セブンス・キラーズ
「メリー」
「何よ」
若干、苛立たしげにメリーは返事をする。その返答は暗に「話しかけるな」と言っているようにも見え、何人かの友人は朝の段階で深く突っ込みを入れることを避けていたのだが、こと宇佐見蓮子に限れば、メリーの機嫌が良かろうが悪かろうが話しかけることにいちいち躊躇いを覚えたりはしないのである。
たったひとり、構内のカフェのテーブルを占拠していたメリーの正面に、蓮子はここが特等席だと言わんばかりにどっかりと腰を落ち着ける。ふん、とメリーが小さく鼻を鳴らしたのを知ってか知らずか、蓮子はテーブルの上に自販機で買っておいたコーヒーを乗せた。
「ご機嫌斜がよろしくないわね、便秘?」
「……どうだっていいじゃない」
正解だったらしい。
「ほら、道端に転がってるビー球ばっかり舐めてるからよ」
「いつもやってるような言い方しないでほしいわ」
「たまにならやってるの?」
「やってない」
下っ腹を擦りながら明後日の方向を向いているメリーに、蓮子はどこか生温かい視線を送り続けている。ふたりとも頬杖を突き、ひとりは憂鬱そうに、ひとりは愉快そうに。
「そんなメリーに朗報です」
「何よ」
「わたくし宇佐見蓮子は、悩める友人を地獄から解放してあげるための最先端技術を有しております」
「ふうん……聞かないけど」
「聞いてよ」
テーブルの下で、メリーの向こう脛を蹴って来る蓮子を無視したものかどうか迷っているうちに、蓮子は紙パックのコーヒーにストローを突き刺してちゅーちゅー吸い始めていた。しかも手を使わないというお行儀の悪さ。
「やめなさいよ、お行儀が悪い」
「ぶくぶくぶくぶく」
「やると思った」
「そのへんの期待を裏切らないのが宇佐見蓮子」
「裏切りましょうよ」
ずぞぞぞッと頬を窄めながら物凄い勢いでコーヒーを啜る蓮子に鬼気迫るものを覚え、メリーは軽く引いた。その数秒後には、ちゅるぽん、とストローを抜いて満足げな笑みを浮かべるいつも蓮子である。
「それでは発表致します。じゃじゃーん」
「聞いてない……」
他人の話を聞かないのはまさに蓮子というほかないけれど、メリーはこの状況下で普段のような穏やかさを保てるほど人間が出来ているわけではなかった。蓮子の向こう脛は硬く、いくら蹴っても彼女の表情に変化はない。
と思ったら天井を指差したままぷるぷる震えてた。
「泣きたかったら泣けばいいのに」
「その前に蹴るのをやめてくれればいいのに」
「それは嫌かな……」
「やめてくださいお願いします」
「わかった」
さしものメリーも鬼ではない。
「それでは改めて発表記者会見」
「しつこいわね……」
「あら、何だか本格的にメリーが機嫌悪いみたい。特に眉間の皺あたりがぷにぷに」
「つまむな」
蓮子の腕をプラスチックのフォークで刺す。
一昔前のBCG注射を彷彿とさせる。
「メリー、容赦ない。突っ込みに愛が足りない。このままだと秘封倶楽部は解散する!」
「はいはい」
これ見よがしに嘆息するメリーを尻目に、両手を組んで、そしてそこから人差し指を伸ばす蓮子。フォークを構え荒ぶるメリー。
「本当は七年殺しでもお見舞いしてあげようと思ったんだけど、私もフォークを眼球に突き立てられたまま余生を過ごしたくはないので、普通にお薬あげちゃう」
「もらうわ」
怪しげな桃色のパッケージをした薬をとりあえず譲り受ける。
「なんて……心優しい女の子なの……蓮子……」
って蓮子が言ってた。
「へえ」
「スルーされても泣かない、だって女の子だし、おなかすいた」
「本音がダダ漏れしてるわよ」
「ちょっとケーキ50個持ってくる!」
「ちゃんと食べ切りなさいよ」
「ふ……、貴女、一体誰に話しかけていると思ってるの? この宇佐見蓮子が、みずから口にしたことを反故にするだなんて……。たとえ天地が引っ繰り返っても、おなかすいたー」
蓮子は走り出した。飽きたらしい。
相変わらずの自由人である。
「ていうか、最先端技術ってそういうことかよ……」
睨む相手もないまま、薄目になる。
蓮子が言う七年殺しとはつまり俗に言うカンチョーであり、彼女が本気でそれを実行する気があったかどうかはともかく、ある程度はメリーの体調を心配していたことは疑いようもない。それは薬を用意していたことからも明らかである。
というかまず薬の方を先に出せと。
「しかも何なのこの薬……何も印字されてないし……」
緑色の錠剤が不安を掻き立てる。
試しにフタだけでも開けてみようかと、メリーが左の手のひらに力を込めた、そのとき。
「ふッ、ん……!?」
開かない。
あまりに抵抗が強かったから、左足を踏ん張りすぎて若干腰が持ち上がる。中腰になりかけた身体を何とか椅子に戻して、メリーは手の中に収まったケースをまじまじと見つめた。
「まさか、これ開ける時にお腹に力が入るから、とか……」
何となくありそうで困る。が、別に過度の期待をかけていた訳でもなし、ここは蓮子の策略に嵌まってあげることにしようと、メリーは心持ち腹筋に力を込め、腕を巻きつけるようにケースを握り締める。
「ふ、くぅ……ッ!」
きつい。
うっすら呻き声を上げている時点でかなりみっともないのだが、ここまで来たら引き下がる訳にもいかない。駆け出したらゴールテープを切るまでは全力で駆け抜ける、それが秘封倶楽部創設者の宇佐見蓮子が語る人生訓であるとかないとか、そこまではメリーもタッチしていないけれど。
かぽ、と気さくな音を立ててケースはメリーの手の内で開放され、静かにその全容を露にしようとしていた。
「どれどれ――――」
握り締めたフタを離し、中身の錠剤を覗き込むメリー。
一秒と持たず、即座にフタを締め直すメリー。
直後にキリキリと痛み出すメリーの腹部。下っ腹と言わず、小腸と言わず、盲腸までも軋みを立てているのではないかと言わんばかりの鈍痛。×鈍痛。
頑丈にフタを締めたケースを置き、よろよろと席から離れる。そこへ、ケーキを山積みにして帰ってきた蓮子と鉢合わせたメリーは、屈託のない笑みを浮かべる蓮子のお腹をとりあえず殴った。しこたま殴った。
「痛い、痛いわメリー、でも私は腹筋を鍛えているのでメリーの鉄拳といえども全く意に介さない」
「何あれ!? すごく臭いんだけど!」
密着した状態で蓮子の脇腹をボスボス殴りながら、それでもメリーは涙ながら語り続ける。よほど臭かったらしい。
「あ、やっぱり開けちゃったんだ。まったく、メリーったらいけない子ね……?」
「この際いけない子でも何でもいいから、とにかく早くあれの説明をお願い早く」
蓮子の胸倉を掴んで前後に揺らすメリーの鬼気迫る表情にも、蓮子は全く動じない。
白い巨塔と化した小皿を手に微動だにしない蓮子のバランス感覚もさることながら、これ本当に全部食べるつもりか怪しいもんだとメリーは薄れゆく意識の片隅でそんなことを考えた。
「そんなことよりトイレ行った方がいいんじゃないかしら。宇佐見家擬製七草粥マスターエディション錠剤タイプ100錠入り2980円だから、匂いだけでも三回は行ける」
「うさ……!?」
――ぐぎゅるるる。
突如、何かしらを捻りたおしたような音が轟き、たまらずメリーは蓮子から腕を離して一目散にどこかへ立ち去って行ってしまった。無論、激走すると致命的なので小走りで、ものすごく良い姿勢で。
友人が消えたカフェに佇み、蓮子は亡き戦友を憂うように静かに笑う。嵐は去った。後片付けは掃除屋の役目である。蓮子はテーブルに腰掛け、山積みになったケーキを小皿に取り分けた。勿論、ひとりで食べるためである。
宇佐見蓮子に隙はない。
「これぞ、七年殺し……」
春の七草が腹に溜まった憂いを殺す。その呪いは七年に及び、対象のお腹を綺麗に仕上げる。
そもそも公衆トイレの半径3メートル以内に生えていそうな草が主流なのだから、便通に効果があるのも頷ける。その真相を口にすればきっとメリーは蓮子を殺しに来ると思ったので、蓮子は当たり前のように口を閉ざしていた。然るべき処置である。実際そこに生えているものを摘んだわけではないのだから罵倒されるいわれもないわけだし。
「さて」
蓮子は、テーブルに所狭しと並べられたケーキの群れを前に、戦慄にも似た震えを覚える。
椅子に座り直し、お尻の位置を確かめる。美味しい食事は正しい姿勢から。
蓮子は改めて手を合わせた。
「いただきます」
先程、メリーが蓮子の腕に刺していたフォークを高々と掲げ、蓮子は天に祈った。
どうか、このケーキを食べ終えるまで、メリーが帰って来ませんようにと。
SS
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