マタニてゐ

 

 

 

 ある日、永遠亭の廊下で、妖怪ウサギの股に挟まっているてゐを見た。
 何してんだこの子。
「何してんの」
 思わず冷静に尋ねてしまう。
 凄絶なボケ殺し。
「……股にてゐ……」
 苦しげに呻く、てゐの青ざめた顔が印象的だった。
 ……この子はほんと頭良いのか馬鹿なのかわからんな。
「とりあえず、苦しいんなら、やめろ」
「そうですね……」
 妖怪ウサギの太ももにタップして、てゐは解放を求める。
 何やら顔を赤らめてもじもじしていたウサギは、程無くてゐの拘束を解除した。この様子だと、彼女はあまり乗り気ではなかったらしい。というかどうやっても乗り気になれんだろうこれ。一発ギャグだし。てゐ死にかけてるし。
 窒息一歩手前のてゐは、廊下にうつ伏せて荒い呼吸を繰り返している。ボケるのも命がけだ。
 妖怪ウサギはおろおろするばかりだったので、私が戻ってもいいよと目で示すと、一礼をして去って行った。礼儀ができていて非常に好ましい。必死に私の足首を掴んでくるどっかの因幡とは大違いだ。ていうか痛いんだっての加減しろ。
「……あんた、確か前にも似たようなことやってたわよね。スパげってゐとか」
「スパげってゐ……」
 しかし覇気がない。
 決めポーズをしようにもうつ伏せなもんだから、水上でじたばたする蟻みたいにもがくばかりである。これが、後先考えずネタに走った者の末路か……。
「もしかして、他にも同じようなネタがあったりするの?」
 てゐは、相変わらずフリーズしている。
「……十秒待って……」
 待とう。
「……マタニてゐ、ねえ……」
「冷静に分析するのやめて……」
 しかしこんだけしおらしいてゐも珍しいな。腋でもくすぐっておくか。
 と思ったら十秒経ったようで、跳び上がるように復活する因幡てゐさん(ポーズ付き)自称千歳。専門用語でギャップ萌えというらしい。よくわからん。
「お待たせしました! みんなのアイドル因幡てゐちゃんです!」
 臆面もなくそう言える面の皮の厚さは立派なものだ。
「あ、でも鈴仙のアイドルではないです」
「いちいち断らんでも」
「鈴仙のアイドルでだけは絶対にないです」
「念押しまで」
 無駄に傷付く。
「……で、待った以上はちゃんと答えてくれるんでしょうね」
「鈴仙仕事しろ」
「おまえがだよ」
 てゐちゃんむつかしいことわかんない、みたいなどんぐりまなこで浪曲を口ずさむ面妖な生き物に、まともな返答を期待した私が愚かだった。そういやそんなに暇でもなかったし。
「わかったわよ、わかったからその突きたくなるような目をやめなさい」
「とうっ」
 何故目潰し。
 まあ避けられたからいいものの……いや良くないけど全然。
「……ちッ」
 舌打ちまで。
「誰が目潰ししてくださいと言った」
「どっちかというと、鈴仙の目の方が突きたいランクは高い」
 不名誉極まりない。
 この場合、目潰しし返した方がリアクションとしては正しいのだろうか。多分、永遠亭のノリで考えると、この絶妙のタイミングで師匠が現れて全面的に私が悪いことになりそうな気がする。というかてゐならそう仕向ける。
 にやにや笑ってるのがまた憎たらしい。
「……マタニてゐ……」
「それはやめて」
 本人も、ネタがすべったことは認めているらしい。
 スパげってゐが成功していたかどうかは別として。
「他にありそうなのは……、コミュニてゐとか?」
「どう再現するのよそれ。概念を引っ張り出されても困るんだよねえ……これだから素人は」
 マタニてゐを実現させた奴が言えた台詞ではない。
「あとは……、……てゐ」
 気付いてしまった。
 気付いてしまったものは仕方ないので、てゐのお腹を指差して指摘するしかなかった。
「そうです。私がてゐです」
「それは知ってる」
「ご存知でしたか。さすが私ですね」
 うぜえ。
「いや、それはいいから。とりあえず、お腹」
「いやん。鈴仙お得意のセクハラタイムですね」
「やかましいわ。ていうか、マタニてゐとか何とか言って本当にお腹膨らんでるじゃないあんた」
「うん」
「うんって」
 わりと一大事なんじゃないのか、この流れ。
 うーむ、よく見ると確かにお腹が膨らんでいる。バレーボールとかサッカーボールとか、そんなチャチなもんじゃないごく自然な膨張具合。
 てゐは、頬を朱に染めながら、私から視線をずらしてぽつりと呟いた。
「……あなたの子よ」
「いやそれが言いたかっただけなんだろうとは思うけど」
「いやまじで」
「いやいや身に覚えがないんだけどやめて本当に」
「ふふふ……しらばっくれていられるのも今のうち。これを見たら、もう言い逃れはできないわよ……!」
 ワンピースの上からお腹を押さえ、不敵な笑みを浮かべるご年配の幼女。戦慄する私。
 何この絵面。
 シュールっていえば何でも許されると思うなよ。
「ふんっ!」
 ――すぽん。
 生まれた。
「……、ぬいぐるみ?」
 ぽよんぽよんと跳ねまわるちっちゃな丸っこいぬいぐるみは、見方によってはウサギを彷彿とさせなくもない。へのへのもへじ面で『れいせん』って書いてあるあたり、あからさまな悪意を感じるが。
「元気なお子さんですよ」
「それはもういい」
 むしろ私そのものだろ。
 あと、ぬいぐるみの耳を掴むな耳を。心が痛む。
「ていうか、それ手作り……?」
「思ったより可愛くならなかったんだよね。まあ鈴仙だからってことで途中で諦めた」
 へのへのもへじの時点で、可愛くしようという気概が感じられない。
「でも、みんなが欲しがるてゐちゃんぬいぐるみの愛くるしさはもはや発狂するレベルに達してしまった」
 自分の才能に恐れ戦いているらしいてゐは、ワンピースの中からてゐちゃんぬいぐるみを取り出す。隠し場所に品が無いことを除けば、鈴仙ぐるみと比べて段違いに可愛く仕上がっている。
 特に顔がへのへのもへじじゃないところが。
「いや、本当に仕事しなさいよあんたは……」
「失敬な。これも立派な仕事なんだよ、妖怪ウサギとしての。あんたの大事なお師匠様にもそう言われたし」
「……えっ、本当に?」
「嘘に決まってんだろ」
 右ストレートは鈴仙ぐるみの顔面に突き刺さる。
 心が痛い。
「全く……、こんなとこ、師匠に見られたらなんて言われるか……」
 世の不条理に溜息を吐いていると、てゐが何か言いたげに私の背後を指差した。
 咄嗟に後ろを振り返ると、案の定そこには見慣れた人影があった。
 予想してなかったといえば嘘になるけど。師匠こわい。
「……貴方、それ」
 神妙な声音で、師匠は私に告げる。
 ひぃっと情けない悲鳴を上げそうになった時、てゐは両腕に抱えたぬいぐるみを師匠に向けて突き出した。
「そうです。鈴仙の子です」
 ちげえだろ。
「そう……、おめでとう」
 祝福された。
「おめでとう」
 おまけにてゐも祝福し始める。
 拍手するのはいいがぬいぐるみを落とすのはやめてくれないか。しかも私のだけ。
「おめでとう」
「おめでとう」
 何この流れ。ありがとうとでも言えばいいのか。すべりそうな気配がぷんぷんするけど。どうも言わずにはすまされないこの圧倒的な包囲網。師匠の笑顔が何より怖い。てゐは今更。
 ……よし。
 言うぞ。
 空気がどうなっても知らないからな。

「あ……、ありが」
「ふざけてないで仕事しなさい」

 ごめんなさい。

 

 

 

 



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2011年6月8日  藤村流
東方project二次創作小説





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