box in the cafe terrasse  〜 counter-Midgardsormr

 

 

 

 宇佐見蓮子が待ち合わせに遅れるのはメリーの中で確定している原理であり、彼女が待ち合わせ通りの時間に現れたとしても、それがすなわちメリーがさんざん命じている遅刻の改善が功を奏したものだと諸手を上げて喜ぶことは出来ない。
 現実はかくも非情であり、翌日にはまた相も変わらず待ち合わせの三十分後に現れるという結末に見舞われる。
 だから、待ち合わせの時間より早く蓮子がいつもの席に腰かけていたとしても、驚きこそすれ、決して褒めることはすまいとメリーは心に決めていた。
 こほんと咳払いをし、平静を装って向かいの席に座る。
 蓮子がにこにこと笑っているのは、メリーが遅れてきたからに違いない。蓮子ともあろうものが、随分と俗物じみたものねと心の中で揶揄する。
「遅刻、遅刻したの? ねぇ、メリー、メリーってばー」
 テーブルに置いた袖を盛んに引っ張る。
 その子どもじみた仕草が実に彼女らしく、メリーもつい気を許しそうになるけれど、ここで流されたらいつもの展開だと心を引き締める。
「遅刻じゃないわよ。時間通りに来たら、蓮子が先に着いてたの」
「でも、私より後に来たことに違いはない。でしょ?」
 蓮子はどうあってもメリーを負かしたいようで、メリーも意地を張る必要はないかと思い始めていた。このまま意固地に遣り合っても、お腹は減るわカフェに迷惑は掛かるわお腹は空くわで、何も得るものが出来ない。
 メリーは人差し指でこめかみを撫で、面倒くさそうに言った。
「……そうね、遅刻した、私は遅刻しました。あろうことか、いつもいっつも待ち合わせに遅れてくれる蓮子より後にカフェに入るという、人類史上未だかつてない愚行を犯しました」
 はい、これでいいわね、と乱暴に切り捨て、メリーは右手を挙げて店員を呼ぶ。
 ぽかーんと口を半開きにする蓮子をよそに、サテライトアイスコーヒーひとつ、などという大宇宙的な注文を告げていた。

 

 

 お決まりのやり取りも終わり、気が抜けた二人は弛緩した会話に没入する。
 昔に流行ったアニメの主人公を描いたら何故かメフィストフェレスじみた物質を召喚しそうな魔法陣になっていたり、新作のケーキに使われている材料の出自を探っていたら卵が先か鶏が先かという古典的な話題にすりかえられていたり、退屈だが、飽きない話し合いが続いていた。
 けれども、二人が営むサークルのこれからを話すことは怠らない。
 秘封倶楽部。
 この世界のあちこちに点在する結界の境目を探り、あわよくばその裏側を垣間見ようという目的をもったサークルの活動内容は、時に過酷を極め、時に胃が膨れ、時に腹がもたれる。
 それというのも、そこかしこに摩訶不思議がころころ転がっている訳でもないから、通常はカフェテラスやら喫茶店やらであれこれ姦しく議論しながら女の子らしくスイーツに夢中、という末路に至ることもしばしばあった。
「今日は、特に目ぼしい情報もなく?」
 人工衛星特注のサテライトアイスコーヒーを流石にこの地上で飲むことは叶わず、メリーは渋い顔をしたまま通常のアイスコーヒーを啜っていた。
 蓮子も、苦い顔をしながらレモンスカッシュを飲んでいる。
 なんで苦い顔をしてるんだろう、と思ったが、苦々しく思っているのはメリーの言葉のせいかもしれない。得心がいった。
「メリーが、何をもってして無いという結論に至ったのか見当もつかないんだけど……まぁ、確かにないと言えばないんだけど、実はこんなものを用意しておりまして」
 どん、と白いテーブルクロスの上に、何やらいわくありげな箱を載せる。
 ぱっと見は、ケーキを包むような純白の箱である。丁寧に赤いリボンまで施されており、これはどうみても誰かに贈るプレゼントとしか思えなかった。
 加えて、蓮子は自分にプレゼントを贈るという悲しい人格を背負った宿命の女性であるはずもないから、これはすなわち対面の席に座っているメリーにあてられた贈り物ということになる。
「え……?」
 照れる。
 今日は何の日だったろう。
 誕生日、違う、二人が初めて出会った日、でもない、というか詳しいく覚えていない、蓮子の誕生日、だとそれは蓮子が悲しい宿命を以下略の女の子になってしまうから考えにくく、とりあえずあれこれ試行錯誤するよりか蓮子に直接尋ねた方がいいという帰結に至った。
 蓮子には負けるが、メリーも物事を深く考える性質である。
 言葉を変えれば、夢見がちと呼ばれることもあるほどに。
「あの、蓮子……それは、なに?」
 カフェテラスに堂々と市販のケーキを持ち込む者も珍しい。それでなくても、明らかにそれと分かる箱の出現に、全く関係のない客の注目も集めるという予想外の事態に陥ってしまった。
 にふふと不気味に笑う蓮子は、おもむろにリボンを解き始める。
「ふふ、覚悟しなさい……これは、ただの箱ではありません。メリーが大好きで大好きで仕方のないケーキでもありません」
「そんな中毒症の人間みたいに言わなくても……て、ただの箱じゃなかったら、つまるところ何なのよ。もったいぶらないで教えなさいよ」
 なかなか真相を切り出さない蓮子に、メリーの苛立ちは募る。
 その沸点を慎重に計り、蓮子はとうとう箱に関する告白をした。
 がさごそと物音がする。
 メリーは、あえて聞かなかったことにした。
「これは、シュレーディンガーの箱のモデルなのよ!」
 どーん! とテロップが出そうな勢いだった。
 箱はがさごそと揺れている。
 聞こえない、聞こえない。
 蓮子がテーブルを叩きながら何を口走ったのかも聞こえないことにしたかったが、聞こえなかったと言うときっと同じことを何度も言い直して結果的にがさごそがさこそと喧しいからやっぱりどうにもならない気がする。
 ため息も出なかった。
 初めにプレゼントだとか妄想した脳に鎮静剤を打ってやりたい。
 あと蓮子にも。
「……思考実験は、頭の中でやってもらえる?」
「実験だからこそ現実として認識しなければならないのであり」
「御託はいいから、箱の中にいる猫を解放しなさい。可哀想だから。泣くから」
 主に自分が。
 しかし、蓮子は何故か不思議そうに箱の外壁を抱えている。
 メリーの言葉に、何か引っかかるところがあるようだ。
「……メリー、何を言ってるの?」
「それは私の台詞ということで見解は一致してるけど」
「中に入ってるの、猫じゃないわよ」
 がさごそ、がさごそ。
「……え?」
 ずるずる、わさわさ。
 しゃー。
「いまシャーって言った!」
「そりゃ言うわよ。蛇だし」
 蛇かよ。
 蓮子が何故当たり前であるかのように佇んでいるのか、メリーは全く理解出来なかった。エルヴィン・シュレーディンガーの意図を汲んで頑として猫を入れるんだ! と思い切らなかっただけ幸いかもしれないが、猫に幸いでもメリーには有害だった。
 無論、話を聞いていた客が一斉に避難を開始する。
 もしかしたら、避難訓練も蛇や蜘蛛を用いれば真に迫った訓練が出来るんじゃないか、と半ばどうでもいいことを考えるメリーだった。
「でも、放射性物質も青酸ガスも出ないから安心して。死んじゃうし」
「そうね、死んじゃうもんね」
 この期に及んで淡々と解説を続ける蓮子も本物だが、彼女に付き合って地獄の果てまで付いて行こうと脂汗を流しながら決意を固めているメリーもなかなかの逸材だろう。
 秘封倶楽部が、二人でひとつと言われる所以である。
「で、これをモデルにして観測実験もしたいんだけど、それをメリーの部屋でやってみるのはどう?」
「お断りします」
「じゃあ決定ね」
「やめて、蛇は嫌いなの、ほんとにやめて。臭いが付くし、爬虫類だし、だからって蛙や蜘蛛がいいってわけじゃないのよ。とにかく他人の部屋で量子力学の実験に勤しもうという神経が間違っているのであって、あ、これは別に蓮子の人格を否定しているわけじゃなくて――」
「メリー」
 蓮子が、慌てふためくメリーに優しく微笑みかける。
 その聖母にも似た笑みを受け、メリーは不意に言葉に詰まらせる。蓮子は、それを見計らってメリーの後ろをゆっくりと指し示す。
「店長さん」
「あ」

 お客さん、他のお客様と主に私が迷惑しているので、早急にお引取りを……

 

 

 とぼとぼと帰る路地は夕焼けに染め抜かれ、オレンジの道を丹念に踏み締めながら歩いて行く。
 蓮子は相も変わらずがさごそと蠢き回る謎の箱を抱え、メリーはしゃぼくれている蓮子を慰めながら共に家路を急ぐ。
「しばらく、構内のカフェには寄れないわね……あーあ、新作のケーキ食べたかったなぁ……」
「……それは、ごめんって言ってるじゃない」
 学者はいろんなものを犠牲にしないと生きていけないのよ、と負け惜しみの台詞を吐く。それと知りながら、メリーははいはいと挑発するように繰り返す。
 蓮子も、一時は子どものように頬を膨らませていたが、時が経つにつれ、場違いな怒りも霧散したようだった。
「……毒蛇だったからだめだったのかな」
「衛生上の問題に決まって……いま毒蛇って言った?」
「ガラガラヘビがよかったんだけど手に入らなくて」
 マムシでごめん、と何故か謝罪する。
 蛇もしゃーしゃーと咆える。
 怖い。
「……えーと、燃えるごみはあっちだけど……」
「動物の死体は燃えないごみじゃなかった?」
 どっちでもよかった。
 蓮子が如何なる手段を用いてマムシを採取したかはともあれ、問題は蓮子がいつまでシュレーディンガーのマムシを抱えているかである。
 メリーは恐怖した。
 まさかと思うが、まさか、自分の家で実験を行うなどということがあり得るのか。
「……いつまで持ってるのよ、それ」
 聞いてみた。
 蓮子は、しばらくうんうんと唸りながら適切な回答を模索し、ようやく答えを導き出せたのか、箱のふたをぽふっと叩きながらおもむろに告げる。
 マムシっ子が飛び出しかけていた。
 超怖い。
「あ、これ?」
 メリーは蓮子のやや後方に立ち、面白がって箱を押し付けようとする拷問に耐えながら彼女の答えを待つ。
 そして、蓮子は言った。

「マムシの蒲焼き、美味しいと思う?」

 知るか。

 

 

 



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2006年11月21日 藤村流

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