柱のきずも いくとせの

 

 

 

 魔理沙がひょんなことから霊夢の衣装を着ることになったその根本となる「ひょん」の部分を追究するというのは、あまりに無粋というものである。
 何故なら、借用する魔理沙も貸与する霊夢にしても、追究者を納得させるだけの確たる理由が思い浮かばないのだから。
 あえて言うなら。
 なんとなく、だ。
 伝家の宝刀である。
 退屈しのぎ、遊びと言い換えてもいい。それを中心に、彼女たちの日常は円滑に回っている。軽やかに、滞りなく。
「――なあ」
 魔理沙は、窮屈そうに腰を回しながら提言する。
「何よ」
「これ、ちょっときつくないか?」
「どこが」
「胸」
 霊夢はたいそう驚いた。
 状況を整理すると、魔理沙は霊夢の寝室にある姿見の前で当人が扇情的だと考えているらしい姿勢を取っている。居間では萃香が寝転んでいる。起きる気配が全く感じられないのは、霊夢が強制的に黙らせたからだ。合掌。
 一方の魔理沙は、この界隈では比較的露出度の高い服装に身を包んでいる。堂々と、恥ずかしげもなく身をくねらせている魔理沙の態度は、常日頃からその格好を貫いている霊夢と対極にありながら、羞恥心がないという意味でほぼ同質だった。
 確かに霊夢が普段着用している衣装は臆面もなく腋がおっぴろげになっている楽園仕様だが、だからと言って着ているだけで見る者の脳髄を焼き切るような都合のいい妖艶さが炸裂することはない。
 金髪碧眼の魔理沙が和の象徴とも言える巫女の衣装を纏っている、それは和洋折衷の稀有な成功例であろう。しかしながら、魔理沙の体躯は未だ未熟であった。その身体の内に秘められた成長因子は計り知れないけれど、この段階で霊夢か魔理沙かという決断を迫るのは早計である。
 魔理沙は紅白の衣装の下にサラシを巻いている。はじめ、霊夢はそれが息苦しいのかと思ったが、尋ねてみるとそうではないらしい。
 つまるところ。
「……胸焼けがするとかそういうんじゃなくて?」
「まあ、霊夢が認めたくないならそれでいいけど」
 余裕の表情だった。
 無論、胸を反らしたからと言ってたぷんなどという擬音が霊夢の脳内に反響することはないけれど、魔理沙の言葉によって導き出される結論はひとつだ。
 襦袢一枚の霊夢は、当たり前のことと知りながら、成長期にある同年代の少女にかすかな羨望を抱いていた。
 下唇を食み、上目遣いに魔理沙を見る。
 長い付き合いだ。
 彼女だって、それなりに伸びるところもあろう。
 それはいい。それは認める。
「どうだ、認める気になったか」
「そんなの、認めるも認めないもないじゃない」
 強情だなぁ、と腰に手を付く。
 巫女の格好をしていようが、魔理沙の不遜な態度は変わらない。
 左の肩から胸に流している三ツ編みも、遮るもののない川のように澄み切った髪の毛も、宝石を丁寧に加工して嵌め込んだと思わせる蒼い瞳も、何も変わっていない。
 外見を如何に取り繕おうとも、内面が変わらなければ意味はないのだ。
 そう思えば、身体の成長もどうということはない。
 優劣が付けられるのは癪だが、高ければよい、育っていればよいということもない。
 誇り高くあれ。
 だが魔理沙は己の胸にぽんと手を置き、無邪気な笑みをこぼしながら揚々と告げる。
「霊夢も早く成長してくれよ。じゃないと、これを着て遊べなくなるから」
 な、と念を押す。
 知ったこっちゃねえ、と霊夢は吐き捨てるように目を逸らし、そこいらに脱ぎ捨てられた魔法使いの衣装に目を留める。
 ……胸のところだけぶかぶかだったらどうしよう。
 見た目はそう大差ないが、それは十分に起こり得る悲劇であった。たかが個人差、されと個人差である。
 成長を舐めてはいけない。
「着るか?」
「いやだ」
 断った。当たり前のことだ。
 魔理沙は笑いをこらえている。不愉快だったが、喧嘩にはしたくなかった。一方的な逆恨みだと知っているからだ。
 外はまだ十分に明るいけれど、障子を閉めているから部屋の中は薄暗い。夏場ならば地獄だが、秋口には涼しい限りだ。
 遮られた光の中で嫌味ったらしく微笑む魔理沙が、少しばかり遠く感じられる。
 スタートラインはほぼ同じ。時に争い、時につるみ、時に呑んだ。なんら変わり栄えのしない日々だった。
 そこに、段差がつく。
 優劣でも距離でもなく、ただの差だ。だが、差は差だった。その分だけ、彼女が遠い。
 それだけのことだ。
 だから、ため息だけ吐いておいた。
「なんだ、負け惜しみか?」
「もう、それでいいわ。きついなら早く脱ぎなさいよ。私もずっとこの格好でいるわけにもいかないし……火急の用が入ってきたら、困るじゃないの」
「その時は、ほれ」
 白黒の衣装を指差す。霊夢は首を振った。
「その時は、魔理沙が博麗霊夢をやってくれる?」
「あぁ、いいぜ」
 ためらうこともなく、魔理沙は胸を叩いた。
 たぷん、という乳音はしなかったが、どすん、という濁音もなかった。魔理沙が遠い。
 試しに自分の胸も叩いてみようかと思ったが、自粛した。結果は知れている。
 自然と遠い目になる霊夢を、魔理沙は不思議そうに見つめていた。
「……まぁ、これ以上霊夢を追いつめるのも本意じゃない。そろそろ脱ぐわ」
「それ、時と場合によっちゃ相当な爆弾発言よね……」
 この場に男子がいないことを幸運に思う。
 あるいは、それもまた近い未来に起こり得る当たり前の喜劇なのかもしれないけれど。
 魔理沙は、素っ気なく答える。
「構わんだろ。どうせ、隠れて見てるような輩は面が割れてるんだし」
「まあ、ねえ」
「じゃあ、次は私が着るね」
「おう――」
 求められて、声のした方に振り返る。
 第三者の闖入はよくあることだから、いちいち驚いている暇はない。それはむざむざ付け入る隙を与えることになる。だが、魔理沙と霊夢は驚愕した。繰り返すが、第三者の来訪そのものに、ではない。
「いつもの私だと、衣装がぶかぶかになっちゃうのは分かり切ってるからね。ちょっと調整してみたよ」
 障子を開き、日輪の輝きを背に纏い、現れたのは伊吹萃香だ。
 だが、普段の萃香ではない。
 密と疎を操る能力を活かし、霊夢を超え、魔理沙を超える成長を遂げた――成人版とも言うべき伊吹萃香が、そこには君臨していた。
 萃香は、彼女たちの態度に首を傾げる。細い瞳が凝らされ、なめらかな眉間に幾筋かの皺が寄った。
「うん……? あれ、そんなに驚くことかな。これも、ここじゃあ日常的に起こり得る現象でしょうよ」
 障子に背中を預け、相も変わらず瓢箪を傾ける萃香の頬はほのかに赤らんでいる。髪と角の長さは変わらず、身長が五割以上伸びた。手足の長さも同様に伸び、その分だけ布の面積が不足し、露出する部分が増えている。
 元よりざっくりと腋が空いた衣装であるから、着こなした当人が劇的に成長すれば素肌をさらす面が劇的に増えるのは理に適っている。
 足首を覆い隠していたスカートも、今は膝が隠れるかどうかすら怪しい。その身を封じるように萃香をきつく締め上げている服すらも、萃香の成熟した肢体を誇示する一要素となっている。膨らんだ胸が強調され、くびれた腰が外気に当てられ、指に付いた酒を舐める舌の動きさえ艶やかに磨き上げられているようだった。
「ん……やっぱり、成体だと酔いの回る過程が違うからいいねえ。もっと強い酒でも行ける気がしてきたよ」
 はぁ、と酒臭い息を吐く。
 ぽよん、という決定的な擬音と、無邪気に上下する胸部を目の当たりにする。
 霊夢は思った。
「あー……」
 萃香が、すごく遠い。
 月とすっぽんだ。
 改めて、己と魔理沙の競合が如何にどんぐりの背比べに過ぎなかったかが思い知らされる。
 魔理沙も、堪えきれずにため息を吐く。
 そして、二人は計ったように目を合わせ、共に頷く。
 陶然と佇んでいる萃香を指差し、ほぼ同時に、お互いが感じたことを素直にぶちまけた。

 

「反則だぁ――ッ!!」

 

 遠く、カラスの鳴き声が聞こえた。

 

 

 



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2006年12月14日 藤村流

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