こんな夜に、あなたが見えないなんて
〜第二回東方最萌トーナメントEX・無所属新人(ミスティア・霖之助)支援SS〜
人間って、何のために生きてるんだろう。
何か面白いことをやってるんだろうか。
よく判らない。というか、理解しようともしていない。だから判らない。
……いや、判りたくない、のか?
それさえも、よく判らない。
「……あ。人間、はっけーん」
ミスティアは、取りとめもない脳内談義を中断して、夜雀本来の衝動を全うすることにした。
音もなく羽ばたき、たったいま自分が見下ろしていた、薄暗い林道を歩く人影に接近する。
弾幕、なんてものは選ぶべくもない。相手は人間なのだ。
人間は弱い。一緒に遊ぶという選択肢は初めから存在しない。
けれども、人間とでも遊んでやることは出来る。
一方的にからかい、馬鹿にするという意味でしかなくとも、そこに信頼関係はあるだろう。
妖怪を畏怖する心が人間にとって必要であるように、妖怪もまた、人間を突っ掛かっていたいのだ。
「標的……それなりに年をくった男。なんだか冴えないわね……恋人は、居ないと見たわ」
林道を訳知り顔で闊歩する男は、その腕に何冊もの本を抱えていた。
地味な彩色の着物に真鍮縁の眼鏡を引っ掛け、心なしか晴れやかな表情で暗闇を行く。
確かに、晴れ上がった夜には満ち足りた月が君臨し、鬱蒼と茂った密度の濃い森でも歩くのに不自由しない。
それでも、彼の足取りは普通の人間にしてはやけに警戒が薄い気がした。
「……おかしいわね……」
もしかして、あれは囮なのかもしれない――とミスティアは推測する。
人間たちが馬鹿にされていることに怒り、罠を張っているのではないか。
男の頭上、人間にとっては完全な死角にあって、ミスティアは歌うべきかどうか躊躇した。
彼女自身、最近は腹の立つことが多かったせいで、いつにもまして人間を夜盲にしていた前科がある。
それに、自信過剰気味ではあるが、人間たちから吸血鬼ばりに畏怖されているとかなり本気で信じているフシもあり――。
(もしかしたら……もしかするのかしら?)
首を傾げる。組みにくい腕も組んで、結論を先延ばしにする。
そうこうしている間にも、何も知らない人間は焦る様子もなく家路を辿る。
……ああ、もうなるようになれだ。
飛べないのなら鳥じゃない。
鳴けないのなら雀じゃない。
歌えないのなら夜雀じゃない。
やりたいこともやれないのなら、妖怪なんてやっていない。
「――――ら――――」
喉からせりあがる衝動を、抑えることなく存分に解き放つ。
歌え、歌え。
自分は、そうすることでしか自分であることを証明できないのだから。
「――――あ――――」
聞けば耳を塞ぐことも許されない声。
たとえ手の甲を被せようとも、滑らかに、涼やかに、指の透き間を潜り抜け、聞く者の瞳を塞ぐ歌。
『夜に夜雀の歌を聞いた者は、目が見えなくなる』
その伝承は、長き時を経てついに童謡にまで昇華した。
戯れに、夜雀たるミスティアもその夜雀の英雄譚とも言うべき歌を歌い、人間を驚かすこともままあった。
今回は、何か嫌な予感がするから、単純な旋律と淡白な台詞で。
心を壊さない程度に震わせて、せめて涙ぐらいは流させてあげようと思う。
「――――ん――――」
「……ん?」
男が、ついに足を止めた。
どこからか、歌が聞こえる――。
異変はそこから生じた。
こんなに明るい夜では、暗闇は本来の機能を果たさない。
だからこそ、深夜の徘徊という大胆な真似も出来るのだろう。
しかし、月が翳ったという訳でもあるまいに、男の周囲には深い闇が降りていた。
「度が合わなくなったのか……?」
試しに眼鏡を外してみる。が、事態は一向に回復しない。
眼を擦っても、瞬きしても、空を仰いでも同じこと。
それもそのはず、この夜の異変は妖怪の仕業。
森近霖之助が宵闇に潜む妖の悪戯であることに気付いたのは、自分が仰いだ空の片隅から、一匹の女が笑っている声を聞いた時。
けたけたと、心の底から可笑しそうに笑っているのに、何故かその声が美しい歌を奏でているようにしか聞こえなかった。
「あは、あはははは……! ほんと、人間ってば面白いわね……。こんな、こんなに簡単な歌でも引っ掛かってくれるんだから!」
とりあえず、馬鹿にされていることだけは判った。
このまま黙りこんでいるのも癪なので、霖之助は声の方向から相手の位置を大まかに検証する。
「えーと、君はもしかして……夜雀なのか?」
「……ああ、そうよ。まあでも、今更気付いても遅いわよね。だって、あなたの目はもう見れなくなってるんだもの……あははっ!」
霖之助の反応に可笑しさがぶり返したのか、これまた爽快に笑うミスティア。
対する霖之助は、ミスティアとはあまり関係のないところで胸を撫で下ろしていた。
「ふむ。眼鏡が悪くなった訳じゃないんだな」
「……ちょっと。なんでそんなに落ち着いてられるのよ」
一転、ミスティアは苛立たしげに問う。
どうやら、妖怪の前でも平然としていられるのが気に入らないらしい。
「しかし、妖怪に化かされたからと言って、誰しもが恐れおののくとは限らないだろう?
今回は、たまたまそんな者に出会ってしまったというだけの話さ」
「……やっぱり馬鹿にしてる?」
「そんなことはないよ」
霖之助はかなり本気で諭していたのだが、ミスティアの方では信用しきれていない。
大体にして、諭すという行為が相手を低く見ているのだから、ミスティアが反抗したくなるのも当然かもしれない。
まして、妖怪であることが人間から見て上位だと思っている彼女には。
「なーんか面白くないわね……。どうせ変なこと企んでるんじゃないの?
たとえば、夜雀にコケにされた腹いせに、その妖怪をとっ捕まえて焼き鳥にしてやろう……とか」
「でも、雀は食べるところが少ないじゃないか」
「……そういう問題?」
「ああ、だけど君がもし人間くらいの背丈だとしたら、食べられないこともないと思う」
「冷静に分析するな! 怖いわ!」
「僕は単に可能性を述べただけだけどね……。もしかして、それほど身長は高くないのかな?」
「それくらい見て判れ! ――って、見えないんだっけ」
霖之助の口調があまりに淡々としているから、ミスティアも彼が夜盲だということを失念していた。
夜雀らしからぬ失点に、知らずと顔が紅潮してしまう。
男の目を見れなくしておいて、本当に良かった……とミスティアは切実に感じた。
気を取り直し、霖之助への言及を続ける。
この時点で、『からかう』という大義名分は彼女の中から綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
「むう……。何も企んでないにしても、相当怪しいよ。あんた」
とりあえず怪しい存在にそう評されて、流石の霖之助も苦笑気味に顔を歪ませる。
「妖怪に言われるほど怪しくもないと思うけど……。まあ、それに関しては同意しておくよ。
月が在るとはいえ、こんな夜中に薄暗い林道を歩くような者は――あまり、普通の神経を持っているとは言い難いらしいからね。まあ、これは僕の友人の言い分なのだが」
肩を竦めてしみじみと語る霖之助を、ミスティアも複雑な表情で眺めていた。
正直、身の上相談を聞いているような気分で、どう答えたものやら困る。
「あんた……良い友人を持ったわね」
「僕もそう思うよ」
当たり障りのない励ましに、霖之助も情けない声を返すしかなかった。
「ところで、いつになったら元に戻してくれるんだい?」
「図々しいわね。私がいいって言うまではダメよ」
「そろそろ帰らないと、お腹が空いて大変なことになるんだが。主に僕が」
「だったら、そこいらにあるモノでも食べればいいじゃない」
「……手羽先かい?」
「食わせるか! いいかげん焼き鳥から離れる!」
がー、と怒鳴り散らしているものの、ミスティア自身それほど霖之助を警戒していなかった。
確かに怪しくて、胡散くさくて正体不明だけれど、極悪非道の冷血漢という感じはしない。
話してみれば人当たりは良いし、初対面なのにずっと前から知り合っているような錯覚すら覚える。
だから、不意にこんなことを聞いてしまったのかもしれない。
「……ねえ。あんたが大事そうに持ってる本って、何なの?」
視界が閉ざされていても、彼の左腕は数冊の古くさい書物を抱いて離さない。
霖之助は指摘された本を右手に持ち替えて、手探りで表紙を撫でる。
「ああ、これは魔導書だよ。とはいっても、僕には読めないし使えないから、店の売り物にするだけなんだが」
「店? あんた、お店やってるの?」
「お客は滅多に来ないがね。まあ、僕がただやりたいからやっているだけさ」
「……やりたいから」
「うん。名前は『香霖堂』といって、魔法の森と人里の境目あたりにある。
人間だけじゃなくて妖怪もたびたび来るから、君も良ければ来るといい。お望みの品はないかもしれないが」
「……それ、宣伝になってないと思う」
「そうか? でも、事実だからな」
別段、ショックを受けたふうでもなく、霖之助は答える。
あんまり商売には向いていない気がする、とミスティアは思ったがあえて指摘はしない。
彼は言った。――やりたいからやっているだけ、と。
なら、その生き方を妖怪の自分が否定する訳にはいかない。
自分だって、ずっとそんなふうに生きて来たんだから。
飛びたいから飛んで、鳴きたいから鳴いて、歌いたいから歌う。
人間も妖怪も、やりたいことをやっているんだ。
「ふうん。……じゃあ、私もやりたいようにやろうかな」
「……うん?」
霖之助が不思議そうな声を上げるが、ミスティアはすぐに回答を与えない。
その代わり、霖之助から少し距離を置き、満月を自らの背に抱く。
真夜中の静謐な空気を取り込み、またすぐに吐き出す。
単純な循環を幾度か繰り返して、ようやく心の中が空っぽになったことを理解する。
「……何が始まるんだ?」
不安そうな、しかし落ち着いた声が掛かる。
それが合図。
暗闇に躍り出たコーラスマスターは、思う存分に自らの歌を解き放った。
ひとりで歩く帰り道
空には月が見える頃
ひとりで帰る森の道
夜には星が見える頃
こんな夜に あなたに会いたいなんて
こんな夜に あなたに会えないなんて
涙も出ない帰り道
明日には空も晴れるから
光も差さない森の道
明日には月も昇るから
こんな夜に あなたが見れないなんて
こんな夜に あなたが見えないなんて
さようなら また明日会いましょう
さようなら また明日歌いましょう
こんな夜に あなたに会いたいなんて
こんな夜に あなたに会えないなんて――
それはいつか、里の村で聞いた子守唄。
幼い子どもに聞かせるには、唄に秘められた妖怪の逸話は少し重いけれど、眠りに誘うのにこれ以上相応しい唄はない。
『夜に夜雀の歌を聞いた者は、目が見えなくなる』
瞳が閉じれば、幼い子どもはただ眠るしかない。
子守唄に隠された妖怪の悪戯心も、人間たちにうまく利用されているのだ。
成熟した男であっても、不意にこのまま眠りこけてしまいそうになる。
聞こえるのは女の声だけ。裏返るでもくぐもるでもない、嘘偽ることのない生の音。
歌うように、囁くように。
在り来たりな旋律を夜の風に乗せて、聞かせたい誰かのために空っぽの心で歌う歌
その言伝に、誰が耳を塞げるだろう。
一心に放たれた言霊は聴く者の心を震わせて、一切の輝きを閉ざしていた瞳は、その光を取り戻していた。
「――――あっ」
気付けば、霖之助の視界が晴れやかになっていた。
歌もいつの間にやら止んでいて、当然のことながら夜雀らしき影は見当たらない。
そういえば、夜雀の姿を見た人間は居ないという話だったな、と霖之助は思い返す。
もしかしたら、あの妖怪は意外と恥ずかしがりやなのかもしれない。
ならば少しからかい過ぎたかな、と霖之助は少し反省して、先行きの明るい林道を歩いてゆく。
右手ににじんだ汗は、否応なしにあの歌を思い出させる。
夜雀の心地よいアカペラが耳に残っている間に家へ帰れたら――きっと自分は、幸運な夜を過ごせたのだろう。
そういえば、あの人間の名前を聞いていなかったことを思い出す。
けれども、姿を隠した今となっては問い掛けることもままならない。
ただ黙って、初めと同じように暢気な足取りで帰ってゆく背中を見守る。
「やりたいこと、ね」
結局、人間のことはよく判らないままだ。
つまるところ、あの男が人間かどうかもはっきりしないのだから。
でも、なんとなく。
面白そうなことをやって、面白おかしく生きていることだけは判った。
最後に歌を聞かせてあげたのも、あの男と一緒に居ることが愉しかったからだろうし。
だから、明日の予定はとっくに決まっていたのだ。
「――『香霖堂』……って、どこにあるんだったっけ?」
質問にもなっていない言葉を、去りゆく後ろ姿に尋ねてみるのだった。
−幕−
SS
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