さとのね

 

 

 

 誰もいない山からお経が聞こえてくる、マジ怖い、という相談を受けた私だったが、山なんだから妖怪くらいいるだろ、大の男がいい年こいてビビってんじゃないわそんなだから嫁さんもできないんだよ、と声を大にして言いたかったが言ったら多分泣くのでやめた。
 しょうもない相談を安請け合いするほど暇でもないので、その場は適当にあしらったのだが、他にもその手の話を振られることは何度かあった。阿礼乙女だから妖怪に詳しい、ひいては人間と妖怪の調停役だ、などと思われると嬉しいやら何やらだが、下手人について心当たりがないわけではなかった。
 お経と聞いて咄嗟に思い浮かんだのが、お寺だったという単純な話だが。
 そんなわけで、花屋に寄ったついでに、私は命蓮寺に足を運んでいた。
「うわ……でかっ」
 里の中心部から外に外れていく道を歩いて行くと、命蓮寺のものと思われる塀が姿を現す。持ち主の純粋さを如実に表現しているようなそうでもないような、とりあえず、そこいらの落書き小僧が見れば創作意欲を掻き立てられて小洒落た幾何学模様でも書き殴りそうな存在感はあった。
 それでも悪戯小僧の魔の手に掛かっていないあたり、威光が行き届いている証拠だろうか。毎朝、落書きされた塀をせっせと磨いている健気な尼がいるだけなのかもしれないけれど。
 背伸びをしたところで中の様子は拝めそうもないので、潔く正門に回ることにする。これだけ大きな寺院なのだから、掃除当番のひとりやふたりはいて然るべきだろうと踏んでいるのだが。
 私たちは、塀の角から正門のある方を覗きこみ――。
「ぎゃーてーぎゃーてー」
 はたして、それはいた。
 犬らしき耳を生やしたのがひとり、般若心経らしき文言をやたら楽しげに口ずさんでいる。手には箒を持ち、大して汚れてもいない門前をせっせと掃き続けている。声も動きも無駄にノリが良く、声を掛けるのが躊躇われてしまうくらいだ。しかし、独り言とは思えないほどの大きな声で般若心経を唱える、という属性が私の考える犯人像と綺麗に合致していて、ここで引き返すのはあまりに勿体なく思えた。
 別に、独り言を辞めさせる権限もないし、どうせ暇潰しなのだから気楽に行こう。
 そう思って、私は一歩前に踏み出した。
「あっ」
 声を出したのは、門前の娘の方が早かったようだ。おそらくは妖怪だろうが、こういうのは怯んだり隙を見せたりした方が負けだ。見た感じ、耳をぴこぴこ動かす程度の反応だし、いきなり殴りかかってくることもあるまい。
 だから。
「こんにちは!」
 ――いきなり大声で挨拶されて、耳がキーンとしてしまったのは、油断していたというほかない。
 不覚。
「……こんにちは?」
 耳を塞いだ私を覗きこんで、不思議そうに挨拶を繰り返す少女。
 特に悪気はなかったようなので、とりあえず返事だけはしておく。
「……こんにちは」
「こんにちは!」
 うるさい。
 加減というものを知らんのか、この子は。
 耳鳴りが収まるのを待って、ぴこぴこ耳を動かしている少女に尋ねる。
「……ええと、あなたは、命蓮寺の関係者?」
「そう! 幽谷響子です!」
「そう、響子。ちょっと、声を小さくしてくれませんか。うるさいので」
「んー……、無理です!」
 無理だった。
 期待はしてなかったけど。
「あー……」
「あー」
「……うーん」
「うーん」
 話が進まない。
 どうしようか、と腕組みしても明確な答えは出ない。響子の方は面白がっているようなので、犬を躾けるように厳しい態度で臨んだ方がいいのかもしれないが、それはそれで変な評判が立ちそうだから困る。
「響子」
「きょーこー」
「それはいいから」
「はーい、わっかりましたー」
 悪びれる様子もないので、とりあえずほっぺたを抓っておいた。
 私は我慢強い方ではないのだ。
「いひゃい」
「名前くらいは聞いたことあるかもしれませんが、私は稗田阿求と申します。以後、阿求とでも何とでも好きに呼んで」
「あひゅー!」
 抓られてもめげない子である。まあ、妖怪なのだから人間よりは頑丈だろう。多分。
 そろそろ抓るのにも飽きてきたので、わざと勿体ぶって指を離す。ほっぺたが柔らかったせいで、餅みたいにぷるんと弾けてぱちんと音がしたみたいだった。
 本人は、「うーっ!」と唸りながら恨めしそうにこちらを見ている。
 人間を甘く見るからである。
「暴力反対!」
「そうですか」
「やはり妖怪は虐げられていた! 聖の言ってたことは本当だった!」
「聖……ね」
 ぎゃーぎゃーと喚く響子を尻目に、彼女が発した言葉の片隅から命蓮寺の内側を探る。適当に誘導すれば簡単に情報を引き出せそうだが、今回はただの暇潰しであるし、件の犯人も目の前にいることだし、余計なことはしないでおこう。
「わん! わん!」
 いつの間にか犬になっていた。
「……薄々そうじゃないかって思ってたけど、犬なの?」
「ちがうよ! やまびこだよ!」
 やまびこらしい。
 しかしながら、この手の幼い妖怪にありがちなことだが、どんなに怒っていてもその怒りがあまり伝わらないくらいの可愛らしさである。そのあたり、妖怪にすれば致命的な問題ではなかろうかと思うのだが、どうか。
「うー……!」
「落ち着きましょう」
「先に手を出したのはそっちでしょー!」
「骨あげますから」
「え、ほんと? ……って、犬じゃないんだってば!」
 そうは言いながら、耳のぴこぴこ具合が彼女の期待を暗に示している。やまびこって犬だったかな。明示はされてなかった気はする。
 これ以上押し問答を続けても、お互いに得られるものはない。
 それでも私は、袖の下から何かを取り出す仕草を見せて、そんな小細工には引っ掛からないもんと言わんばかりにそっぽを向く響子に対し、若干勿体ぶってから、素早く手を引き抜き、明後日の方向に力強く解き放つ。
「!?」
 空になった手の指し示す方に呆気なく視線を持って行かれる響子だったが、どうも私が何かを放り投げる振りをしていただけだということが解ると、ぎこちなく目線を戻す。そして、にやにや笑っている私に焦点を合わせ、たちどころに顔を赤く染めて、言い訳その他を口にする前に箒を振り上げていた。
 まずい。からかいすぎた。
 流石に、妖怪の膂力から繰り出される攻撃を素直に喰らえば、貧弱な少女などひとたまりもない。
 さて、どうしたもんか――。
「……全く」
 一触即発の現場に、小さな影が音もなく舞い降りる。
 溜息と共に現れた少女は、おおよそ私たちと似たり寄ったりの体型だったが、目付きはなかなかに鋭く仕上がっている。半月状の耳と、細長い尻尾や全体的に灰色がかった配色を見るに、彼女が鼠に属する妖怪であろうことは容易に想像できた。
 加えて、彼女の登場に伴い、響子が慌てて箒を止めたことを加味すると、おそらくは彼女も命蓮寺の関係者なのだろうと推察できる。
 その証拠に、彼女は私と響子を見比べると、まずは響子に向けて面倒くさそうな声を投げた。
「……響子。君も、昨日今日入信したわけではないのだから、もう少し後先を考えて行動できないものかね」
「だってー……」
「襲うなら、せめて境内に誘いこんでからにしたまえ」
 証拠隠滅はよくない。
 とはいえ、妖怪である限りは多少の攻撃性は秘めて然るべきなのかもしれない。命蓮寺が妖怪を守るという立ち場にある以上、妖怪らしさ、人間からの畏怖、畏敬の念を尊重していると考えるべきである。
 鼠の妖怪は、ふてくされる響子から私へと視線を返した。
「さて、あまり面倒を起こされると困るのだが」
「それについては、申し訳ありません。少々遊びすぎました」
「ふむ……気持ちはわかるが」
「わかるんだ……」
 響子はしょんぼりしていた。
 妖怪鼠が慰めるように髪の毛を撫でようとすると、慰めなんて要らないわとばかりにその手を振り払ってぎゃーてーぎゃーてー唱え始めた。相変わらず、声がでかい。
 先程とは気色の異なる溜息を吐いて、彼女は真っすぐに私に向き直る。その眼には、一段と強い光が宿る。
「お噂はかねがね。稗田阿求様ですね。私はナズーリンと申します」
「えぇ。ご存知でしたか」
「僭越ながら。ただの人間であれば、私も止めには入りませんでしたよ」
 微笑む。裏に含んでいるものを隠さない、正直な笑みだ。
 この、人と妖の垣根が低くなった時世において、稗田を敵に回しても大した問題はない。子どものような喧嘩で小突かれたとて、ありもしない悪評を流布するような器の小さい人間でもない、と私自身は思っている。
 ただ、この小さな諍いが、命蓮寺の内部に踏み込むきっかけに成り得るのではないか、と考えることもできる。
 ナズーリンも、おそらくはその考えに至ったのだろう。
 余計な争いの芽を摘み、無駄に腹を探られないようにした。痛くもない腹だったとしても、見られたくないものは確かにあるものだ。
「しきそくぜーくーくーそくぜーしきー」
 気分が高揚してきたのか、響子の声も次第に高くなっていく。
 不敵な笑みを浮かべる鼠であったが、残念なことに、私はそれほど命蓮寺に興味があるわけではなかった。後々、興味が引かれることもあるだろうが、その時は今ではない。
 私は肩を竦めて、遠ざかりつつあるやまびこに目を向けた。
「最近、誰も居ない山からお経を唱える声が聞こえる、という話をよく耳にするのですが」
「……全く」
 いらんことを、と言いたげにナズーリンは息を吐く。折角の澄まし顔が台無しだ。
 彼女の視線の先には、箒を振り回して読経に耽るやまびこがいる。
「……あれでも、時には己の存在意義に悩んだりもするんだ。一応、注意はしてみるがね」
「正直、私はどっちでもいいんですけど。好きにすればいいと思いますよ、少々人間を怯えさせるくらいがちょうどいいでしょうし」
 怯えているのがもっぱら良い年こいた大人というのも、私が肩入れする気になれない理由のひとつではある。これが花屋の一人娘のような可愛げのある少女たちであったならば、気合の入り方も多少は違っていたのだが。
 私の投げやりな態度を見て、彼女は安堵したようだった。
「そう言ってくれると、こちらも助かる」
「ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみー」
「本当に悩んでるんですかね、あれ」
「たーしんきょーかんじーざいぼー」
「たまに、ね」
 彼女はそう付け加えて、くるくる回っている響子を手招きする。初めは自分の歌声に酔っていて手招きにも気付かなかったが、切りの良いところで自分が呼ばれていることに気付き、やや照れくさそうにぱたぱたと駆け寄ってきた。
 私と目が合うと、途端に目付きが悪くなった。ううむ、ここは私から歩み寄らねばなるまい。こほん、とわざとらしく咳払いをして、おもむろに右手を差し出す。きょとんとする響子に、私はにこやかに笑いかけた。
「お手」
 思いっきり払いのけられた。
 渾身の一撃だった。
「どうどう」
「ばか! 阿求のばーか!」
「どうしましょう。貧弱な語彙で力いっぱい罵られましたが」
「完全に面白がってるだろう、君……」
 確かに。
 しかしながら、いくらからかい甲斐があるとはいえ、流石にやりすぎた感はある。箒を振りかざして威嚇の体勢を取る響子に対し、謝罪の意味を込めて頭を下げる。
「ごめんなさい。あなたが可愛くて、つい」
「……もう、騙されないんだからね」
 それでも、可愛いと言われて耳がぴくっと動いてしまうあたり、自制心が足りていない。一方のナズーリンは、腰に手を当てて我関せずの姿勢を保っている。こちらは、敵でも味方でも大して態度が変わらないらしい。器が大きいというかなんというか、自分の姿を鏡で見ているようで、何となくやりにくい。
「響子」
「あっ」
 ナズーリンに呼びかけられ、響子は束の間にしかめっ面を解く。彼女たちの中にも先輩後輩の序列はあるようで、ある程度は言うことも聞いてくれるようだ。
「近頃、山からお経が聞こえてくるという噂が立っているらしい」
「あ、それ私だよ。知ってた?」
「うん。大体わかってるんだが、あんまり悪びれる様子がないと、ここに怖いお姉さんがいるからね」
「……おねえ、さん?」
 どうもお姉さんです。
 体型的にちっともそうは見えないとか、響子の訝しげな表情を見れば聞かなくてもわかる。でも、ナズーリンの見解は決して間違ってはいない。稗田阿求、阿礼乙女の話は追々、ナズーリンから説明があると思うので、私から特に言うことはない。
「別に、やめろと言いたいわけではありません。そんな権限もありませんし、力ずくで承服させられるほど強くもありませんしね。ただのお願いです。ちょっとうるさいので、少し声量を下げてくれると嬉しいかな、という程度の四方山話ですよ」
「……そういうお願いは、仲が良い相手にするものじゃないの?」
「友達じゃないですか」
「友達はいきなりお手しろなんて言わないよ!」
「おかわり」
「同じだー!」
 またもや全力で払いのけられる私の右手。可哀想。
 例の『ち』から始まる行為を強要しない私の優しさに触れられてもおかしくない頃合いなのだが。ナズーリンもなかなかどうして察しが悪い。
 私と響子の仲を取り持つように、ナズーリンは私たちの間に割って入る。
「君たちは、どうしてこう……まあいい。誰にも相性というものはある」
「ご面倒をお掛けします」
「全くだよ」
「ナズーリンどいて! そいつ殴れない!」
「やっほー」
「やっほー」
 律儀にやまびこを返した後で、ハッと我に返る姿が微笑ましい。ナズーリンも少々呆れ顔だが、どちらに呆れているのかはわからない。両方かもしれない。
 唸り声を上げて威嚇する響子に、これ以上の説得は無意味だと判断した私は、自分から一歩後ろに退いた。自然とナズーリンが響子の前進を阻む形になっているため、この場を立ち去るのはそれほど難しくない。
 発つ鳥跡を濁さず、というわけにはいかなかったけれど。
「そういうわけですので、よろしくお願いしますね」
「ばーか! ばーか!」
「前向きに検討しておくよ」
 やる気のない返答と、力強い罵声に押されるようにして、私はその場を後にした。響子の大声は、私が角を曲がった後もしばらく響き渡っていて、途中ナズーリンらしき人物に口を塞がれて静かになった時もあったが、程無くするとまた元気な声が聞こえてくるのだった。最後は「いたいっ!?」と叫んでいた気がする。怒られたのか。怒られたんだろうなあ。
 白い壁に手を付いて、彼女が発したであろう絶叫の残響を思う。無論、指で触れたところで共鳴など得られるはずもないのだが。この壁を磨いているのが響子かもしれないと考えたら、何故だか無性に落書きしたくなってくるから不思議だ。
 立ち止まって、腕を組み、首を傾げて。
「いじめっ子……なのかなあ」
 この件に関しては、認めざるを得ないかもしれない。
 傾きかけた太陽を背にして、私は再び歩き始めた。
 憤怒に満ちたやまびこの顔を思い浮かべて、いつか必ず訪れる彼女の襲撃を如何にしてやり過ごそうかと、慎ましくも邪な考えを巡らせながら。

 

 後日。
 バカでかい声に目を覚ますと、その正体はお手伝いさんでも犬でも鳩でも鶏でもなく、どうやら般若心経であるらしいことが判明した。
「……あの犬」
 早朝である。私は可能な限り惰眠を貪っていたい性分なのだ。
 わりと近所迷惑なので、門前で読経を続けるやまびこのほっぺたを抓り上げようとしたら、逃げた。
 速い。
 速すぎる、と思ったら、何かに躓いて、こけた。
 言わんこっちゃない。
「…………っ」
 あぁ、むちゃくちゃ涙こらえてる……全力疾走だったもんな……。
「……はぁ」
 妖怪鼠のように、溜息をひとつ。
 私が近付いて行ってもまた威嚇されるだけとは思うが、かといって無視するのも気が引ける。うずくまり、じっと痛みに耐えている響子のところへ、わざとらしく足音を響かせながら、ゆっくりと近付いて行く。
「ひゃっ!?」
 振り返り際に彼女が見せた、まるで悪魔にでも会ったかのような形相に、私は苦笑するしかなかった。

 もう、いじめっ子でいいです。

 

 

 

 



SS
Index

2011年8月30日  藤村流
東方project二次創作小説





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