東方たぬき合戦ぽんぽこ

 

 

 

「みのりこー! 仕事取ってきたー!」
 元気よく、しぱーんと襖を開け放ったのは秋静葉である。
「んあ……?」
 一方、掘り炬燵に脚を突っ込んで天板に突っ伏しているのは、妹の秋穣子である。ともに神様であり、静葉は紅葉、穣子は収穫を司っている。
 苗字の秋が示すとおり、彼女たちが最も元気な季節は秋である。そのため、冬の寒い時期は家に引き篭もって「昔はよかった。秋が秋でいられたから」とか何とか言いながら鬱々と日々を重ねている。
 そんな鬱屈した毎日に風穴を空ける、静葉の一言。
 さしもの穣子も、伏せた目を上向けようというものだ。
「仕事ぉ……?」
「うん、上白沢のねーちゃんから!」
 静葉も秋の神様であるから、冬の間は割合陰気な性格に堕しているのだけれど、今日に限ってはいやに陽気である。というより、穣子があまりに弛んでいるから、自分だけでも明るくいようという姉の健気な心意気が成せる業なのかもしれない。たぶん。
「仕事、ねえ……」
 ほっぺたをテーブルにぐりぐりと押し付けながら、気だるげに返事をする穣子。やる気の欠けらもない。
「そ。仕事よ仕事。別に、冬も深まるなか緩やかにじゅくじゅくと爛れてゆく私たちの生活を、里のみんながすわ一大事と変に同情して、誰がやってもいいような有志活動を斡旋してくれたわけじゃないんだからね」
「爛れてるんだ……」
「柿は熟れてるのが美味しいって言うし!」
「熟れすぎたのは妖怪になるけどね……おい指を差すな指を」
 穣子に向けられた静葉の人差し指を、穣子が邪険に払いのける。
「……で、何の仕事なのよ。一体全体」
 聞くだけならタダだし、それにすることもないので、穣子は話だけ聞いてみることにした。途端、静葉の顔がぱあっと輝くのを目の当たりにして、穣子はこの選択が正しかったことを知る。
「うん。内容はね、里の子どもたちが学芸会やるみたいなんだけど、その人手が足りないから端役で参加してほしいんだって」
「端役、ね……」
 一応は神様なのだけれど、そのあたり解っているのだろうか。不安だ。
 見るからにしゃぼくれている穣子を気遣ってか、静葉も咄嗟にフォローを入れる。
「あ、でも、わりと主役に匹敵する役どころだよ?」
「主役ではないんだ」
「そりゃ、主役は子どもたちだもん。私たちがでしゃばってどうするのよ。神様おとなげねーって非難轟々よ」
「……まあ、そうよね」
 そう言われては、穣子も口を噤むしかない。確かに、学芸会なら子どもたちが主役でなくてはならない。それでいて、子どもたちと明るく戯れる気さくな神様を演出することで、里の人々の信仰をごっそり頂こうという腹なのだ。静葉もなかなかの策士である。
「フフ……静葉もなかなかやるわね……」
「でしょ?」
 静葉も得意げにあんまりない胸を張る。
 その勢いで、高らかに劇の内容を発表していく。
「題名が、『東方たぬき合戦ぽんぽこ』っていう」
「……なんかすごくどこかで聞いたことのある題名なんだけど」
「うんまあそういうこともあるね!」
 押し切られた。
 それはそれでいいのだが、穣子は他に気になることがあった。別段、無視しても構わないことなのだが、早めに確かめておかなければ深刻な打撃を受けそうな気もする。
 小さく咳払いをし、テンションが上がってきた姉に穣子は問う。
「……で、とてもすごく嫌な予感がするんだけど、ひとつ聞いていい?」
「どーぞどーぞ」
 静葉はやけに積極的である。
 こうなると逆に聞き辛くなるのが心情というもので、穣子はしばし口の中でもごもごと言葉を転がしてから、躊躇いがちに尋ねた。
「……私の役、なに?」
「たぬき」
 即答でした。
「……」
 穣子は頭を抱えた。予想的中しやがったよ畜生。
 そういやたぬきも畜生だよね。うん別にうまくもなんともないんだけど。
「似合ってるよ!」
 まだ何もしてねえ。
「……えー、聞き間違いかもしれないから、も」
「たぬき」
「台詞かぶせんな」
 穣子は抱えた頭をテーブルに叩き付けた。ごん、と鈍い音が響くも、割れた形跡はない。穣子もテーブルも。
「あー……なんでそういうことするかなぁ……?」
 世界を呪う。
 ごつごつと続けざまに頭突きを繰り返すが、痛みが走る程度で何も変わらない。世界も、視界も、季節も、穣子がたぬきの役をやるという選択も。
「里のみんなも、穣子にたぬきをやってほしかったんだよ。きっと」
「そういう印象を持たれてたかと思うと、来年の収穫祭に行くのが嫌になるんだけど……」
「痩せれば?」
「簡単に言ってくれる……」
 細身の姉が妬ましい。
 ええい無駄にポーズを付けるな鬱陶しい。
「……ちなみに、静葉は何の役なの」
「私はね、きつねさんー。こんこん」
 こちらはあまり抵抗がないらしく、鳴き声を真似しながら手のひらで獣の耳を形作る。確かに、その金髪と細身の体躯はどことなく狐のそれを彷彿とさせる。静葉が狐というのは、里の人間も見る目がある。穣子も納得である。
 が、しかしだ。
「何故たぬき……」
「穣子、おなか見せてちょうだい」
「嫌だよ」
 いきなり何を言い出すかと思えば。
「うーん、じゃあ、ちょっと立ってみて」
「……いいけど。変なことしないでよね」
「え、しないよー」
 絶対するに決まってる。
 どこぞの白兎のような屈託のない笑みを浮かべる姉に、穣子は全方面に警戒の目を光らせておそるおそる立ち上がる。静葉との距離は十分、不用意な一撃を加えられることはまずない。遠距離の攻撃なら穣子に分があり、舌戦ならある程度は太刀打ちできる。ガタガタと風に打ち震える窓から背中を遠ざけ、掘り炬燵からの地下攻撃を避けるため、ゆっくりと布団から足を抜く。
「みのりん、なんでそんなに警戒してるの?」
「いや別に……あとみのりん言うな」
「いいじゃない、私たちしかいないんだから。みのりん」
「うあぁー! 何百年も前の呼び方するな恥ずかしい!」
「今だー!」
 よくわからないタイミングで飛び込んでくる静葉を。
「よいしょ」
 穣子は難なく抱え上げた。
「おお軽い……さすがは葉っぱの神様」
「ぐおお……作戦失敗(Bonus Failed)……」
 じたばたと足掻く静葉を見上げ、穣子はやれやれと溜息を吐く。呆れ顔にも若干の余裕が滲み出ており、達観に近いものもあるが、たぬきだなんだと意地を張るのも大人げないなと思い始めているのも確かだった。
「で、何しようと思ったのよ」
「穣子のおなか、叩いたらぽんぽこ言うかと思って」
「言うかよ」
「言うよ」
 試したんか。
 隙あらばお腹を叩こうと暴れまくる静葉が疲れてぐったりするのを待ち、穣子は困った姉を静かに下ろす。まだ何か危険な気がするので、すぐ起き上がれないよう掘り炬燵に突っ込んでから、深々と嘆息する。
「……はあ、もういいわよ。観念します」
 うつ伏せにされた静葉が、ふわふわした金の髪を乱しながら身体を転がして、腰に手を当てた穣子の姿を視界に収める。
「やるわよ。その役」
「たぬき?」
「いちいち言わなくてよろしい」
 認めたくないものだな、と己の過ちを恥じて額に指を這わせる穣子。肉体的な意味合いで。
「そっか……うん、よかった」
 腕を広げて、やんわりと笑みを浮かべ、妹を見上げる静葉は、確かに喜んでいたと思う。
 たったそれだけで、承諾した価値があったと笑えるほど甲斐性があるわけではないにしろ、姉が喜んでいるのなら、穣子も嬉しい。そういうものだ。
 ごろりと寝転がった静葉は、静かに瞳を閉じ、呼吸を整える。
「私ね」
「うん」
 静葉は、穏やかな口調で告げる。
 これは良い話なんじゃないかと、期待に胸とその他の部位が膨らむ。

「たぬきをやらせるなら、穣子しかいないって思ってたの」
「思うな」
「だから、たぬきをやらせるなら穣子しかいない! って推薦を」
「すんな」

 あんまりいい話じゃなかった。

 

 

 

 



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2008年12月31日 藤村流

 



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