禁じざるを得ない遊戯 ・ absolute solo
完全に自立した人形を創る道は険しい。
アリス・マーガトロイドは、幾度も巨大な壁に激突している。
自立した――自分自身で思考し、行動する――人形を創ることはすなわち、無の状態から人間を創ることに等しい。それが全くの不可能でないことは、アリスの創造主が証明している。
だが、彼女は神だったのだ。
苦悩する。
「要は、それに匹敵するくらいの力を付ければいいだけの話なんだろうけど……」
突っ伏した机の上に積み重ねられた資料は膨大で、数え切れないくらいの専門書がところ狭しと並んでいる。魔導書も多い。視野を広く持つために、一見無関係とも思える論文もあちこちに散らばっている。
目には隈、背骨は軋み、腕は鬱血している。これは頭が重いせいか、それとも先程まで人形の身体を弄り回していたせいか。
「付喪神、アニミズム、異種交配……根本が間違ってんのかしらね……」
ずっと頭を締め付けていたカチューシャと、髪の境目を掻く。
唯一、机の余白に座り込んでいる上海人形を眺める。彼女には何も着せられていなかったが、そのことによって彼女が羞恥に顔を歪めることはない。アリスのプログラムに従い、恥ずかしがる程度の感情表現は可能になったのだが、今は凝り固まった無表情である。
現在、アリスは上海とのリンクは切れている。今の上海人形は、これ見よがしに施された球体関節が訴えるように、ただの人形に過ぎなかった。
望むなら、語頭に「呪われた」を付けることも出来るだろうが。
「人形を自立に導くんじゃなくて、全くの無から存在を創りあげなくちゃいけないのかしら……て、そんなことが出来るのは神様ぐらいじゃないのよ……」
塞ぎ込む。
窓のない部屋は透明な煙で燻っている。あるいは、アリスの脳天から立ち昇る思考の不完全燃焼から来る煙のせいかもしれない。
神の座は遠い。
一介の魔法使いが辿り着けるのはせいぜい、身の回りを世話してくれる程度に自立した人形の製作くらいなものだ。
諦めの言葉が、喉からこぼれ落ちそうになる。
「人間が成立した過程をなぞるには時間が足りない……過程を凝縮するには、膨大な魔力が必要になる……あるいは、時間を操る、密と疎を操る、境界を操る、運命を操る能力……もう全員まとめて坩堝に突っ込んだ方が早い気もする……そうすりゃ、一匹くらいは擬似的な神様が出来上がるだろうし……」
仮定の話は、すらすらと滞りなく進展する。
実行不可能な段階に移行した仮説は瞬時に頓挫し、再びアリスの唇から諦めに似たため息を吐き出させた。
「あなたを愛せば、愛が憑いて、勝手に動き出す日も来るのかしらね……」
上海人形は何も言わない。
現在、上海の肌には皮が使われている。髪も人間のそれである。だが、臓器や筋肉は代替出来る存在が生み出せないから、強靭な糸や鉱石で補っている。
「魂は重い……心とは何か……」
ひとつ、アリスが考えているのは。
創造主に生み出されたアリス自身の肉体が、一体どのような構造をしているのか――それを解析することだ。
解剖が可能なら話は早いのだが、こればかりは失敗出来ない。したら死ぬ。魔法使いは普通の人間より頑丈な肉体をしているようだから、多少の無理は利くものの、それにも限度がある。
加えて。
アリスは、自身の胸に手を当てる。手のひらからは心臓の鼓動が聞こえ、それに連なるように呼吸が繰り返される。熱のこもった頭は茹だるように熱く、片方の手のひらをかざすと細い指に熱が伝播した。
「生きている……私は、生きてる。でも」
蒼い瞳が曇る。
――本当に、そうなのだろうか。
果たして本当に自身の胸の内には心臓があり、脳があり、呼吸器が存在しているのだろうか。「それがある」と都合よくプログラミングされているから、疑う余地もなくそう認識している可能性も否定出来ない。
恐ろしい仮説だが、裏を返せば、それは臓器がなくとも自立人形が作り出せることを意味する。また、アリスに臓器があった場合も、それは自立人形を作るためには生きた臓器が必要であると立証することになる。
試す価値はあった。
ただ、リスクが高過ぎた。
創造主のプログラム如何によっては、アリスの臓器が存在しない場合でも「臓器があった」と認識させられる可能性がある。解剖を実践するにあたり、最も恐ろしいのは誤認である。誤認はこれからの研究に誤った道標を突き付け、行き詰まった結果をもたらす。
時間は有限なのだ。
来た道をいちいち引き返している余裕はない。
蓬莱人や亡霊と違い、アリスは限りある時間を生きなければならない。それは最大の障害と言えた。
「何も成さぬには長く、何かを成すには短い……」
皮肉だ。
上海人形は何も語らない。
「因果なものね……あなたは、自立することを望んでいないかもしれないのに」
自嘲する。
それとも、望むか、拒むか、その選択肢が脳裏によぎることすら、人形には存在しないのかもしれない。
だとすれば、上海人形の世界には何もない。
それはおそらく、動物が住む世界よりも狭いのだ。
「……命は何処から来るのか、誰が与えるのか……」
自問する。
答えなどない。なければ作る。そうすれば、それが答えになる。
たとえそれが他の全てから見て明らかな誤りだったとしても、現実に生み出されたものを否定することは、神にすら侵せざる領域なのだ。
一糸纏わぬ姿を晒した上海人形はそこにあり、キズひとつない滑らかな肌が薄らぼんやりとした明かりに照らされている。
「……ごめんなさいね。もう少し、私の我がままに付き合ってちょうだい」
腹を括る。
アリスは、上海人形にリンクした。
神は、何故アリスに生殖能力を与えたもうたのか。
長寿である魔法使いに、子孫を残し知識を伝達する能力は必要ではないのかもしれない。機能的にも、生殖を望まないのならば負担になるところが多い。切り離しても構わない部位であると思われた。
だが、もし。
アリスが、人のようにそれを望むのであれば。
選択肢は、用意するべきだと考えのだろう。
神は、そう考えたのだ。
だから、アリスにはその機能がある。試したことはないが、月経を経ている以上はあると考えなければおかしい。穿った考え方をすれば、それすらも神が「ある」と定義したことによる錯覚なのかもしれないが、そう無為なことはしないだろうとアリスは結論付けた。
命の手本となるのは、女性である。
神は、子を成す機能を授けた。ならば、それもまたサンプルになる。業の深い話だ、神が知ったら嘆き悲しむに違いない。
けれども、その果てに得るものがあるのなら、アリスはその業を背負い込もうと決めた。
「――上海」
名を呼ぶ。
彼女は、酷く恥ずかしがっていた。
その機能はないはずなのに、細い腕で胸を隠し、股間に手を添えている。紅いリボンはそのままに、頬をほのかに赤らめている。
彼女の瞳は、アリスに「何故?」と問いかけているようにも見える。だがそれは、アリスの罪悪感による錯覚だろう。脳は人の目に事実と異なる像を結ぶ。正確なデータが必要とされる研究に携わるなら積極的に排他すべきものだが、どこまで研究者の心を無視すべきか、その境界は怪しい。
心を量るには、心が必要だと言うのに。
「あなたに聞くわ」
アリスは、上海人形に『みずから選択しろ』と命じた。
上海には、最も複雑なプログラムが組まれている。人が脳の指令によって細やかな動作を可能とするように、上海もまた、アリスが送る魔力の信号により人に酷似した行動を取る。
そこに上海自身の意図は加味されない。そも、上海に意志などない。
だが、ひとつの質問から、答えを導くことは出来るはずだ。
それが、上海の意志と呼ばれるものに最も近い。
「あなたは、人になりたい?」
上海は、悩んでいるように見えた。
それもまた、アリスの錯覚だった。
上海人形はプログラム通りに動く。
呪われた人形として魔力を通しやすい身体を持ち、アリスに気に入られ、蓬莱人形と並び人に似た動きをする。
そこに意志はなく、ただの人形でしかなかった。
上海人形は考える。
坂道を転がる石のように、与えられた質問を、プログラムに沿って「はい」と「いいえ」の二択を延々と繰り返していく。所詮はゼロとイチの繰り返しだが、人もまたゼロとイチの繰り返しの産物なのだ。全ては通ずる。
「あなたは、人になりたい?」
はい/いいえ。
タイムロス。逡巡。質問者の意図が不明。質問内容を簡略化する。
『あなたは人ですか』
いいえ、私は人形です。
返答する。
質問が繰り返される。
内容を省略、意図を再分析する。
『あなたは人になれますか』
いいえ、私は人になれない。
返答、質問内容が変更。再解析。
「あなたが人になれるとしたら、あなたは人であることと、人形であることのどちらを選ぶ?」
仮定。
比喩はないと判断、自身は人形であるから、傀儡としての意味合いは含まれていない。
人。
人とは何か。
上海人形と呼ばれる存在は、人を模して、人に作られたもの。人形を語る上で、人の存在は避けられない。
何故、人は人に模した物を作るのか。
呪うため。祝うため。孤独を埋めるため。人に代わりにするもの。心を補うもの。
人の代わりに、人に似た形の物を作った。それが人形。自身を初めとした人形の定め。人形は人に連なる。
人と人形の違い。
身体。
心。
魂。
命。
命とは何か。心とは何か。
大切なもの。目には見えないもの。人にあって人形にないもの。
仮定。
人形に心があれば、それは人なのか。
人に心がなくなれば、それは人形なのか。
人を人たらしめているものは何か。
人形を人形たらしめているものは何か。
致命的な情報の不足を確認。回答を保留。
結論。
私は。
「私は――……」
いつしか眠りに就いていたアリスは、誰かに背中を突かれる感触で目を覚ました。
やけにちくちくするなぁ、と思い、おもむろに振り返ってみる。と、そこには。
「……あぁ、おはよう……」
仏頂面をした、上海人形の姿があった。その手には、彼女の体長を大きく越えた槍が握られている。どうやら、丸裸にされたまま質問を浴びせかけたことに怒っているようだ。無論、最後に命じたように服は着用している。命令しなくても、一定の条件をクリアすれば服は着てもいいとプログラミングされているのだが。
安堵にも似た息を吐き、アリスは寝惚けまなこで上海の頭を撫でた。
「ごめんなさいね、さっきは変なこと聞いちゃって」
上海は、撫でられたまま羽をぱたぱたと揺らしている。
ふと机を見れば、アリスの邪魔にならないよう紅茶が置かれていた。その気遣いに気付き、上海を見れば如何にも誇らしげに胸を張っている。
褒めようか、とも思ったが、付け上がると厄介だからそのまま紅茶に口を付けた。温かい。香りが鼻に抜け、甘ったるい吐息が唇からこぼれ落ちる。
「はぁ……」
研究は、相変わらず行き詰まったままだ。
しかし、面白い回答が聞けたからよしとしよう。
それがプログラミングされたシステムの仕組まれた回答にしても、上海がそう答えたのならば、自分はそれを尊重しなければならないと思った。
「凝った一人遊びかもしれないけど……まぁ、やってみる価値はあるわよね」
言い聞かせるように言い、アリスは、席から立ち上がった。
お風呂に入り、身体を清めよう。汗がべたついて気持ち悪い。頭を掻けば、物凄い量のフケが飛び散りそうだ。顔をしかめる。
と、素知らぬ顔を見せている上海に、ひとつの指令を下す。
彼女は、自身の中からひとつの結論を出したのだ。
ならば、自分はそれに応えよう。
そのためなら、何もかもを背負ってみせようじゃないか。
「あぁ、今日はあなたも一緒に入りなさい。いろいろと、人の身体の仕組みを教えてあげる。ついでに、蓬莱も呼んで来なさいよ――ほら、嫌そうな顔してるけど、あなたが言ったんだからね。『私は――……』」
――私は、心が知りたい。
そうすれば、私が人になりたいのか、なりたくないのか、その答えが、いつかわかるかもしれないから。
OS
SS
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