catwalk-dogrun

 

 

 

石動いするぎ君!」
 はあ、と素っ気ない返事をすると、目の前に立っている眼鏡の女の子は腕組みをして偏屈そうに「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「全く、その返事は何だね。世紀の発明が生まれようという時に、君、そんな体たらくで十分なリアクションが取れると思っているのかね」
「いえ……、別に、普通に驚きますけど」
「普通とは何だ、普通とは。もっと、こう、驚天動地! といったふうに驚愕したまえ」
 正直、彼女の表情がいちばん面白いと思う。
「はあ……、驚天動地、ですか」
「そうだ。腰を抜かすなよ、いするぎ君。……しかし君はあれだな、本当呼びにくい名前だな全く。改名した方がいいんじゃないか」
「嫌ですよ。これでも三十年近くの付き合いなんですから」
「我がままだなあ、石動君は」
 少なくとも、彼女に言われたくはない。

 私と彼女――白鳥小波(大学一年生)は、雇用主と労働者の関係に当たる。元から知り合いだったとか、親戚筋の娘だったとかそういうわけではなく、ただ勢いで会社を辞めて近所の公園のベンチに座って途方に暮れていた私の前に、どこからともなく現れたのが彼女だったのだ。
 今のようにアンダーリムの眼鏡を掛けて、堂々と腕組みをし、何故か白衣を羽織った自称天才発明家が。
『これはこれは、いいところにカモがいたものだ』
 はっきりとカモ宣言するのも珍しい。
 用がないんならどっか言ってくださいよ、と明らかに腫れ物に触るように台詞を吐くと、彼女は気を悪くしたふうもなく口の端を歪めて笑った。
『職がないなら、私のところに来ないかね。今、ちょうど雑務係を探していたのだよ』
 詳しく容姿を窺ってみると、わりと可愛い感じの子だった。化粧っ気がなく、髪の毛が若干ぼさぼさしているのが難だが。でも、後ろに伸びた髪をざっくり纏めているのは嫌いじゃない。むしろ好みですらある。
『別に、研究所の片付けが面倒くさいからではないぞ』
 非常に解りやすかった。
 普通なら、ややこしいのに捕まったと切りのいいところで逃げるのが正解なのだろうけど。自分も職を失った身分だし、半ばどうにでもなれと思った節も無きにしもあらず、とりあえず女の子の話に付き合えるだけ付き合ってみることにした。
 こういうのでも、女の子は女の子だし。
『――そうか、引き受けてくれるか。やはり、君は私の見込んだとおりの人間だったようだな』
 握手をすると、思いのほか柔らかくてこっちが照れた。
 ちなみに、どうしてそういう口調なのかと聞いてみると、キャラ作りだと素直に答えてくれた。
 素直すぎるのも考え物である。

 意外に頑丈な造りの離れは、白鳥家の広大な庭の一角にぽつんと建っている。防音、防火、耐震と三拍子揃った構造で、何でも少々の爆発があっても家屋に被害が及ばないようにしているらしい。
 白鳥家はかなりの土地を所有しているが特に大金持ちというわけでもなく、昔取った杵柄が今に継承されているというだけの話のようだ。とはいえ、諸々の税金を考えればそれらの権利を手放さずにいれるだけでも相当の財力があることは想像に難くない。
 その、白鳥家の二女として生誕したのが現在大学一年生の白鳥小波であり、眉目秀麗な長男、才色兼備な長女と比較されて少々ひねくれて育った模様で、幼少の折から妙な発明癖が付いてしまい、碌な専門知識もないわりに無駄に凝った作品を作ろうとして文字通りに自爆する、というのが彼女の日常になってしまった。
 忌まわしき悪癖を封じるために件の離れが建てられ、家族からもどことなく腫れ物に触るような扱いを受けているのが、白鳥小波という女の子である。研究所と称された離れが全く片付いていないのも、彼女が掃除不精というのもあるが、手伝ってくれる人間がほとんどいない、というのが尤もな理由だろう。
 ――と、以上の経緯を淡々と語って聞かせてくれた小波は、表面上は大して気にしていないふうを装っている。実際、どう感じているかは知らない。聞いたら怒るだろうし。いつか、話したい時には耳を傾けてあげよう。それが多分、雑務係に課せられた役割でもあるのだろうから。

 私はPCへの打ち込み作業を中断して、彼女が奥から発明品を持ってくるのを待っていた。
 手伝つべく席を立とうとしたら、「まだ見るんじゃない!」とキャラ作りを忘れた可愛げのある高音で怒鳴られた。それに気を良くした私だから、こうして黙って座っているわけだ。たまに可愛いんだよなあの子。
 研究所は一階が二部屋に区切られており、玄関のある手前側が石動担当の事務室及び応接間、奥側が研究スペースになっている。ちなみに研究スペースは裏口と繋がっており、研究成果を横取りしようと企む輩が襲撃してきた時の備えとして役に立つ予定だとか。多分裏口を押さえられてジ・エンドだと思うが。
 二階は就寝スペースになっている。小波主任はベッドだと眠れないので布団らしい。ベランダでは布団も干せる。離れには台所に洗濯機、トイレにお風呂にアメニティグッズも全て揃っているため、正直私がここに住みたいくらいだ。
 開け放たれた扉の向こうから、ずぞぞぞっ、とコブラが這いずるような音が聞こえてくる。一瞬、逃走本能が沸き起こってきて腰が浮いたものの、同時に彼女の猫撫で声も聞こえてきたため、ここは梃子でも動くまいと固く心に誓った。
 スケベ根性万歳。
「いるすぎ君!」
「いするぎです」
「言いにくいわ!」
 今更である。
 ともあれ、猫撫で声を奏でてまで彼女が引っ張ってきたのは、全身がメタリックに光り輝く猫であった。おそらくロボットであると思われるが、動きは実に滑らかである。無論、ロボットめいたぎこちなさはあるけれど。
 彼女は自信満々に腕組みをして、どうだと言わんばかりに踏ん反り返っている。とりあえず、褒めてあげたほうが良さそうだ。
「これは……、すごいですね」
「なんだ、いまいち乗り気じゃないな」
「いえ、別に犬の方のパクリだと思ったわけでは」
「思っているだろう!? でもこれを独力で作るのは大変なんだぞ!」
「はあ……、ですが、いつも製作過程を見せてもらえないので、これを主任が作ったんだという感動があんまり……」
「ぐ……、でも、本当に私が作ったんだぞ! 時間は掛かったけど!」
「そうですか。すごいですねえ」
「ぬ……、まあ、いいわ。リアクション下手な石動君には望むべくもないことを忘れていた」
 ちゃんと褒めたのに酷い言われようである。が、驚き下手なのは自覚しているので何も言えない。
 素知らぬ顔で首の後ろを描いている猫ロボットに、開発者の小波がおもむろに手を伸ばすと、『シャァーッ!』と凄い勢いで威嚇された。毛がないのにちゃんと逆立っている気配すら感じられる。
 当の開発者は、びっくりしすぎて壁に張り付いていた。そういえば、猫が苦手なんだったか。じゃあ何で作ったんだ。
 かくいう私は猫好きなので、威嚇も猫撫で声もどんとこいである。主任がこの有り様だから、研究所ではあまり猫の話はしないのだが。
「……主任」
「嫌いじゃない! 嫌いじゃないんだ、ただ昔の出来事が脳裏をよぎってだな……」
「野良猫に餌をあげようとしたら、引っ掻かれたんですよね」
「う、うむ。他人の厚意を無碍にするとは、全く信じられん奴だな。ちりめんじゃこは持って行くし」
 とうに治ったであろう、手の甲の傷を撫でて、威嚇の収まった猫におそるおそる近寄っていく主任。そんなに怖いのなら何故威嚇する機能を付けたのだか、聞けばきっとリアルを追求したと言うに違いないが。
「……では、性能実験に移ろう。ほれ、そこの石動君。早速彼に何か話しかけてみたまえ」
「彼……、ちなみに、ロボットの名前はなんていうんですか」
「石動君二号だ」
 それはまた突拍子もない。
 やや遠巻きに私と猫を眺めながら、早く喋れと急かし立てる彼女にいちいち構っていても話が進まない。意味もなく咳払いをして、当たり障りのない言葉をかける。
「こ……、こんにちは」
『にゃーん』
 あ、鳴いた。
「ほれ、もっともっと」
 心なしか、主任の声も上ずっているように聞こえる。
「本日は、どのようなご用件で」
『どうしてそんなこと言わないといけないんですか』
 猫のくせに生意気な。
 というか普通に喋ったぞ。猫なのに。
「主任、生意気ですよこの猫」
「だろう。仮にも石動君二号の名を冠しておるからな、生意気なのも致し方あるまい」
「普通に人間の言葉を喋ってますし……」
『猫が喋ったらダメなんですか。そんな法律は聞いたことありませんね』
「こいつ……」
「どうだ、腹が立つだろう。人の振り見て我が振り直せと昔から言われておるし、石動君もだな、何をとは言わんが、もうちょっと他人に対する接し方をだ」
『シャァーッ!』
「のわぁあぁッ!?」
 色気もへったくれもない悲鳴を上げて、主任は再び壁に張り付いていた。この時ばかりは、石動二号もよくやったと言わざるを得ない。
 しかし、人の言葉を理解し瞬時に反応する機能は、愛玩用猫ロボットにしては高性能すぎる。主任に問いただそうとしても、まだ疑似猫の咆哮によるショックから抜け出せていないようで、本当に使い物にならない。実際にこれを作ったのなら尊敬に値するのに、変なところでその機会を逃しているのはあまり勿体ないと思う。別に、私からの称賛など無くとも好き勝手やるくらいには自由奔放な女の子なのだが。
 石動二号は呑気に毛繕いをしており、アイマスクを掛けたような無機質な瞳には興味のあるものしか映っていないように見える。
「主任、ひとつよろしいですか」
「な……、ん、だね。プライベートなことでなければ、何でも聞いてくれ」
「今度、仕事抜きでお食事にでも行きませんか」
「プライベートなこと以外で!」
「失礼しました」
 断られてしまった。誠に残念である。
 やむを得ないので、さっさと本題に入る。
「どうして、猫が苦手なのに、猫のロボットを作ったんですか」
 壁に背中を預けていた主任が、少しだけ身体を離す。極力、猫の視界には入り込まないように。そこまで気を遣うのなら、もっと別の生き物を模したロボットでも良かっただろうに。あるいは、自分に敵対しないプログラムを組むとか、他に手はいくらでもあったはずだ。
 それを、何故。
 主任は、言い辛そうに私から目線を逸らし、床に置かれた段ボールを見つめていた。その中には、開発には直接係わりのないファイルや種類がぎっしりと詰まっている。
「……いい加減、このままでは良くないと思って」
 完全に拗ねた子どものような口調で、主任は石動二号を睨む。直後、二号も主任を睨み返すけれど、怯みながらも主任は目を逸らそうとしない。偉い。
「好きにならなきゃな、猫も。第一、石動君は猫が好きなんだろう。ならば、雇い主である私が猫を好きになれないでどうする」
「要するに、弱味を握られているのが嫌なんですね……。別に、うたた寝している主任の頭に猫を乗せて反応を楽しんだりはしませんよ」
「いやに具体的だな……。ともあれ、これは苦手克服の第一歩だ。石動君二号と寝食を共にすることで、猫に対する免疫を作る。だから、たかが威嚇如きに怯んではいられんのだ。私の作品であるゆえ想像以上にクォリティの高いものが出来てしまったが、それならばむしろ好都合といえよう。さあ、もう二度と遅れは取らんぞ。覚悟するがいい……!」
 大仰に両腕を広げて演説している間に、石動二号は丸くなって眠りこけていた。それならそれで好都合とばかりに、毛のない猫ロボットの頭を撫でる。今度はさすがに威嚇されることもなく、不器用な触れ合いがしばし続けられた。
 主任は初めこそ満足げだったが、時が経つにつれ、表情には不満が募っていった。
「ん……、あんまり、猫に触っている感じがしないな……」
「それはまあ、ロボットですし」
「本当、石動君は味気のないコメントしかしないなー……」
「私に何を期待しているんですか。ただの雑務係ですよ、私は」
 我ながら、詰まらない返答だと思いつつも、変に嘘のつけない性格に溜息が出る。これで前職は失敗したのだ、同じ過ちを繰り返さないためにも、もう少し気の利いた台詞の練習をしておくべきかもしれない。
「――なあ、石動君」
「なんです、主任」
 私は既にPCの画面に向き直っていて、主任の声のトーンが明らかに変わっても、振り返りはしなかった。画面にいくつかの記号が躍っていても、主任の発する声に意識を集中させていた。
「以前、猫が好きだという話をしていたよな」
「ええ。その時に、主任は猫が苦手だという話を聞いたんですよね」
「ああ。だから……、申し訳ないことをしたと思っている。私のせいで、気軽に猫の話が出来なくなってしまって」
「……まさか」
 振り返ると、猫の頭に柔らかい手のひらを置いて、主任が寂しそうな表情を浮かべていた。こちらには目を合わせず、私と向き合うのを避けているようだった。先程までは、懸命に苦手なものに対峙しようとしていたくせに。相手が生身の存在となると、すぐにこれだ。物言わぬ機械と付き合うよりは、遥かに難しい相手であるにせよ。
「……あなたは、どれだけ不器用なんですか」
 これほど、皮肉な話もあるまい。
 呆れて二の句が告げられなくなった私を見て、主任がまた子どものように唇を尖らす。
「そんな、ひどいこと言うなよ。私だって、がんばったんだぞ。がんばって、猫に慣れるようにロボットも作った。生身の猫はまだ挑戦していないが、ロボットなら撫でられるくらいには慣れたんだ。だから、大丈夫だ。私に気を遣わず、存分に猫の話をするといい。もし、猫を飼いたいというのなら、いやそれは石動君の家で勝手にやってもらった方がいいのだが……」
 途中から明らかに言い淀み、自らの発言を悔いる。全然大丈夫じゃない。強がりであるというのは、誰の目にも明らかである。
 不当に悪者扱いされている感が否めない。が、主任の不器用な努力も認めよう。完全に保護者の目線だが、この彼女を前にしてほっぺたを引っ張ってやらないだけ穏便な対処であろう。
「気を遣っているのは、主任の方ですよ。私は、猫の話題を出せないのを苦に思ったことはありませんし」
「でも、話題に出さなかったのは、私を気遣ってのことだろう」
「そんなの、最低限の社会性さえ身につけていれば容易くこなせる類の処世術ですよ。馬鹿にしないでください。これでも三十年近く生きているんです」
「ぐ……、減らず口を……」
 ぐうの音も出ないらしく、それ以上は何も言ってこない。ただ、恨めしそうにこちらを見上げるばかりである。しゃがんだ体勢からの上目遣いが、ことのほか可愛い。この子は自分の武器さえ解ればもっと光ると思うのだが、自分を磨けと言っても雑務係の本分を弁えろと怒鳴るし、遊びに行きませんかと誘えばセクハラだぞ貴様とレンチを投げてくる始末。手に負えない。一応、言われるたびに軽く頬を染めていることを鑑みれば、その手の話を意識していないわけではないのだろうが。
 まあ、それはおいおい。
「じゃあ、良いんですね。これからは、猫の話をしても」
「……ああ。勿論だ」
 急に表情がぱあっと明るくなり、いきなり石動二号を抱え上げて私の目の前に持ってくる。とりあえずつるつるの頭を撫でてやると、何だかむず痒そうに動くばかりで、返事も唸り声も何もなかった。そういえば、主任が撫でている間は鳴き声ひとつ上げていなかった。主任としては当初の目的が達成されたわけだから、性能に異常があってもあまり問題はないのかもしれないが。
「どうだ、可愛いだろう。毛並みが再現できれば、触り心地も格別だったのだがな。あまり生身に近い状態だと、かえって気持ち悪さが増すから難しいところだ」
「そうですね、抜けた毛の掃除も大変でしょうし」
「毛深い石動君ならではの意見だな」
「何でですか。見たんですか」
「み、見とらんわ! 髪の毛で判断しただけだ!」
 激しく動揺する主任は、初心なことでも有名である。子どもの頃から発明一筋だったらしく、色恋沙汰にめっぽう弱い。無論、性知識も薄いが、興味はあるらしい。
 解りやすい彼女をどう弄ろうか逡巡していると、事務室にチャイムが鳴り響いた。来客である。白鳥家の面々が離れに尋ねてくるのは稀なことで、彼らはチャイムではなくノックをするか、あるいは何もせずに堂々と入ってくる。なので、今回は正式なお客さんということになる。
 現状、この研究所に訪れる正式な客人は、ただひとり。
「――こんちはー。あ、相変わらず乳繰り合ってますねえ。羨ましい」
「だ、だっ、誰がだ……!」
「ご無沙汰しております、後藤さん。主任もいつも通りです」
「うぃっす。それはよく解ります」
 黒髪に切れ長の目、鼻は高くて目は青い。その流れで当然背も高く、英語日本語中国語を操るトリリンガルでもある。英国人と日本人のハーフで、歌が上手く、だけれども下世話な性格をしているため同性の友人は多い。
 営業の後藤は、主任が適当に作り出す発明品の中から商品化できそうな代物を見繕い、会社に持って帰って企画を提案して上司に訴えかける仕事をしている。正直、後藤の匙加減ひとつでいくらでもピンハネできそうな具合なのだが、そのあたりの管理はしっかりしているらしく、商品化された場合は主任にきちんとお金が入る仕組みになっているらしい。だからといってピンハネされていないと決めつけるのは早計だが。
 その金銭の流れに乗じて、おこぼれを預かっているが私ということになる。コバンザメもいいところだが、コバンザメだって生きるためなら何でもやる。一回り下の女の子にも媚びを売るし、明らかに出世コースを駆け上がっている二十五の営業マンにも頭を下げる。
 後藤は締めたネクタイを緩めると、ポケットから取り出した携帯電話を主任に放り投げる。当然、猫を抱いていた主任は携帯電話を目で追う形になるが、状況を察した私は颯爽と携帯電話をインターセプトする。
 ちょっと格好いい。
「……で、何のつもりです」
「いやなに。お仕事が終わったんでね、返しに来たんですよ。良い声だったでしょ?」
 後藤の言葉を受けた主任は、あわわあわわとうろたえるばかり。下ネタを言われたわけでもないのに、この慌てよう。何かがおかしい。
「それはどういう……」
「あ、聞いてなかったんですか。こりゃ悪いことしましたかねえ」
「あ、あわわ……」
 顔を真っ赤にして身悶える主任と、意地の悪い笑みを浮かべて顎に手をやる後藤。彼らが何らかの協定を結んでいたことは確かである。その鍵となるのは、後藤が放った携帯電話。開いてみれば真っ黒な待ち受け画面、着信履歴を辿ってみると、見覚えのない番号がずらっと並んでいる。後藤に目配せをすると、「どーぞどーぞ」と楽しそうに手を振る。表情豊かな彼を見ていると、友達が多いのも頷ける。
 私がその番号に電話を掛けると、聞こえてくるのはかすかな物音ぐらい。主任はもう力無くへたり込んでしまい、電話を取り上げる気力すらないようだ。
「……もしもし?」
 言ってみた。
 すると、向こうからもくぐもった『もしもし』が響く。だが、人間が喋っているにしては曇りすぎていて、テレビかオーディオか別の媒体を経由しているように感じられた。しかもこの声、どこかで聞き覚えがあるような――。
「…………まさか」
「お、気付いた」
「ああ、もう……」
 今、私たちが発した言葉は全て、携帯電話の向こうからも聞こえてきた。中でも、一際大きく響いたのは、諦観に彩られて、多少色気の増した白鳥小波の声だった。
 石動二号の耳を間近で観察すると、確かに小型の集音マイクが設置されている。口の中にはスピーカーが内蔵されており、試しに携帯電話に向けて「こらっ!」と怒鳴ると、石動二号を抱えていた主任が驚きのあまり彼を取り落とした。
 彼はあくまで猫らしく、器用に身体の向きを変えて床に降り立っていたけれど。
「主任」
「う……、お、怒ってる?」
「いえ、別に怒ってはいませんが。むしろ安心しましたよ、あまりに高性能すぎて不思議に思っていたくらいですから」
「ちなみに、本体は犬の方のアレを改造したみたいっすよ。それでも、ここまで仕上げられるのは流石ってところじゃないですかね。褒めてあげてくださいな」
「そうだぞ。可愛いだろ、猫」
 味方を得ると途端に強気に出るのは、主任の悪い癖だ。今回も、後藤と組んで無理やり近未来っぽく構成しなくても、猫の動きを再現しただけで十分だったのに。ただの猫では説得力が弱いと感じたのか、よくできましたと褒めてもらいたかったのか。
 この場で何を言ったとしても、後藤がいると妙な空気になる。そう思って彼に目をやると、彼はさっさと踵を返してひらひらと手を振っていた。
「んじゃ、そいつはお返ししましたよー。また何かあればご連絡ください、僕はいつでもあなたたちの味方ですよ、っと」
 振り返り際に投げキスなど送ってみせて、後藤は丁寧にドアを閉めた。念のため、五分ほどしてドアを開け、周囲を確認したが彼の姿はなかった。盗聴器や監視カメラが仕掛けられた形跡もない。そういうことをする人物ではないと知ってはいるが、念には念を入れて。
 石動二号は眠たそうに顎の下を掻き、主任は手持ち無沙汰そうにソファに座っている。私が後ろ手にドアを閉めると、視線だけをこちらに向けて、早く戻ってこいと顎でしゃくる。
 全く、人遣いの荒い雇い主だ。
「主任」
「ん。何だ、石動君」
 部下の言葉を嬉々として待つ彼女の姿は、猫というよりむしろ犬に似ている。上目遣いをさせると不覚にも心が躍ってしまうから、今はなるべく視線を低くして、椅子に座ってから労いの言葉を掛けるとしよう。
「もっと、自分の作るものに誇りを持ってください。あなたの作るものなら、私は大抵、凄いと言ってしまいますから」
「ん……」
 彼女は少し押し黙り、目を伏せた後で、「そうだな」と言った。
 機械の猫はふわあと欠伸をして、ひょいと主任の膝に駆け上がって、たじろぐ彼女をよそに膝の上で丸くなり、程無くして浅い呼吸を繰り返すのみとなった。猫が眠りに就く容易さで、主任の顔が綻び、それにつられて私も少し笑ってしまった。
 他人の揚げ足を取るように、主任が私の緩んだ顔に指を差す。
 主任が可愛いからですよ、と文字通りの殺し文句を返すと、彼女はしばらく声を無くした後、あらん限りの力をもって石動二号を投擲してみせた。

 今でも、その時にへこんだ壁の穴は直っていない。
 また、言うまでもないことだが、あの飛翔を経ても尚、石動二号は応接間のソファの上で静かに寝息を立てている。

 

 

 

 



オリジナル
SS
Index

2012年1月15日  藤村流




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