人差し指の第二関節

 

 

 

 これで終わりにしよう、と何度思ったことか。
 ただ、今もこうして薄暗い森の中、大して広くもない居を構えているのは、私にまだ図々しいほどの執着が染み付いているせいだと思った。
 指先が、寒くもないくせにかじかんでいる。時に、人形の製作は精神とのせめぎ合いになる。人形は、無機物でありながら独特の思念を抱えている。大抵は元来の持ち主の想念を受け継ぎ、引いては廃棄された後の怨念、加えて製造される過程に用いられた、髪の毛や肌や爪などの幻覚。『まじない』と『のろい』の本質が同じであるなら、人と人形の本質も等価だろう。
 そういう形をしているという条件において、人も人形も妖も、蟲も鳥も天狗も鬼も基本的には等しい値に換算され得る。
 ……話が逸れた。実験中の雑念は精神崩壊に至る危険性がある。注意が必要だ。
 私は、陣に送る魔力を停止する。
「はぁ……」
 途端、口の端からだらしない息が漏れる。気付けば額から零れる汗が、机の上に不出来な魔方陣を組んでいる。徒に、点から点へ線を繋げてみても、それが五紡星になることはなく。
 目元に溜まったカスを拭う直前、指先の黒い油を確認する。危ない危ない、しばらく人前に出れない身体になってしまうところだった。とはいえ、好んで自宅の外を徘徊するような酔狂は数少ないのだけど。
 工房を見渡してみれば、あの魔法使いほどではないにせよ、足の踏み場を確保したい程度には雑然としている。必要なガラクタから不必要なガラクタまで、満遍なく。地面に這いつくばっているものは、基本的にガラクタである。無意味か無価値かは拾ってから判断するものだ。
 放り出された人形の瞳にまだ光はない。休憩を挟んだ後、半刻の間を置いてそれは半自律型の人形として作用する。未だ、完全自律型の人形製作は行き詰ったままだ。だが、そんなものはただの人間と何が違う。完全な人形は人間、異常に低い等身を思えば妖怪と称するべきだろうが、諸手を上げて違う違うと喚き立てるほどの差異はない。
 人間が先か、人形が先か。
 もし人形が神から先に名前を受けていたのであれば、私の作ろうとしている存在こそが人間になる。成る程、なかなか堂に入った詭弁だ。汚れた指を清潔なハンカチで拭い、堪え切れない笑みを手のひらにしまう。下らないけれど、その下らなさが面白い。モノクロームに染まった魔法使いが考えそうなことだ。
「そうねぇ。だったら、私も元は人形だったのかしらね?」
 見下した人形は何も語らない。当たり前だ、それはただの人形であって人間ではない。
 休憩時間は、リビングに戻ってジャスミンなりダージリンなりを嗜むのが通例だが、時には魔術師の本分に帰って人生や罪と罰に思いを馳せるのも悪くはない。
 爪先が床に触れる程度の椅子は、家の近くに捨てられていたものだ。私はこれを価値のあるガラクタと判断し、こうして実験の友としている。もう何年になるか、人間の子どもが大人と呼ばれるくらいは経ったと思う。
 同じように、内在する思念はともあれ、自我も意志もない人形をあちこちから拾って来る。全ての人形は私にとって価値がある。尤も、私が人形だからそう感じるだけかもしれないが、さりとて人間と人妖と人形を明確に区別する術もない。今ではもう諦めている。
 もし完全に自律した人形を完成させることが出来たなら、それは私が神に近付いた――否、神になった瞬間であると言えよう。私は頂点に立たなければ生きていけない類の存在でも、自身の人格を破棄してまで神格化されることを望んでいる訳でもない。ただ、結果としてそうなるというだけの話だ。
 人間が半永久的に繁殖しているのは、作製したからではなく産出したからだ。男と女がいなければ、彼らの先に未来はない。それは魔法使いとて同じだが、例外という間隙を穿つことも出来る。他ならぬ、魔法使いであるならば。
 突如、有耶無耶な考えに浸っていることに気付き、首を振り回してみる。落ちた時計の砂は十程の目盛りを埋めている。再開か延長かを瞬時に判断し、窓一つない工房の湿った空気に咳を一つ。
「神様、ね……」
 呟いて、陣の上に突っ伏す。
 夢くらいは見させてほしい、それくらいの夢は見せているつもりだから。
 仮にそうなったなら、何をしよう。人形たちの楽園を作るのも良い、そこに人形を捨てる人間はいない。ただ、人形を傷付ける人形はいるかもしれない。そりゃそうだ、人形も人間も根っこの部分には同じものが通っているのだから。先に生まれたのが人間だから、人形は人間の機能を参考にしなければならない。実に不憫だが、しかし楽園は自由だ。
 私は、陣の中央に伏せった人形を起こす。青と白を基調とした服装は、普段私が纏っているドレスと酷く似ていた。容姿は似ても似つかず、金髪も肩でばっさりと切られていた。
 ふと、思い付きを口にする。
「私の夢が人形なのか、人形の見ている夢が私なのか……。昔、そんな話がなかったかしら」
 しん、と静まり返った部屋に人の影はなく。独り言は自身に跳ね返る魔法である。
 人形が人形を作り、動かない人形を操って悦に浸っている。二者の間に隔たっている溝の正体は、私が自律し、彼女が自律しないという一点のみ。もし私が誰かに作られた人形でも、自律していれば人間と自称するのも妖怪を名乗るのも、変わらず人形として動き続けようが全て自由だ。
 自律とは、そういうものだ。
 自律しないというのは、生きることを放棄することだ。
 そういうものを、私は能動的にガラクタと呼んでいる。
 いつの間にか、世界にはガラクタが多くなった。嘆かわしいと嘆くには、私はまだ世界を追い切れていないのだが。美しいものが増えれば、その一方で汚らしいものが増殖する。世の中は、かくも平等に出来ているものである。
 だが、そのシステムを素晴らしいと笑う気にはなれなかった。

 

 


 間延びした休憩時間を過ごすより、実験そのものを先送りした方が有意義な休息を得られる。リビングの空気はやはり静謐だった。ここに漂っている空気が私の内面を表している、などという戯言を吐くつもりはないが、こうして新鮮な空気が用意できる手腕は評価されてしかるべきだろう、とはたまに考える。
 傾けたカップの中には、適度に温かく適当に澄んだ金の液体が浸っている。完全な金色はとてもじゃないが飲む気にはなれない。
 キッチンから、一体の半自律人形が近付いて来る。彼女は私に付いて長い。赤一色のワンピースを紡いでいたのはまだ記憶に新しい。
 彼女は、思うところがあるのかテーブルの縁に体重を掛け、主たる私の瞳を覗き込んだ。赤色の義眼と青色の裸眼、どちらも対象を映す器官であることに違いはないが、自律しない人形の眼の輝きは何だ。
 そこにある光が私の瞳からもたらされたものだと気付くまで、私は指にかかるカップの温度と重責を完全に忘れていた。これではどちらが人形か分からない。まあ、どちらでもいいか。
「どうしたの。何か問題でもあった?」
 諦めれば、落ち着くのは早かった。赤い人形の小さな口が動く。
『何か、悩んでいる――?』
 尋ねた人形の方が、よほど疑問に囚われているように見えた。だが仕方ない、彼女たちをそういうふうに作ったのは私だ。半自律の難点は、命令以外の行動を起こせないこと。複雑な命令体系を仕組めば、おそらくは人間以上の演算を成すことも出来るだろう。しかしそこに自我や意志といった信念はない。
 人形は、受け身の存在だ。操ってくれる存在、命じてくれる主がなければ一歩も動けない。そのくせ、言われた呪詛や唱えられた呪文はいちいち全部覚えているのだから、どこぞの犬よりよほど性質が悪い。
「……ああ、そのことね」
 カップを落とし、窓の外から響いて来る虫の音に耳を傾ける。余計に煩かったが、余計なことを考えやすい脳には良い薬だった。
 この人形は、私の相談役も兼ねている。場所がら独りでいることが多いため、時に道を誤ることもある。大抵、見失った道は頭を上げればすぐにでも見付けられるものだが、独りで煩悶している時はそれに気付かないものだ。
 だから、わずかでも悩んでいるように見えた時は、赤い人形が私を助けてくれるシステムになっている。世の中は、上手いこと出来ているものだ。この箱庭を作ったのは、他ならぬ私なのだとしても。
「そう、ね。ちょっと、楽園について思いを巡らせていただけよ」
『……?』
 湯気の向こうに、回答の意図を理解できない人形の顔が映る。
 意志のない人形に、感情はあるのか。もしあるのだとしたら、意志がないという気分はどんなものだろう。自分が人形であることを自覚出来てしまったら、そんな身体を憎みはしないか。
 だが、それもまた人間と等価な機能だろう。
 大概は、生と死、そして己の存在価値に悩むものだ。
「あなたは、本当に人形かしら」
『だと、いいけど』
 捻くれた答えだった。製作者の思考パターンをよく投影している。少し悔しかったから、適当に頭を小突いてみた。痛い、と知ったかぶりに呟く人形を見て、私も随分と人間ぽくなったものだと自嘲した。
 そんな私を、赤い人形は不思議そうに眺めていた。

 

 


 結局、出来上がった人形は半自律型の一個体だった。
 私は未だ楽園の縁に手を掛けることなく、人差し指で原始の海を混ぜ繰り返しているだけ。
 いつか、神になれるだろうか。どちらにしろ、人形は作り続けているだろうが。
 この世界に確たるシステムがあるのなら、私に与えられた使命は人形を生み出し続けること。
 だから、そのシステムを素晴らしいと笑えるのなら、私はきっと幸せなのだろうと思った。

 

 

 



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2005年9月14日 藤村流

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