お家に帰ろ

 

 

 



一.



 稗田阿未はその性格こそのたくたしたものだが、胸に秘めた矜持だけは稗田の家に相応しいものを兼ね備えている。と自負している。だからこそ、里に怪しい者たちが現れたという一報を聞き、へっぴり腰ながら犯人を取り押さえんと夜の広場で待ち構えていたのだが。
「……ふぇわ……」
 ねむい。
 夜だから眠いのは当然であるが、今日は昼寝も怠っていたからその眠気たるや並々ならぬものである。生い茂った竹藪に一人、不審人物が現れまいかと潜んでいるから余計に眠い。暗いし。しかもこんな夜中に可愛い娘っこがこそこそ隠れていようものなら、普段人間に興味がない妖怪さんも思わず目の色を変えて襲い掛かってくるんじゃないんかと阿未は思う。
「こわ……」
 身震いする。
 段々と寒くなって来た。春麗らかなれども夜は冷える。昼の暖かさもあり油断していたが、このまま蹲っていたら風邪をひきそうではある。だが、稗田の矜持が諦めることを許さない。必ず、この手で不届き者をひっとらえるのだと固く心に誓い、阿未は目を閉じた。
 ねむい。
「何だか来ない気がしてやまないのですが……」
 来なかったらいいなあ。明日は早いんだ、釣りに行くのだもの。
 明日の釣果を夢想する阿未の目は爛々と輝いており、彼女がそこに潜んでいると知らぬ者なら、暗闇にぼんやりと灯る不気味な二つ目に恐怖したことであろう。
 己が怪しげな現象と化しているとも知らずにまにま笑っている阿未は、ふと、無造作に踏まれる土の音で自我を取り戻した。寝ぼけ眼で睨む草むらの中、月の明かりに薄く広がる影を宿した人の形が二つ。
「わ――」
 出た。
 阿未は狼狽した。
 そのあまり、立ち上がろうとして、前につんのめる。不覚。
「ぎゃー!」
 剥き出しになっている地面に滑り込み、受け身も取れずにごろごろ転がる阿礼乙女は背丈が小さかった。頭も身体もそこはかとなく球に近いせいか、傾斜が少ないわりによく回転する。
 最後は空き地に聳える合歓の木の幹に激突したところで止まり、額を押さえながらうんうん呻き続けたのち、すっくと立ち上がり啖呵を切った。
「何奴!」
 決まった。
 さぞや相手は阿未の立ち振る舞いに戦れ戦き膝をがくがく震わせているかと思いきや、相手方は毒気の抜かれた表情で阿未を眺めていた。長身の、銀髪が月に照り輝く女性が言う。
「姫、珍獣です」
「誰がですか!」
「珍獣なのに、やたら流暢に喋ってるわよこれ」
「何せ、珍獣ですから」
「ちがいますよ!」
 咆える。
 不躾に指を差す黒髪の女性にも怒りを露にする阿未だが、如何せん、背丈も気迫も足りない娘であるから、見ず知らずの不審人物にも頭をぽんぽん叩かれる始末。
「やめなさい! 乱暴狼藉もここまで来ると打ち首獄門ですよ!」
「だそうよ、永琳」
「それはお断りしたいものですね」
 微笑ましげに答え、永琳と呼ばれた女性は阿未の頭から手を除けた。若干乱れた髪を丹念に整えつつ、阿未は改めて二人に詰問する。
「して、誰なのですか、貴方たちは」
「それは、必ずしも訊かなければならないこと?」
 姫、と称する女はさも当然のように語る。仮に、彼女が真の姫だとして、何故このような辺境に位の高い人物がいるのか。怪しい。さながら妖のごとき怪しさである。阿未は警戒した。
「よ……」
「よ?」
「妖怪なぞ、恐ろしくも何ともありません!」
 来なさい! と言わんばかりに手持ちの筆をかざす。が、今度は決まったと思う遥か前に額を掴まれていた。姫に。
「い、い……」
「い?」
「いだだだだだ!」
 手加減抜きに、掌の力のみで額を締め上げる。拳骨を食らう程度の痛みではあるが、苦痛慣れしていない阿未には涙目になるくらいの衝撃であった。ほんの数秒で、大地に小さな膝を突く。
「うぅ……この私なぞ、妖怪にすれば取るに足らない生き物なのですね……」
「妖怪、ねえ」
 ちらり、隣に佇む従者を窺う。永琳は平然と手を前に組み、長い髪の揺れる先を気紛れな風に委ねている。
「今更、種の括りに何の意味がありましょう」
「あら、たまには良いこと言うじゃない」
 にんまりと笑う。
 その笑顔が妙に素直だったから、阿未もつい彼女たちが悪人と思い辛くなった。そう言えば、訊かなければならないことはまだたくさんある。阿未は、傾きかけた心を奮い立たせた。
「意味がないのなら、私も問いません。ならば、ここに訪れた訳をお教えください」
 もはや筆を振り回す意味はないと知りながら、手持ち無沙汰だと虚仮にされると思いわざわざ片手に筆を添えた。稚児が棒を振り回して遊ぶ様子に似た微笑ましさに、異邦人は失笑する。
「あ、また笑った」
「辛気臭い顔してるよか百倍は幸せよ。それより、私たちがここに足を踏み入れた理由は実のところ五つほどあるのだけど、うち四つは面倒だから省きます」
 指折り数えて、最後の一つ、小指が残されてようやく、姫は永琳を窺う。彼女が神妙に頷き、姫もまた呼吸を整える。途端、冗談のように、姫から発せられる空気が変貌した。
「――私の名は蓬莱山輝夜。慣れない地に住処を移し、住む所が無く難儀をしている。出来得ることなら、依るべき枝を失った私たちに、安住に足る家を見繕ってはくれまいか」
 豪奢な着物に見合う、荘重な口調だった。
 姫――輝夜の言葉を陶然と聞き流していた阿未も、その意味を咀嚼するや、力強く己の胸を叩いていた。そこそこ弾力があるせいか、鈍く籠もるような音は聞こえない。
「畏まりました! お困りとあらば、この稗田阿未、全身全霊をしてあなた方に似合う素晴らしい家をお探し致しましょう!」
 爛々と目を輝かせ、闇夜の空き地に高々と宣言する阿未は、まだ己の過ちに気付いていなかった。
 そう。明日は、待ちに待った釣りの日だということに。

 

 

 



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2007年5月20日 藤村流

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