深海





 遊び疲れた放課後の果て、日が沈むのをただ待ち続けている公園の片隅に俺たちは腰掛けている。
 正確には、俺の膝を枕にして風子が眠っている。安心しきっているのは嬉しいのだが、男として警戒されていないのはどうなのかとも思う。まあこいつも、なかなかどうして寝込みを襲うとかいう衝動をもたらさない女ではあるのだが。
 小学生も幼稚園児もとうに帰り、暇な社会人の帰路にもなっていないこの場所は、実をいうと格好の隠れ蓑ではある。何をしてもばれない、ではなく何をしてもばれないような気にさせる、というところが。
 かといって何をするでもなく、ただ口を小さく開けて眠っている少女の横顔を見ているだけ。
 可愛いとは思うし、抱き締めたいとも思う。甲斐性うんぬんは別にして、一緒に過ごす時間がもっと増えればいいといつも思っている。
 けれど、自分のものにしたいとまでは思えない。
 それは、こいつの境遇を考えてもそうだ。高校に入学してすぐ事故に遭い、二年間ものあいだ昏睡状態にあった。今、こうして無邪気に走り回れるのが不思議なくらい。
 だから今は、姉の公子さんとの時間をもっと大事にすべきであって。
 俺みたいに、初めて会ったような奴とはしゃいでる場合ではないと思うのに。

「……ぅ、ん……」

 寝返りして、ちょうど風子の顔が正面に向く。転げ落ちそうになる身体を押さえて、太もものあたりまで頭を引っ張ってくる。かなり強引に動かしているにもかかわらず、全く起きる様子がないのは神経が図太いからなのか、それとも本当に信頼されているからなのか。
 多分、その両方なんだろう。
 たまに、にへっと笑う仕草がどうしようもなく子どもっぽい。
 独占欲、というよりは保護欲を誘う。守りたい、大事にしてやりたいという気持ちが、愛とか恋とかいう感情より先に来る。
 たとえば、子猫や子犬を見て、衝動的に抱き締めたくなるようなもので。
 ――もし、そんな気持ちで風子を見ていると知ったら、風子はなんて言うだろうか。
 最悪ですとか、あるいは最低ですまで叫ぶかもしれない。ただ俺は何も言えず、泣きながら走り去っていく風子の背中を見送ることしか出来ない。
 そして、俺が風子に謝ろうとして公子さんの家に行くと――。

「……んっ、ふぅ……」

 生ぬるい寝息が頬を撫でる。むにゃむにゃと口の中を動かして、気が済むとまた緩みきったすっぴんの表情をさらす。
 俺は、不意に浮かんでしまった最悪の未来を打ち消す。最後まで駆逐して、二度と浮かび上がらないように沈めつくす。
 思えば、公子さんはこの想像を現実のものとして味わってしまったのだ。事故の知らせを聞いたとき、あの人がどんな気持ちだったか――理解できる、なんて軽々しく口には出来ない。
 それでも彼女は強くあって、芳野さんと支え合って、風子を迎えられた。
 俺は、強くあることが出来るだろうか。
 いつか、こいつを失う時が来ても。

「ぁ、ぅ……だ、だめです、おかざきさん……ぁ」

 ……こいつの夢の中で俺は何をやっとるんだ。ひとが真剣に考えてるのに。
 風子も風子でまんざらでもない顔してやがるし、赤くなるんじゃねえよおまえの頬。
 むにーっ、と柔らかくてすべすべする風子のほっぺたを、とりあえず痛くはない程度に引っ張る。
 反応がないので、反対側もむにゅーと抓ってみる。こちらは、利き腕だから少し強めに。
 ――すると。

「ぅにゅ…………」

 徐々に広がってゆく風子の目と、確実に緩んでいるであろう俺の目がコンタクトに成功する。
 直後、俺は触れていた指を離す。気付かれてはいない様だが、さて。

「……ぅぅ、なぜかほっぺたが痛いです……」
「きっとほっぺた突っつき鳥がいたんだろ」
「……そんなけったいな鳥はいませんっ」
「それじゃあ、おまえはボーボーという鳥がいるのを知ってるか?」
「うぅ……し、知りませんけど」
「それなのにどうしてほっぺた突っつき鳥の存在を否定する? キツツキだって木を突付くだろうが、進化の過程で女の子の赤い頬を好んで突付く鳥が生まれたとしても、誰も文句は言えないだろ」
「……ヘンな鳥です、セクハラ鳥に指定しますっ」
「言い出しといて何だが、信じるなよ……」

 実にからかい甲斐のある奴だった。
 膝枕に関しては相変わらず気にしもしない。それくらい定位置になってしまったということだろうか、俺の膝は。それはそれで嬉しくもあり、厄介でもあり。
 しかしその厄介さは、嫌悪の意味ではなく構われることに対する嬉しさの意味であって。
 ――要するに、全部まとめて嬉しいのだ。

「……しかも、風子の頭がなんだか太ももですっ」
「意味わからん」

 お気に入りの枕から飛び起きて、倒れていた身体を無理やり地面に落とす。その際に膝を打ってニーソックスが擦り切れたが、そのへんは気にしないのが風子流らしい。
 よいしょとばかりに立ち上がり、頬杖をついている俺に宣戦布告してくる。
 子どもは風の子、とはよく言ったもんだが。
 まさか、名前にまで適用されるとは思わなかった。

「風子、もう限界ですっ!」
「何が」
「岡崎さんの度重なるセクハラで、風子はキズモノになってしまいましたっ!」
「言葉を選べ」
「そんな訳なので、決闘を挑みますっ!」
「……キャッチヒトデは無理だからな」
「こっ、心が読まれましたっ!」

 ちなみにキャッチヒトデとはキャッチボールの亜種で、ボールの代わりに風子が彫った木のヒトデを投げ合うというスリリングかつエキサイティングな、というかまだ誰も成し得たことのないスポーツのことである。
 つーか、痛いしな。

「そろそろ帰った方がいいんじゃねえか? もう暗いぞ」
「……仕方ありません。今日のところは勘弁してあげます」
「戦ってすらいねえよ」

 赤から蒼へ変わっていく空を眺めながら、俺は風子を先導して歩く。こうして俺がいつも風子を家まで送っているのは、こいつがまた事故に遭うんじゃないかという不吉な想像を現実にしないためでもあり。
 そして何より、そんな言い訳よりも大きな理由は。
 一秒でも長く風子と同じ時間を過ごしたいという、ただそれだけのわがままであって。

「……おまえさ、小学生と遊んでも違和感なく溶け込めるってすげえ特技だよな」
「それ、絶対褒めてないです」

 手は繋がない、肩も抱かない。そもそも背丈に差がありすぎる。
 ただなんとなく、近くにいることを感じている。それぐらいの中途半端な距離感のまま、俺たちは歩いていく。
 ――いつか、こいつを失う時が来ても。
 ――俺は、強くあることが出来るだろうか。
 自分自身に問いかけた、その質問の答えはまだ出ない。多分、これからもずっと問い続けて、そのたびに悩んでいくんだろうと思う。

「……あ、一番星です」
「風子。あれが巨人の星だぞ」
「嘘です。あれはきっとヒトデの星です」
「だからそんなものはない」

 俺は、強くありたい。
 それは失った時に立ち止まらない強さより、こいつを守り続けるために強くありたいと。
 そんなことを、心の中でそっと誓った。





−幕−







・別名放課後SSSシリーズ第二弾、キャッチボールから一転してのシリアス。風子ED後にあたります。
 ミスチルの『深海』を聴きながら書いたのは良いのですが、歌詞の内容からすれば汐の方が合ってるような気もします。うかつ。
 イメージで捉えてください。イメージって便利な言葉ですね。



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2004年11月21日 藤村流継承者

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