※ このSSは小牧愛佳ルートのEDに関するネタバレを含みます。
関白宣言
昔、そんな歌が流行ったような気がする。あたしが生まれるずっと前の話だから、多分親が口ずさんでいるのを聞いたり、ラジオから流れていたのを耳にしたのだと思う。まあ、直接は関係ないんだけど。
あたしは生まれつき病気がちで、同年代の子どもみたいに外ではしゃぎ回るなんてことは出来なかった。いつもベッドの上で寝込んでいて、読み飽きた雑誌を読み、食べることも出来ない食べ物をなんとなく眺めるだけの日々にも飽きてきた頃、段々とその色を認識することさえ難しいようになってしまった。
神様は残酷だ、こんな可愛い女の子に目も当てられないような苦行を強いるなんて。
そう、強がってみても救いにはならない。けれども医学の進歩は目覚しいもので――というか、あたしは昔の時代を知らないのだが――、手術をすればどうにか視力も回復し、高校にも行けるようになるらしい。特に学業への執着はなかったのだけど、それ以外にあたしには拘っていることがあったから、一刻も早く手術を受けることにしたのだ。
――その、結果。
アホみたいに天気のいい屋上で、これまたアホのように俯き合っている顔見知りを発見した。
一瞬、声を掛けようかどうか迷う。それならベンチの後ろに回って低音で囁く方が無難だと思うけど、ベンチのすぐ後ろは金網だし、あれでいて物音がすればすぐに離れるだろう。要はそれだけ警戒しているということだ。……まったく、あれだけ大掛かりなことをやっておいて、今更相思相愛なのを隠す必要もないのに。
あたしは溜息と共に先制攻撃を諦めて、ただただ無言でそいつらの前に姿を現した。
予想通り、軽い足音にも即座に反応する。近所のスズメか。
「ひゃあ!」
「ぐぁっ!」
「……何してんのよ、まったく」
男の口からカマボコが落ちる。女の膝元には質素な柄に彩られた弁当箱が置いてあり、彼女が添えている箸は先程までカマボコを挟んでいた。
要するに、誰が見てるか分からない状況にありながら『あ〜ん』とかしていたのである、このバカップルは。そりゃ警戒もする訳だ、その割に警備はザルだけどさ。
いちゃつきぶりを目撃されたショックからか、男の方は慌てて弁当箱を隠したり落ちたカマボコを拾って口に含んだり、自販機のコーヒーを一気に飲んで『あちぃっ!』と喚いたり、そのコーヒーが女のスカートに掛かって『ああぅあぁ!?』とか訳の分からない悲鳴を上げたりと、一瞬のうちにそいつらなりの阿鼻叫喚絵図が出来上がっていた。
……我が姉とその彼氏ながら、呆れるくらいのアホまるだしである。
その頼りないお姉ちゃんが、スカートを拭きながら独り言のように呟いた。
「い、いっ、いくの……?」
「郁乃だよ」
金網に寄りかかる。……少し無理しすぎたのか、足がちょっとだけ重い。普通に歩ける程度にはなったのだが、まだ階段を上り下りする体力は付いてないらしい。でも、エレベーターは屋上まで通じてないんだから仕方ないじゃん。
「お前、学食じゃ……」
男の方、暫定的お姉ちゃんの恋人である河野貴明が、狼狽を隠そうともせずに言う。男のくせに顔が赤くなってやがんの。恥ずかしい。
「気が変わった。天気もいいからね、屋上でパンを食べるのも良いかなと思ったの。で、来てみたら……」
肩を竦めて、わざとらしく嘆息する。赤くなるお姉ちゃん、そして赤面しながらも抵抗を試みる河野貴明。
「お、おまえ、お前なあ……」
一気呵成に行きたいところだが、なかなか舌が回ってくれないようだ。基本的にウブだから、この二人。
というか、落ちたカマボコを拾い食いしたことの言及は無しなんだろうか。
「ふ、ふん。羨ましいのか」
「た、たかあきくん……」
この二人を見てると、本当のことも言えなくなる。あたしが近い未来にこんな醜態をさらすことになるなんて、想像だに出来ないことでもあるし。
だから、素直にこう言った。
「別に」
「羨ましいんだろ」
「お姉ちゃんの箸が鼻の穴に入りそうだから、嫌だ」
「な……っ!」
何やら酷く困惑している。
もしかして、ほんとにあったんかい。
「……ちょっと、席を詰めてほしいんだけど」
「お、おう」
「どうぞ」
ここで真ん中を開けてしまうのがこいつらの難点だ。わざわざ二人が遠ざかってどうするんだか、そりゃあ妹として優遇されているのは悪くないと思うけど、それ以上にこいつらの煮え切らなさが腹立たしい。
キスしたんだろ、あんたら。
……多分だけど。
「ほら、お兄ちゃんはそっちに寄る」
「ぬ……!?」
端に寄りたがる貴明の腹を押し、お姉ちゃん側にずらそうとする。貴明もあたしの意図は察しているのだろうが、隣りであわあわしているお姉ちゃんが居るから、照れが連鎖反応して身動きが取れなくなっているんだろう。
……仕方ない、ここは強攻策に出るか。
「寄らないんなら、あんたの膝に座るよ」
「そ、それは……」
「郁乃……、た、たかあきくんは、お姉ちゃんの、か、か……」
煮え切らない。言いたいことが分かるだけに、無理やり炎を強火にしてやりたい気持ちに駆られる。
「か、かれ……」
「カレーライス?」
「違うわよぅ……」
しおしおと小さくなる姉。威厳もへったくれもあったもんじゃないが、いつも気を張って無理したがる姉には、これぐらい肩の力が抜けている方がちょうどいい。
「……いや」
そこで、貴明が口を挟む。まだ頬には赤みが差していたが、どこか真剣な面持ちである。きっ、とあたしの目を睨み付けて、一言。
「俺は愛佳ひとすじだから、妹とはいえ、そういうことをするのは、ちょっと」
はっきりと拒絶の意思を込めて、貴明は言った。
瞬間、遠くの方で『あぅ……』とかいう呻き声が聞こえた気もするけど、それは無視。
こうなれば、あたしのすることはひとつしかない。
「だったら、彼女にもっと近付いてあげる。まったく、実の妹に気を遣わせるんじゃないわよ」
「ご、ごめんね……」
「色恋沙汰のひとつもないお前に言われたくないが」
調子を取り戻したらしい貴明が攻勢に出る。それでも、お姉ちゃんの方に擦り寄ってあたしのスペースを確保しているところが素直じゃないというか。
もっとも、あたしが言えたことじゃないんだけど。
「いいのよ。そのうち、薄幸の美少女に惹かれて告白してくる奴がごまんと出てくるから」
よいしょ、と貧乏くさい声を上げてベンチに腰掛ける。ふと見上げた貴明の顔が不思議そうに傾いていた。
「納豆みたいなのか?」
「そっちの発酵じゃない!」
「たかあきくんっ!」
「……悪い、少し言い過ぎた」
同時に攻められて貴明が縮こまる。半分くらいはお姉ちゃんに言われたせいなんだろうけど。もしこいつと二人きりになったら、こんなもんじゃ終わらないと思う。病院での短いやり取りが、それを如実に物語っていた。
――それから、三人で昼食を取る。お姉ちゃんの弁当を突付き合い、貴明とパンを奪い合い、そのうち貴明と罵り合ってお姉ちゃんに窘められる。迫力とか威厳とか、姉としてあるべきものは充足していないようだが、それでも立派にお姉ちゃんしているのは流石だと思う。
いつか、貴明はあたしのことをお姉ちゃん子だと言った。多分それは間違いじゃない。けど、完璧な答えでもない。
何故なら、お姉ちゃんの方がずっと妹っ子だから。
「それよりさ、さっきのカマボコの行方はどうでもいいの?」
「あ……」
貴明の顔色が悪くなる。今頃になって胃にダメージを与えたのか、それとも拾い食いしたことを咎められると思ったのか。
でも、あたしとしてはお姉ちゃんの作ったものを残さず食べているなら、三秒ルールに関係なく認めてもいい気がする。将来、何かの間違いでこいつとお姉ちゃんが結婚し、愛妻弁当を抱えて会社に行ったり、そこで弁当を引っくり返したりしても、こいつは何食わぬ顔で落ちたカマボコを頬張ったりするんだろうな。
それが、羨ましいといえば羨ましい。
「たかあきくん、本当に食べたの……?」
「言わないと駄目か」
「できれば」
「……食った、と言えば食った」
「あぁぅ、お、おくすり飲まないと……! ルル、ベンザエース……!」
「いや、それ風邪薬だから」
貴明が窘めている。あたしが横やりを入れる隙はないようだ。これはこれでバランスが良いカップルなのかもしれない……というか、あたしが来てから妙に落ち着いた風に見えるのは気のせいなのか。
茶化すつもりが、妙にほのぼのとしてしまったのは誤算である。でも、これはこれで悪くない。
――そういえば、関白宣言という歌があるらしい。
えらく前時代的で男権主義的な歌詞なのだが、男が立場のない昨今においても支持されているという珍しい歌でもある。まあ、あたしも詳しく知っている訳じゃないけど、男が女を引っ張っていくのは恋愛のひとつの形ではあると思う。
この二人、関白宣言には程遠い関係だ。
でもまあ、権威とか圧力とか関係なしに、お姉ちゃんにとって頼れる相手はこいつなんだろう。
だから、あたしから見て頼りなくても、お姉ちゃんはこいつと手を繋いで、貴明もその感触に照れながらお姉ちゃんを引っ張っていく。
その姿が、単純に羨ましかった。
「ごごごめんなさい、あたしがあんなことするから……」
「いや、俺の方こそ……でも、嬉しかったし」
「……ああ、ありかとうございますぅ……」
こうして発火しそうなくらい照れまくっている二人を見ている限り、うまく行くかどうか不安で仕方ないけど。
疲れた足を投げ出して、見上げた空は今日も青い。
見えた世界はこんなにも色付いている。あたしの隣りでは、これでもかというくらいに照れた二人が、青春の青と情熱の赤をやけくそ気味に主張していた。
−幕−
SS
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