ばぶるがむくらいしす
例によって香霖堂は、魔理沙と霊夢、幻想郷における無法人間の両巨頭とも呼べる少女たちに襲撃を受けたのである。
「お、これなんだ?」
入店してすぐ、ふたりの視線と好奇心は、カウンターの上に集中した。そこには子供の手でひと抱えくらいの大きさの函が置かれていた。
函は透明で、中に梅干大ほどの丸い物体が数え切れないほど詰まっているのが見えた。一見すると丸薬のようでもあったが、その色は赤やオレンジ、水色に黄緑などととりどりで、賑やかしいその様は、どこかおもちゃ箱を偲ばせた。
「きれいだな。チルノのカラフル弾あたりを思い出すぜ」
「それとも魔理沙の星弾あたりかしらね」
魔理沙はもちろん、霊夢までもが瞳を好奇に輝かせている。親しい者たちでもあまりお目にかかれないレアな表情だった。
ふたりは函に顔を寄せ、指で突っついたりする。函は幻想郷に珍しいプラスチック製らしく、外からの刺激にぺこぺこと音を立てた。
「これ、薬なのか?」
魔理沙に問われて、カウンターの向こう側で読書にふけっていた霖之助は、初めてふたりを向いた。
「いや、お菓子だよ。ガム、正確にはチュウインガムという」
返答の前半を耳にした時点で、少女たちは行動を開始していた。さらに瞳をきらめかせながら、函の入り口を封じていた赤い蓋をものすごい勢いで開いて、中身を掴みにかかっていた。
霖之助は溜め息と共に本を閉じる。
「ところで君ら、何か用事があったんじゃなかったのか?」
「用事なら今しがたできたところだぜ」
「異変がありそうな気がしたから来てみたの。この函が異変の坩堝っぽいわ、私の勘がそう告げてる」
ふたりの凶行はとどまるところを知らず、霖之助はさらに深く息をついた。
「忘れてるようだから言っておくけど、それはもちろん拾い物だよ」
自分の行為がつまりは拾い食いに等しいと知り、魔理沙はガムを口へ運ぼうとしていた手を、ぴたりと停止させた。
が、霊夢の手はなんらの躊躇も見せることがなかった。その指先がつまんでいた紅玉を弾き、開かれた口腔へと飛ばす。赤い軌跡を宙に描いて、ガムは見事に霊夢の口内に収まった。
かりっ、とその膨らんだ頬の向こうから小さな音がして、二度三度と顎が動く。霊夢の口元がゆっくりとほころんでいった。
「あまー」
頬に手を添えて、幸せそうに目を細めるのだ。
「う、美味いのか? 食えるのか?」
魔理沙は霊夢の顔と自分の手にある水色の玉とを何度も見比べる。霊夢の顎が一度上下する度、魔理沙の葛藤の天秤は少しずつ一方へと傾いていく。十数秒の逡巡を経て、ついに彼女は大事な何かを捨てることを決意したらしい。霊夢に倣って口を開き、そこへガムを押し込んだ。
「あまー」
魔理沙もにっこりの美味しさです。
しばし少女たちは明るい顔でガムを噛む音を店内に響かせていたが、一分もせぬ内にその顔が、ゆっくりとだが曇りはじめた。ふたりは互いに視線を合わせ、それから揃って霖之助へと向ける。
「なあ、香霖」
「これ、噛み切れないし、飲み込みにくいんだけど」
いまや不安の色を隠そうともしないふたりに、霖之助はうなずいて見せた。
「それはそうだ。ガムは飲み込むものじゃないと思われるからね」
「へ?」
「ふ?」
少女たちは目をしばたたかせ、それに霖之助は肩をすくめる。
「ガム、その用途は『口中で噛んで味わう菓子』らしい。わざわざこんな注釈があるということはだ、噛んで味わった後の処置について一考の余地があるということだろうね」
「そういうことは先に言えよ」
「言う前に食べたのは誰だい」
食って掛かろうとした魔理沙は、だが霖之助の切り返しにぐっと言葉を詰まらせる。そしてすっかり味も抜け落ちて、いまやただの異物と化した口内のものをどう始末すべきか悩みはじめた。
その隣で霊夢は肩を震わせている。
「何よそれ。お菓子を名乗っておいて、味だけ楽しんだら捨てろって言うの?」
どうやら機嫌を悪くしているらしかったが、なおも未練がましく顎を動かしながらだったため、どうにも迫力には欠けていた。
もぐもぐしながら、巫女はさらに言い募る。
「そんなのは食べ物に対する冒涜だわ。世のすべて飢えたる人の気持ちを知るべきよっ」
最後の一音を発した拍子である。その唇の間に薄い膜が生じ、小さな膨らみを作って――ぱつん、と弾けた。
場の空気そのものが弾け飛んだかのようだった。なんとも言えない沈黙が、三人の間に降りる。
しばらくして、魔理沙がそれこそ苦虫でも噛み潰したかのような顔で、「べっ」と舌を出した。すっかり形を失ったガムが、その上に乗っている。
「こえ、ほんほにふいほほはほは?」
「大丈夫、無害だよ」
魔理沙の発したほとんど暗号文を、霖之助は解読したらしく、うなずき返した。そしてカウンター上の函へ手を伸ばすと、自らもひと粒、口にした。
速いペースで噛み、それから不意に口をすぼませる。ふっと息を吹く仕草をしたかと思うと、そこには小さな白い風船が生まれていた。
「おお?」
少女たちが目を丸くし、その反応に霖之助はえくぼを作りながら、風船を自ら割った。
「……まあ、本来の用途からは外れているんだろうけどね」
少女たちは最後まで聞いていない。またガムを口の中で、さっきまでよりも熱心に噛みしめだす。それから霖之助を真似て息を吹き、だがその唇に風船は成らず。ただ頬を朱に染めるばかりだった。
これどうやるの霖之助さん、いやまてコツが掴めてきたような気がするぜ――きゃいきゃい騒ぎだすふたりに、霖之助はひっそりと笑った。賑やか過ぎて、とても読書に戻れるような状態じゃなくなってしまったが、まあいい。
「ふたりとも、次からは財布を持ってくるようにね」
久々に入手できた売れ筋必至の商品にきっちりと蓋をして、彼はその表面をそっと撫ぜるのだった。
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