鮎の塩焼き3年分
「静葉ー」
ぺたぺた、かさかさ、裸足のまま紅葉の道を歩いて来る秋穣子を、その姉である静葉は若干眠たげな瞳で出迎えた。
「ふむ。何用かね、妹」
「うん、とりあえずその喋り方は気持ち悪いからやめてくんないかな」
静葉は口をへの字に曲げて不満を露にした。
「えー格好いいじゃん。けち」
「いやまあ好きにすりゃいいんだけど、静葉のネタに付き合うこっちの身にもなってよ」
「いいこいいこー」
「子ども扱いすんな」
穣子の頭を撫でる静葉と対照的に、収穫されたばかりの葡萄を静葉の頬に押し付ける穣子。実が大きくて美味しそうである。
「おみやげ? おみやげ?」
「がっつくんじゃないわよ。ごはんくらい食べてるでしょ」
「お土産は別腹なの!」
「じゃあ今度こけし貰ってくるからさ」
渡された葡萄を大事そうに持ち、静葉は穣子と一緒に森の回廊を歩く。
秋めく幻想郷は森の緑を赤と黄に染め直し、カエデとイチョウの豪華な競演が始まっている。紅葉こそ秋における最高の贅沢だと考えている静葉にとっては、これ以上ないくらい素晴らしい季節だった。
お土産も受け取り、喜色満面の笑みを浮かべている静葉を、穣子は何処か呆れた様子で眺めている。
「静葉……、あんた、ちょっと落ち着きなさい。大の神様が葡萄貰えたくらいでみっともなくはしゃいでたら、人間たちに示しが付かないでしょう」
「葡萄美味しいよ? ぱく」
「食べんの早いわよ、せめて洗ってから食べなさいよ」
「新鮮なもにょはもぎ立てがぷちゅぷちゅ」
「もういいから食べてる最中に喋らない」
はーい、と明るく元気よく返事をする。
穣子は静葉に聞こえないくらい小さくため息を吐き、籠にまだまだ入っている収穫物を見下ろした。
豊穣を司る神様、という属性上、穣子は毎年里の収穫祭にお呼ばれしている。そのたびに、秋の味覚を奉納されては姉にお土産として持っていくのが恒例となっていた。静葉も収穫祭に混ざれば話は早いのだが、見ての通り静葉は気ままに染まり舞い散る紅葉の如き自由奔放さを持っているから、誘っても来ないし、誘ってなくても来る。なんだかよくわからない。紅く染まるのに飽き、ひらひらと宙を彷徨うカエデが何処に落ちるのか解れば、穣子もこれほど悩む必要はないのかもしれないが。
静葉は、美味しそうに葡萄を啄ばみながら、憮然としている穣子の横顔を見る。
「あれ。どうしたの穣子」
「なんでもない」
「嘘だー。いつもよりほっぺた膨れてるもん」
「いつもよりは余計だ」
ぷにぷにと頬をつつく呑気な姉の姿に、姉というものはもっとしっかりしているべきなんじゃないかと思い悩む。人間たちを見ても、あるいは妖怪たちの間にも稀に存在する兄弟姉妹関係を見ても、先に生まれた以上の責任を背負っているのが通常なのだ。秋静葉という存在を安易に普通という枠に収めるのも気が引けるけれど、神も人も妖も、共通するところは共通しているものである。
中には、しっかりものの妹、だらしない姉、という構図もあるにはあるのだが。
「んー?」
隣を見れば、無邪気に小首を傾げている静葉がいる。
紅葉を司る神様。
こんなのがちゃんと信仰を集められるのか毎年不安なのだが、穣子の不安を他所に、静葉はきっちりと人間たちのみならず妖怪たちの信仰をも獲得しているようである。本人はただあちこち歩き回って遊び呆けているだけだから、静葉というよりは紅葉それ自体が信仰を得ていると考えることも出来ようが。
いずれにせよ、ちゃんと神様らしく振る舞おうとしている自分が、途端に馬鹿らしく思えてくる。
がっくりと肩を落としかけて、その隙を見計らい、穣子の頬に一個の葡萄を押し付ける静葉。
冷たい。
「あげる」
「あげるも何も、これ私が貰った葡萄だから」
「私が穣子に貰ったんだから、これは私のだもん。でも穣子にもあげるね」
「はいはい……。ありがたく頂きます」
相変わらずよくわからない論法を用いる姉を適当にあしらいながら、穣子は葡萄を受け取った。
妹を元気付けるのにたった一個の葡萄の実というのもけちくさい話だが、静葉の思惑を完全に把握するのも土台無理な話だ。とりあえず譲り渡された葡萄を唇に挟み、舌の上で秋の味覚を転がす。
「ん……」
美味しいでしょ、と静葉は胸を張る。
ややすっぱく、けれども口の中に広がる甘みは、自然と微笑みを誘うものだった。姉の前で緩んだ表情を浮かべてしまった愚を呪っていると、静葉はすかさず穣子の頬をつんつんと突っ付く。
「すっごくふくらんでる」
「……美味しかったから」
「でしょ」
「だから静葉が自慢することじゃないでしょ」
「え、なんで?」
葡萄の果実を飲み下し、ついでだから皮も噛み潰す。秋の味覚に無駄なところはない。大地の肥料にしても構わないのだが、地面に皮を吐き捨てるのは瀟洒じゃない。
穣子は、怒っているというよりか、よくわからないといった顔をしている静葉に、噛み砕いて説明する。
「どっちかというと、私の管轄じゃない。秋の味覚は」
「でも、妹の功績は姉の自慢ですよ」
ごく、と葡萄の皮を嚥下してしまう。
不覚だった。
「まあ、紅葉の方が更にその上を行ってるんだけど」
ふふん、と静葉は平坦な胸を自慢げに張る。
散り散りに噛み砕く前に皮を飲み込んでしまったから、喉に何か苦いものが引っ掛かっているような気がする。何度か小さく喉を鳴らし、静葉を不安がらせないように努める。
カエデの道はまだ続いている。時折、イチョウの黄色い天井が見え始め、鼻の奥に銀杏の香りが入り込む。ふと思うのは、銀杏は秋の味覚か紅葉の産物か、というところだった。銀杏が美味しいのは、果たして穣子と静葉とどちらを褒め称えるべきなのか、と。
その答えは、ついさっき静葉が出した。
「おねえちゃん」
「……ん、なんか言った?」
「なんでもないよ」
わざと姉に聞こえないよう、小さな声で、昔の呼び名を。
今は乱暴に静葉と呼び捨てているけれど、記憶にも靄がかかるくらい昔には親しげに姉を呼んでいた頃もあった。それがいつからか気恥ずかしくなり、静葉と呼ぶようになった。神としての自覚が増し、姉がいなくても立派にやっていけると確信してから、穣子は静葉と対等であるよう努めた。
けれど、ひとりでやっていけるという思い込みは、的外れだった。
信仰が親交に通じるのであれば、穣子は人と関わり妖と触れ合わなければ生きていけない。それは静葉も同じことで、誰にも頼らずに生きられるのなら、そんなものは神じゃない。人でも妖でもない、ただの現象だ。
銀杏が美味しいのは、穣子のおかげであり、静葉のおかげである。どちらか一方に偏るものじゃない。たとえどちらかが優れていたとしても、その功績を讃え、喜び合うのが正しい形なのだ。
それが信仰である。
そして、その方式は姉妹の間でも成立する。
「静葉」
「どうしたのー」
「もうちょっと経ったら、河原で鮎焼いてあげる。塩で」
「えー! それちょっと贅沢すぎない!?」
「いいのいいの。私、はらわた食べられないし」
「食べさせる気だー!」
静葉はずがーんと衝撃を受けている。
秋の味覚も素晴らしいが、紅葉も、それに負けないくらい綺麗だと思う。穣子は紅葉を信仰する。静葉も秋の味覚を信仰している。それでおあいこだ。
とりあえずは、ひとりじゃ食べ切れないくらいの鮎の塩焼きでもって、秋の味覚への信仰を確固たるものにしておかなくては。
「うおー」
「美味しいわよ? はらわた」
頭を抱えている静葉を見て、穣子は笑った。
SS
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