パラドクス
〜第二回東方最萌トーナメントEX・秘封倶楽部支援SS〜








 携帯電話の向こうから聞こえてくる声は、非常に穏やかだった。
 だから、ついつい素っ気なくなってしまう。
 その声が温かければ温かいほど、甘えることが怖くなる。
 この不得手な感情を、一体どう評すればいいんだろう?
 精神学とやらを専攻しているメリーなら、この気持ちを理解してくれるのだろうか。

『――蓮子? どうしたの、いきなり押し黙っちゃって』
「ん……。いや、なんでもないわよ。ちょっと寒いなあ、って思っただけだから」
『そう? なら、ちゃんと暖かくしないと駄目よ。今年は雪も多いし……』
「仕方ないじゃない、梅雨に雨が降らなかったんだから。天気に文句言っても仕方ないわ」
『それは判ってるけど……』
「用はそれだけ? 人を待たせてるから、用事が無かったらもう切るわよ」
『あらそう? ……じゃあね、正月は帰ってこれる? 別に、ずっと大学にいる訳じゃないんでしょう?
 なんだかんだ言って、去年は一回も帰ってこないんだもの……。お父さん、随分寂しがってたわよ』
「うーん……。研究の進行具合によって変わってくるから、はっきりとは言えないわ。
 じゃあ、また電話するわね。お父さんによろしく言っといて」
『あ、蓮子――』

 何か言いかけた母親の言葉を、ボタンひとつで強引に遮断する。
 かといって、本当に疎ましい訳ではない。
 これも、一世代遅れた反抗期と言うべきなのだろう。多分。

「……八時十五分か」

 ビルに囲まれた四角い天球を仰いで、現在時刻を確認する。
 この時点で既に十五分遅れていることには眼を瞑ろう。
 だって、急に母親から電話が掛かってくれば出るしかないじゃないか。
 とりあえず、急ごう。
 指定した喫茶店にて、冷めかけた紅茶を啜っているメリーの姿が頭に浮かんだ。




「――ごめん! 待った!?」
「ざっと二十六分は」

 叱責ではなく、報告に近い口調でメリーが言う。
 彼女とて、本気で責める気はないのだろう。
 自分で言うのもなんだが、遅刻をしてしまうのは私の癖みたいなものなのだ。
 それもこれも、妙な能力を持っている人間の性だと悲劇のヒロインぶるのも、一種魅力的な提案ではあるが。

「うわ、結構走ったつもりなんだけどなぁ……」
「そのわりに、全然汗を掻いていないようだけど」
「仕方ないじゃない。夏と冬とでは温度が違うわ」
「息も切らせていないようだし」
「これから人と会うって言うのに、呼吸を乱したままでいるのはマナー違反でしょう?」

 私の完璧な返答に、メリーは紅茶を掻き回していたスプーンをナプキンに置き、空いた手で頬杖を突く。

「……う〜ん。破綻箇所も見当たらない、見事な詭弁ね」
「まあ、詭弁でも真実でも、信用されないんなら同じことよ。
 相手を納得させることが出来れば、ぶっちゃけ真偽そのものは関係ないんだから」

 よっこいしょ、とおばさんくさい声を出してしまったことに後悔しつつ、メリーの正面に座る。
 そこいらに突っ立っていた店員に挨拶して、いつものアップルティーを注文する。

「……じゃ、蓮子は演説の才能がないってことね」
「かもしれないわね。別に政治家目指してる訳じゃないからどうでもいいけど」
「あら。秘封倶楽部のメンバーを募集するのには必要な才能じゃない?」
「けどさ。これ以上、メンバーが必要だと思う?」

 少し迷ってから、メリーは苦笑した。ついでに私も笑う。

「……かも、しれないわね」
「そういうこと」




「……実は、遅れてきた理由のひとつは、電話が掛かってきたからなのよ」
「消費者金融? それとも、脱税かしら」
「惜しい。実家から、直通で」
「あなたの家族、前科持ちの人がいるの? 最近は物騒ねえ」
「……まあ、訂正はしないからそっちで修正してね。
 ……あのさ、メリーは自分の能力に気付いたとき、誰かにそのことを喋った?」

 至って冷静に、殊更に何も考えないように私は問い掛ける。
 私にとって、この問いには何の重みもない。今となっては。
 ただ、メリーにとってはそうでないかもしれない。その違いだけが、怖いといえば怖い。
 彼女は、空になったカップをスプーンで掻き回しながら、ぼんやりと答える。
 でも、電話の話と何の関係があるの? ――という返しの言葉は、なぜか私の想定から除外されていた。

「言ったわよ。たしか、最初は母親に……だったかしら。よくは覚えていないけど」
「そう。ちゃんと喋ったのね、メリーは」
「……その口ぶりだと、私と事情が違うみたいね。蓮子は」
「……まあ、そんな直角には違わないと思うけど。
 ただ、ね……うん、お母さんに自分のことを言ったときは、ちょっとあれだったかな。
 星を見て、時間が判るって言ったとき……。お母さんに『嘘つくんじゃないの』って言われた」

 お母さんにも、悪気はなかったと思う。
 優しい笑顔で、小さな嘘を言ってしまった子どもを窘めるような口調だった。
 嘘じゃないよ、本当なんだよ――。
 つたない主張を受け流され、泣きそうになりながらも、星を見て時間を告げた。
 ……でも、私は否定されたのだ。
 自分の能力ごと、真実ごと、他愛もない嘘なんだと一笑に付された。

「詭弁でも真実でも、信用されなかったらどっちでも一緒なのよね」

 アップルティーの残りを一気に煽って、私は昔話に蹴りを付ける。
 ところが、メリーは何故か酷く悲しそうな目で私を見詰めていた。

「……それで、悩んだ挙句に二重人格者になってしまった、と」
「違うってば」
「正確には、乖離性同一性障害というらしいけど」
「どうでもいいって」
「……で、まだ許せないってわけ? 実の母親のことを」

 呆れた声は、私が遅刻してきたときと変わらない。
 けれども、ここは真面目に受け答えすべき場面だろう。

「だから、そんなんじゃないって」

 小さく首を横に振る。
 あのときにお母さんがしたことは、別に間違ったものじゃないと思う。
 ごく普通に、子どもの真実を軽んじてしまっただけ。
 そこに善悪の境界線を引くことは簡単だが、それをしたところで何の意味もない。
 遥か昔に置き去りにした、ちっぽけだった私の自尊心を満たすだけだ。

 でも、私は今ここにいる。
 目指すべきは、そんな過去の傷跡じゃない。

「……ただ、そこで私は思ったのよ。
 私は、星読みの力を持っている。
 世の中には、何か特別な力を持った人が他にもいるに違いない。
 ということは、この世にはまだ解き明かされていない部分がある。
 だから、そこにある真実を暴いてやろう。
 あのとき私が言ったことは、紛れもない真実だったんだと――必ず証明してみせる、ってね」

 思えば、それが始まりだった。
 あのときお母さんに否定されなければ、この力も世界に満ちている力のひとつだと納得できた。
 でも、『違う』と言われた。
 何が『違う』のかと考えたら、それはこの世界にあるものとは『違う』ということ。
 本当は、遥か昔には何処にでも存在していたのに、こちら側が否定してしまったがために、消えてなくなった力なのだけれど。

 そう考えれば、否定されてしまった私が向こう側に惹かれるのも――当たり前の話だった。

「……なるほど。道理でサークル活動に熱心なはずだわ」
「メリーはどうなの? 貴女があっち側に興味を持つきっかけとか、そんなのは」

 彼女は、興味深げに尋ねる私をじろりと睨み付け、使い終えたスプーンで私を指す。

「……蓮子。あなた、自分がしたことを覚えてないの?」
「――あ〜、そんなこともあったわねえ」

 白々しい台詞を吐く私に、メリーは頬杖を突いたままで溜息を吐く。
 まあ、簡単に言うと、メリーは私が熱心に勧誘したから秘封倶楽部に入ったのである。
 前々から興味を持っていたのかどうかは、はっきりいって私にはよく判りません。

「……やっぱり、さっきの言葉は訂正させて」
「え、何を?」

 もしかして、家族が前科持ちというところだろうか。
 わざわざ宣言してくれるとは、メリーも律儀だなあと思っていたら……どうやら違ったようだ。
 メリーは、やけに自信満々な口調で宣言する。

「あなた、演説の才能あると思うわ」

 


 メリーと次回の倶楽部活動について話し合った後、私は帰り道の途中で携帯電話を手に取る。
 寒空の下、手袋もつけないで鉄の塊を掴むのは結構しんどいけれど、まあそれもすぐに慣れるだろう。
 だけど、やっぱりお母さんには早く電話に出て欲しいと思うのだ。

『――はい、もしもし。宇佐見ですけど』
「ああ、お母さん? 私だけど、私」
『……名前は?』
「蓮子よ、宇佐見蓮子。別にお金ふんだくるつもりはないから安心して」
『あ、やっぱり蓮子なのねえ。気ぃ悪くしたらごめんなさいね、でも対策は取っておかないと』

 変わらない。変わっていない。
 あのとき、私に笑いかけてくれた人物と、いまさっき私の声を犯罪者だと思ってくれた人物と。
 うっかり者で、多少は抜けたところがあるけれども、基本的には優しい人なのだ。

「あのさ、さっきの電話だけど。……やっぱり、お正月は帰ることにしたわ。
 下手すると、お父さん泣くかもしれないし」
『かもねえ。もしかすると、蓮子も一緒に暮らす人が出来るかもしれないし』
「…………な」
『そうなったら、落ち着くまでは蓮子もうちには帰って来れないでしょう? そんなことない?』
「……当たり前じゃない。誰が何と言おうと、盆と正月くらいは実家に帰らせていただきますよ」
『でも、今年は帰らなかったじゃない。だからお父さん、蓮子に季節外れの春が来たーって泣きながら喜んでたのよ?』
「……それはそれは。よろしく言っておいて」

 いろいろと言いたいことはあるが、それは正月のときまで取っておく。
 ――今は、他に言うべきことがあるから。
 寒さで指が動かなくなる前に、小さな声で言ってしまおう。

「ねえ、お母さん」
『うん? なあに、蓮子』

 小さく深呼吸して、ビルで切り取られた四角い夜空を見上げる。
 ……九時三十七分十秒。
 星空は、私にしか判らない正確な時間を教えてくれる。

「――私ね。星を見るだけで、今の時間が判るんだよ」

 どうしてかは判らないけど、私の声はやけに弾んでいるらしい。
 楽しそうな私の言葉を聞いて、お母さんも静かに笑った。

『あら、そうなの? 凄いわねえ』
「そうなのよ。実は凄いの、私」
『ふふふ、凄いのねえ』

 私の証明は終わらない。
 とりあえず、あっち側にあるという幻想を暴くまでは。

 ……でも、まあ。
 今のところは、お母さんを納得させただけで満足するとしよう。
 たとえ、お母さんがあのときのように、私の言うことを信用していなかったとしても。
 あのときの言葉がなかったら、秘封倶楽部としての私は存在していなかっただろうから。

 だからせめて、お母さんだけは。
 私の力を否定することで、私を証明し続けてほしいと切に願うのだった。

『それじゃあ、今は何時か判る?』
「簡単よ。……えーと、九時三十九分五十秒」
『……あらま、こっちだと九時四十分よ』
「それはきっと、時計が狂ってるのよ。それか、時差」
『そうなのかしらねえ……?』

 携帯電話の向こう側で、首を傾げているお母さんの顔が目に浮かぶ。
 私は、時間に不正確なお母さんのために、星が教えてくれた時間を心に刻み付ける。

「じゃあ、もう一度言うわよ。――九時、四十一分ジャスト。
 私の言っている時間は、時報なんかよりよっほど正確よ?」

 悪戯っぽく微笑んで、私は自分の正しさを主張した。





−幕−







SS
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2005年3月12日 藤村流

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