タイムマシーン・セレナーデ

 

 

 

 射命丸文は天狗としてかなり長い年月を生きているにもかかわらず、天狗であるがゆえに若く、スカートも短い。肌もすべすべである。実にきめ細やかである。
 これで齢千を越える長寿というのだから、それだけを取ってみても妖怪の異質さが窺えるというものである。
「こんにちはー、文々。新聞のものですー」
「またあなたですか……」
 はう、と気の抜けたため息が、まだ幼げな印象を残す少女の口からこぼれおちる。
 肩から提げた鞄に山のような号外を詰め込み、文は幻想郷に名高い稗田家を訪れた。対するは若くして稗田家の当主に祀り上げられた第九代阿礼乙女・稗田阿求その人である。ちなみに、お手伝いさんは阿求の後ろで天狗が来た天狗が来たと物珍しげに眺めている。
 呑気なものである。何より、平和でもある。
「おやおや、そんなに天狗が珍しいのでしょうかねえ」
「おそらく、あなただから、なのでしょう。きっと」
「人気者なんですね!」
「そう思っているのなら、まあ、いいです」
 腕組みをして、諦観する。
 何故だか妙に喜んでいる文に呆れながら、阿求は警戒を怠らない。気を抜けば、いつ号外を押し付けられるかわからないからだ。
 たった一枚と侮るなかれ、彼女に容赦や加減というものを期待してはいけない。そんな些細な積み重ねがいつか大きなうねりとなり、やがては屋敷の天井を貫き底が抜けるような山となり得るのである。
「号外号外ー!」
 早速押し付けられた。
 さすがに、お手伝いさんが多くとも百枚はいらない。あんまりさつまいもも食べないし。
「……ちょっと、ちょっと。そこの天狗」
「なんと、あの幻想郷縁起が度重なる延期を経て、ついに公開されました!
 ついに!」
「本人だから。当て付けにしか聞こえないから」
 阿求の眉間に皺が寄る。
「絵も随分と上手くなりましたよねー」
「……え、本当?」
 阿求は嬉しそうだ。
 思わず号外の束を胸に掻き抱き、しめしめと笑っている文の表情にも気付かない。稗田阿求、当主と言えどもうら若き少女である。こちらの肌もきめ細やかだ。若いって素敵。
 褒められて、年甲斐もなく瞳を輝かせている阿求の表情に満足したのか、文は人差し指をピンと立てて話を切り出した。
「私も、記者のはしくれとして幻想郷縁起を読ませて頂きましたよ」
「いつの間に……でも、まあ、ありがとうございます」
 ぺこり、と頭を下げる。
 妖と言えど、読まれたことを感謝する必要はある。まして、阿求の代の幻想郷は、新しい幻想郷になってから初めて出版された幻想郷縁起であり、その内容は人間だけでなく妖怪もまた楽しめる内容となっている。
 これから、文のような者が更に増えるだろう。天狗のように力を持つ者だけでなく、里に近い妖怪から、果ては妖精までも。
 もう既に、時代は移り変わっている。
「しかし」
「……しかし、何でしょう」
 阿求の眉間に、再び皺が寄る。
 文は妖しい表情を崩さない。
 文の言わんとしていることが、阿求には何故か分かってしまった。それは、後ろに控えているお手伝いさんが文の醸し出す雰囲気に気圧されていることや、文がわざわざ手間をかけて阿求の前に現れたことそのものからも、十分に予測できた。
 文は、ぱんぱんに膨れ上がった鞄を撫でながら、くすりと唇の端に指を当てて微笑む。
 妖艶だった。
 風が、文の洗練された衣装をあおる。小さな烏帽子の紐が揺れ、阿求の魔物も、彼女たちの透き通った黒髪をも丹念に撫でていく。
 里は、穏やかだった。
 山の神として崇められる天狗が降り立っても、せいぜいが障子を盾に傍観する程度である。
 変われば、変わるものだ。
 それが良いか悪いかを量るのは、彼女たちの役目にない。
 だが。
「考えてもみてください」
 思うところは、文にも、阿求にもある。
「始まりの稗田が、妖怪対策を目的として綴った幻想郷縁起。それが、今となっては妖怪に楽しく読まれるような作品に様変わりしているですから――いやはや、時の流れは残酷と言いますか、皮肉もいいところですね」
 聞く者が聞けば烈火のごとく憤る場面だが、阿求は、ただ文の台詞を遮ることもなく拝聴した。
 そして。
「……えぇ、全く」
 文の愉しげな口調にも惑わされず、阿求は淡々と告げた。
 その言葉が文よりもよほど皮肉っぽく響いたのは、阿求の方が、幻想郷とそれにまつわる幻想郷縁起の変化に失笑を禁じ得なかったからである。
 筆者であるにもかかわらず、筆者であるからこそ、己の心境の変化と時代の推移に愕然とする。それと同時に、こんな時代が来るなんて、とどこか誇らしげに笑ってしまいたくもなった。
 実際、阿求はこらえきれずにくすくすと笑っている。文は、きょとんとその様子を眺めている。
 しばらく、思い出し笑いをする思春期の若者のように小さく笑った後。
 阿求は、目尻に小さな雫を浮かべながら、

「えぇ、全く――本当に、良い時代になったものですね」

 嬉しそうに、そう呟いた。
 文は、はあ、と置いてけぼりにされたような返事をする。
 お手伝いさんたちも話の流れに付いて行けず、ただ、稗田阿求しか感じ得ない憧憬に翻弄されるだけであった。
 力が緩んだ彼女の腕から、数枚の号外がはたはたと空に舞う。いずれ、その紙は里の者たちの目に触れる。幻想郷縁起の存在も、里のみならず妖怪の山や無名の丘、その果ては三途の川にまで行き渡るだろう。
 阿求は、改めて文に尋ねる。
 その頃には、文も既に阿求の達観した表情に慣れていた。だから、動揺することもなく、感じたままに答えた。

 

 ――幻想郷縁起、面白かったですか。

 ――そりゃあ、もう。

 

 

 



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2007年1月8日 藤村流

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