「――風子と、友達になってくださいっ」
 そう告げてから、どのくらい経ったのだろう。
 楽しかった。それは間違いない。けれど、充実していればいるほどに迫ってくる別れが胸を突いた。
 それもやがて終わる。別れの日は近い。
 だから、やっておくべきことはやっておこうと思ったのだ。後悔しないために。
 少女は扉の前に立ち、わずかな逡巡すら見せずに扉を叩いた。
「失礼します――」





風に唄えば





 最近、あのちっこくて丸い背中を見なくなった。
 俺も渚もついでに春原も自分の職探しに奔走していたから、風子に構ってやれなかった。そんな訳で、忙しい時期もようやく過ぎた今になって一年の教室を覗いてみたのだが、風子の姿はどこにもない。 
 ――こいつはおかしい。
 非常事態だと判断した俺は、染めていた髪を元に戻して(というか脱皮して)非常にキャラが薄くなった春原と共に、あの思わず形成外科に診せたくなる背骨――ではなく背中を捜すことにした。
「……ったく、いねえな」
「もしかして、海に帰ったんじゃない?」
 俺と同じくあちこちを走り回っていたはずなのに、ほとんど汗をかいていない春原が呑気にもらす。
「なんで海なんだよ」
「そりゃ、ヒトデだからじゃん」
 ……正直、ありえる話だった。
 ありえるだけに、改めてあいつのキャラの濃さを思い知る。
「まあ、それはそれでおもしろい結末だが、やっぱり探せるだけ探そう」
「別に何か目的があるわけじゃないんだろ? だったら、次の機会でいいと思うけどな。これからまた、何度でも――」
 ――会えるんだから。
 言いかけた言葉は、結局春原の口から放たれることはなかった。こいつも自覚している。卒業まであと一ヶ月。もう秒読み段階と言ってもいい。
 俺はどうにか卒業までに仕事を決めることが出来た。とはいえ、この学校の用務員としてなのだが、自分で奔走した結果なのだから納得も出来る。
 仕事に就けば、高校時代のようにいつでも会える訳ではない。バカみたいに騒ぐことも難しくなる。
 渚とは、まあその、恋人同士だから会うだけなら難しくないだろうが、時間が無くなることに変わりはない。おそらく春原とはしばらく没交渉になるだろう。こいつは地元で就職するらしいし。
 そして、風子はあと二年をこの学校で過ごさなければならない。
 念願だった学校生活を始めて、友達も出来て、あいつは自分の世界を少しずつ広げている。俺たちがいなくても、きっと他の誰かが茶々を入れたりヒトデを渡されたりするんだろう。何の心配もない。
 そう――なんだが。
「……やっぱり、もうちょっと探そうか」
「そうだな」
 春原の寂しそうな声に、俺もすぐさま頷いた。
 新校舎を探し、体育館を巡り、廊下を回り、旧校舎まで調べて。
 だが、いくら探したところで風子の姿は見当たらない。おかしい。もう既に学校にはいないのか。この際、恥も外聞もなしに校内アナウンスで呼び出すという荒業も考慮に入れて――。
「あ、いた!」
 思考が強引に中断される。
 春原の奇声と、それが指し示す方向を確認する。廊下の角にいる俺たちから10メートルほど離れた位置に、どこか落ち着きのない少女がひょっこり現れる。どこかの教室から出て来たようだ。
 あいつ、旧校舎で一体何を……。
 声を掛けようかと息を吸った瞬間、きょろきょろと周囲の異常を確認する風子アイが俺と春原を捉えた。
 ――逃げられる。
「走れ春原!」
「え、僕かよっ!」
 愚痴りながらも反応は早い。風子が脱兎のごとく駆け出そうとしたわずか一瞬先に、春原は足を踏み出した。
 俺も一応は早足で追ったが、逃げ足の速さでは校内で三本の指に入る春原と風子のこと、あっという間に廊下の直線から姿を消していた。
「……あいつら、本当に人類かよ……」
 その生き様、まさに風のごとく。
 春原が手柄を持って帰って来るまで、俺は風子が出て来た部室で待つことにした。
 開け放たれたドアに近付くと、その中にふたりの人影が見えた。しかも見覚えがある。
 思い出そうとする――までもない。
 ここは、渚が演劇部を作ろうとしていた場所だ。今は合唱部としてそれなりにやっているようだが、あまり近付くこともない。仁科や杉坂とは、たまに廊下ですれ違うこともある。俺は適当に挨拶してやり過ごすのが常だが、渚は少し話したりするそうだ。
 一時は合唱部と演劇部を兼任する形でやっていこうという案もあったのだが、渚が五月から夏休みが終わるくらいまで熱を出して休んでいたため、結局は頓挫することになった。
 それでも渚は挫けることなく、風子という友人も得て元気でやっている。
 世は全て事もなし、一事が万事うまくいっているとは言いがたくても、一年前の俺と今の俺は確かに違っていて、その理由が渚にあり、なおかつ充実した日々を送れているのなら、今の俺はきっと幸せなんだろう。そう思う。
 そして、二年の歳月を無くしてしまったあいつも、そうであってほしいと――。
「よぅ」
「あ、岡崎さん」
「どうも」
 少し驚いたように返事をする仁科と杉坂。合唱部はあと三人いるはずだが、そいつらの姿はどこにもないようだ。音楽部とは違うだけあって、教室もさほどごちゃごちゃしていない。
「あ、あの。珍しいですね、ここにいらっしゃるなんて」
 俺には、明らかに取り乱している仁科を見る方がレアな気がする。
 隣で、杉坂も仁科の困惑具合に「あっちゃー」と言いたげな顔をしている。
「ちょっとな。この教室から知り合いが出て来たもんで、ちょっと興味というか」
「そうなんですか」
 あくまで白を切り通すおつもりのようである。杉坂を見れば完全黙秘。夕焼けに染められたグラウンドを見下ろして、「いや別に血液型になんか興味はないけど……」と呟くのが聞こえた。あいつにもいろいろあるらしい。
 俺は仁科に目標を固定し、彼女の黒い瞳に目を合わせる。
「嘘はつかないでくれ。あいつは――風子は、ここで何をしていたんだ?」
「あ、あの、それは……ですね」
 おろおろしていた。目が素敵に泳いでいる。これ以上追いつけるのも可哀想な気もするし、何より渚に見られたら相当な誤解を招きそうな気がするし、なおかつオッサンの耳に入ったら早苗さんの新作パンを食べさせられそうだし……。
 と、不幸の三連コンボを妄想しているうちに、仁科の目は俺の後ろを捉えているようだった。
 ……うむ。素晴らしく嫌な悪寒がする。まあ、悪寒はすべからく嫌な予感であるのだが。
 俺は決死の覚悟で振り向いた。
「よぉ」
「と、朋也くんが……」
 渚ダムの決壊は早かった。
「仁科さんと浮気してますっ……!」
 すだだだだだ、と早苗さんばりの猛ダッシュで合唱部を後にする愛しの古河渚。これはどうでもよくないが、浮気しましたとか叫びながら廊下を疾走するのはやめてほしい。
 というか、すごいタイミングで現れたな。
「すまん、仁科。迷惑をかけた」
「あ、いえ。それはいいんですが」
 追わなくていいんですか、と廊下を覗き込む瞳が訴えていた。
 言われなくても、すぐにそうする。
「それじゃ、風子のことはまた後でな」
「わかりました」
「まあ、あいつも迷惑かけると思うが、仲良くやってくれるとありがたい」
「はい。それは、もう」
 少し、仁科の顔か綻んでいた。
 俺はそれを確認すると、先程の春原に匹敵する加速度で合唱部を飛び出した。


 春原は、あろうことか風子に撒かれていた。どうも風子親衛隊の面々が暗躍していたらしい。ちょっと前に会員数が二十に届いたという話だから、さすがに数では適うまい。
 まあ、あいつにもやりたいことのひとつやふたつ、ヒトデの他に好きなもののひとつやふたつあるということだ。卒業する直前まで保護者ぶってるのも何だし、あまり干渉しすぎるのも嫌がられそうだしな。
 仁科に聞くのも、それを渚に見られたらと思うと恐ろしすぎて出来そうにない。
 仲直りするのに、早苗さんのパンをどれだけ食べたか記憶にないことだし。
「――まあ、仁科に任せとけば問題はないと思うんだけどな」
「ふぅちゃん、合唱部に入るんでしょうか」
 いつもの帰り道、渚と肩を並べて歩く。
 渚も就職したかったらしいのだが、身体のこともあってなかなか見付からなかった。結局は、自分の家で働くことになったと聞いた。
「それはどうだろうなあ。彫刻とか写生とかは微妙に巧いらしいけど」
 問題は、その対象がヒトデに特化していることだった。画家の中にはイルカを専門に描く人もいるらしいから、ヒトデ専門の絵描きっていう道もありかもしれんが。
「おまえにはないスキルだな」
「朋也くんにもですっ」
 だんごのように膨れる。渚も言うようになったもんだ。
 そんな平和な帰宅路を、不意に風が通り過ぎていった。
 ……ヒトデを抱えて。
「っておい風子っ!」
「ふぅちゃんですっ」
「わ、ばれましたっ!」
 脇道から突然出現した風子は、俺たちに気付くとすぐさま逃走を開始する。
 だが甘い。俺の手が風子の襟首をしっかりと捕まえていた。どれだけ付き合いが長いと思っているのだ。
「拿捕されましたっ」
「いちいち報告せんでいい。おまえには少し聞いておきたいことがある」
「そう言われても、風子なにも知りません。完全黙秘です」
「そんなこと言わないで、教えてくれませんか?」
「……渚さんに頼まれてしまいましたっ。話すべきかどうか迷ってしまいます」
「って、やっぱり何か隠してるんだな」
「黙秘ですっ」
「むちゃくちゃ喋ってるじゃねえか」
 むー、と口をへの字にして抵抗する風子。このまま猫のように吊り上げてやろうかとも思ったが、今のままでも渚が何か言いたそうにしているため、現状を維持する。
 俺では埒が明かないので、少しでも望みのある渚に託すことにする。渚は風子の正面に回りこんで、必死に懇願する。風子のことを気にしているのは、俺も渚も同じこと。それを過保護と呼ぶのかもしれないが、俺たちはあまりやり過ぎだとは思っていない。
「……どうしても、ダメですか?」
「いくら渚さんとはいえ、これだけは無理です」
「俺と風子の仲じゃないか」
「敵に教えを施すわけにはいきません」
「誰が敵だコラ、あぁ?」
「朋也くん、怒っちゃダメです」
 怒られた。俺には怒っていいのか。
「やむを得ませんね……。ここはひとつ、ヒントを与えましょう」
「ヒントですか?」
「アンサーをよこせ」
「ヒントはですね、『卒業式』です」
 無視された。
 ヒントもよくわからんし。
「それだけ、でしょうか」
「はい。それではがんばって推理してください。さようなら」
 と、目に見えない速度で右手を振り上げる。
 直後。
「いづっ!」
 首根っこを掴む俺の手をヒトデでぶったたき、わずかな隙を見て逐電する風子。なんか、出会った頃の初々しさが一気に消し飛んでいる気がしないでもない。
 風子の背中が街角を抜けた後で、俺たちは再び歩き始めた。ちなみに、手の甲はすげえ腫れていた。
「……あいつ、今度会ったら折檻な」
「朋也くんっ」
「大丈夫だって、法に触れないレベルだから。具体的に言うとオッサンらへんの」
「もっとダメです」
 余計に怒られた。
 オッサンの悪戯は法の道徳を軽く越えてしまうらしい。恐ろしいというか、アホらしいというか。
 まあ、何にしろ。
「卒業式になればわかるさ。あいつが何してるか」
「そうですね。楽しみです。でも、少し寂しいです」
「……そう、かもな」
 俺もちょっとトーンが低くなる。
 渚が言っているのは、風子から信頼されていないとか、あいつが悪いことしてるとかそういうことじゃない。大体、渚も風子も騙されやすいが騙すことなんて出来ない人間なんだ。
 本当に寂しいのは、一緒に過ごせる時間が無くなってしまうこと。
 ――会えるときに会っておきたい。
 それは、時間が限られている人間のせめてもの願いだった。


 そして、当日。
 卒業式。
 次々と卒業証書をもらっていく生徒の列に、渚の姿を認める。壇上に立ったときオッサンが叫びださないか気が気じゃなかったが、何も起きなかったところを見ると早苗さんがうまくやってくれたようだ。ナイス。
 渚は、俺やオッサンと早苗さんの姿を確認することもなく、ただまっすぐ決められた通りに列を進んで、みんなと同じように卒業証書を受け取った。心なしか渚の立礼だけ他の奴らより長いような気がした。
 あのとき、俺はあいつが泣いてるんじゃないかと思ったが、次に見えた横顔は晴れ晴れとしたものだった。
 俺も春原も証書は既に受け取っている。うすっぺらい紙にどんな力があるかは知らないが、こんな俺でも三年間学校生活を送れたことの証明にはなる。そのことが俺たちには大きかった。
 ちなみに、証書をもらって帰ってきた直後から、春原は完璧に眠りこけている。それは別にいいんだが、かすかに漏れ聞こえる鼻笛だけはなんとかならんか。
 式も終わりに近付いて、館内にはどこかのクラシックが流れている。聞いたことのある旋律に、ふと物悲しさを覚える。もしかして、この曲は仁科あたりが選んだんじゃないだろうか。あいつ、なんかの大会で賞取ったとかいう話だし――。
「――あ」
 思い出した。確か、この後に歌があるんだった。
 校長の挨拶も答辞やら送辞やらも全部終わった後に、合唱部と音楽部が共同して演奏するらしい。渚から聞いたはずだったのに、ずっと忘れていた。なんて迂闊。
 だが、これで謎は解けた。
 風子が出した『卒業式』というヒント、そして合唱部の部室から出てきたという事実を照らし合わせると――。 『それでは、これをもって卒業式を閉幕いたします――』
 来た。
 俺は、何がなんでも起きる気はないらしい春原の鼻をつまむ。同時にガムテープで春原の口をシャットアウトする。
 ……ほどなくして、春原の顔が紫色に染まっていく。チアノーゼの兆候だ。
 そして、限界にまで達した瞬間に鼻から物凄い勢いで空気が流れていった。
「ふむむむふむむむふむむふむっ!?」
 何やら激昂している模様だが、口が塞がれているので無意味だった。その事実に気付いた春原がきつく貼られたガムテープを剥がしているうちに、舞台の袖から金と銀に光り輝く楽器を携えた精鋭たちが現れる。その中に合唱部の姿が見えないのは、楽器を並べた後で登場するからだろう。
「……ぷはっ! ちょおま岡ざなにするん――」
「静かに」
 あまりの興奮に呂律が回っていない春原を黙らせ、小さく俺の仮説を説明する。
「な……ふぅちゃんが?」
「おまえそんな呼び方してなかっただろ」
「あ、間違えた。……そうか、だから合唱部なんかにいたんだね。ヒトデは」
「最初からいねえよ」
 寝惚けているのか本気なのかとても微妙だった。
 何にしろ、風子の目論見は露見した。後はのんびりと風子の歌を聞いていれば――。
「あ、出て来たよ。……あれ、四人?」
 先頭を歩くのは合唱部部長の仁科。その後に正式な部員が三人壇上に現れたが、その中に風子はいなかった。出て来る気配すらしなかった。
 ――あれ?
 そうこうしているうちに、舞台袖から指揮者らしい男が現れる。たぶん音楽部の顧問なのだろう、指揮棒を持って卒業生と父兄たちに深々と一礼する。
「朋也くん、出て来ない」
「その呼び方やめろ。
 だが、やっぱり風子は海に帰ったのかもしれないな」
「そして最後は泡に……って最後ちょっとえろくない?」
「静かにな」
 演奏が始まる前に春原を黙らせる。
 ――館内がほとんど無音に近い状態になって、ようやく指揮者がタクトを振りかざす。楽器を立てる金属音が響く。
 やがて続いていく音色を待ちながら、俺は静かに目を瞑る。その方が音を楽しめると思った。
 その目論見が成功したかどうかはわからない。そもそも、俺に音楽の巧い下手を問えるだけの素養なんてない。
 だけど、確かに心は揺れた。
 それは俺の中にかすかな不安があるせいかもしれないが、そんな言い訳をするのが惜しまれるくらい、彼らの演奏と彼女たちの歌は凄かった。
 我ながら、こんなふうにしか表現できないのが情けない。
 何の声もしないところを見ると、春原もどうやら感動しているみたいだ。この歌が何かは知らないけれど、本当に良いものは誰の心にでも響き渡るのだと、今更ながらに思い知った。
 ただひとつ、気になるのは。
 熱心に、けれども楽しそうに音楽を奏でる彼女たちの中に、風子の姿が見えないことぐらいで。
 ――不意に、館内が拍手に包まれる。
 俺は、拍手が聞こえてきたことで演奏が終わっていたことをようやく理解した。
 そして、自然に拍手している自分がやけに初々しく思えた。


 結局、風子の目的がいまいちわからないままに卒業式自体は終了した。
 続く第二ボタン争奪戦やら後輩との涙ながらの別れ、そういったうんぬんとはほぼ無関係な俺たちは、教室まで荷物を取りに戻っていた。杏には後輩連中が押し寄せて凄いことになってたけどな。主に女子だけど。
「朋也くん、やっぱりふぅちゃん探しましょう」
「そうだなぁ……。最後に一言、ほなさいならくらい言っといた方がいいか」
「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだぜ! でもいいよね」
「よくないですっ。ちゃんと、しっかりお別れしないと――」
 春原の冗談に渚が真面目に怒っていると、不意に言葉が途切れた。
 渚の視線の先を見る。そこには、野良猫なみに警戒心で遭遇したら即座に逃亡していた伊吹風子の姿があった。
 俺の教室のところにいるってことは、どうもタイミングを見計らっていたらしい。
「みなさんを待っていました」
 ミステリアスな雰囲気を醸し出したいのか、低いトーンで話す風子。
「何も言わずに、風子に付いてきてください。そこに答えがあります」
 意味ありげな台詞を残し、風子は俺たちに背を向けた。
「あ、ふぅちゃん――!」
「待て、渚。とりあえずカバン持ってこい」
「え、でもふぅちゃんが……」
「そうだよ岡崎。早くしないと、あいつ泡まみれで大変なことになるぜ」
「えぇっ!?」
 おまえらはいろいろと飛躍しすぎだ。
「とにかく、場所は大体わかる。俺が先行するから、春原は俺のカバンも頼む」
「僕、最後までパシリなんだねえ」
「役割を与えられているだけ幸せだと思え」
「ふぅちゃん、どこに行くんでしょう……」
 ひとり、渚だけが動揺している。泡のことは頭から排除したらしい。
「そんなの決まってるだろ」
 本当は何の根拠もない勘なのだが、たぶん間違っていないと思う。そんな気がする。
「合唱部だ」


 たまには俺の勘も当たるんだなあと一瞬だけ自己満足に浸る。風子は、現合唱部で前演劇部の部室にいた。
 そこにあるのは、机に置かれたカセットテープと市販のマイク。だが、マイクのコードが繋がっていないところを見ると、気分作りの要素が強いとみた。
 夕焼けにはまだ早い青空をバックに、神妙な面持ちの風子が佇んでいる。
 俺たちは、風子に言われるがままに用意された椅子に座る。ちょうど三つ、俺たちのためだけに作られた観客席。
「まず、みなさんご卒業おめでとうございます」
 ぺこりと頭を下げる。つられて渚も椅子に座ったままお辞儀をする。
「本当は風子も合唱部のみなさんと一緒に歌いたかったんですけど、どうしても許可が下りなかったんです。あんなに流行った国民的ヒット曲なのに、なかなかマイノリティの壁は厚いみたいです」
 ぷんぷん、と頬を膨らませる。怒りの表現が非常に幼い。しかも口で言うし。
 だがまあ、仁科率いる合唱部の気持ちもわからんではない。あの曲を卒業式の場で合唱するのは、いくら人前で発表することに慣れていても難しいだろう。
 その反面、あれを歌いたかった風子の気持ちもわかる。確かに、俺たちにも理解できて、なおかつ楽しめる歌はあれ以外にない。
「それでは、前置きが長くなりましたが、これより風子がみなさんに贈る名曲――」
 かちり、と再生ボタンを押す。風子は緊張を隠すようにマイクを胸に抱く。
 そして。
「――『だんご大家族』、歌わせていただきます」
 と、わかりきった答えを告げた。
 隣で渚の顔が明るくなるのがわかる。同時に、春原が椅子からずれ落ちそうになるのも。
 俺は、黙って歌を聞いていた。
 ――だんご、だんごっ……。
 単調で、とっくに聞きなれた旋律が耳に入ってくる。ただ一点を見つめて、ヒトデによって放心状態になるのとはまた別の意味で我を失いながら、想いを込めて歌っている。
 冬だというのに、汗をかきそうなくらいに熱い歌。それでいて、身体の芯から温められるような優しい音色。
 正直、さっきの合唱部に比べればどうしても粗は目立ってしまう。
 それなのに、俺たちはひとりもその場を動くことなく、風子の歌に聞き入ってしまっている。
 不思議な感じだった。
 歌詞だけ見たら子どもだましと笑うかもしれない歌でも、そこに人間の声を乗せ、ついでに何かしらの想いを乗っければ立派に人を感動させることができる。
 全く、不思議で仕方なかった。
「……ご清聴、どうもありがとうございましたっ」
 だんご大家族を歌い終え、風子が直角になるくらい深く礼をする。
 真っ先に拍手をしたのは渚、俺と春原は同じくらいのタイミングで手を叩く。
 顔を上げた風子は、それを見てまた一段と深く頭を下げた。
「ふぅちゃん、すごいですっ」
「ほんと、よくやるよな……」
 渚のは素直な感想だが、俺は違う意味での尊敬も交えてある。いくら人の少ない場所であっても、観客がいる状態で最初から最後まであの曲を熱唱できる人間は、おそらく風子と渚くらいしか存在しないだろう。
「あ、ありがとうございますっ! 渚さんからみて、だんごレベルはいくらでしたか」
「わたしもびっくりの480だんごキロバトルですっ」
「ほんとですかっ!」
 ……喜んでいるところ悪いが、全く理解できんぞ。
 それからしばらくだんご談義を繰り広げる(途中でヒトデ論議にもなったが)ふたり。俺と春原は、この部屋に漂うなんともいえない雰囲気に浸っていた。
「まあ、嬉しいっちゃ嬉しいよね。後輩が、どんなかたちであれ僕らを見送ってくれるんだから」
「そうだな。少しでも俺たちのことを覚えていてくれるやつが、この学校にいるってわかったからな」
「うん。悪くないかな。……結局、第二ボタンはそのまんまだけどねえ」
 春原の目に雫が光っている。どうも違うところで涙を流そうとしているので、ひとつ慰めてやろうじゃないか。
「どれ、それならば俺が一思いに引き千切ってやろう」
「やめろよっ! あとで神棚に飾るんだからっ!」
「何のご利益もねえよ」
 頑なにガードを固める春原。どうせ、自分で隠し持って芽衣ちゃんに「いやー、後輩の女子に取られちゃったよーあははっ」とか言う気なんだろう。そして芽衣ちゃんはそんな春原にため息をつくのだ。
 そんな確定的な未来図を想定したところで、風子が再び下ろしたマイクを握り締めた。
 締めの言葉が始まるのだろう、俺たちは複雑な気持ちで風子の口が動くのを待つ。
 別れたくないし、もっと一緒にいてやりたい。あいつにはまだ俺たちが必要だから、というのは過保護であって、俺の我がままだ。風子も似たような気持ちなのに、引きとめもせず、わずかに残った時間をこの歌のために費やした。
 よっほど、俺なんかより前を見ている。
 だから、今のこの瞬間を噛み締めて、俺は先に進まなきゃならない。
 風子もきっと、それを願っているだろうから。
 待ち望んでいる俺たちの前で、ようやく、風子の唇が動いた。
「――それでは、熱烈なるアンコールにお応えしまして!」
「してねえよっ!」
 やりやがった。
 俺も思わず立ち上がって叫んでしまう。
 最後の最後で、こいつは……。もしかして、何か仕出かすんじゃないかと思ってしまった俺も俺だが。
「作詞、伊吹風子。作曲、どこかの人。編曲、ユウスケさん。
 『ヒトデの歌』、お聞きくださいっ!」
「しかもヒトデかよ……」
 脱力して椅子に撃沈する俺をよそに、風子はカセットテープから聞こえてくるギター音に合わせて歌い始める。
 止まらない。ヒトデとなれば、もうこいつは誰にも止められない。というか、誰も止めない。
 ――ひとで、ひとでっ、ひとで大かぞく……。
 パクリだし。
 だから作曲者が適当なんだなあと変なところで納得して、俺は椅子の背もたれに身を預けた。渚はまた純粋に感動している。
 なんていうか、凄い肩透かしだ。こんなにしんみりしない別れも珍しい。
 だけど、それがまた風子らしくて、俺の杞憂なんか粉々に吹き飛ばしてしまった。なんか心配してた俺がすげえバカみたいだ。
「すごいですっ。ふぅちゃん、プロのミュージシャンになってしまうかもしれないです」
「それはないから」
「今のうちにサイン貰っておこうかなぁ」
「おまえもかよ」
 ――ひとで、ひとでっ、ひとで大はんしょく……。
 心地よくて柔らかい音色に包まれながら、俺たちは送られていく。
 全力の想いが込められた、素晴らしい歌を手土産に。





−幕−







・くらなどSS祭り2−3「色」へ投稿した作品。音色ということらしいですよ。
 風子に歌を歌わせたかった、ただそれだけのお話。結局、上手でも下手でもない無難な歌唱力ということになってます。「この調子でがんばりましょう」です。



SS
Index

2004年11月3日 藤村流継承者

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