スプーンいっぱいの微熱 2
事故った。
「やべえ」
火焔猫燐は動揺していた。手押し車には活きのよい死体が何体か詰め込まれており、重量も攻撃力も荷台が空の状態とは比較にならない。即ち、正面衝突すれば如何に妖怪であろうとも怪我のひとつやふたつは覚悟しなければならないということだ。
ちらり、と被害者が突っ込んだらしき土嚢の中を見れば、まだ砂煙は完全に晴れていない。見通しの悪い、道なりに塀が続いている三叉路の事故だ。注意不足はお互い様だが、ダメージ量には明らかな開きがある。
しかも、お燐は見てしまった。
衝突する寸前に、友人らしき地獄鴉が「ちこくちこく〜!」と言いながら突っ込んでくるのを。
そして、咥えていた食パンをふっ飛ばして空き地の土嚢に突っ込んでゆくのを。
「……何なんだ、これ」
友人の行動に突っ込みどころが多いのはいつものことだが、それにも限度がある。突っ込みを入れられるのはお燐ひとりなのだ、少なくともこの場においては。
故に、見て見ぬふりを決め込むのもひとつの選択ではあった。
だが、あられもない格好で土嚢から下半身を出している友人を見ると、どうあっても救いの手を伸ばさずにはいられなかった。
「おーい、おくうー……だめだ反応がない」
期待はしていなかったが。
ひとまず、やたらめったら短いスカートと、ゆるゆるの靴下は無視して、両足を抱えて強引に引きずり出す。幸い、あまり深くは埋没していなかったようで、それほど力を入れなくても引っ張り出せた。
ずぼっ、と馬鈴薯が引き抜かれるような小気味よさと共に、霊烏路空は虚ろな表情をお燐の前に晒した。
「おーい。起きろー」
びしばしと初めから容赦なしにおくうの頬を張り、そこそこ赤く腫れてきたところでおくうが反射的にお燐の頬にカウンターを決めた。
無意識の所業である。
「む、ぅ……うあ、お燐だ」
「ああ、みんなのお燐だよちくしょう……いてえ……」
仲よく頬を赤く腫らした状態で、しゃがみ込んだまま状況を確認する。
ひとつ言えるのは、おくうの格好が普段と随分違うということだ。
「あんた、その服どうしたのさ」
「うん?」
頭に着けた大きなリボンを弄るおくうに、そこじゃないよとスカートを摘まむ。あまりに短いせいで、少しめくると下着が露出してしまいそうだ。
白いブラウスに薄手のカーディガンを重ね、首には臙脂色のネクタイを締めている。普段、彼女の胸に居座っている赤い眼球は健在だが、心なしかその直径は小さくなっているように見える。スカートで隠すべき太ももはあろうことかほとんど露出しており、本来の機能を満たしているとは言いがたい。
「やだもー、お燐のえっち!」
「何それ。また変なこと吹き込まれたんじゃないだろうね」
「変じゃないよ。あ、この服は上に住んでる緑っぽい巫女から借りてきたの。破いたり焼いたりしたら承知しませんって言ってた」
「早速破れてるけどね」
事故の衝撃とは関係なく、おくうの羽は初めから背中の布地を元気に突き破っている。
貸し出す前にその点を考慮すべきであった。
「あ、ほんとだ」
でもまあしょうがないよね、と語るおくうに危機感などあるはずもなかった。哀れ現人神。
かといって、お燐も特に突っ込まない。制裁を受けるのはおくうだし。
「で……何なの結局」
「うん?」
またリボンを触りながら不思議そうな顔をするおくう。
埒が明かない。
「おくう……」
「え、なんでそんな目するの」
「あんた、それでよく地上行って地霊殿に帰って来れるね……」
「そりゃあ……さとりさまとか、お燐のことは忘れないもの」
「そうかそうか」
それは素直に喜んでおくことにする。
自分でもにやついているのがわかるが、それこそ仕方のないことだ。
「う、お燐がなんか気持ち悪い……」
「気にするない。で、あんたはなんでそんな格好してるのさ」
「うん。だいじょうぶ、覚えてる。任せて」
そう呟いて、おくうは腕組みをしてうんうん唸り始めた。
急かしても仕方がないので、お燐は事の経緯を必死に思い出そうとしているおくうを優しく見守ることにする。死体もそう簡単には腐らない。如何に早く持ち帰ったところで、火焔地獄の管理者はおくうなのだ。
だから、なかなか答えを出さないおくうを待つことにも、れっきとした意味があるのだ。
「……あっ!」
「思い出したか」
「忘れてない!」
「そういうことにしといてあげるよ。で、何なの」
「うん。私ね、ラブコメがしたい」
「……うん?」
「ラブアンドコメディ!」
「ラブ……」
言いたいことはわかるようで、やっぱりよくわからない。おそらくおくうも理解してはいまい。ただ何となく、語呂と雰囲気がいいから今日の遊びとして採用したに過ぎないのだろう。
「ラブ……、愛? それとも恋?」
「恋、だね!」
ぐっと拳を握り締めて、おくうは力強く告げる。
釈然としないところはあるが、おくうがそう言うのならお燐も素直に頷くしかない。
「巫女の話だとね、外の世界は、こういう格好して他人と衝突すれば新しい恋が始まるんだって」
「あんたまた何か忘れてるだろ」
「え、忘れてないよ。だって、ほら、きゅんと来ない?」
「……誰が、どのへんに」
「お燐が、私の魅力に」
うっふん、とばかりに腰をくねらせて精いっぱい官能的に振る舞うおくうだが、姿態はともあれ性格と行動がまだ成熟していない。ブラウスをぱんぱんに押し出す胸の圧力も、現状おくうの手に余る。
お燐は、腰に手を当ててくねくねしているおくうの額を、ひときわ強くびしっと弾く。
「んぎゃ!」
「んなあほなことしなくても、あんたは十分可愛いよ。安心しな」
額の痛みに呻くおくうの頭を、お燐は半ば乱暴にぐりぐりと撫でる。猫にするよりは乱雑に、親友にするよりは愛しげに。
けれど、おくうはどこか不満そうだ。上目遣いに、少しばかり潤んだ瞳をお燐に向ける。
「えー……お燐、恋に落ちる音しない? 胸キュンしない?」
「むしろ、車に激突してあんたの心臓がきゅんとしてないか心配だよ」
「なんてこった……胸キュンってそういう……」
よくわからない結論に達しようとしているおくうをよそに、お燐は事故の衝撃でよりぼさぼさになってしまったおくうの髪の毛を手櫛で梳く。梳いたところで瞬く間に癖が付いてしまう黒髪も、光沢だけは地底随一だ。
左の胸に手を当てて、その鼓動を確かめながら、おくうはほっと胸を撫で下ろす。そりゃよかった、とお燐はわかったような顔で笑う。
手押し車に手を掛けて、重い荷物を転がしながら、後ろに付いて歩く友人の足音を聞く。遠くから、酒を飲んで騒いでいる鬼の哄笑が木霊する。
「この服、お燐の分も用意してあるんだー。地霊殿に帰ったら第二幕ね!」
「え、まだ続きあんの……」
「最終的には、地底から湧き出す魑魅魍魎をばっさばっさと薙ぎ払いながら、どっかの神さまを倒すために私の中の八咫烏を解放してなんかすごいことになる」
「そうかい」
「忘れてないよ?」
「そうだね」
背中に一撃、恨みがましい拳を浴びる。
それを甘んじて受け入れて、お燐は後ろ足で地面を蹴り、おくうの目頭に砂を飛ばしておいた。
背中にひとつ、猫のそれに似た悲鳴を聞く。
SS
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2010年9月10日 藤村流 |
東方project二次創作小説 |