鈴仙うさぎ





「暇ねー」
「ですね」
 輝夜のぼやきに永琳が同意する。永遠亭ではありふれた光景も、まだ永遠亭に属して間もない鈴仙には物珍しい風景だ。いつもいつも暇だ暇だ呟いてるなんて、もっと他にやることもあるんじゃないかなぁとか類稀なる忠臣ぶりを遺憾に発揮したりしている。駄目じゃん。
 永遠亭の廊下は長い。無駄に。噂ではてゐがトラップを仕掛けやすいようにこういう設計をしているそうだが、誰を陥れるためなのかはいまいち判然としていない。
 その道を、ぽてぽてと竹取姫が従者を連れて歩いて来る。鈴仙はたまたま通りすがっただけの目撃者に過ぎないから、この事件に関しての釈明を求められても困る。
「ふわぁ……」
 と欠伸して、ぱっくり開いた輝夜の口内に、何処からか芋虫状の何かしらが放り投げられる。あくまで『状』に過ぎない物体であると鈴仙は思う。まさか本当の芋む(検閲削除)である筈がない。いや全く、我ながら恐ろしい想像をしたものである、と鈴仙は廊下を吹いていた濡れ雑巾で額の脂汗を拭う。錯乱、ここに極まれり。
 鈴仙は、現実逃避気味に『うわぁ、いつもあれだけ寝てるのにここに来て欠伸とは労働者を馬鹿にしてるよねー』とか考えたり、何故だか判らないが上下左右・前後斜角に存在し得る逃走経路を毎秒十六回のシャッター速度で確保したりしていた。
 なにせ、偶然にも輝夜と永琳が歩いてきたこの廊下に居るのは、事もあろうに鈴仙うさぎタダ一匹。
 しばし、永遠を引き伸ばしたかのような沈黙と、新感覚のガムを咀嚼するような毒見タイムが慎ましやかに進行していた。じっ、とその場に留まり、輝夜の口の中の安寧を祈願する。というか、もし差し障りがあったなら、その十分の一秒先には斜め後方二十三度角にてゐクラスの体長ならば辛うじて飛び込めるであろう退避経路に、多少ではなく人間の身では不可能なレベルの無理を図って身体を捻じ込もうと心に決めている。つーかもう決めた。この気持ち誰にも譲らない。
 もごもご、むぐむぐ、ごっくん、と非常に判りやすく素材を噛み砕き、胃の向こう側にナニモノかを嚥下した輝夜は、何食わぬ顔で隣りに佇む永琳に問い掛ける。
「……いなごのつくだに?」
 とりあえず、味覚では判別できなかった模様。いなごに毛は生えていないと思う、と鈴仙は致命的な誤りを発見する。グルメな輝夜でも理解できない味のいも(検閲削除)とは、全くもって不可解極まりない。鈴仙は一応死を覚悟しておいた。お口直しに食われる覚悟も決めた。そう簡単には食われまいとも思うが、もし食われたら輝夜の目が真っ赤になるように呪いを掛けてやろうとも決意した。全部後ろ向きな結論なのだが、だって師匠から逃げられる訳ないじゃーんと半ば人生ドロップアウト気味の鈴仙・優曇華院・イナバうさぎであった。
 永琳は、輝夜の健気な問いにも、明瞭かつ簡潔に正答を述べる。真実はいつだって過酷だ。
「輝夜様。それは春によく道端で牛車に轢き殺されて胴体を引き千切られている類のい(検閲検閲検閲」
 わざわざそんなエゲツない言い方をすることもないだろうに、永琳はあえて容赦のない文言によって輝夜に教えを施す。ちら、と輝夜の黒瞳が鈴仙の赤い瞳を捉え――。

赤眼催眠(マインドシェイカー)ッ!!」

 宣符する。それ以降はもう考えない。自分の術が師匠や蓬莱の民に通用するのかとか、仮に逃げ遂せたとしても行く宛てはあるのか、帰って来た時に見るも無残な報復を受けなければならないのではないか、等々の謎は尽きないが、そこら辺を事細かに考えていては永遠亭での生活は送れない。
 赤眼発動、同時にバックステップ、そして足止め程度に弾丸をばら撒く。当てる必要も展開する必要もない。交通事故にならない程度の砂利でいい。バナナの皮で足を滑らせる必要すら存在しない。自分は瞬きする一秒後に、後ろ斜め二十三度六分角にある全長三十糎四方の緊急退避経路に無理やり身体を詰め込んでいるのだから。ダイエットしてて良かった。
 速い。速すぎる。まるで宙を飛ぶ鳥にでもなったかのようだ。火事場の鴨ネギとはよく言ったものである。
 鈴仙は自分が見惚れてしまうくらい華麗に迅速に背面に跳躍し、例の逃走経路に突貫する。放出した幾十の弾丸は幾重にも重なり、幻視を伴って永琳と輝夜の周囲に次々と着弾する。鈴仙の手はさかしまに裏返った廊下の壁に接触し、永琳は動かず、輝夜は何も命じない。
 勝った、と思った。
 めこ、みし、という判りやすい破砕音を耳にするまでは。
 しかも衝撃音と耳の位置が近いもんだから余計によく響く。痛みとの相乗効果で精神ダメージは相当なランクに達している。
「あっあっ、開かない……ッ! こんな時に、どうして――!」
 悲鳴は激痛に掻き消される。こりゃあ突き指どころの話じゃない。剥離骨折もいいところだ。
 怒りに満ち満ちた視線は、当然のごとく退避経路へと浴びせ掛けられる。緊急だってのに何故に開かない。しかも、あろうことか空間と空間が三十年ぶりに再会した親子みたいなシチュエーションで固く抱き合っているたあ一体どういう了見だ、と鈴仙も思わずミニスカラビットのキャラを忘れて額に血管を浮き立たせる。決して師匠の前では己の醜い面を曝け出さない鈴仙うさぎも、流石に身の危険をひしひしと感じている場であれば、己の衝動に任せて正直な行動を取ってしまうのもやむなしと言った具合である。
 強く激しく邪念を込めて睨み付けた退避経路(跡)から、不意に紅い文字が浮かび上がる。鈴仙は自分の血かとも勘ぐったが、どうも違うらしい。というか、ちゃんと署名が成されているから誰が書いたのか一目でわかる。安心だ。

『は・ず・れ♪ てゐ』

 出た。
 出よった。
 まさか、こんなテンパってる時に出現するとは想像だにしなかった。これぞてゐマジック。流石はイナバ、百人乗っても大丈夫というだけのことはある。というか乗らないけど普通。
 ここまで来ると悪戯じゃなくて謀略に近いと思うのだが、そこのところあの白兎を何を考えておいでなのか。この身は月のうさぎなれど、いざとなったら鮫っぽい感じに進化してその毛ぇ全部むしったろか、などと、穏やかではない妄想にも浸ってしまう思春期の鈴仙うさぎだった。
「……あ、あ、あのイナバぁ……!」
「あら、奇遇ね。あなたもご立派なイナバじゃない」
 声が聞こえる。
 それは一体どんな声? 脳が解析結果を公開しない。無理やりに閲覧した情報は、その声が永遠亭の主たる蓬莱山輝夜のものであると教えてくれた。本当はあまり知りたくなかったが。知ってしまえば、それから先は徐々に増幅していく地獄に恐れ戦き、媚びへつらうことも許されない螺旋階段を転げ落ちる運命に晒されてしまうのだから。
 彼女たちは笑っている。輝夜は無慈悲に、永琳は無機質に、鈴仙は無気力に。そのどれもが感情の最大発露であることには違いないが、最高点に達すれば後は下るのみ。
 鈴仙は、泣き笑いで振り返る。
 逃げ場は、無い。

 そこには、悪鬼羅刹の表情を浮かべた永遠の首謀者が――。




−幕−







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2005年4月10日 藤村流

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