チルノが成長した。
大山鳴動して鼠一匹という格言に倣う。
普段と変わらない朝を迎えた氷精チルノにおいては、自身に何か目覚ましい変化が訪れているなどとは夢想だにしていなかった。しかし、締め付けられる襟、袖口、胸、腰と、彼女の自覚とは裏腹に肉体はそれ相応の変化を訴えていた。
「きつい……」
寝床で呻く。襟元を引っ張り、どうにか十分な気道を確保する。
身体を起こし、そのさい頭頂部を天井に打ち付ける。鈍い音がしたのは、頭蓋骨の内側ではなく天井の方だった。
「あれ?」
心なしか、吐き出す声も変わっているように思う。
痛む後頭部を擦りながら、何故か急激に狭くなった家の玄関を通り抜ける。潜り抜ける、という比喩が適当に感じられるほど、チルノは周囲に蔓延する不自由を味わっていた。
「っかしいなあ……」
腕を組もうとして、本来組むべき位置と、今組んでいる位置に大きな違いがあることに気付く。異変だらけだ。
太陽はまだ低く、風も弱い。それでもやはり昨日と同じように空は青く、雲は白く、チルノを取り巻く環境は何も変化していない。
根城にしている家を出、間借りしている大樹から飛び降りる。若干身体が重いものの、飛び、跳ね、撃ち、守る程度の能力は残されているようだった。安堵して、感覚の掴めない身体を紅魔の湖に向かわせる。
知り合いならば、この違和感の正体が分かるかもしれない。
根拠のない確信を得て、チルノは昨日と同じ一日を再現しに向かった。
衝撃だった。
大妖精は、今なら失神できると本気で思った。
「ねー、今日のあたい、なんか変だと思わない?」
自分で変だとか言うのもあれだけどー、と複雑そうに笑う仕草は、チルノとしか言いようがない。だが、大妖精は凍り付いていた。ぱっきりと。
腰に手を当てて、どうだと言わんばかりに堂々と胸を張り、頭には可愛いリボンを付け、ころころと絶え間なく変わる表情の豊かさは、紛れもなく、氷精チルノそのものである。
が。
「ち、チルノちゃん……」
「あー、そういえば声も何だか変なんだよね。あー、あ゛ー? うん、ガラ悪い」
咳払いをし、納得したように首肯する。大妖精は、彼女がチルノであることを深く心に刻み付ける。この行く先に何が待ち構えていようとも、彼女が他の誰かであると見間違えることのないよう。
深呼吸をする。
「じゃ、じゃあ、言うよ」
「器がでかいあたいは、たとえ何を言われても動じない!」
さあ来い! と胸の前で手を合わせるチルノに、大妖精もそれなりの覚悟をもって告げる。
「チルノちゃん、成長してるよ!」
「えぇぇッ!?」
動じた。
と思ったら、驚愕に歪んだ表情を含み笑いに変えて、ちっちっちと指先を振ってみせる。また変なの覚えたなあ、と大妖精は他人事のように思う。
渾身の告白がわりと軽く流されてしまった大妖精だったが、それほど大きな動揺は感じていなかった。そりゃそうだろうなあ、そうそう受け入れられないよなあ、と同情的な思いを巡らせて、何やらこくこくと頷いているチルノを眺めていた。
「このあたいは、そんなとっぴょーしもないことにおどらされるようなあほたれではございませんー」
「覚えたばっかりなんだね、その言い回し」
非常に舌ったらずだった。
大妖精の目も細まる。
「あんたのあめりかんじょーくはおみとおしなのです。ちきんやろうはままのおっぱいでもすってな!」
問題発言だった。
しかも嬉々として宣言するから困る。
啖呵を切って格好つけた後で、何の話をしていたのかきれいさっぱり忘れるところも妖精らしい。小首を傾げ、あーとかうーとか声にならない言葉を繰り返す。
「ぇー……えーと、これ何の話だっけ?」
「チルノちゃんが成長した話だよ」
「そう、それ! とにかく、そんなあんたの悪だくみなんか、あたいの目が三角なうちは絶対に許さないんだからね!」
高らかに宣告して、湖面の水鏡に真偽を量りに行く。その背中を見送りながら、三角じゃなくて黒だよ、と心の中で訂正する大妖精。言っても聞かないので口には出さない。怒るし。
湖の端に辿り着き、意気揚々と湖面を覗き込むチルノ。あらかじめ、絶叫に備えて耳を塞ぐ大妖精。
かくして。
「あぁぁーッ!!」
予定調和を思わせるような絶妙さで、氷精の絶叫が紅魔の湖に響き渡った。
チルノはチルノであるが故にチルノであり、大妖精ではなく、天狗でも大蝦蟇でもない。その基本事項を覆すことのできる要素は、チルノ自身がチルノであることを積極的に否定するほか、周囲の環境が彼女はチルノでないと弾圧的、継続的に強迫することなどが挙げられるが、目下のところ、チルノがただの一日で劇的な変化を遂げたとしても、彼女がチルノでないと拒絶する者もいなければ、彼女自身があたいはチルノじゃないチルノ改だと高らかに宣言することも特になかったため、妖精たちはつつがなく遊戯に勤しみ、大妖精は湖のほとりでぽつんと立っている氷精のフォローに回るのだった。
チルノが、年端もいかない幼女を肉体的に十年ほど成長させたような姿態になっていることを除けば、世界は滞りなく回っている。
ショックなんだろうなあ、と立ちすくむチルノを横から覗き込むと、チルノは右手を後頭部、左手を腰の後ろに回して、
「うっふーん」
何ものかを悩殺していた。
ちなみに誰も見ていない。大妖精を除いて。
「……もう……」
大妖精は肩を落とし、改めて、そこに佇んでいる成体のチルノを観察した。
妖精は通例、大きくても人間の九、十才程度の身長しかない。大妖精もチルノもまたその例外ではなかったが、今日のチルノは十を七、八年通り過ぎたような立派な体躯をしていた。
骨格が出来上がったため、くりくりと丸く大きかった瞳は相対的に小さく細まって見える。可愛さ、愛くるしさより、洗練された美しさと艶かしさを感じられる。あるいは、それらの印象は、明らかにサイズが合っていない服装に起因するのかもしれないが。
事実、丸みを帯びていた体付きは細く締まっており、肩ほどに揃えられた氷色の髪も、今や背中を覆い隠す程度にまで伸びている。胸部や臀部が強調されているように見えるのは、子ども用の服に無理やり身体を通していることによる不本意な錯覚だろう。
健康的なへそも、期せずして服からはみ出ている。脚を覆い隠していたスカートも、いまは膝の丈くらいしかない。
チルノは、いささか熟れて厚くなったようにも見える唇に指を押し当てながら、自分の横顔を呆けた顔で見上げている大妖精に柔らかく笑いかけた。
「うにゃ、どうしたのよー。あほみたいなかおしてー」
「……あ、いや。何でもない、けど」
変なのー、とけらけら笑うチルノは、確かに美しかった。
チルノは、みずからに訪れた変貌をいともあっさりと受け入れている。大妖精も、チルノが疑問に思わないのならばそれでも構わないかと思い始めていた。きっとこの現象の背景にあるものは、大妖精をはじめとした妖精が太刀打ちできるような代物ではないのだろうと、他ならぬ大妖精も自覚していた。
ただ、チルノならば。
腕組みをして、自慢げに胸をそらす、いつもと変わりなく振る舞うチルノなら。その気になれば、異変を解決することも出来るのではないか。
チルノは言った。閻魔に会ったと。
それはつまり、それだけのものが、チルノにあるということなのだ。
「うわ、なんかむねもぱっつんぱっつんになってる」
「それは服が小さくなったからだと思うよ」
「なによー、夢がないわねー」
唇を尖らせる。本人に意図がなくとも、その仕草は見るものが見れば多分に扇情的なものだっただろう。
だが、チルノが望まないならば、大妖精は誘導も追従もしない。彼女のやりたいようにやらせる。それがいちばん楽しいということを、大妖精は知っている。
「チルノちゃん、これからどうするの? ずっとその格好ってわけにもいかないだろうし」
「うーん、そうだねぇ。きついしね。まー今もかなり暑いしさ、このままでもいいっちゃいいんだけど」
「チルノちゃん大胆……とか、そういうことじゃなくて」
「んー、でもねー。大きくなったのも、がたがた言ったってしょうがないでしょ。そもそも、妖精がでかくなっちゃいけないって決まりもないじゃん。だから、こういうこともたまにはあるって! 決まり! あたいがそう決めた!」
力強く胸を叩き、腕を大きく広げて大妖精を抱き締める。完全に虚を突かれた格好の大妖精は、ただチルノのなすがままに身を任せるしかなかった。
「んー、あんたって結構ちっちゃいのねー。うーん、かわいいかわいいー」
「うわっ、ち、チルノちゃ、やめ……」
ひんやりとした感触に包まれながら、チルノの腕の中、大妖精は懸命にもがく。ただ、本気で逃げたがっているというよりか、急に抱擁されたことによる恥ずかしさが大きい。
チルノは存外強く抱き締めているようで、大妖精が若干激しく暴れても、微動だにしないくらい頑丈に抱擁している。
背中に手のひらを置かれ、頬擦りをされて、髪の毛を撫でられて。弄ばれる、という状態が適切なのに、大妖精は、ちっとも嫌な気分にはならなかった。
チルノも、嬉しそうににやにやと笑う。
「へへ、いつもと逆だね」
「……うん」
それも悪くはないかなと思い始めてきた頃、段々と身体が震えてきたので、大妖精は申し訳なさそうにチルノの腕に手を置いた。
チルノも、初めはきょとんとしていたのだが、しばらくすると、その意を汲んで大妖精を解放する。
氷精の周囲は、冷気に満ちている。
チルノが完全にそれを制御できれば問題はないのかもしれないが、彼女はまだ幼かった。彼女が秘めている力は、彼女が実感しているものよりも、遥かに強い。
チルノは、伸びてしまった氷色の後ろ髪を、やや乱雑に撫でる。
「ちょっと、冷たかったかな?」
返答に窮しながら、大妖精は、大きくなっても何も変わらない友人に、優しく微笑みかける。
「夏は重宝するね。チルノちゃん」
言われて、彼女は不満そうに唇を尖らせていた。
大妖精がまず初めに提案したのが、服の確保だった。
以前の服を纏ったままでも、生活する分に大きな支障はないだろうが、着ている側は勿論、見ている側もかなり窮屈である。ましてや、普段なら完全に覆い隠している部分が、あちこちからまろび出ているとなれば、頭の固い里の守護者でなくても、風紀やら倫理やらに関して思いにふけるところがあるだろう。
「えー、別にそんなのどうでもいいじゃん」
当のチルノは気にしたふうもないが、へそ出しはいかがなものかと大妖精は考える。いやミニスカ腋出しに比べれば大したことじゃない気がするのだが、少し前まで色気のいの字も醸し出していなかったチルノが、ただ十代後半のいわゆるハイティーンに成長したというだけで、何もしていなくとも『女』というものを感じさせるものかと、大妖精は驚愕を禁じ得なかった。
教わるべきものを覚え、知るところを知れば、チルノは女になる。
大妖精は、その確信があったのだが――。
さすがに、今の彼女を小悪魔に引き渡す気にはなれなかった。
いつも妹のような目で見ていた彼女が、いきなり遠いところに行ってしまったような気がして――今でも、どこか不安なのだ。
「よくないよ。見た目は大事だよ、チルノちゃんがそんな大人の魅力を放出してたら、どこの誰とも知れない馬の骨に襲われないとも限らないもの」
大妖精は不安げである。
だがチルノは怯まない。
「そんなの返り討ちにしちゃるわよ。今のあたいなら、3倍増しでなんか凄いのが撃てそうな気がする。なんか」
ふおぉぉ、と手のひらに何かしらを溜め始めるチルノ。たしかに何かしらは溜まっている気がするが、力の使い方がいまいちピンと来ていないのか、以前と似たような力しか感じない。
ため息をつくべきかどうか迷い、結局、大妖精は微笑んでいた。いつものことだ。
「いいから、行こ。そんな寒い格好してたら、風邪ひいちゃうよ」
「何よ、あたいを誰だと思ってんの!」
「チルノちゃんでしょ」
「そうだけど!」
何故か変身間際のポーズを取るチルノの手を掴み、大妖精はなかば強引に引っ張った。
「よっ、とと」
体勢を崩しながらも、歩き始めた大妖精の後に続く。
手のひらに感じるのは、温もりよりも冷たさが強い。けれども、この程度の冷気であれば、繋いだふたりの手の温もりが冷たさを上回る。
「いいとこ知ってるんだ。チルノちゃんも気に入るよ、きっと」
「むむむ……きりさめよいとこいちどはおいで……」
「なにそれ?」
「しらない」
チルノも首を傾げている。なにそれ、と大妖精は呆れたように笑い、今は少し高くなってしまったチルノの顔を仰ぎ見る。
きょとん、と大妖精を見下ろしているチルノの視線は、鼻筋が通っていても、顔の輪郭が細くなっていても、昔のままと変わらない。姉を見るような、母を見るような目で、大妖精を見つめている。
その姿が、いつものように微笑ましく思えて。
ほんの少しだけ、何故か、寂しく思えてしまった。
「……どしたの?」
「あ、いや、なんでもない。行くよ」
「なんか今日は強引だねー」
歩幅は無意識に大妖精と合わせ、不揃いの妖精たちが森を行く。
つぶらな瞳の見据える先には、一軒の道具屋がある。
妖精もたまに立ち寄るその店には、幻想郷のみならず、外の世界から入ってきたものも数多く陳列されているという。
香霖堂は、そんな迷えるものたちの道標であり。
簡単にいうなら、体の良い暇潰しの空間でもあった。
お邪魔します、と一応は挨拶をしながら扉を開ける程度には礼儀正しく、一方のチルノは忙しなくきょろきょろしながら扉を潜る。
「いらっしゃい」
相手が妖精でも、店主は一応それなりの応対をする。たしかに、妖精がご丁寧に金銭やそれ相応の対価を支払ってくれるとは考えにくいから、これはいつもの冷やかしか暇潰しかと多少接客に手を抜いてしまうのも、仕方のないところかもしれないけれど。
「ああ、いつぞやの」
香霖堂には先客がいた。
翻る黒髪は後ろで括られ、特徴的な紅白の巫女装束は、時に涼しげで、時に寒気を喚起させる。気だるげで、それでも表情豊かにコロコロと変わる素顔は、幻想郷の誰からも――神魔人妖精霊その他――好かれる一因となっている。
「……と思ったけど、随分と膨らんだわね」
博麗霊夢は、目を丸くしている。
大妖精は、霊夢相手にいささか怯んでいるように見え、この期に及んで霊夢のことなどほとんど目に入っていないチルノの大物ぶりが際立っている。大妖精はこくこくと頷き、チルノはそれで初めて霊夢の存在に気付いた。
「あ!」
「ん」
チルノが勢いよく指を差すから、霊夢は咄嗟に後ろを振り返った。が、そこにはよりいっそう気だるげに頬杖を突いている香霖堂店主、森近霖之助の姿しか見当たらなかった。
ふむ、とひとつ息をつく。
「元気ねえ。この暑い中」
「当然よ!」
胸を張る。
そこでまたひとつ息をついて、霊夢は開け放たれた窓の縁に手を掛けた。
肉体が急激に成長したチルノを前にしても、霊夢は大して動じたふうもない。もとより、在るがままを在るとする霊夢だから、自然の具現たる妖精がいきなり膨らんだからといって、今年のスギ花粉は例年より多めですといった程度の問題でしかないのかもしれない。
窓から吹き込む涼風に、霊夢は目を細める。こちらは、たしかに少女と呼ぶに相応しい体つきであるのに、どこか泰然自若とした雰囲気を醸し出している。不思議なものだ。
何をしているのかと躊躇っている大妖精を前に、霊夢はのんびりと言う。
「用事、あるんじゃないの?」
「……あ、うん」
「妖精がここに来るなんて珍しいからね。ま、私も何か特別な用があったわけじゃなし」
「やっぱりそうか」
霖之助は、目線だけを霊夢にくべて、疲れたようにため息を吐く。その息の音を聞いて、霊夢は微笑する。全く懲りていない。
チルノはなおも霊夢を威嚇しているが、真っ向からぶつかったところで返り討ちに遭うだけだとわかっているのか、うーうー唸るだけで突っ込んでいったりはしない。
だが、目の前にエサがぶらさがっている馬の如く、気になるのはどうしてもしょうがないことで、大妖精も握った手のひらにかなりの力を込めなければならなかった。
「ほ、ほら、本題はそっちじゃないでしょ」
「うー……がつんと言ってやりたいのに……」
「落とされて涼まれるのが落ちなんだから、やめようよ。力の使い方さえ身につけたら、ちゃんとそれなりの勝負が出来るようになるかもしれないんだし」
「そんなの、いつになるかわかんないもん……」
ふおぉぉ、と一応は右手に冷気を溜めてみるチルノ。
その奔流に反応し、霊夢の瞳が若干険しくなる。見方を変えれば、輝きを増したともいえるのだろうけれど。
「ひゃ、ごめんなさいー!」
「……まだ何もしてないわよ」
「そうよ、こてんぱんにするのはこれからじゃない!」
「火に油を注いじゃだめー!」
「火は氷で消えるのよー!」
「水ー! それ水だからー!」
大妖精の手を振り払い、チルノは奇声とともに跳躍する。霊夢も即座に戦闘用の空気に切り替え、襲い来る巨大チルノを迎撃しようと懐から御札を取り出し――――
「もげッ!?」
さほど高くもない香霖堂の天井に頭をぶつけ、勝手に墜落していくチルノの勇姿を、ただ呆然と眺めるしかなかった。
うおぉぉ、と床に転がって頭を抱えてのた打ち回るチルノを指差し、霊夢は別の意味で頭を抱えている大妖精に問う。
「……変わってないのね、この子」
大妖精は、はあ、と溜息のような首肯のような、曖昧な言葉をこぼすことしかできなかった。
不貞腐れたように、頭に拵えたたんこぶを押さえながら、チルノは唇を尖らせている。表情はいつにもまして不満げで、その原因は窓際に佇んでいる霊夢であり、単純に頭をぶつけた痛みと情けなさでもあり、要は自分の思い通りにいかないことに苛立ちを隠せない、子どもの気質によるものだった。
大妖精はそんなチルノの手を引き、平然とした態度を崩さない店主の前に誘う。
「何の用だい」
素っ気なく、あるいは冷たささえ感じられるような声にも、大妖精は怯むことなく自然に言葉を返す。
「この子に似合う服を」
「いらない」
「チルノちゃん……」
腕組みをして、眉間に皺を寄せ、怒ってますよと言いたげな表情のチルノに、大妖精はどうしたものかと頭を悩ませる。一度へそを曲げたらなかなか元に戻らない性格だけれど、沸き立った感情を何らかの形で発散させれば特に問題はない。
そこで大妖精が目を付けたのは、そよ風に目を細める博麗霊夢だった。
「……ん?」
不意に、大妖精と目が合う。
チルノの機嫌など、そもそもチルノが成長したことなど、霊夢は全く気にも留めていない。
大妖精がじっと霊夢を見ていることに気付き、チルノも気だるげな姿勢で霊夢を一瞥する。
「ね、チルノちゃん」
「あによー」
やる気がない。
「今のチルノちゃん、良い線いってると思うんだけどな」
「……良い線ー?」
言っている意味がわからない、とばかりに鸚鵡返しする。
だが大妖精は挫けない。
「うん、おとなのオンナの魅力っていうのかな」
「おとなのおんな……」
ぐっと身を逸らし、ハタキを振り回せば埃と一緒に煤が舞い降りてきそうな天井を仰ぎ、チルノは何やら想像している。
「チルノちゃんも言ってたでしょ、ぱっつんぱっつんだって」
「ぱっつんぱっつん……」
「君ら」
業を煮やした霖之助が割ってはいるものの、チルノはもとより大妖精も彼に構っている余裕はなかった。
ふと、思いついたように、チルノがいくぶんか膨らんだ胸に手を添え、適度な半球形に整えてみる。胸の切り込みは、ボタンが弾け、布がいささか引き裂かれているせいで、上から覗けばあわやという段階に達している。
以前のチルノを知るものならば、誰もが驚愕に値するであろう。そこに、谷間という断崖が存在している事実を。
何故に断崖かというと、それは肉体的な比喩というよりむしろ、博麗霊夢を見ればわかる程度の精神的な比較である。
「……ッ!」
とりあえず話の流れにあまり関係のない霖之助が、男であるからには当然ともいえる
「おどろき」の反応を示した。
「……」
霊夢も、チルノに誕生した双丘のグランドキャニオンに目を見開いている。
あるいは、二次性徴に至る前の体躯であれば、これからの先の未来に賭けるべき資質も確かにあるわけで、霊夢が過度に絶望する必要もないのである。
本当なら。
本当ならば。
「……何よ」
霊夢は言う。
その声色に、焦りや苛立ちといったものが浮かんでいることを、チルノは理解する。
「ふうーん……」
「……何こねくり回してるのよ。卑猥ね」
「ねー、こねくり回せないひとが何か言ってるよー」
「そうだね、滑稽だね」
ふたりは屈託なく笑い、霊夢は裏拳で窓ガラスを叩いた。霖之助は修繕費を瞬時に計算して青ざめた。幸い、割れずには済んだようだが。
「君らね」
「よーしわかった! あたいはこの体で巫女に勝つ!」
「もう勝ちは決まってるんだけど」
「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすのよ! だっけ」
「合ってる合ってるー」
ぱちぱちと拍手する。
チルノも照れる。
霊夢の床をがつがつと蹴り鳴らす音も留まるところを知らない。
「これだから妖精は……」
誰にも聞こえないような声色で、霖之助は呟き。
ガラスを壊されてはたまらないから、ひとまず霊夢を宥めに向かった。
どうすれば機嫌が直るかなど、全くわからないままなのだけれど。
ようやっとその気になったチルノだが、店内を見渡しても、服らしきものが全く見つからない。大妖精も首を振り、チルノの怒りがあわや有頂天に達するや否やという境に、霖之助は気だるげに席から立ち上がった。
「しょうがないね」
表情に疲れが見えるのか、先程までずっと霊夢の機嫌を取っていたからでもあるまいが。霖之助自身も、何故にこれほど霊夢の機嫌を取らなければならないのか、自分でも判然としていないのである。ただ、決して鋭くはない霖之助の直感が、霊夢をあのまま放置することを許さなかったのだ。
それが杞憂ならばそれでも構わない。問題は起こらないに越したことはないのだ。
「何着か、うちにあるものを持って来よう」
「最初から飾ってればいいのに。めんどくさいわね」
「ここには、服を見に来る人間はあまり来ないからね。直に依頼することはあっても」
言外には、ここに展示すると勝手に持ち去られる虞がある、という含みを持たせてあるが、事情を知らぬ妖精たちには到底計りようもないことだった。
霖之助が店の奥に引っ込み、店内には腕組みして仁王立ちしたチルノと、その傍らに佇む大妖精、そして相変わらず開け放たれた窓に身を寄せ、変わり映えのしない風景を眺めている霊夢がいる。
チルノはどこか威風堂々と、霊夢はどこか物憂げに。大妖精は、見上げるまでに成長した友人の姿を観察しながら。
きれいだな、と思う。
でも、それだけじゃない。
もっと別の、看過できない何かがチルノの中にあることを、大妖精は漠然と悟っていた。
「……どしたの?」
「え! あ、いや、なんでもないよ。うん」
「……そうかなあ。なんか、さっきからちょっと変だよ。熱でもあるんじゃないの?」
そう言って、チルノは大妖精と目線が合うようにしゃがみこみ、手のひらをそっと額にかざす。
「あ」
ひんやりとした冷気が、大妖精の額から背中を伝い、足元にまで突き抜けていく。その爽やかな衝撃に息を呑むより早く、チルノはうーんと首を傾げていた。
「熱はないと思うなー。じゃ、ちょっと早いけどボケが始まったのかなー?」
「それはないと思いたいよね……」
「だよねー」
うんうんと頷く。顔立ちのわりに仕草が子どもだから、余計に可愛らしさが際立つ。
大妖精は不意に相好を崩し、店の奥から響く静かな足音を聞く。目を閉じていた霊夢も、その足音にまぶたを開く。
「……重い」
しかも、酷く邪魔そうだった。
数で言えば十着もないはずだが、あちこちに宝石やらフリルやら何やら凝った装飾が施されたものも多いため、抱えて持ってくるだけでもひと苦労なのである。
咄嗟に大妖精が手を差し伸べようとして、霖之助が振り返り際にえもんかけを棚に引っ掛けたものだから、行き場を失って前につんのめった。
「何やってんの?」
邪気のない質問が痛い。
大妖精はひとつ咳払いをし、霖之助が運んできた服の数々を一瞥する。
原色を散りばめたものもあれば、一見地味に見えるものもある。ワンピースのようなゆったりしたものもあれば、本当にこれが入るかというほど布の面積が小さいものもある。見れば、靴も帽子も用意されている。なんだかんだで店主も乗り気だったのだろうかと、大妖精が霖之助の顔を見ても、そこに疲れ以上のものを見つけることはできなかった。
彼が、妖精たちの方を向く。眼鏡が光に反射して、そこ奥にある瞳の色をしばし隠した。
「これくらいあれば、充分じゃないかな」
「え、と、そうかな。どうだろ」
チルノは不敵に佇んでいる。大妖精に煽られたのかよほど効いているのか、これから自分がどれくらい輝きを増すものかと、今のうちから期待に胸を膨らませているに違いなかった。
単純だけれど、ごく自然な感情だと思う。女としては。
「よし!」
ぱんッ、と手のひらに拳を合わせ、チルノは一歩前に出る。決して、瀟洒や優美とは言いがたい行動でも、今の彼女は、その無邪気な動きが表層の美麗さを押し上げてくれる。
霖之助がやや身を引いたのは、そんな彼女に気圧されたから、というわけでもないだろうが。
「んー……、たくさんあってわかんないなー……」
眉間に皺を寄せて悩むチルノに、霖之助は壁に立てかけたままの大鏡を指差す。
「そこに、姿見があるだろう。好きに使えばいいよ。壊したり、盗んだりしなければ」
「信用ないねー」
「まだ知り合って間もない妖精だからね」
妖精という言葉に、若干強い語気を感じる。
妖精は悪戯をするものである。彼女らは自然の具現であり、いつ果てるとも知らず、たとえ果ててもいつか蘇る。どこにでもいて、どこにもいない。そんなものだ。
だから。
「わかったー」
軽い調子で頷き、チルノはぴちぴちに張った自分の服の裾に手を掛けた。
「――――」
三者三様、沈黙の音を聞く。
チルノは下着をつけていない。それは大妖精も知っている。
予測し得ない行動ではなかったはずだから、大妖精はチルノの行動を止められなかったことを悔いた。が、けれども咄嗟に動けるほど、衝撃が軽いわけでもなかった。それは霖之助も霊夢も同じことで、霖之助にしてみれば、まさに目と鼻の先で豊満な姿態をさらした女性がいきなり脱ぎ始めたのだから、拝みこそすれ止めることはないはずであろうと思われた。
「……ッ!」
だが、間一髪、チルノが上着を脱ぎ終える直前に、霖之助はみずからの眼鏡を窓の外に放り投げていた。
なんという判断。なんという紳士。
男として正しい行為なのかどうかは捨て置く。
「……あれ、どしたの?」
そして歩く天然エロスが不思議そうに振り返り、露になった部位が適度な唸りを上げて振動する。
沈黙再び。
ちなみに霖之助は戦線を離脱していた。懸命な判断である。
そのとき初めて、大妖精はおのれが叫ばなければいけないということを明確に自覚した。
「チルノちゃんそれはだめぇぇぇ!」
「えー」
大妖精はチルノに覆いかぶさり、なんとか胸を隠そうと必死に振る舞う。けれども、チルノはなんで隠さなきゃいけないのよと言いたげに顔をしていて、大妖精もそのうちもうどうでもよくなってきた。
霊夢は霊夢でこちらの騒ぎには興味なさそうに外を向いているし、霖之助もしばらくは戻って来ないだろう。可能性として、誰か他の客が来ることも考えられるが、たとえチルノが半裸になっていたところで、ああまたか、と微笑ましげに納得されるくらいである。
ある意味、役得とも言えるが、どこか釈然としないものがあるのは言うまでもない。
「着替えるよー」
「……あ、うん……」
いいのかなあ、と大妖精は思ったが、チルノが気にしていない以上、自分があれこれ口出しするのも憚れた。保護者的立場である以上、チルノが不用意に淫らな姿を晒すのは避けなければならないのだが、あまりきつく言い過ぎて、チルノがもう全裸でいいやと外を駆け回ってしまうのも頂けない。
「うぬぬ……」
ジレンマを抱え、深く苦悩する大妖精を、チルノはやはり不思議そうな顔で眺めていた。
くるくると舞う。
チルノが化粧や香水の類を一切身につけていないことは、いちばん近くにいると自負している大妖精がよく知っている。
けれども、窓から吹き込む淡い風に包まれ、全身からこぼれる涼気を身に纏い、試着した服を見せびらかすように、くるくると回るチルノからは。
「えへへ、どうかな?」
たしかに、少女の香りがしていた。
思春期を駆け上がり、いつかの未来に心も身体も大きく育っていく、儚げな少女を彷彿とさせた。
色で表すならば、髪の色と同じ、瞳の色と同じ、澄み切った青。赤いリボンを解き、純白のワンピースに袖を通したチルノからは、畳んだ羽を少しばかり鬱陶しそうにしているほかに、嫌がっている様子は見受けられない。むしろ、気に入っていると捉えた方が自然である。
気を抜けば、氷の羽が布の概念を越えて背中から飛び出たりもするのだが、それでいて特に生地が破れるわけでもないのだから、お得というか摩訶不思議というか、人間には到底真似できない所業だった。
「んー、やっぱり何を着ても似合うわね。さすが、絶世の美女と呼ばれただけのことはあるわ」
「誰に」
「この子に決まってんじゃん」
霊夢に問われ、躊躇いもなく大妖精を指差す。だめ、だめ、と大妖精はうろたえながらチルノの指を弾こうとするが、それが自分への賞賛であるとチルノは解釈した。
フフンと鼻を鳴らし、霊夢を一瞥する。が、霊夢はどこか呆然とチルノを眺めているだけだ。それもチルノは、自分の美貌に言葉も出ないのだと解釈した。
チルノの手には、おあつらえ向きに麦藁帽子が握られている。室内だからあえて被ることもないのだけど、大妖精は、チルノがそれを被って笑っている様を想像して、自然と顔を綻ばせていた。
よほどそのワンピースが気に入っているのか、飽きもせずにまじまじと姿見を眺めているチルノ。実際、大妖精も、口には出さないが霊夢にしても、チルノの格好がとても似合っていると思っている。大妖精は純粋に感嘆から、霊夢はどこか釈然としない悔しさから、チルノに対する評価を口に出来ないでいる。
ただ、そう。
「でも、ほんとに、ふつうの女のひとみたい」
素直に、大妖精はそう思った。
ぽわわーんと、あたまの上に無数の花を咲かせている大妖精にただならぬものを覚えながら、チルノはそれでも誇らしげに胸を張る。
その快活な仕草そのものは、大人しい服装にぴたりと沿ったものだとは言い辛かったが、これはこれで、彼女によく似合っていた。
微笑んでいる様も、悪態を吐いている様も、腰に手を当て自慢げに鼻を鳴らしている様も。中身は何も変わっていないはずなのに、まるで魂がそうさせてでもいるかのように、チルノは完璧にワンピースを着こなしていた。
まるで、チルノのためにあつらえた服なのかと思えるほど。
「奥義! 見返り美人!」
「奥義?」
「奥義奥義」
「奥義ならしょうがないね」
「奥義だからね」
やり取りは妖精そのものである。
霊夢は、保護者にも満たない傍観者の立場から、そっと溜息を吐いて。
「霖之助さん、今は大丈夫よ」
「……あ、うん。そうか。ならよかった」
店内を隅々まで確認しながら、ふらふらと霖之助が現れる。何故ふらふらしているのかといえば、それは裸眼だからである。替えの眼鏡はなかったのかと問われれば、替えの眼鏡がどこにあるのかも見えなかったのだという答えが返ってきそうで、若干薄ら寒いものを覚えたりもする。
「はい。眼鏡」
「うむ。ありがとう」
大妖精の不安など何処吹く風で、霊夢は拾った眼鏡を霖之助に手渡す。手馴れた手付きで眼鏡を掛け、弦を押し上げ、瞳の焦点をチルノに合わせる。
「ほう」
彼の唇からこぼれ落ちたのは、ほんのすこしの吐息と、大妖精も霊夢も咄嗟に口に出せなかった、単純な褒め言葉だった。
「たしかに、よく似合っているね。きれいだと思うよ」
「でしょ?」
そこそこ自己主張の激しい胸を張るチルノと、霖之助に不躾な視線を送る霊夢。
「……やだ、霖之助さん、変態?」
「何故」
「あ、ごめん、えぇと……ろ、ろりこん? ていうのかしら。よくわかんないけど」
「よくわからないなりに失礼だな君は」
「このろりこんめ!」
「あんまりよくわかんないことは言わない方がいいよチルノちゃん」
「えー」
チルノは不満そうだ。
霖之助はその更に上をいって不愉快そうだったが、あまり彼の機嫌を気にしているものはいなかった。
「しかし、まあ」
咳払いをして、霖之助は椅子に腰掛ける。落ち着ける場所に帰り、霖之助もようやく平静を取り戻しつつあった。目のやり場に困ることも、口ごもることもない。香霖堂の片隅に具現している、育ちすぎた妖精を前にしても、決して怯むことはない。
霖之助は言う。
「それくらい似合っているなら、それを誂えたひとも満足しているだろう。まさか、妖精が身に纏うなんて夢にも思っていなかっただろうけど」
「さすがはあたいね」
「そうだね」
「よし、じゃあこれで決まりね!」
力強く宣言し、チルノは麦藁帽子を握り締め、もはや何者も我が身を止められないのだと言わんばかりに、全速力で外に駆け出していた。
大妖精は、一瞬躊躇してしまった。それが、チルノと大妖精の差である。良し悪しは別として。
試着した状態のまま店の外に出るのは、いわゆる泥棒に当たるのではないか、ましてや帰って来る保証はないのだし、そうなるともしかして自分が責任を取らねばならないのではないか、具体的には霊夢をしてろりこんと言わしめた霖之助の手によってあれやこれやのもにょろもにょろといった具合にだね。
もうだめ。
「君」
「あぁッ、やめてください……! わたッ、わたしのような妖精にも、貞操というものが……!」
「霖之助さん……」
「君ら」
よよよと崩れ落ちる大妖精と、そして侮蔑の視線を容赦なく与えてくる霊夢。その両端を見、嘆息し、霖之助はひとまず大妖精を起き上がらせた。
「うぅぅ……後生です……」
「君が何を想像しているのかわからないが、僕は別に君をどうこうしようなんて欠けらも思っちゃいない」
「ほ、ほんとですか……?」
大妖精は不安げである。
「信じてくれと言い切るには、僕は君のことをよく知らないし、君も僕のことなど解っていないだろうけどね。客に手出しするほど落ちぶれちゃいないつもりだよ。僕は」
「でも、ろりこん……」
「だからそれはどういう意味なんだ」
霊夢に訊いても、私に聞くなと言わんばかりに目を逸らす。やれやれ、と霖之助は肩を竦める。
程無くして、大妖精も落ち着きを取り戻し、扉を開け放って飛び出して行ったチルノを追うべきか、それとも店主に謝るべきか、どちらを選ぶか苦悩する段階に移行した。
霖之助は、全ての混乱を一気に背負い込もうとしている妖精に、ひとつの道標を与える。
「ワンピースのことは、気にしなくてもいいんだ」
「……え、でも……」
「いずれ、対価は払ってもらいたいが。それが今じゃなくてもいいと、そういうことだ。無論、服を返しに来てくれるのなら、僕はそれでも構わないよ。いずれにせよ、君が負い目を感じる必要はない。……何、もとから倉庫の奥に突っ込んでいたものだ。損害からしてみれば、大したことじゃない」
それでも、霖之助は苦笑する。またひとつツケが増えたかと自嘲する笑みに気付けたのは、おそらく彼一人だけだったろうが。
大妖精は、しばしどうすべきか佇み、その後に、ぺこりと可愛らしくあたまを下げた。
「ありがとうございます。わたし、行きます」
「それがいい。危なっかしいからね、あの子は」
「でも、可愛いんですよ」
同意すべきか迷い、結局、手を振るに留めた。
大妖精は、母親のような微笑みを残し、香霖堂を後にする。
窓から舞い込む風は、もう妖精を取り巻くこともない。
たったふたり、二人分の質量がなくなっただけでも、店内はひどくがらんとしたように感じられる。
霊夢は、眺め続けていた外にも飽きて、再び店内に意識を戻す。そこには、訪れたときと変わりなく、椅子に座り、本に目を落としている霖之助がいる。
異常と呼ばれるものは、もうここにはない。
香霖堂に訪れた妖精たちでさえ、異常であったのか、異変であったのか、それともよくある話であったのか、今となっては、思い出すこともできなかった。
「ふう」
窓枠に背中を預け、肘を掛ける。
背を反らし、見上げた空は、あの妖精が身に纏っていたような澄み切った青。
それが、やけに眩しく見えた。
「霊夢」
「ん」
霖之助の声を聞き、霊夢は店内に顔を向ける。
切迫した様子も、緊迫した様子もない。暇潰しの類だろうなと思い、それなら別に乗っても構わないかと欠伸をする。
むにゃむにゃとまぶたを擦る霊夢に、それでも別に構わないというふうに、霖之助は言った。
「君は、妖精の材料を知っているかい?」
突風が、少し伸びた前髪を揺らし、まぶたの上に触れ、不意に目を瞑る。そろそろ切らなければ、と思う。
風に舞い上がる紙の束を他人事のように眺めながら、霖之助はじっと椅子に座っている。床に落ちた紙を拾う様子もなく、先程霊夢に問いかけた要領を得ない質問の返事だけ、ただじっと待ち続けている。
仕方がない、と霊夢は口を開いた。そっと、視界の端に滑り込む黒髪を撫でる。
「材料だなんて、また随分と物騒な話ね」
「そうでもない。物事には、それを構成する何かが複数存在するものだ。無論、物質的、精神的、あるいは霊的なものに限らず」
興が乗ってきたらしい霖之助の話に、真面目に付き合うべきかどうか逡巡し、結局はすることもないから話に付き合うことにする。
「妖精は、自然の具現とされている」
そこでようやく、霖之助は床に落ちた紙を拾い始める。霊夢は、その光景を当たり前のように眺めている。決して手伝ったりはしない。見たくもない内容の文が載っていたら、それを偶然にも目に留めてしまったら、善意で行動を起こしたぶん、動揺も大きい。
いちばん大きい動機は、動くのが億劫だったからだけれど。
「だが、常々疑問に思っていたことがある」
「どのへんが」
適当に相槌を打つ。
「顔だ」
霖之助は言う。霊夢は首を傾げる。
試しに自分の頬に触れてみるが、特に意味はなかった。なんとなくだ。
「……顔?」
問い返す。
「これは、一部の妖怪や神にも言えることだが、妖精に親はいない。ならば、妖精の顔は誰が決めた?」
「決めた……ていうか、はじめから決まってるんじゃないの。そういうもんだと思うけど、多分」
あるがままに、という信念のもと、霊夢は答える。
だが、霖之助は小さくかぶりを振る。
「妖精は自然の具現」
「さっき聞いたわ」
「だから、自然に帰した人の魂を投影し、その者の外見を映した妖精が現れても、おかしくはない」
詰まることもなく、考えていたことをすらすらと喋る。霊夢の理解が及んでいようとなかろうと、そんなことはあまり関係がないのだと言わんばかりに。実際、霊夢もよくわかっていない様子だったが。
「顔、ねえ。まあ、たしかに似たり寄ったりの顔も多いかしらね、妖精。そんなにじっくりざっくり見てないから、なんとも言えないけど」
壁に掛けられた姿見を見れば、見慣れたはずの自分の顔が小さく映っている。これが自分の顔であるという理解はあるのに、たまに、これが本当に自分の顔なのかと、納得しきれないときもある。
あるいは妖精も、そんな煩悶を抱くことがあるというのか。
「川の氾濫に巻き込まれたもの、湖の深みに足を取られて溺れたもの、森に迷い込んで朽ち果てたもの、どれもこれも、無用心な幼子の末路だ。そして妖精もまた、幼子の姿をしているものが多い」
「……」
霊夢は何も言わない。ただ、風に踊る前髪を少し鬱陶しそうにしている。
霖之助は続ける。
「妖精は、傷付いてもすぐに蘇る。たとえ消滅しても、何事もなかったかのように復活する。生き死にの概念を超越しているかわり、その成長を止めている」
「でも、あの子、明らかに膨らんでたわよね」
「そこだ」
指摘する。注視され、霊夢はたじろぐ。
死した幼子の魂を映し、その姿を投影する妖精。全ての妖精がそのような経緯を辿るわけではないにしろ、霖之助の言うように、チルノや大妖精、光の三妖精など、個々の見分けが付くような容姿をしているものたちは、確かに存在する。
チルノは、妖精でありながら成長した。それも一晩で。
そこに何か、答えがあるのではないか。
霖之助はそう考えた。
「若干、話は変わるんだが」
「どうぞ」
えもんかけに引っかかっている、何着かの服を見やる。フリルがあしらわれたピンクのドレスであるとか、季節の花が描かれた和服であるとか、残念ながら、霖之助は到底縁のないような代物ばかりである。
霊夢が、不自然に女気のある服と、霖之助とを見比べていることに気付き、霖之助は苦笑する。
「霊夢の疑問に答えると、これは貰い物だよ。入荷するものの多くは拾い物だけれど、その他にも、里の人から要らないものを買い取ったり、無償で譲り受けたりすることもある」
「呪いの人形とか?」
「それは本来、君がお祓いするべきものだと思うけどね」
「嫌よめんどくさい」
正直に、霊夢は言う。霖之助は失笑する。
「昔、娘に着せたかったという服を預かった」
風が止まる。
今、妖精たちは何処にいるのか。はしゃぎ回って、疲れ果て、草に寝転んでいびきを掻いているのか。
「今、あの子はその服を着ている」
幼くして、湖に消えた我が子のために。
この子が成長したら、きっと似合うだろうと思って、微笑みながら見繕った服なのだけど。
もう二度と、それは叶わないから。
「似合ってたわね」
「あの服を見繕ったひとも、きっと喜んでいるはずだ」
「そうね」
霊夢は、小さく頷く。
髪の先がまぶたの上に触れ、不意に、瞳を閉じる。
まぶたの裏には、真っ白なワンピースを身に纏い、湖に足を浸して、どこか勝ち誇ったように微笑んでいる、大きな妖精の姿が浮かんでいた。
空には赤みが差している。
遊び疲れて、はしゃぎ疲れて最後に座り込んだ湖の岸辺、夕凪に止まる湖の波が、あたかも鏡のように思える。
チルノは、無敵だった。
正義は我にありと、あれちこちらを飛び回り、大妖精を振り回して、他の妖精や妖怪にちゃっかいを出し、訝しげな顔をされながら、弾幕ごっこに勤しむ。敗れることもあれば、稀に勝利を収めることもある。
ちくしょーと嘆き、よっしゃーと叫び、縦横無尽に世界を駆け抜ける氷色の妖精は、この世界の中で最も美しく輝いていた。
人に似て。
けれども決して人と相容れない存在である、妖精として。
「あー」
疲れ切って、それでも満足げな笑みをこぼしながら、チルノは大の字になって草の上に寝転んだ。その隣に、膝を抱きかかえるように座っている、大妖精の姿がある。
「楽しかったー」
「楽しかったね」
本心だった。
通りすがりで喧嘩を吹っかけられた三妖精には同情を禁じ得ないが、高飛車な笑い声を上げながら彼女らを蹴散らしていくチルノは、女王様とでも呼ぶべき傲慢さに満ち満ちていた。その後、通りすがりの魔法使いに轢き逃げされたりもしたが、それを含めて今日の日を楽しむことが出来た。
それが何より嬉しい。
「あの人間たちの反応、おもしろかったなー。ばかっぽくて」
「でも、仕方ないと思うよ。いきなり、今のチルノちゃんみたいな女の子が現れたら、誰だって見惚れると思うもん」
「だよね!」
飛び起きるチルノに、うんうんと頷いてみせる大妖精。
チルノは周囲の反応を確かめるため、面白半分に里へと赴いた。そこで彼女を待ち受けていたのは、予想を遥かに超える人間たちの羨望の眼差しだった。老若男女を問わず、なんだあの子は、かわいい、かわいい、と遠巻きにひそひそ話の花咲爺さん状態。これにはチルノも気を良くして、鼻息も荒く往来を駆け抜けていき、置いてけぼりを喰らった大妖精が慌てて彼女を追いかけていったことも今では懐かしい。
そこでもし人間の男たちに声を掛けていたら、チルノの化けの皮が瞬く間に剥がれていただろうが、今回ばかりはチルノの暴走が良い方向に働いた。里には謎の美少女が現れたという噂だけが残り、当の本人はぐだーっとだらけた姿で草むらに寝転がっている。
どんなに可愛くても、絶世の美女たる素質を持っていても。
チルノならば、妖精であるならば、背伸びをしてもそんなには大きくならないのである。
「はー、でも疲れたなー」
「そうだね。あちこち行ったもんね」
「からだが大きいから、いつもよりいっぱい疲れた気がする。おっぱいとか」
「うん……すっごく揺れてたもんね……」
なんとなく、沈黙が流れる。
何やら察したらしいチルノが、大妖精の背中を力強く叩く。うぎゅッ、と大妖精の喉から妙な息が漏れた。
「まあ、あんたもそのうち大きくなるって!」
「う、うん、がんばる」
何をどう頑張ればいいのか皆目見当も付かなかったが、とりあえず大妖精はそう答えておいた。どうせなら夢は見たいものだ。たとえ絶対に叶わないと知っていても。
「明日は、どうしよっかな」
明日。
気軽に、何も考えていないというように、チルノはそんなことを言う。
大妖精は、朧気に解っていた。何故かはわからないが、解ってしまったことそのものに意味はないのだろうと思った。
チルノが成長してしまったこの奇跡は、そう長くは続かないのだと。
チルノも、心のどこかで、すぐにまた元通りになることを理解している。けれども、こんな機会はもう二度と巡らないだろうから、また明日も、こんな自分を楽しみたいと思っている。そうありたいと願うから、素直にそう口にする。
叶わない願いと知りながら、それでも。
夢は必ず覚めるものだと知っていても。
「ね」
チルノは、何も語らない大妖精に、そっと語りかける。
大妖精も、何か意味のある言葉は発さず、ただ視線だけをチルノに向ける。変わりすぎた友人の姿を、何も変わらないチルノの姿を、誰かの望みを体現したような妖精の姿を。じっと。
「明日も、遊んでくれる?」
澄み切った青の瞳の中に、緑の目をした少女が映り込んでいる。嫉妬を司る緑の瞳は、純真を纏った蒼の眼差しに吸い込まれて、やがて垣根は無くなる。
約束など、することはなかった。しなくても、いつも側にいたから、する意味がなかった。
でも、今は明日が不安だった。明日が来ることではなく、明日が来れば、夢から覚めてしまう。今ここにいる自分が、跡形もなく消えてしまう気がするから。
チルノはチルノで、また何事も無かったように生き続けるだろう。でも、今ここにいるチルノは、他の誰かが夢見た誰かの偶像なのだ。チルノではない誰か、あるいは、遥か昔にチルノであったはずの誰か。
その、名前も知らない誰かが成長した、ありえない夢の果て。
それが、今のチルノなのだ。
「指きりげんまん」
人間がするように、細長い小指をそっと差し出す。
微笑みはどこか寂しさを漂わせていて、いつも元気なチルノはあまり見せない表情である。けれど、今のチルノには、その憂いを帯びた表情が、よく似合っていた。
大妖精も、そっと小指を差し向ける。
「げんまん、てどういう意味なんだろ」
「確か、約束を破ったらげんこつで百万回殴る、て意味だったと思うよ」
「一日かかるね。大変だ」
「うん。だから、私は破らないよ」
小指を絡めて、どちらともなく、節をつけて上下に揺らす。
――指きりげんまん。
湖に響く妖精たちの歌が、凪いだ水面をゆっくりと滑っていく。
楽しそうに、寂しそうに。
必ず訪れる明日を夢見て。
夢の終わりを、その澄んだ声色で教えてあげる。
夢を見たのは誰だったのだろう。
夢を見たかったのは誰だったのだろう。
氷色の夢は空へ舞い上がり、逢魔ヶ刻に儚く溶けた。
魔法の森にも、紅葉の波は変わることなく押し寄せる。赤に黄に、移り変わる自然の色彩に目を奪われ、霖之助はしばし窓の外に見入っていた。昨日も一昨日も、家の中から紅葉狩りを楽しんでいたはずなのに、昨日も一昨日も、紅葉の色は微妙に異なっているように思える。
日を追うごとに、風は冷たく、肌を切るように吹き抜ける。窓を開け放しにしていると、次第に本をめくる指がかじかんでくる。夏が終わり、秋が来て、冬に向かう道筋は毎年決まって訪れるというのに、どれだけ年を重ねても、四季の変化には目を細めてしまう。
なまじ、霖之助が半人半妖であり、外見も中身もさほど変わらない存在であるから、余計に感慨深いものがあるのかもしれないが。
「いらっしゃい」
親指を栞代わりにして、読みかけの小説を閉じる。
開きかけた扉の隙間から、秋に彩られた十月の風が吹き込む。一旦、躊躇うように動きを止めた扉は、小さな誰かの励ましの言葉によって、ゆっくりと、しかし確実に開かれていく。
「君か」
妖精は、可愛らしい仏頂面を引っさげたまま、すぐに破裂しそうな沈黙を保っている。両手に抱えた純白のワンピースを、明らかにサイズの合わない麦藁帽子を、それでも決して手放すまいと誓っているかのように。
その妖精の名前を、霖之助は覚えていた。
「チルノ」
「なに」
不服そうに、少女は答える。絶対に渡さないぞと心に決めているくせに、表情はどこか弱気に映る。駄々を捏ねているだけなのだと、自分でも解っているせいかもしれない。それでも、我がままを通したいものだから、ワンピースを強く掻き抱いている。
チルノは、いつかの日に見たような十代後半の少女ではなく、十にも満たない幼い子どもの姿に戻っていた。
そのどちらかを本当のチルノとするならば、誰もが今現在のチルノこそ真のチルノだと言うだろう。
けれど。
チルノにとっては、どんな自分も、本当の自分だったのだ。
だからこそ、その証たるワンピースを、未だに手放せないでいる。
「今日は、どのようなご用件で」
恭しく、お客様に向かって丁寧に挨拶をする。
対するチルノは相変わらずの不機嫌さで、小さくほっぺたを膨らませて、不貞腐れたように返答する。
「……何よ。用事がなかったら、来ちゃいけないわけ?」
「いや、そういうわけでもないが」
人差し指で頬を掻く。どうやら、彼女が自分から本題を切り出すためには、誰かの後押しが必要であるようだ。けれど、それに関しては問題ないように思える。
開かれた扉の向こう側から、窘めるような、宥めるような、優しい声が忍び込んでくる。
「チルノちゃん」
「う……」
チルノはたじろぐ。背中を押され、もはや一歩も退けないことを知る。
霖之助は考える。
チルノが香霖堂からワンピースを持っていったのは、もう二ヶ月も前のことになる。それから今まで、チルノが此処を訪れたことは一度もなかった。
彼女が幼い姿に戻ったのは、もっと早い段階だったのだろう。けれども、彼女は諦め切れなかった。その葛藤、大妖精の説得、悩み続けた二ヶ月の果てに、ひとつの答えが出た。
だから霖之助は、いつまでも続くかに思える沈黙を、甘んじて受け入れる。
チルノが導き出したその答えを、笑うことなく、尊重することを選んだ。
一歩、たった一歩だけ、チルノは前に進み、ずっと抱き締めてたワンピースを、霖之助に突き出す。
「……これ」
続きは、なかなか言葉にならなかった。
霖之助も、何か意味のある言葉を紡ぐことはなく、ただ黙ってワンピースを受け取る。真っ白で、たった一回しか袖を通すことのなかった服が霖之助の手に渡ると、名残惜しげにワンピースの端を掴んでいたチルノの手が、ふっと離れる。
急に手放されたせいで、ワンピースの裾が床に落ちた。チルノはただ、その軌道を瞳に焼き付けるだけで、手を伸ばすことはなかった。
「返せ返せって、後ろの緑がうるさくてさ」
「緑……」
緑の髪と、緑の瞳をした妖精の少女が、物言いたげにチルノの後ろに佇んでいる。
チルノは、照れ隠しのように少しだけ笑って、またすぐに明朗快活な表情に舞い戻る。いつもの、変わり映えのしない氷精の姿。妖精はやはりこうであるべきだ、などと、達観したことを言うべきでないと知っていても、霖之助はチルノの表情に惹かれた。
びしッ、と霖之助を指差している妖精が、あまりにも輝かしくて。
隙間風が冷たいけれど、きっとそんな寒ささえ彼女は慈しんで抱きしめるのだ。痛みも、悩みも、寂しさも。人が憂うべき事象を抱き締めて、己を苛む変化をも愛して。
ただ、ありのまま。そうありたいと願うから。
チルノは、こんなにも輝いているのだと。
「いつか絶対、それが似合うような絶世の美女になってやるんだから!」
ふと、そんなことを考えた。
「それまで、ちゃんと預かっててよ!」
「――あぁ。約束する」
頷き、満足げに笑うチルノを前にして、霖之助も顔を綻ばせる。
元々、香霖堂から勝手に持ち出したものであるなどと、無粋なことを言うつもりはなかった。そんなことはもう慣れている。権利を主張するよりも大事なことが、たまたま目の前にあったというだけの話だ。
ワンピースはどこに保管しよう。まさか一朝一夕でチルノが成長するとも思えないから、倉庫の中でもいいのだけれど。だがやはり折角だから、香霖堂に訪れた人が一目で解るよう、目立つところに置いておくべきだと思うのだ。
あの日のチルノを、いつでも思い出せるように。
いつか、チルノが本当に成長したときに、どなたですかと尋ねる無礼がないように。
「まあ、どうせだから、あんたが死ぬまでには何とかしてあげるわ。もっかい、あたいのぼんきゅっぼーんな姿を見るまでは、死ぬに死ねないと思うしね!」
「それはありがたいね」
素直に、霖之助は感想を述べた。
大妖精がひょっこり店の中に入ってきて、こそこそとチルノの隣に歩み寄る。チルノは、そんな彼女の髪に触れたかと思うと、力いっぱい髪をぐしゃぐしゃにしてあげた。
「ああぅぅ!?」
完全に嫌がらせである。
大妖精も、何をされたのか解らないというふうに、目をきょろきょろさせている。
「え、え?」
「にゃはは、あたいをさんざん急かした罰よ!」
「う、でも、それはだってチルノちゃんがわあぁああ」
言い逃れをしようという最中に、チルノは再び大妖精の頭をぐしゃぐしゃにすべく飛びかかる。くんずほぐれつ、絡まりあって床を転がる妖精たち。
騒がしい光景を静かに見下ろして、霖之助はひとまず外に連なる窓を閉めた。
ガラスの向こう側に広がる原色の世界は、優しい色合いで霖之助の目を癒してくれる。
背中を叩く、笑い声のような、喘ぎ声のような、楽しそうな声を聞くたび、ふっと頬が緩む。
娘を持つ父親というのは、こんな気分なのだろうかと思いながら。
「秋、か」
霖之助は、四角い枠に縁取られた、一枚の紅葉を瞳に焼き付けた。
SS
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