この世でいちばんさとりさま
あたいのご主人さまはあまり目付きが良い方ではない。別に目が悪いわけでもないのだが、かといって性格が歪んでいるからだと断じるのも失礼極まりない。
「聞こえていますよ」
ごめんなさい。
「謝ればいいというわけでも……まあ、いいですけれどね。自覚はありますから」
なら額をギリギリ掴むのやめてください痛い痛い痛い痛い。
現状、猫の姿をしている自分は格好の嗜虐対象である。原因はあたいにあるのだけど、もう少し手加減というものを覚えてくれると有り難い。
「割れたら考えます」
割れる前にお願いします。
「ところで、あなたの仕事は済んだのかしら。記憶にある限り、ずっと私の膝の上にいるようだけど」
「にゃーん」
「猫撫で声ですね」
ばれたか。
「まあ、いいですけれど」
ご主人さまはたまに優しい。あとはよくわからない。でも、悪いひとではないと思う。そもそもひとではないけれど。サトリという生き物がそれほど嫌われるものなのか、とも思う。
でも、人間にはそうなのかもしれない。
あたいたちはこんなに好きなのに、わからないものだ。
ああ、もったいない。
ご主人さまの膝の上は、こんなにもあったかいのに。
「あなたも」
「うにゃ」
丸くなったあたいのからだを、さとりさまの手のひらが撫でる。きっと笑っているんだろう、目を瞑っているからその顔は見えないけれど、そんな気がした。
「あたたかいわ。とても」
それは、とてもうれしい。
「温かすぎて、引き剥がしたいくらい」
ふと、首根っこを摘ままれそうになって、抵抗の意味を込めてにゃあと鳴く。
「冗談ですよ」
ほっとする。この流れで引き離されたら、恨みのあまり呪ってしまいそうだ。
「それは怖いですね」
冗談ですよ。
「ふふ」
さとりさまの笑顔には、いろんな意味が込められている。喜びだったり、嘲りだったり、悲しみや怒りを通し越して笑ってしまったり、いろいろだ。
残念ながら、あたいにはそれらの見分けが完璧に付くわけじゃない。わかるにしても、なんとなくだ。大抵、さとりさまの考えていることはなんとなくわかる。口に出さなくても、表情や仕草から、なんとなくそうじゃないのかなと理解できる。
時には間違っていることもあるけれど、でも、大体は合っていると思う。
というより、さとりさまがあたいたちの考えていることに合わせてくれているのかな、とも思う。あたいたちの考えていることがわかるから、あたいたちがそう在ってほしいと思ったとおりに、さとりさまが振る舞っているだけなのかもしれない。
こればっかりは、本当にわからないことだけど。
問い詰めても、本当のことを答えてくれるさとりさまじゃないし。
「さあ、どうでしょうね」
「にゃー」
「考えなさい。何も、全て間違っているわけではないから」
ずるいなあ。
はぐらかすのが上手いさとりさまだから、いつもこうしてなあなあで終わる。
あたいもそのうち、考えるのを諦めてしまう。考えることを忘れてしまう。
さとりさまの膝があまりにもあったかいから、ふとした拍子に、深い眠りに落ちてしまう。
……ああ、またこれだ。
おくうのことをさんざんにバカにしておいて、いざ自分がさとりさまに抱かれていると、いつもこんなふうに眠ってしまうんだ。
話したいことがいっぱいあるのに。
やっと話せるようになったんだから、昔の自分ではわからなかったさとりさまのことを、もっといっぱい知りたいのに。
「いいのですよ」
ほら、またこれだ。
この声と、お腹を撫でる手のひらが柔らかいから。
「ちょっと考えたくらいで、ちょっと話したくらいで全てわかってもらえるほど、短い生を送っていたわけではありませんから」
――こんな私ですけれど、ね。
そう、さとりさまは付け足して、また笑った。そんな気がした。
かくん、と首が落ちそうになる。そろそろ、限界が近くなってきた。子守唄でも歌うように、さとりさまが何か呟いたけれど、はっきりとは聞き取れなかった。
「にゃーん」
「おやすみなさい」
おやすみなさい。さとりさま。
今が昼か夜かはわからないけれど、猫は眠るのが仕事だから。起きた後はきちんと働きますので、またよろしくおねがいします。別に額を掴んで起こしてくれなくても、ひげや尻尾を引っ張らなくてもちゃんと起きます。
「ふふ」
だから怖いですって。
お邪魔になったら、膝の上からあたいをどかして、どこか行きたいところにでも。
もし構わないのなら、ずっとあなたの膝の上にでも。
こんなあたいを、気の済むまで置いて頂ければ。
「さあ、どうでしょうね」
ああ、ほんと、ずるいんだから。
SS
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2010年6月24日 藤村流 |
東方project二次創作小説 |