人でレティさんの家まで行ったんです。
ドアのノブを回すと、ギィィィィィィィ……って音を立ててドアが開きました。
そしたら、おかしいんだ、雰囲気が……何か中にいるっていうんですかね……。
やだなぁやだなぁって思いながら入ると、寒いんですよ、ぞーっとするんです。
だけど、そこは若いんだなぁ、ここで帰ったら笑われると思って、奥に踏み込んじゃった。

レポートだけ、レポートを置いたらすぐ帰るって振り向かずに歩いて……。
そうしてるうちに、レティさんのデスクまで着いちゃいましてね。
ええ、簡単に書きますが身体は震えてましたよ。
蜜柑の空箱が置いてありまして、提出が遅れた人はココに入れておけ、と書いてるんです。
私ったら怖いもんだから、半ば放り投げる勢いでレポートを置いて、すぐに帰ろうとしたんですよ。
そしたら、ビュオオオオって、室内なのに風が吹いた。
ビュオオオオって凄い風が。
その風に私のレポートがパラパラパラって捲れて、最後のページが開いたんです。
ああ、勘弁してぇ、ってな感じでしたよ。
開いたまま去るのも心苦しいし、ページだけ戻しに行ったんです。
でも、開いたページを見た瞬間、背筋がビキィ! って凍りついた!

「レティさんは太ましい」

書いてない、私はそんなこと書いてないんだ!
太まし……で気付いて止めて、その後は消しゴムまでかけたんだ!
でも、誰もいないんだ、誰もいない中、私のページだけが証拠を訴えてる!
消さないと、誰かに見られる前に早く消さないと! 
ポケットから練り消しを取り出して、レポートにガーッと消しゴムをかけに行った。
でも、ひどいことに文字が消えてくれないんだ、それどころか下では信じられないことが起こっていた。
行書体から明朝体、ゴシックから丸ゴシック特大ゴシック、文字がドンドンドンドン太くなる!
ドンドンドンドン太くなって、うわぁ、これどこの犯行声明文だよって大きさになった!

「うわぁぁぁあ! 赤ちゃんだってこんなに太らないー!」

もう、レポートの半分は太ましいって文字で埋まってて、私泣きながら消しゴムかけてた。
文字はレポートから食み出して、蜜柑箱にまで写ってきて、夢に出てきそうな大きさになった。
こんなの見られたら、圧殺されても文句が言えない!
レティさん、ごめんなさい、ごめんなさい、なんまんだぶ、なんまんだぶ!
頭の中で繰り返して、手は消して消して消して、紙が擦り切れるほど消していった!
何時間もそうやってたら……。

ふと、部屋から気配が消えたんですよ。

寒さも消えて、外からは別れたはずのCちゃんの声が聞こえてきた。
ああっ、許されたんだ、私は助かったんだ、って思いましたね。
大きく溜め息を付いて、レティさんごめんなさい、安らかにお眠り下さいって祈った。
そのうち右肩にぽんっと手が置かれて、チルノちゃん、ありがとうって私は振り返ったら――

「太ましいって言ったのは……その口かしら……?」

その瞬間、意識がスーっと……。

いやぁ、こういう事ってあるんですねぇ……。



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2006年6月21日 はむすた

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