阿求道(入門編)

 

 

 

「おはようございます」
 おはよー、おはよー、と挨拶をしているのは里の子どもたちである。たまに何処かで見たことのある妖怪らしき影も混ざっているが、見た目は完全に子どもなので妙なことさえしなければ教室の雰囲気に溶け込める。何も問題はなかった。チルノが隣の男の子にちょっかいを掛けているのも、カウンター気味に鼻を摘ままれているのも、ごくごく有り触れた展開といえた。
 稗田の屋敷の一室を教室として作り変え、多くの人妖が会場に集まれるように施した。何があってもいいように、席の後ろには保護者らしき姿がちらほらと見受けられる。上白沢慧音も部屋の隅に待機し、全てを無かったことにする準備は整っている。
 さて、ある意味においては厳戒態勢ともいえる空間の中で、教壇に立つ稗田阿求が何を語るのか、銘々の視線が阿求に集まる。
「……こほん」
 わざとらしく咳払いをし、場の雰囲気を整える。
「本日はお忙しい中、足を運んで頂き、まことにありがとうございます」
「硬い硬い」
 何故か最前列に腰掛けている魔理沙が茶々を入れても、阿求は一瞥さえくれずに話を続ける。
「皆様の中には、妖怪との付き合い方に悩んでいる、あるいは人間とどう接していいかわからない、という方もいらっしゃるかと思います。今回、そういった方々に少しでも親交を深めて頂きたいという願いを込めまして、私なりの付き合い方というものをお話させて頂きます。ご清聴のほど、どうかよろしくお願い致します」
「おー! いいぞー!」
 言うが早いか、席の後方から野次に近い声が飛ぶ。阿求が外見年齢にそぐわない冷徹さでそちらを睨めば、チルノが素知らぬ顔で口笛を吹いていた。でも吹けてない。
 チルノが大妖精に耳を引っ張られているのを確認したところで、阿求は朗々と喋り始める。
「まず、人と妖の違いからお話しましょう。人の寿命は、妖のそれと比べても遥かに短い。寿命という概念すらない妖もいるほどです。妖精などは、むしろその類ですね」
「へぁ……?」
 痛む耳を押さえながら、妖精のチルノが前を向く。何やら周囲の視線が自身に集まっていることを知り、気丈な瞳がその数に気圧される。
「な、なによ」
「とまあ、外身は基本的に人間と同じ場合が多いです。中には、獣の耳があったり、羽や尻尾が生えていたりということもありますが、そのあたりはおまけのようなものです。許可無く触ると嫌がられるのは、人間も同じですね。性感帯かもしれませんから、訴えられないように注意してください」
「どれどれ」
「ひゃあぁッ!」
 霊夢が隣の席にいたミスティアの羽を掴み、穏やかだった教室に一瞬の嬌声が走る。自由人である。
「そこ! 淫行に走らない!」
「いや淫行じゃないし。ほら」
「きゃぅん!」
 懲りない霊夢とびくびく震えるミスティアとをどうしたものかと阿求は頭を抱えたが、厳かに歩み寄るゴッド慧音が霊夢に渾身の頭突きを食らわせたことで、教室に神がかり的な静寂が舞い戻った。
 ふるふると震えるミスティアを慰めるリグルの構図に何か美しい友情のようなものを感じながら、阿求は脱線しかけた講義を元に戻す。
「……えー、このように、人と妖が触れ合うためには、お互いがお互いを解り合おうとする心、理解が必要であるわけですね。でないと、思わぬ攻撃に遭ったり、予想外の反応をされたりすることもあります。どうせ人の気持ちなんて解らない、妖の気持ちなんて理解できない、と諦めてしまう前に、言葉を交わすことから始めましょう」
 そうですね、と一呼吸おいてから、阿求は続けた。
 雑談にふけるものもなく、人も妖も妖精も、ただ阿求の言葉に耳を傾けている。眠そうにしているものも、机に落書きをしているものもいるが、講義の邪魔になることはしない。
「私が最初に『おはようございます』と言い、ここにいる方々がそれに応えてくれた。たったそれだけでも、人の声は妖に届く。妖の言葉を聞き、人はその意味を理解できる。まず、声を掛けることです。面倒臭がって、近付くことそのものを避け、話すことをやめてしまっては、距離など縮まるはずがありません。きっと解らないだろう、という思い込みは、実のところ幻想に過ぎません。当たり前じゃないですか、相手のこともよく知らないのに、どうして相手のことを解ったようなことが言えましょう」
 これは、人のみならず、人と人の関わり合いにも通じる話だ。教室にいる皆は、隣にいる者を見、後ろにいる者を見、種族の違い、年齢の違い、性別の違い、容貌の違い、身丈の違いを確かめる。
 彼らはみな、それぞれに何かが違う。
 でも、心の底の何かが通じ合ったから、この場所に集っているのではないか。
「あなたがもし、やむをえず夜に里を出て、道で妖怪に襲われたら。まず声を掛けてみてください。言葉が通じなかったら逃げましょう。でも、もし声が届いて、返事が返ってきたら。妖怪がみんな、お腹を減らしているわけじゃありません。誰もがみな、人間を襲いたくて仕方がないわけじゃありません。まあ、中にはそういう方もいらっしゃるかもしれませんが、幻想郷の今を生きる妖怪が、みんなそういう生き物なのだと考えるのは早計でしょう。時代は変わっていくのです。私たちが住んでいるこの場所も、少しずつ、見えるところも、見えないところも。だから」
 すぅ、と息を吸い、短く瞬きをして。
 教室にある全ての瞳が、そして幻想郷に生きる全ての者の瞳が、近く、遠く、阿求を見つめている。
 阿求は全てを見る者である。幻想郷を、そこに生きる全てのものを。悠久の時を経て、幻想郷縁起に自身の声を綴り、後の世に在りし日の幻想を伝えていく。阿礼乙女は世界を繋ぐ。稗田阿求もまた、過ぎ去った世界と、ここにある世界、そしてこの先にある世界を繋いでいく。
 大それた役割に、阿求は頬を緩ませる。別に、そんな難しいことじゃないんだ。でも、とても大切なことだと思う。
「――だから」

 愛してください。
 なんて、口恥ずかしくて言えないけれど。

「好きに、なってみてください。人と、妖と、それを含めた、世界のことを」
 稗田阿求は、教壇から一歩引き、慇懃に頭を下げる。
 静寂はいまだ、教室の中にうずくまっている。居眠りをしている者は目覚めず、落書きをしている者の筆も止まることはない。それから、誰かが思い出したように手を叩く。拍手だなんて、誰も期待していなかった。誰かが拍手をしたからといって、割れんばかりの拍手が教室を包む、なんてことが起こるはずはないと思っていた。
 けれど、ひとり、またひとり、と。
 全員が全員ではないけれど、大人も、子どもも、妖精も、人も、妖も、老若男女の区別なく、戯れに、真剣に、笑いながら、退屈そうに、それぞれに何らかの思いを抱いて手を叩く。
 柄じゃない。こんなのは、柄じゃない。本当に。
 幻想郷って、こんなに話のわかる連中ばかりだったかしら。
「っ」
 何故か、鼻がツンとする思いに駆られた阿求は、引き下がるべき教壇にあえて立ち向かい、その両手を天板に乗せた。
 拍手が少しずつ鳴り止んでいき、阿求が繰り広げる第二幕に息を潜めんとしている。やっぱり、こうでなくては。神妙な雰囲気は後に回して、人と妖とその他の生き物がわんさと集うごった煮の世界は、笑い転げるような楽しい話題が無くちゃいけない。
「さあ! お待ちかねの第二幕は、人と妖が奏でる愛の幻想詩、ハーフ&ハーフに絡んだ愛の物語を、嘘偽ることなく赤裸々に語って頂きましょう! 特別講師は、魔法の森と人間の里の境目にお店を構える香霖堂店主、森近霖之助さんです!」
「……え、僕かい?」
 いきなり話を振られた霖之助が、半ば無理やり魔理沙に引っ立てられる。組んでいたな、と彼が愚痴る声が聞こえたが、途中で観念して溜息混じりに教壇に上る。
 阿求は霖之助に教壇を譲り、自分は部屋の片隅に下がる。
 えー、と口ごもりながら、小さな声でもはっきりと喋る霖之助の姿を視界に収め、阿求は安堵の息を漏らす。途中、すれ違う魔理沙に潤んだ瞳を見られたが、阿求も、魔理沙も何も言わなかった。
 ただ、冗談ぽく阿求の頭を撫でて、髪の毛をくしゃっとして。
 阿求の肩をぽんと叩き、「ご苦労さん」と言ってくれた。
 それから、彼女は笑って、その場を後にする。阿求は笑みを返すのも忘れて、頭と、肩に残った感触を確かめていた。
「――――」
 霖之助の話は、時に笑いを交えながら、穏やかに続いている。
 いつ終わるとも知れない講義が、楽しく、姦しく、ただひたすらに響いていく。

 

 

 稗田阿求は、今、この瞬間を決して忘れることはない。
 たとえ、この命が果て、魂が時代を越えようとも。
 必ず。

 

 

 

 



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2009年1月18日 藤村流

 



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