※ このSSは十波由真ルートのEDに程近いネタバレを含みます。
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最近、由真がちょっとヘンだ。
具体的にどう、と言われても困るんだけど、何かこう、雰囲気がいつもと違うのだ。でも、それは決して悪い意味じゃなくて……。
「……どうしたの?」
隣りでジョギングしている由真に声を掛けられる。
内心、抑え切れない胸のドキドキを抱えながら、どうにか平静を装う。
「なな、なんでもないよ? うん」
「そう」
あっさり納得して、目線を前方に戻す。
今は、二クラス合同の体育の時間。由真と組むことが多いあたしは、中学時代の由真と、今の由真との相違を感じ取っていた。雰囲気が違う、空気が違う。いつも物静かで騒ぎ立てることの少ない由真が、ここ最近はいやに浮ついているような感じがする。
――そう。あれはちょうど、河野くんが由真にちょっかいを出した日からだっけ……。
でも、はたから見ればいつもの由真だし、あたしも由真に付きっ切りって訳じゃないから、あたしの勘違いっていう可能性も否定できないんだけど……。
「やっぱり、どうかした?」
「ひゃぅ! や、なんでもないから、だいじょうぶだよ、うん」
「……愛佳、ちょっとヘンじゃない?」
言われてしまった。あぁぅ、そんなに眉をひそめないでぇ……。
首を傾げたまま、由真はゆっくりと速度を上げる。あたしも、由真の背中を追いかけるように足を速める。
体操服は身体の線がはっきり出る。由真なんか、あたしと比べものにならないくらいスタイルが良いから、ちょっと嫉妬してしまう。そのおかげか、結構クラスメイトにも人気があるみたいだけど、本人が素っ気ないから男っ気はほとんどない。まあ、あたしもひとのことは言えないんだけどね、ほんとに。
準備運動も兼ねたランニングを終え、あたしたちは柔軟を始める。
粗い砂粒で敷き詰められたグラウンドに腰を下ろし、足を伸ばしたり腰を回したりする。
由真も、あたしの隣りで開脚している。……ちょうどいい、あたしは気になっていることを思い切って尋ねてみた。ああっ、でもちょっと緊張するなぁ……。
「ねぇ、由真……」
「……んぅ?」
伸びきった爪先に指を伸ばした体勢のまま、呻き声の返事が聞こえる。
「なに……?」
「もしかして、ゆま……好きなひとでもできた?」
ぐきっ。
……あ、盛大に骨の軋む音が……。
なんとなく申し訳ない気分に陥っていると、腰を押さえていた由真がようやく復活した。じろりと睨み付けてくる瞳が痛い。
「ご、ごめん……ね?」
「……なんでそんな突拍子もないこと言うのよ……!」
うわ、目が怒ってる。由真にしちゃ珍しいけど、こんな視線を前にも見たことがあるような――。
恨みがましい視線に耐えながら、頭の中にある記憶を引っ張り出す。
……あ、なるほど。
「だいたい、何を根拠に……」
ぶつぶつ文句を言いながら腕の関節を伸ばしている由真に、あたしはもう一度確信に迫る言葉を問いかけてみる。まあ、半分くらいはもう予想がついてるんだけど、一応。
「河野くん……?」
みしっ。
……うあ、肘の関節が曲がっちゃいけない方向に……。見てるこっちが痛くなる。
その破却音で周りの注目を浴びている由真は、痛みをこらえるのに必死。あたしはもう平謝りするしかない。
「ごご、ごめん! ま、まさか当たるとは思ってなかったから……」
「当たってない!」
復活は早かった。
必死に抵抗を試みるけれど、火照った頬が事の真相を如実に物語っている。……うんうん、いいなあこういうの。ちょっと井戸端会議のおばさんみたいだけど。
由真は大声を張り上げてしまったことに自分で怯んでしまい、
「あ、う……」
風船の空気が抜ける速さで縮んでしまった。あたしへの八つ当たりも忘れ、黙々と柔軟体操を続ける。
でも、由真が河野くんとね……。信じられないような、納得してしまうような。
お似合いだよ、と安易に手を叩けはしないけれど、やめた方がいいとは絶対に言えない。
だって、河野くんと話してる時の由真は、とっても楽しそうだったから。それが全部嘘だなんて、当事者でないあたしでも認めたくない。うまくいってほしい、心からそう思う。
「ねえ、由真。一緒にストレッチしよ」
「……いいけど」
出来ればその話題に触れてほしくないんだろうけど、背中合わせで相手を持ち上げるストレッチは柔軟体操の一部に組み込まれているし、近くにあたししかパートナーがいない由真には逃げ道がない。……や、あたしも無理に聞き出そうとは思ってないんだけど、ね。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ気になるから。
……ほんとですよ?
「へえ……、由真がねえ……」
「……」
ぎりぎりぎり……。
突如、由真が私を背中で引っ張り上げて、絡めた腕を強引に締め付ける。一応柔軟の一環ではあるけど、やりすぎると相手の呼吸が難しくなるっていう試算、が……、ふあっ!?
「ゆ、ゆま……、せ、せなか、背中が……うぎぅ……」
「あ。ごめん」
悪びれもせず、一言だけ謝罪してあたしを下ろす。終了のホイッスルより短かったけど、これ以上続けられたらかなり辛いものがある。
むぅ、あたしも仕返ししたいところだけど、身長に埋めることのできない差があるからどうしようもない。
それでも、ホイッスルと同時によいしょと由真を背負ってみる。……うぅ、やっぱり潰されそう。別に由真が重いって訳じゃなくて、あたしが単に非力なせいなんだけど。
「ん、ん、んぅぅ…………」
「無理、しなくてもいいと思うけど」
「ダメだよ、こういうのはしっかりやっておかないと、怪我するから」
「そう」
由真は素っ気ない。
ホイッスルが鳴り、やっと由真の重圧から解放される。重かったのは本当に身長差があるせいなのか、由真が暗にプレッシャーを掛けているからなのかは、よく分からないけど。
でも、あたしはめげない。
「ところで、あたしのクラスに、こーのくんって、いるんだけど」
「……それが?」
由真の声がいきなり低くなった。顔色も、見えないけど少し変わったような気がする。それが良い方か悪い方かは分からないけど。
「やさしいよ」
「……だから?」
「由真も安心してだいじょうぶ」
「いや、あたしは関係ない」
「あ、でも他のみんなにもまんべんなくやさしいみたいだから、ちゃんと手を繋いでおかないとダメかも」
「あたしになぜそれを言うか」
「……う〜ん。だけど、由真も河野くんもそういうの奥手みたいだし……」
「愛佳に言われたくないわ」
「……えっ?」
「なんでもない。ついでに、その河野たかあきとかいう男も関係なんかない」
……あたし、下の名前は言ってないのに。
完全に墓穴を掘っている由真は、それと知らずにあたしを引っ張り上げる。……うぅ、どうしてこんなに差があるのかなあ……。
でも、どうやら由真が河野くんのことを気に掛けているのは間違いないみたい。
「……ふふっ」
「……」
ぎりぎりぎり……。
「いぃぃ!? ぎぶぎぶぎぶぎぶぎぶぅあぁぁぅぅ!」
ほんと、素直じゃないんだから。
……あたしも、ひとのこと言えないけど……。
五月に入り、気温が高くなるにつれて由真もなんだか浮き足立っているようだった。
河野くんを話題に出しても、以前は苦々しく否定するだけだったのに、今では努めて気にしないフリをするだけ。どちらも照れ隠しなのは分かるけど、後者の方がちょっと自分の気持ちに正直な態度のように思える。
少しずつ変わっていく由真に、あたしも知らずと頬が緩んでいた――のに。
それが、ある日を境にプラスからゼロ、そしてマイナスへと転じてしまった。
理由はよく分からない。分からない……けど、見当はつく。そして、あたしは確信した。
由真は河野くんが好きで、河野くんも由真が好きだってこと。
じゃなきゃ、何度も隣りのクラスに顔を覗かせたりしないもの。
だからあたしは動くことにした。このまま二人を終わらせたりしないために。
……そう考えて、つくづくあたしは自分以外のために動いているんだな、と自覚した。
でも、これはあたしがしたいことだから。友人のピンチを助けたいと切に思ったから。
そう、納得することにした。
「ねえねえ、由真」
「ん……なに?」
休み時間、数学の教科書に目を落としていた由真が顔を向ける。いつも掛けていた眼鏡の向こうに見える素顔は、中学の頃と同じ。でも、一月前とは少し違う。
隣りのクラスにまでわざわざ足を運んできたあたしに、由真は怪訝そうな顔をする。動揺が声に出ないように、大事な計画の始めの一歩を踏み出す。
「今日と明日ね、放課後に図書室の棚卸しがあるの。それで、由真が良ければでいいんだけど」
「……付き合ってほしいって?」
うん、と小さく頷く。
教科書を閉じ、しばし黙考する由真。考えているのはあたしの意図か、それとも河野くんのことか。
「人手が足りなくて……。あ、でも、無理はしなくていいよ?」
「……珍しいわね」
ぼそり、と核心に迫る一言を告げる。あたしはあえて何も言わない。下手に同意したり反論したりすると、勘の良い由真だからすぐに悟ってしまう可能性がある。
「愛佳が、ひとに助けを求めるなんて」
「そ、そう?」
「……ま、いいわ」
結局、由真は溜息をひとつ吐いただけで、あたしの頼みを了承してくれた。
「やることって言っても、本を棚から降ろしたりするくらいでしょ。……どうせ暇だし、手伝ってあげるわ」
「あ、ありがとう。由真」
「別にいいわよ」
ひらひらと手を振る由真。話の区切りが付いたところで、見計らったように授業開始のチャイムが鳴る。
「それじゃ、詳しい話は放課後にね」
由真は軽く手を挙げることで了解の意志を示す。あたしも返事を待たずにクラスを後にする。
根回しはまだ済んでいない。図書室の棚卸しがあるのは確かだけど、手伝いが必要なほど人材が不足している訳じゃないし。
もしかして、これは余計なお世話なのかもしれない。あたしが裏で手を回しているのが由真にバレたら、かなり大変なことになるかもしれない。
けど、これぐらいしないと事態は良い方に働かないような気もする。
その中に、男と女にまつわる好奇心がないと言えば嘘になってしまうけど、少しぐらい邪な気持ちがあった方が、人間っぽくていいんじゃないかと思うのだ。
「河野くん、ちょっといいですか?」
その日の放課後、あたしは最後の手順を踏む。
願わくば、この二人が幸せでありますようにと、小さく祈りながら。
この頃、由真がかなりヘンだ。
前々から少しずつヘンだったけど、最近では凄いことになっている。……と、あたしは思う。
そこで、合同体育の時間に思い切って聞いてみた。
「ねえ、ゆま。もしかして……」
「……」
隣りを走る由真の速度が一気に上がる。なんかまずいことを聞かれると思ったんだろうか……や、実を言うとそうなんだけど、ね?
先にコースを走り終えた由真に追い付き、呼吸を整える。……まずいなぁ、もうちょっと体力つけないと、流石に辛いかも……。
「はぅ、はふ……」
「大丈夫?」
「う、うん……。ちょ、ちょっと血の巡りが逆行しただけ、だから」
「それは危険」
「……と、ところで」
あたしの背中に手を添えていた由真が、口の中で小さく呻いた。ダッシュを掛けたせいでかなり疲れてしまったけど、目標を捕捉したのなら万事おーけーだ。
けして、下世話な好奇心からじゃない。
由真のことが心配だから、である。うん。
……やっぱり、ちょっと言い訳くさいかな?
でも、まあいいか。あたしは由真に尋ねてみる。
「なにか、良いことでもあった?」
「……べ、別に」
上ずった声で返された言葉は、すぐに正反対の言葉で覆されることになった。
身体を起こして、何やらそわそわしている由真の目を見る。レンズ越しに見える淡い瞳は、中学の頃とも、一週間前のものとも違う輝きに満ちている。
――うん。やっぱりこうでなくちゃ。
由真は腰に手を当てて、何か覚悟を決めたような口調で、さっきの台詞を言い直す。
「……あんまり、大した話じゃないんだけど……。聞きたい?」
「うん、ぜひ」
その言葉に、あたしは力強く頷いた。
すると、由真はにんまりと笑う。にっこりではなく、にんまりと。
……ま、まさか。
「その前に、図書室の棚卸しの件について、小牧愛佳被告の弁論をお聞かせ願いたいわ」
眼鏡の奥が確かに光った。
どうも、あのときのことを水に流してくれる気はないらしい。
お、大人気ないよ、由真。河野くんは笑って許してくれたのに……って、一応は叱られたんだけど、今の由真ほどでは。
「……ゆ、ゆま? め、目が怖いよ?」
じりじり後退ろうとするあたしの肩に、由真の手が掛けられる。
……逃げられ、ない。
「ふふふ……。言いたくないなら言わないでいいけど。その分だけ、共同スレトッチの時間が長くなると思いなさい」
そのとき、あたしは由真の本気を垣間見た気がした。
結局、由真の背中という処刑台に乗せられたあたしは、強制的に拷問を受ける羽目になってしまいました。
ぎりぎりぎり……。
「……あぅぅぁぁぅぅ!?」
たしかに、由真は変わった。
だって、こんなに楽しそうな由真を見たのは、出会って初めてだから。
「まだまだ」
「……ひゃぅ……かんにんして〜……」
その代わりに、あたしの方がちょっと辛い目に合ってはいるけれど。
強引に見上げさせられた空はやけに澄んでいて、少しずつ白みかけてくるあたしの意識からは、随分と縁遠いものに見えた。
−幕−
SS
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