日野茜がはぁはぁ言いながらしきりにレッスンを迫ってくる理由

 

 

 

 事務所のドアを開けたら、ソファに深々と腰掛けている茜がいたので、軽く手を挙げて挨拶しようと思ったのだが。
「はぁ……はぁ……」
 なぜか異様に息が荒いので、気軽に声を掛けるのも躊躇われた。
 疲れてるんだろうか。いつも全力で駆けずり回ってるもんな。個人的には、抜くところはちゃんと抜いてもらった方が疲れも残らないと思うんだが、茜は茜で、常に元気いっぱいなのである。
 これが若さか。
 俺も年を取ったもんだ。
「……あぁ、ぷろでゅーさぁー……」
 茜が俺に気付いて、ややとろんとした目付きで俺を見る。
 眠いのだろうか。
 まさか誘惑してるってことはないだろうが、他のアイドルも事務員もいることだし。別に魅力的じゃないってわけじゃないんだが、どうしてもそういう目で見れなくてなー。
 いつも元気よく挨拶する茜が、今日はちょっとダウナーなテンションで、語りかけるように言う。
「……れ、れっすん……」
「ん?」
 うまく聞き取れなかったので、こっちからソファに身を寄せる。
 と、茜が急に俺の腕を掴んできた。
「ちょ」
「レ、レッスンがしたいんです! あの、大丈夫でしょうか!? 今からレッスンしても迷惑じゃありませんか!?」
 えらい剣幕である。先程まで息が上がっていた女の子とは思えない。現にかなり汗を掻いていて、疲労もかなりのものだと思うのだが。
 元々、背丈が小さいわりに活動的な子だから、内側に秘めている情熱は凄まじいのかもしれない。
 と、情熱的な懇願を一身に受けながら、そんなことを考える。
「おい、茜」
「あの、えっと、ちょっとだけでいいんです! あっという間に終わりますし、うん、絶対に痛くしませんから!」
 プロデューサーの身体をがくがく揺さぶりながら言ったところで、あまり説得力はなかった。
 首が痛い。
「茜ー落ち着けー」
「大丈夫です! 落ち着いてます!」
 全然落ち着いてなかった。
 埒が明かないので、切りのいいところで茜をえいやっとソファに投げ飛ばすと、「ひょわー!」とか叫びながらも茜は落ち着きを取り戻した。
 ちなみに、アイドルを華麗に投げ飛ばす場面を事務員に目撃されるという、コテコテのハプニングは当然織り込み済みである。

 

「――ほれ、お茶。ペットボトルで悪いが」
「あ、いえ! ありがとうございます!」
 お茶を受け取ってすぐに蓋を開け、飲み干す勢いで一気に傾ける。むせないのだろうか、と思ったが、これが意外とむせない。顎をくすぐったらたぶんむせるだろうが、実行に移す勇気はない。怒るし。
 スケルトンのテーブル越しに向き合い、一応は話し合いの体裁を整える。彼女があまりじっとしていられない性分だから、座って話をするという機会もあまりないのだが。
「……んっ、んぐっ、……んぷあっ! いやぁ、プロデューサーの淹れるお茶は本当においしいですね!」
「ペットボトルだけどな」
「だとしても!」
「だとしてもかー」
 満面の笑みで親指を立てられては、文句を言えるはずもない。アホかわいいと言ったらきっとぷりぷり怒るだろうが、その表現は我ながら正鵠を射ていると思う。
 一度投げ飛ばした手前、汗を拭ったりいそいそと乱れた服装を整えたりする茜に申し訳ない気持ちも覚えるが、当の茜は大して気にしていないようだった。
「……にしても、さっきは驚いたぞ。押し倒されるかと思った」
「あはは、すみません……。ちょっと興奮しちゃいまして」
 気恥ずかしそうに、茜は頬を掻く。俺にしてみれば、興奮していない茜を見たことがないといっても過言ではないのだが。
「レッスンしたいって気持ちは悪いことじゃないが、やりすぎも身体に良くないぞ。いくら若いっていっても、あんまり無理させるわけには……」
「でも、プロデューサー」
 茜には珍しく、低く通る声だった。
 決して沈み込んでいるわけではないが、何かしらの決意を秘めた表情と声色に、自分が何を喋ろうとしたのか忘れてしまう。
 それだけ、茜が真剣だということなのだろうが。
「私、思ったんですよね。このままじゃダメだって」
「ふむ……」
 大仰に腕を組んではみたものの、今の茜に、怖いものがあるとは思えない。文字通り飛ぶ鳥を落とす勢いで、他の追随を許さないくらい全力でアイドルの道を駆け抜けている茜に、敵はいない。いたとしても、敵と気付かずに弾き飛ばしている。
 そういう子なのだ。日野茜というアイドルは。
「危機感を持つのも、向上心を持つのも、別に悪いことじゃないけどな……」
「しかし、最強のアイドルになるためには……」
「……ん?」
 今、何かノイズが走った気がする。
 あるいはデジャヴュ的な何かが。
「……茜、もう一度頼む」
「はい、私が最強のアイドルになるためには、ただ与えられたレッスンを積み重ねているだけではいけないと私は考えているわけです」
 聞き間違いじゃなかった。
 どこかで聞いたことがあると思ったら、なるほどそういうことか。
 納得はいったが、納得がいったからといって、どうということもない。
「なので、さしあたって今日は神社の階段を三往復してからこっちに来ました!」
「そうか」
 季節は夏であった。
 そら汗も掻くわ。
「あと、境内に有香がいたので、ちょっと組み手っぽいこともしてました」
「結果は」
「完敗です!」
 潔い。
 ていうか境内で暴れるなと言いたい。クレームの可能性含め。
「いやー、私の全力トライを軽くいなすとは、さすがは元祖最強のアイドルといったところでしょうか」
 元祖だったらしい。
 アイドル対抗バトルトーナメントみたいな企画があれば、確かに優勝する可能性は大いにあるだろうが。
「それから、珠ちゃんも素振りしてたので、真剣白羽取りの練習をですね」
 言いながら頭のてっぺんを擦っているところを見ると、体得するまでには至っていないようだ。てか珠美も有香も何やってんだ。あとで説教せねば。
 とりあえず、今は目の前のアイドルである。
 こほん、と漫画じみた咳払いをして、やや表情を引き締めて言う。
「茜」
「それにしてもプロデューサーが淹れたお茶は……あっ、はい! 何でしょう!?」
 飲み干しかけたペットボトルを一旦置いて、テーブル越しに身を乗り出す。前のめりで走り続けて、別に躓いて転んだりはしないのだけど、後ろに付いていなければ危なっかしくて仕方のない女の子。もし彼女を支えるとしたら、後ろから肩を掴んだ方がいいのか、前から肩を抱いた方がいいのか、それとも、隣に立って手を繋いでいた方がいいのか。
 それを決めるのは自分で、それを選ぶのが茜だということは、十分にわかってはいるけれど。
「まず、神社で暴れるな。他の人に迷惑がかかる」
「あっ……はい」
「組み手だってわかってる人はいいが、わからん人はケンカだと思って通報するかもしれないしな。やるなとは言わんが、せめてこっちでやれ」
「はい……」
 叱られているのがわかったのか、茜は急にしおらしくなってしまった。膝に手を置いて、申し訳なさそうにしゅんと俯いている。こういうところは、非常に犬っぽくてかわいいと思う。彼女が聞いたら間違いなく怒るだろうが。
「すみませんでした……」
「あと、白羽取りをしたい気持ちは俺も痛いほどわかるが、お前はアイドルなんだ。わりと口を酸っぱくして言ってると思うが、日野茜はもう既に立派なアイドルなんだ。だから、怪我をしそうな真似は、するんじゃない。顔に傷でも付いたら一大事だ」
 こんなにかわいい顔してるんだから――という言葉は、どこか殺し文句のようにも思えて、咄嗟に口をつぐんだ。プロデューサーとしての本音ではあるが、やっぱり、ひとりの女の子に対する発言には、気を遣わざるを得ない。
「アイドル……」
「そうだ」
 幸い、茜は自分がアイドルであるということを再認識する作業に忙しいようで、俺の動揺を汲み取る余裕はないようだった。ほっとする反面、茜が俺の言葉をどう捉えたのか、不安に思う気持ちもある。
 ただ、漠然と大丈夫な気もしている。曲解することはあっても、誤解することはない。曲がりながらも一直線に突き進んで、時間が掛かりながらも、結局は目的地に辿り着く。時間が掛かった分、より多くのものを抱え込んで。
 俺が日野茜に見たものは、多分、そういうものなんだと思う。
 こいつなら大丈夫だ、なんて、簡単に言えるもんじゃない。
「――わかりました!!」
 力強く膝を叩いて、茜は大声と共に立ち上がった。
 何がわかったのかよくわからないが、俺には事の成り行きを見守ることしかできない。
 ザ・無力。
「プロデューサー、早速レッスンしましょう!」
 あんまりわかってなかった。
 そんな気はしたけども。
「さぁ、じっとしてたら勿体ないですよ! ほらほらー!」
 俺の腕を掴んで、懸命にレッスンという名の何かしらを仕掛けようとしてくる。それがダンスやら歌やらのレッスンなら望むところだが、現状、空手道や剣道、もしくは全力トライ的な何かであることは想像に難くない。
 小さな身体のどこにこんな力があるのか、成人男性をぐいぐい引っ張っていく茜は、確かに最強のアイドルを目指すに相応しい女の子なのかもしれなかった。俺としては、もっと他に目指すところがあるんじゃないかと思うんだが。
 今のところは、しょうがないか。
 こういうところも、彼女の魅力ではあるのだし。
「プロデューサー、ありがとうございます」
「ん」
 別室に連れて行かれる途中、やや声量を落として、茜が呟く。
「心配、してくれたんですよね」
「ん……まぁ、な」
 改めて言われると、少し気恥ずかしいものがある。
 とはいえ。
「う、……うれしかった、です」
 それを口にする茜の恥ずかしさは、その比ではなかったようで。
 俺から目を逸らして、代わりに、力いっぱい腕を引く。彼女の身体から発せられる熱がこちらにも伝わってくるようで、暑苦しいことこの上ない。
 正直、茜の腕を振りほどいて、その照れた顔を拝むこともできるのだが。
 彼女の名誉のために、それは控えておこう。
 実際、俺の方だって、どれくらい照れてるのかわかりゃしないんだから。
「さぁ、行きますよ!」
「あぁ、そうだな」
 幸い、誰もこのやり取りを聞いていなかったようで、特に茶化されることもなく。
 まだ何人かがレッスンに励んでいる別室に、俺たちは暑苦しく足を踏み入れた。

 

 

 

 



SS
Index

2012年6月9日  藤村流
THE IDOLM@STER シンデレラガールズ
二次創作小説






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