ハネモノ

 

 

 

 竹林と平地の境目あたりに、薄汚れた白球が落ちていた。
 円を描く、轍のような赤い縫い糸が、対になって編み込まれている。
 それを見付けた妹紅は、特にすることもなかったので、その正体を見極めるために香霖堂へと向かった。
 妹紅も長いこと生きているが、このような球を見たことはなかった。まじまじと観察しながら、決して短くはない道程を行く。途中、誰ともすれ違わなかったのは幸いだった。あまり、周囲に注意を払っていたとは言い難かったから。
「――お邪魔するよ」
「いらっしゃい」
 中途半端に開いていた扉を押すと、店の奥からくぐもった挨拶が響いてくる。微かに漏れ聞こえた声から察するに、誰か他の客の応対をしていたようだ。妹紅は構わずに雑然とした店内を突き進む。
 すると、見知った童顔がこちらを向いていた。
「あぁ、なんだ。阿求か」
「お邪魔しております」
「ここは僕の家だよ」
 横槍を入れるのは、決まって店主の霖之助だった。阿求も笑顔でそれに対応する。
「まあ、いつ稗田家に接収されるかわかりませんけどね」
「それでも、霧雨の家に接収されるよりはマシだろうけどね」
 霧雨も、このような店を取り込みはすまい。そう思っても口には出さず、妹紅は握り締めていた白球を霖之助に差し出した。
「ちょっと、これを見てもらいたいんだ」
「一応、僕は道具屋であって、便利屋じゃないんだけどね……」
 苦笑する霖之助に対し、妹紅も若干渋い顔を見せる。
「ケチなこと言わないでよ。店の物、勝手に持って行くわよ」
「そういうのには慣れているから、あまり怖くはないね」
 暖簾に腕押しである。が、霖之助が眼鏡を押し上げて件の白球に目を向けたので、あれこれ文句を言うのは後回しにしておいた。
 彼の目は真剣だった。強引に奪い取ろうとはせず、表面を触り、強度を確かめ、手を離した後は椅子の背もたれに身体を預け、訳知り顔で腕組みをする。
 業を煮やした妹紅が口を開こうとした時、阿求がわずかに早く声を上げた。
「野球のボール、ですね」
「そうだね」
 ふたりとも、初めから解っていたふうな口調だった。何故、答えるまでに時間が掛かったのかを問いただすのも面倒だから、妹紅は少し憮然とした表情で押し黙っていた。
「実は、これまでも何度か落ちていたことがあったんですよ。こういう球が」
「……そうなの?」
 阿求が、妹紅の疑問に難なく答える。霖之助がそれに続ける。
「僕のところだったり、稗田のところだったり、様々だけどね。僕は先天的な能力で、彼女は後天的な知識で、それぞれに答えを導き出した。結局のところ、その正解は『外』を見るまでは解らないんだけど」
 その正解とやらを求めて、妹紅は阿求を見る。霖之助に聞かなかったのは、彼の意識が既に妹紅でも白球でもなく、彼の言う『外』に向いていたからだ。
 阿求は、妹紅の真摯な視線を受け、膝に手を付いてよっこらしょと立ち上がる。
 じじむさいなあと思ったが、口には出さないことにした。その分、顔に出てしまったようで、少し睨まれたけれど。
 立ち上がった阿求は、振り向きざまに言う。
「行きましょう。外に」
 幻想郷の、ではなく、香霖堂の、外に。
 薄暗い店内を抜けて、颯爽と歩く阿求の背中は、いつもより少しだけ大きく見えた。

 

 

 蹴鞠を嗜んでいたのも、随分と昔の話だ。
 その類かと高を括っていたら、実際はもっとややこしい遊びであるらしい。専用の道具も、遊ぶための人数も確保しなければならない。妹紅と阿求、二人に出来ることはほとんど限られていた。
「適当に、棒状の何かを用意してもいいのですが。二人しかいませんし、今から十人以上も集めるのは大変でしょうから」
 無論、店に籠もっている一名は加算されていない。きっと、阿求よりもか弱いということはないのだろうが。気分の問題なのかもしれない、と晴れた空を見て妹紅は思う。
「行きますよー」
 その青天に弧を描くように、頼りない軌道で白球が舞う。
「――、よっと」
 汚れはきれいに拭き取られ、素手で握っても土が付かない程度に収まっている。握った白球は、力を込めればその分だけ力が返ってくる。
 二人が向かい合い、相手に向けて球を投げ、それを掴んで、また投げ返す。
 もっと複雑な遊び方もあるのだが、彼女たちに出来ることといえば、こうして球を投げ合うことくらいだ。
 とはいえ、本来は素手で捕ったり投げたりするものではないから、妹紅もかなり手加減はしているのだが。特に、阿求相手でもあることだし。
「ほーら」
「うー、……うわっ!」
 阿求が取りやすいように、力を抜いて放り投げる。目測を誤った阿求が球を後ろに逸らして、転がっていく球を追いかけていく。
 微笑ましい光景に、頬が緩む。
 球の大きさも、使う部位も違うのに、球形というだけで昔の遊びを思い出す。単純なものだ。笑えるくらい、自分の頭は単純に出来ている。
 今なら、それを許せる。
 何十年か前の自分だったら、とても認められなかっただろうけど。
「おーい。そんなんじゃ、お手伝いさんに笑われるぞー」
 息を切らせて戻ってきた阿求に、辛辣な台詞を投げる。
 遠目からでも、幼げなほっぺたがむっと膨らむ様子が解る。
「うぅ、うるさいなぁ……。私は箱入り娘なんです、竹林を駆け回ってるあなたと一緒にしないでくださいっ」
「ん。違いない」
 いくぶんか、強い力で放り投げられた白球を、妹紅は手ではなく靴の土踏まずで受け止める。
「あっ」
 阿求の声は気に留めず、垂直に打ち上がって降りてきた球を、爪先でまた高く蹴り上げる。
 甲高い音を立て、今まででいちばん高い空を、何にも縛られずに飛んでいく。
 勿論、阿求の背丈など優に超える高さだったから、阿求は一度妹紅を睨むと、慌てて白球が消えた方向に走り出す。それを見て、もんぺに手を突っ込んでにやついていた妹紅も、気だるげに地面を蹴った。
 遥か遠くの地面に落ちて、大きく跳ね上がった白球を追いかける、二人の表情は対照的だった。ひとりは辛く、ひとりは朗らかに。やがて後続が先頭を追い抜いて、点々と跳ねていく白球を、ひとり追いかけていく。阿求はもう躓いたふうを装って、草むらに転がって不貞寝を決め込んでいた。それを尻目に、妹紅は駆ける。追い付いて、球を拾っても、またその球を天高くまで蹴り飛ばして、さっきと同じように駆け出していく。
「――よっ!」
 またひとつ、硬質な音が鳴る。

 もはや、野球とは言えない遊び方で。
 蹴鞠には似つかわしくない不器用さで。

 他の何でも代用できない、他の誰にも真似できない跳ね方で。

 

 

 

 



SS
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2011年12月13日  藤村流
東方project二次創作小説





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